未来から旦那がやって来た夏の話


 今日は、年に一度開かれる花火大会の日。
 いつもなら夜の帳が下りると暗くなる道を、頭上に吊るされた沢山の提灯と道の両脇に設置された屋台が、煌びやかに、そして華やかに、明るく照らしていた。
「んー……思ったより人が多いな」
 そう呟いた同級生の彼が、私の傍を離れないように歩いてくれている。
 同じ年頃の男子よりも成長が早い彼はその背の高さを生かし、軽く爪先立ちになって首を伸ばしながら、前方を見渡して言った。
「全く。あいつらもどっか他のトコ行くなら、一声かけてからにしろよ……なあ?」
「えっ、あ……うん……そう、だね」
 同意を求められて、私はどぎまぎとしながら頷いた。
 彼はそんな私の態度に嫌な顔をするどころか、申し訳なさそうに眉をハの字にして見下ろしてくる。
「無理してないか? 今日も、委員長が無理矢理連れて来たみたいだったけど……」
「うん、大丈夫。いつもの事だから」
 委員長は私の親友だ。幼稚園の時からずっと付き合いのある子で、幼馴染みと呼べる仲でもある。今日、私がこの花火大会にやって来たのも、「中学最後の思い出に、クラスのみんなと一緒に行こう」と仲の良い彼女に誘われたからだ。
 人見知りしやすい私と違って、彼女はとことん社交的だ。男女分け隔てなく接することができる面倒見の良い子だった。だからきっと、これを機に私にもクラスの子達に馴染んで欲しかったに違いない。
 なのに、比較的いつもお話しする彼と二人きりになってしまうとは。
 ふるふると首を横に振って、私は続ける。
「私の方こそ、ごめんね? 降谷君も、早く友達と回りたいよね」
「えっ? い、いや、僕は別に……」
 どこか赤い頬を人差し指でかきながら、降谷君が視線を逸らす。気を遣わせてしまったようで申し訳なくない。
 もう一度謝ろうと口を開いたその時、背後から誰かにぶつかられて私の体が傾いた。咄嗟に降谷君が私に手を伸ばそうとしてくれたのに、その拍子になかなか進まなかった行列が一斉に動き出し、私達の間に人が割り込んでしまう。
 焦ったように私の名前を呼ぶ降谷君の声が聞こえたけれど、何とか足を踏ん張って転ぶのを避けた私は、そのまま人の波に呑まれて流されてしまった。


「はあ……」
 ――やってしまった。
 たくさんの人が行き交うのを眺めて、大きなため息が口から零れる。
 目印になると思って鳥居の下にいた私は、自分のスマホを何回も確認した。でも、圏外と表示されたアイコンはいつまで経っても変わる様子がない。
 人が混雑しているせいか電波が悪いな、とは思っていたけど、まさかこんな時に使えなくなとるは。このポンコツめ。
 心の中で恨み言を呟きながら、もう一度人混みへ目を向けてみる。とてもじゃないけれど、行列ができる程に混雑したこの状況で、降谷君も親友も探し出せる気が全くしなかった。
 ため息が、また零れた。
 人探しは諦めて、神社の本殿へと続く階段に腰かける。そしてワイワイと楽しそうに通り過ぎていく人達を鳥居越しに見つめた。
(……良いなあ)
 仲睦まじく歩くカップルも。
 楽しそうにくじを見せ合う学生達も。
 食べ物を買ってもらって喜ぶ子供達も。
 こうして一人になってみて、初めて目の前に広がる景色がいつも以上に輝いていることに気づいた。
 浴衣を着て。
 緩く巻いた髪を結い上げて。
 それらしい格好をしているのに、なのに私ときたら――。
「あーあ……もう帰ろうかな」
 独り、ぽつりと呟く。
 だって、親友以外のクラスメイトとそこまで仲が良いワケじゃないし。
 人混みだって、本当は苦手だし。
 花火だって、そんなに大して興味もない。
 はぐれないように傍に居てくれた降谷君にだって、迷惑をかけてしまった。
 ――なんで私、ここにいるんだろう。

 時刻は十九時五十分。
 もうすぐ、花火が上がる時間だった。

「……帰ろ」
 親友には悪いけど、家に帰ってからメールで謝っておこう。降谷君にも、学校が始まったら一言謝ろう。連絡がつかないこの混雑した状況で、再び落ち合えるとはとても思えなかった。
 腰かけていた階段から立ち上がり、もう一度だけ周囲に知り合いがいないか確認する。
 するとその時、背後から誰かに肩を叩かれた。
「!?」
 驚いて振り向くと、自分の知らない間に男の人が立っている。
 色黒の肌と、金髪の髪に、群青の瞳。どこか既視感を覚えるその容姿の男はとても整った顔立ちをしていて、こんな楽しい祭りの日だというのにスーツを着ていた。
 ――え。この人、一体どこから現れたんだろう。全く足音がしなかった。
 混乱しながら突然現れたイケメンのお兄さんを凝視していると、彼は一瞬だけ驚いたように目を丸くさせて、それから優しく微笑んだ。
「こんばんは」
「こ、こんばん、は……?」
 仕事帰りの人だろうか。挨拶をされて反射的に応えてしまったけれど、私は無意識に身構えた。
 どうしよう。人の好さそうな雰囲気があるけど、怪しい人なのかな。だって、こんな所に一人で、それもスーツ姿だなんて。
「……一人なのか? 友達は?」
「えぇ、と……もうすぐ、来ます……」
「そうか。それなら、君の友達が来るまで一緒に待っても良いかな?」
「え」
 あからさまに嫌だという顔をしてしまった。イケメンのお兄さんは少し傷ついたような、寂しげな表情を浮かべて私を見つめてくる。
「駄目、か?」
「あ、いえ……そういうワケじゃ……」
 ええ。何で私が悪いみたいな空気になってるの?
 知らない人を警戒して何が悪いの?
 これ私がおかしいの?
 正しい反応をしていると思っているけれど、あまりに情けない表情をされては私も良心が痛む。
「あの、ですね……? 知らない人に話しかけられたら誰だって警戒するというか、何というかっ……」
 オロオロとしながら弁解しようと口を開けば、きょとんとしたお兄さんはどこか納得した様子で頷くと、肩を揺らしながらくつくつと笑った。
「ああ、そうだった。この時期の君は、まだ僕のことを意識してないんだったな。なら、簡単には気づかないか」
 言いながら、彼は私の隣に立って祭りを楽しむ人々に目を向けた。
(この時期の、私……?)
 どういう意味だろう。彼の言葉に違和感を感じ、俯きながら考える。
 この人は私を知っているみたいだ。でも、私はこんな格好良いお兄さんに見覚えはない。誰かに似ている気もするけれど、すぐに思い出せなかった。
「懐かしいな……ここに来たのは久しぶりだ」
「……そう、なんですか?」
「妻が人混みを嫌いなのと……残念ながら、僕も仕事でなかなか都合も合わせられなくてね。花火大会なんて、もういつ以来だろうな」
 しみじみと言うけれど、全然残念そうには聞こえない。というか、結婚してたんだ。
 視線を落としていた私はチラリとお兄さんの顔を見る。私の頭一つ分か、それ以上に背の高い彼は、まるで太陽でも見ているかのように眩しそうに目を細めていた。
 私は静かにその視線の先を辿ってみる。
 小さな子供を連れて歩いている親子。
 友達と盛り上がっている子供達。
 たどたどしく会話を交わすカップル。
 そんな彼らを楽しげに眺めている横顔を見て、私は悪い人ではないのかも、と警戒心を解いた。
 そう思ったら、今度は彼に対する既視感が気になって仕方なかった。
「君、一緒に居た同級生とはぐれたんだろう?」
 何て声をかけようか悩んでいると、ふいにお兄さんが口を開いた。
 予想ではなく、確信を持って言い当てられてしまい、私は固まる。
「その……まあ、はい」
「ははっ。幼い君も本当に素直だな……なら、もう少しここで待つといい。もうすぐ迎えがくる」
「? どうして分かるんですか?」
 不思議に思ってそう尋ねるけれど、彼はただ含み笑いを浮かべて私に向き直っただけだ。
「耳を澄ましてごらん」
 首を傾げつつ、言われた通り私は口を閉ざして、音楽や人の話し声で騒がしい周りの音に集中してみる。
 どこか遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 降谷君の声だ。彼はこの近くまで来ているらしい。
 慌てて雑踏の中に紛れている彼の姿を探すけれど、見つけられなかった。

 ――ん。ちょっと、待って。

 ここで、私はある事に気づいた。
 そうだ。この人、誰かに似ていると思ったら、降谷君に似ているんだ。
 ようやくモヤモヤしたものが晴れてスッキリしたけれど、今度は別の疑惑が浮上してしまった。
 一度でも似ていると感じてしまったら、まるで目の前の彼が大人になった降谷君のように思えて仕方ない。
(いや、でも、まさか……未来の人とか、そんな馬鹿な話、あるわけないし)
 ありえない発想をした自分に、心の中で苦笑する。
 世の中を探せば、一人ぐらいそっくりな容姿の人はいるだろう。それにもしかしたら、この人は降谷君のお兄さんかもしれない。だから降谷君の呼び声が私の名前だって知っていたのかも。
「あの、お兄さんは誰――」
 なんですか。そう問いかけようとした時、ヒュルルと空に高い音が響いて私の声をかき消した。
 空を見上げると、夜空に大きな花が咲いた。打ち上げが始まってしまったみたいだ。
 それに目を奪われていると、ふいにお兄さんがぽつりと呟いた。

「もうすぐ、僕達の子供が産まれるんだ」

 どこか幸せを噛み締めるような声音が、立て続けにヒュルルルと高い音が鳴る中、鮮明に聞こえた。
 再び彼に目を向けると、私を見下ろす群青の瞳が柔らかく、慈しむような優しさを滲ませていた。
 私の心臓が、大きく高鳴る。
 どうしてだろう。今、この人から目を逸らせなくなった。
 何が起こったのか分からないまま硬直する私の頭を、男らしい大きな手が優しく撫でていく。少し乱れた髪を整えるようなその丁寧な手つきに、ますます自分の鼓動が早くなったのを感じた。
 何度も打ち上げる音が空を引き裂いて、大輪の花が夜空に咲く。
 大きな手の平は私の頭から頬へと移動し、するりと撫でて、静かに離れていく。
 それから、彼はおもむろに口を開いた。
「僕の名前は、――――」
 蕾が上がって、花が咲いて、輝きながら散っていく。
 色取り取りの光に照らされて、彼は輝かしいほどの笑顔を浮かべながら告げた。

「君の、未来の旦那さんだよ」

 え、と私が瞠目した瞬間、ぶわりと強い風が落ち葉を掬い上げて舞った。
 そして咄嗟に閉じた瞳を再び開いた時、私は両手で口を覆い、呆然とした。
 さっきまで目の前に居たはずの彼の姿が、忽然と消えているのだ。右を見ても左を見ても姿はない。前方に見える人混みの中にも、背後の本殿へと続く階段にも姿は見えない。
 まさか、そんなことって、ありえるの?
 私は、幽霊を見てしまったんじゃないだろうか。
 いや、でも、待って。
 さっき彼はなんて言ってたっけ?
 さらりと『未来の旦那様』とか言ってなかったっけ?
 つまり、未来の私と夫婦であり、だからこそ名前を知っていたということか。
 それに、彼、確か名乗って――。
「……うそぉ」
 ぼぼぼと熱が顔に集まるのを感じて、俯く。
 その時、誰かが私の左手を掴んで、引っ張った。
「大丈夫か!?」
 降谷君だ。彼は額に汗を滲ませながら、心配そうに私を見下ろしていた。
 その瞳と視線が交わって、ばくん、とまた心臓が高鳴る。
「見つかって良かった……怪我とかしてないか? それにさっき、誰かと一緒に居たような……」
「い、いたけど……大丈夫」
「ホントに? 何もされなかった?」
「……とんでもない爆弾は、落とされた」
「え?」
 降谷君が眉を寄せて怪訝な顔をする。
 けれど、私はその顔を直視できずに視線を逸らしたい一心で俯いた。
 ――どうしよう、顔がものすごく熱い気がする。
「本当に大丈夫か? 顔、すごく赤いけど……」
「だ、大丈夫……大丈夫……うん、大丈夫」
「? ……なら、良かった」
 うわ言のように「大丈夫」を繰り返す私に不思議そうに首を傾げながらも、降谷君はふわりと笑った。その顔がさっきの彼と重なったように見えて、私はますます顔が上げられなくなった。
「花火、始まっちゃったな」
「あ、ごめん……せっかくクラスのみんなと観に来たのに、私がはぐれたから……」
 そうだ、電波も届かないこの状況で、彼は今まで必死になって私を探していてくれたのだ。それなのに私は一人で先に帰ろうとまでしてしまった。
 はっとして慌てて謝ると、「んー」と唸った降谷君は鼻の下を指で擦って視線を泳がせる。それから私よりも濃い肌色の頬を少しだけ赤くさせて、ふふんと悪戯っぽく笑いながら彼は言った。

「このまま、二人で観ようか」

 ぎゅっと、胸が締めつけられた。
 一体、彼は今、どんな気持ちでその言葉を口にしてるんだろう。
 私の顔を覗き込みながら、楽しそうな表情をしている降谷君。
 それは夜空に咲く花火と同じくらい、私にはキラキラと輝いて見えた。
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