私のイノセンスヒーロー


 ヒトの人生なんてクソだと思う。
 だって、その人生はきっと誰かを傷つけながら手に入れたものだから。
 それをたかが十六年しか生きていない私が知ってしまうのも、クソみたいな話だと思う。

「名前ちゃん、あのね……お母さん達、離婚することにしたの」
「どちらについて行ってもいいよ。お前の好きにしなさい」

 いつもなら呼ばれない夕食後の自由な時間。
 いつもなら見ない両親が食卓に並んで座る光景。
 申し訳なさそうに、けれど憑き物が落ちたような晴れやかな顔でそう告げる母の声がまるで呪いのように聞こえた。
 同じような顔で私に選択権を与えてくる父の身勝手さに、言い表すことのできない苛立ちが込み上げてきた。

 大人は身勝手だ。
 独り善がりな理想の家庭を夢見て自分の人生に子どもを巻き込んでおきながら、いとも簡単に子どもの『日常(世界)』を無慈悲に壊していく。

 だから私の口から無意識に零れ落ちたこの言葉も、呪いみたいだった。

「ばっかみたい」

 病める時も、健やかなる時も。
 富める時も、貧しき時も。
 そんな陳腐な言葉で『永久の愛』を誓ったのではないのか。
 その誓いは、なんのためにあったのか。

「くだらなさすぎて笑える」

 でも、おかげで理解した。
 この世界に『永遠』など存在しない、と。
 誰かを『気遣って』生きる世界に自分の幸せなんてない、と。


 もうほっといて、と叫ぶ声がした。


 *** *** ***


「なあ、次の期末のテスト勉強もう始めてる?」
「うーん、少しは……」
「やっべ、俺全然だわ〜」
「ねえ、苗字さんは──……あ、今は苗字が違うんだっけ?」
 次の授業で教室を移動していた私は、背後から声をかけられてくるりと振り返る。
 ごめんね、と謝りながら声をかけてくるクラスメイトの女子の顔は申し訳なさそうな表情で私の顔色を伺っている。実にどうでもいい配慮で、私はニッコリと微笑み返した。
「気にしなくていいよ、苗字がなんだろうがぶっちゃけ意味ないし。気になるならこの機会に名前って呼んで。その方が仲良しっぽいじゃん」
 人間、サバサバとした性格の方が好かれやすい。裏表もなく、分け隔てなく、そんな風に接していれば世渡りも自然と上手くなる。無駄な争いを生まないし、たまに本音を零してもそれが『私』だと面倒なことにも巻き込まれなくて済む。
 ただ、さっぱりとした性格とは時に『他人へ配慮しない』ことでもあるのだ。それをある程度許容できるか、無視できるか、もしくは自他の感情に鈍感であるか──つかず離れずの人間関係を作り上げるのに必要なのは、結局そういう人間を選定することだと思っている。
 私の言葉にホッとしたのか、クラスメイトの女子は朗らかに笑って「それじゃあ、名前ちゃんって呼ぶね」と言った。
「それで、名前チャンはテスト勉強どうなのよ?」
「おい、名前呼び許されたのこの子だろ」
「いーじゃん、本人がそう呼べって言ってんだから」
 親し気に名前を呼びながらも、その声音が幾分か嘲笑を含んでいるように聞こえるのは気のせいではないと思う。こういう話し方をする人間は仲良くする必要性も感じられないので、適当に聞き流すのが一番だ。
「もちろんしてるよ。いい大学に進学して、なるべく給料のいいところで働きたいからね」
「おーおー。流石、優等生の委員長様は見てる夢も違いますネ」
「そうだね。将来はバリバリのキャリアウーマンになって独身人生を謳歌するの。自分のために働いて自分のためにお金を使うなんて、贅沢で素敵な夢でしょ?」
「いや、それ高校生の抱く夢じゃねーわ」
 間髪入れず飛んできた皮肉まみれのツッコミを「そうかな?」と微笑んで受け流す。誰だって少なからず『夢』を抱いているわけだし、雄英ではみんなその『夢』を実現するために『今』を頑張っているのだから、別におかしな話ではない。単に、そこにリアリティがあるかないか──という話だ。
「でも、名前ちゃんの言うこともわかるかも……仕事のできる女性って、ちょっと憧れるよね」
 話を聞いていた女子が目を輝かせてやんわりと微笑みながらそう言うと、彼女と一緒にいた皮肉男子はころりと声音と変えて「羽瀬ならなれるよ」と相槌を打った。
 おい、わかりやすいなコイツ。今度なめた態度見せたらネタにして弄ってやろうか。
 そんな悪態を心の中で吐いていると、その羽瀬さんがふと視線を動かして廊下の向こう側に目を向けた。その表情があからさまに明るくなったのを見逃さなかった男子達は、彼女の視線の先を追いかけて「げっ」と表情を歪ませた。
 原因は、反対側からこちらに向かって歩いて来る数人の生徒の集団だ。
「ねえ、あれ、A組の轟君だよ!」
「うわ……なんでヒーロー科がこんなトコにいんの?」
「あっちも移動教室なんじゃね? 俺らの隣のとこ、たまにどっかのクラス使ってんじゃん」
 まじか、と皮肉男子が項垂れるのを横目に、私は聞こえないようハンッと鼻で笑って顔を背ける。
 一時の感情に振り回されてご苦労なことだ。こんな奴の恋路なんて毛ほども興味ないけど。
 そう思って歩き出そうとした時、ふとヒーロー科の集団から視線を感じた。気のせいだと思いたくてチラリと目だけを動かすと、ブラックとエメラルドの双眸としっかり目が合ってしまった。
 驚いたことに、私を見ていたのはたった今名前の挙がったA組最強の男──轟焦凍だ。真っ直ぐで穢れも感じられない、とても綺麗な瞳。噂通りの綺麗な顔立ちをした彼に見つめられてほんの少しだけドキリとしたが、無遠慮に見つめてくるその瞳はどこか空恐ろしくも感じる。
 すぐに顔を背け、私は目的の場所である教室に体を滑り込ませる。
 ──なんだったんだろう、今の。
 姿が見えなくなっても彼の視線がずっと私を追いかけているような気がして、その日はずっと気分が落ち着かなかった。


 がしゃん、と音がしてビクリと体が震えた。
 まだ真昼間だというのに、どうやらテスト勉強中に眠ってしまっていたようだ。机の上に置いていたはずのスマホが滑り落ち、その拍子にイヤホンのコードも外れたらしい。
 ああ、やってしまった。スマホから流れる最近お気に入りの曲を聞きながら、私はゆっくりとそれを拾い上げるべく手を伸ばす。
 ぼんやりとその軽快な音を奏でる曲に耳を澄ませるも、勉強をする気などとうに消え失せている。集中できる気もしない。
(……散歩しよ)
 雄英が全寮制になってから外出には許可を必要とされている。でも、それは校外に出る場合のみだ。ハイツアライアンスは学校の広い敷地内に建てられているし、その中の移動であれば自由に行動できる。
 手頃なパーカーを羽織り、スマホにイヤホンのコードを差し直し、私は少人数で賑わっている共同スペースを通り抜けて一人、寮の玄関を開いた。
「あっ、名前ちゃん出かけるの?」
 声をかけてきたのは談笑の輪にいた羽瀬さんだ。振り返り、私はにっこりと微笑んだ。
「うん。ちょっと気分転換してくるね」
「そっか! 気をつけてね!」
 行ってらっしゃい、と手を振る彼女に同じように振り返して、私はさっさと顔を背ける。
 空は快晴。とても過ごしやすい気温で、微かに吹き抜けていく風が気持ち良かった。
 こんなにも心穏やかに過ごせるのだから、去年から全寮制になるきっかけを作ってくれた『敵連合』には感謝したい。もちろん、彼らのやったことは許されることではないけれど、あの神野での一件がなければ今頃、きっと私はもう雄英にすらいなかっただろう。
 その『敵連合』との闘いも、この春に入る前にひと段落ついたそうだが。
(ああ、そう言えば……一時なんか騒がれていたな……エンデヴァーの息子)
 興味もなかったので全く内容は覚えていないが、『お家事情』だったことは確かだ。しばらく世間を騒がせていたようなので調べればそれなりに内容はわかるだろう。知る必要性を感じないので、そんな無駄な時間は作らないけど。
 そんな他人のどうしようもない話より、流れ込んでくる音楽に耳を澄ませている方がずっと心の栄養になる。
 そう考えてあてもなく歩き続けていると、ふと前方から見覚えのある人が見えた。白と赤の髪に、オッドアイの長身の男子。タイミング良くヒーロー科の集団に紛れて歩いて来るのは、やはりあの轟焦凍だ。女子達は知らないけど、一緒にいるのは今年体育祭で優勝した緑谷出久だろうか。眼鏡の子は委員長の飯田とかいう人だった気がする。委員会でやたらと他のクラスの奴に口煩かった記憶がある。
 ──そう言えばヒーロー科の生徒は他の科に比べて授業数が多く、土曜日も授業があると言っていた気がする。
 まさかこんな時間に下校しているとは思ってもいなかったが、今更方向を変えるとあからさまに彼らを避けていると思われそうだ。
 何より面倒くさい。別に知り合いがいるわけでもないし、話すこともないのでそのまま通り抜けてしまおうと彼らを無視してすれ違う。
 ──その時だった。
「苗字……名前さん、だよな?」
 パーカーに手を突っ込んでいた腕を掴まれて、名前を呼ばれた。
 目を丸くして振り返ると、私と同じく驚愕の表情を浮かべた緑谷と飯田がこちらを見ていた。
 私を引き止めたのは張本人はというと、相も変わらず感情の読めない表情で私を見下ろしている。
「……何、あんた。いきなり」
 突然絡まれたショックと名前を知られている警戒心で、思わず自分が想像するよりも低い声が出た。
 話しかけてきた轟はそんな私の態度を気にしていないのか、表情はあまり変わらなかったが私の腕に目を向けてすぐに手を離した。
「あ、わりぃ……腕、痛かったか?」
「私はいきなり話しかけてきた用件を聞いてるんだけど」
 質問に答えず、イヤホンを外しながらそう言葉を返すと「怖い……」という小さな呟きが聞こえた。ちらりとそちらに目を向けると、素早く口を押さえながら緑谷とボブカットの女子が視線を逸らす。
 素直な子は嫌いじゃない。ただ、『怖い』という言葉は流石に傷ついた。悪いのは自分なので否定はしないけど、そもそも見ず知らずの男子に名前を覚えられていきなり話しかけられるという恐怖を理解して欲しい。どんな理由であれ、相手が誰であれ、多少の警戒心は持っておくべきなのだ。
 そんなこと、それこそ面倒くさいので言わないけど。
 どうせ今後も関わることないだろうし、まあいいかと思って小さく肩を竦めると、仲間を振り返った轟が彼らに声をかけた。
「悪い。ちょっと話がしてぇから、先に寮に戻っててくれ」
「あ、う、うん……わかったよ」
「轟君……言わなくてもわかっているとは思うが、女性には紳士的に接するんだぞ」
「ああ、わかってる」
 いや、わかってんなら初対面の人の腕いきなり掴まないと思うんですけど。
 思わず口を衝いて出そうになった言葉を必死に喉の奥に流し込んで、私は訝しげに轟を見上げる。
 轟もまた、感情の読めない目で私をじっと見下ろした。
「えーと……苗字さん……じゃ、ないんだったか」
「苗字でいいよ。別に苗字にこだわりなんてないから、好きに呼んで」
「じゃあ名前」
「その流れで名前で呼ぶとは思わなかったわ」
 図々しくも堂々と名前を呼ばれて耐え切れずツッコミを入れると、轟は首を傾げながら「今、好きに呼べって言った」と宣った。確かに言ったけども。言ったけども、それ絶対、委員長君に言われた『紳士的』な行動じゃないでしょ。
 そう思ったけど、もうとことん面倒くさいのでそれでいいやと匙を投げた。
「……それで、何か用でもあったの?」
「ずっと話してみたいと思ってたから、ちょうどいいと思って」
「……え、今?」
「? 急いでいるようには見えなかった」
 そうだけども。ただの散歩ですけども。
 なんだこのぽんこつ美男子、究極のマイペースか。
 ツッコミどころが多過ぎて頭が痛い。額を押さえ、堪えきれず深いため息が口から零れ落ちた。
「話って……何を話すの? そもそも私はあなたに名前を教えた覚えもないし、覚えられるようなことをした記憶もないのだけれど?」
「I組の委員長だろ? 委員会が一緒だったって、飯田に聞いた。あと、経営科トップの成績だってことも……すごく頭がいいんだってな」
「どうも。そっちも今年の体育祭で三位の成績だったでしょ? 去年に次いで入賞したとか。おめでとう。流石、将来有望のヒーローさんだね」
 やっぱり出所はそこだったか。A組の委員長は有能過ぎて嫌になるな、と心の中で舌打ちを零しながらつらつらと心にもないお世辞を返す。そんな不愛想な言葉に嫌な顔一つ見せず、轟は「ありがとな」と穏やかに微笑んだ。喜んでいるように見えるのは多分、気のせいではないと思う。
 ツラがいい。それは認める。あと心が広い。そこも尊敬した。
「あとは……わりぃ、こういう時何を話せばいいんだ?」
「あんた、本当に何をしたいの?」
 この天然っぽいところはちょっと──いや、かなり、面倒くさいと思う。


「名前、いるか?」
 月曜日の朝、開かれた教室の扉の方から名前を呼ばれて、私は片手で顔を押さえる。
 あのあと、結局私は彼が何を話したかったのかわからないまま、お互いに自己紹介みたいなことをして別れた。轟はそれで満足げだったし、おそらく、それっきりで私達は終わるんだろうと思っていた。
 なのに、まさか学校でもクラスに突撃してくるなんて。誰がこんな展開を予想できただろう。
 色めき立つクラスメイト達の声を聞きながら、私はツカツカと早足で轟に近づいてがっしりとしたその肩を軽く押しながら彼を廊下に追い出した。
「お、おい……どうした?」
 困惑した様子の轟を無視し、そのままヒーロー科の教室へと続く廊下の方まで手を引いて連れ出す。
 人がそれなりに溜まっている場所なら別に目立ちはしないだろうと思ったのだが、ここは流石『ヒーロー科の優秀なイケメン』と言うべきか。やはりどこに行っても彼は注目の的になっていた。
 とりあえず時間もないので、彼の手を離した私は振り返ってにっこりと笑いかけた。
「ごめん、いきなり教室に来ないでくれるかな?」
「わりぃ。でも、教室に行かないとお前に会えないだろ。俺、連絡先知らねぇし」
「なんで私に会いに来る必要があるの? あれで話は終わりでしょ?」
「終わりじゃねぇよ。伝え忘れたことがあったから」
「伝え忘れたこと?」
 私が首を捻ると、轟はこくんと頷いた。

「好きだ。俺と付き合ってくれ」

 私の世界から音が消えた気がした。
 事実、私達の周りにいた人が絶句して一斉に振り返ったのだと思う。
 正直、私も何を言われたのか理解し難くて言葉は出なかった。
「は、……す……? つ……???」
 混乱しながら彼の言葉を脳内で何度も復唱した。
 すきだつきあってくれ。スキだ。隙だ。好きだ。──好き? 付き合う? 誰と誰が?
 私は手の平を向けて無意識に一歩、後退りした。
「ごめん、意味がわからない」
「交際を申し込んでる」
 流石将来有望と言われるヒーロー様。大勢の人の前で堂々としていらっしゃる。でも、ここまでくるとマイペース通り越して無神経過ぎないか。おかげで私の頭の中は大混乱よ。
 今度こそ完全に言葉を失って呆然と立ち尽くす私。
 そんな私を、轟はじっと見つめていた。その端正な顔が僅かに赤らんで見えるのは気のせいではないのだろうけど、ぶっちゃけて言えば『ツラがいい』以外の感想が出ない。
 というか、どうして私はよりによってヒーロー科の王子様に交際を申し込まれているのか。
 パニックのあまりふらりと体が傾く。気が遠くなるようなそんな感覚に襲われて頭を押さえたその時、誰かが轟の頭を思いきり殴った。
「ごめん! ちょっとコイツ抜けてるとこあっから!!」
 犯人はA組の金髪の男子だった。「あとでちゃんと話しに行かせるから!!」と言う彼を筆頭に、数人の男子が無言で轟の腕やら首根っこやらを引っ掴んで教室へと走り去って行く。その中にはあの緑谷や飯田も混ざっていて、取り残された私はぽかんとそれを見送るしかなかった。
「……ていうか、告白を忘れるって……」
 むなしいと言うか、なんと言うか。私はここで怒ればいいのか? それとも呆れて笑い飛ばしてやるべきだったのだろうか。
 どちらにせよ、答えなんてすでに決まっているけども。


「名前ちゃん、あの轟君に告白されたんだって!?」
「それも廊下のど真ん中で!」
「すごい熱烈に!」
「手を握りしめながらされたって!」
 わー。女子怖い。
 昼休みになると廊下から他クラスの人が顔を見に来るくらいには噂が出回っているようで(当たり前と言えば当たり前だが)、教室に戻ってから誤魔化したはずの話はすでに周知となっていた。そして何やら女子の夢見るシチュエーションが尾鰭となって噂について回っている(確かに手を握った記憶はあるけども)。
 昼休み、食堂に行こうとしていた私はクラスメイトや去年同じクラスだった女子達に囲まれ、私は乾いた笑みを浮かべた。
「告白の返事はまだなんだよね?」
「いいなあ……やっぱり付き合う? ヒーロー格好いいし!」
「えっと……」
 女の子は噂話に敏感だ。特に恋の話題になるとそれが顕著になる。加えてその話題の中心人物がヒーロー科の生徒だから、もう歯止めがない。でも、当事者のいないところでめちゃめちゃ話を広げようとしてくるのは正直、私は好きじゃない。
 是も否も言わず、私はにっこりと笑って思いきり話をぶった切った。
「ごめ〜ん。返事については一番先に本人に伝えたいから、まだ内緒ってことで!」
 途端、女子から心底残念そうな「えーっ」という不満の声が上がった。
 うん、女子怖い(二回目)。これは一刻も早く轟と話をした方がいいかもしれない。こんな噂で他人から注目されると残りの学生生活に支障が出そうだ。
 集団から解放されてため息を吐き出すと、一緒にお昼を食べに行こうとしていた羽瀬さんが気遣うように声をかけてきた。
「名前ちゃん、大丈夫?」
「あ、うん……ちょっと勢いに驚いてるだけ。噂になるだろうなっていうのは想像していたし、気にしてないよ」
 気を取り直して私がそう言えば、羽瀬さんは「そっか」と安心したように微笑んだ。
 そのあとも好奇の視線は集めていたけれど、食堂に辿り着く頃にはそれも疎らになる。腹ペコな生徒達は他人の恋愛事なんて空腹の二の次の次ぐらいになっているのだろう。
 おかげで大繁盛している食堂の片隅で私と羽瀬さんは穏やかなランチタイムを過ごすことができた。
「そう言えば、名前ちゃんは夏休みどうするの? 帰省とか……」
「家には一切帰らないって決めてるの。ただ、そろそろバイトは始めたいかな……」
「バイト……!? どうして……!?」
「大学に進学するのと同時に家を出るの。寮があるところも考えたけど、どこに住むにしてもお金はいるから、夏休みの間に稼げるだけ稼ぎたい」
「ええ……私、まだ進学する大学すら決まってないよ……」
「大学は私もまだ決めてないよ。今は条件のいいところに目星つけてるだけ。治安とかも考えておかないとね。まあ、まだ肝心のバイト先が決まってないんだけど……」
「あ、そもそもウチ……バイトして良かったっけ?」
「駄目でも交渉する。そのための『優等生』だもん」
「……そっか。名前ちゃんは今、将来のために努力してるんだもんね」
 苦笑しながら「私は全然駄目だなぁ」なんて言って視線を落とした羽瀬さんの表情はどこか暗い。
 私は彼女の顔をじっと見つめ、けれど何に思い悩んでいるのか聞いたところで助言もできないのでそれに気づかないフリをした。
 ただ、これだけは言っておいた方がいいと、直感が告げている。
「今の羽瀬さんが駄目かどうかは私にはわからないけど、私の『努力』を真似するのだけは駄目だと思うよ」
「え……」
「私のやり方は、きっと羽瀬さん自身を傷つけるから。羽瀬さんは羽瀬さんのやり方で生きた方がいい」
 そう言って、私は残っていた定食の味噌汁を喉に流し込んだ。
 この時の羽瀬さんが私の言葉をどう受け止めたのかは知らない。けれど、きょとんとしていた彼女の顔にはすぐ小さな笑みが浮かんだので、まあ、嫌な気分にはならなかったんだと思う。
 ──別に、どうでもいいけど。
 他人がなんと助言しようと、結局最後に解決手段を選ぶのは本人だ。後悔しないように、自分のことは自分でしっかり考えないと意味がない。
 そう考えながら「ごちそうさま」と二人揃って手を合わせた時だった。
「名前」
 三度目ともなれば聞き慣れた声に、私は顔を上げてしかめっ面になる。
 完全にタイミングを見計らって来たであろう轟は、相も変わらず表情の読めないポーカーフェイスで私を見下ろしていた。
「今朝の話の続きがしたい。今から時間あるか?」
「いいよ。私も話をしようと思ってたの」
 即答して、私は羽瀬さんを見る。あわあわと慌てふためいた羽瀬さんは私と轟を交互に見て、ぶんぶんと首を大きく縦に振っていた。
 そんな彼女にお礼を言って、私は先に歩き出した轟の後ろをついて食堂をあとにした。


 轟が足を運んだのは人のいない校舎裏だ。
 視界の片隅で戯れている猫達を見ながら、私は真っ先に話を切り出した。
「今朝の返事だけど、お断りさせていただくわ」
「……理由を聞いてもいいか?」
 動じることなく、振り向いた轟は冷静に問い返してきた。
 落ち着いたオッドアイの瞳は、やっぱりどこか苦手に感じる。
「悪いけど、私はこの先も一生誰とも付き合う気はないの。恋愛って、将来結婚して子どもが欲しいと思ってる人がするものだから」
「そうなのか?」
「ヒトがヒトに恋するのは自分の遺伝子を残そうとする生物の本能だって言うでしょ?」
 首を傾げる轟に、淡々と話す私は「それに」と言葉を続けた。
「私の夢は独身人生を自由に謳歌することなの。そこに他人を巻き込むつもりはないし、入れたくもない。他人のために時間を割くのも嫌。そんな暇があったら、趣味の一つでも見つけて楽しく過ごしたいと思う」
「すげえ夢だな」
「感想が欲しいわけじゃないんですけど!」
 暗に『お前に使う時間が無駄だ』とかなり失礼な言葉でフっているつもりなのに、轟は表情一つ変えない。鈍感か? マイペースで天然で鈍感って、どんな環境で育てばそうなるの。
 あ、駄目だ。ちょっとイライラしてきた。
 苛立ちを隠さず足を踏み鳴らす私に、轟は変わらず無表情のまま淡々と告げた。
「すげえよ。だって、自分の将来をちゃんと考えて言ってんだろ?」
「……そうだけど」
「俺が雄英に入ったのはヒーローになるためだ。最初は親父を見返したい一心で始めたことだが、今は違ぇ。この力でみんなを守れるぐらい強いヒーローになりてぇ……と、今は思ってる」
 なら、どうしてその夢のために必要な時間を私に割いているんだ。
 イライラが最高潮に達し、腕を組みながらぼんやりと自分の左手を見下ろしながら話す轟をキッと睨む。
「だったら、夢を実現するために今は自分のことに集中しておくべきなんじゃないの?」
「ああ、そうかもしれねぇな」
 そこで轟は顔を上げ、熱の宿る真剣な眼差しを私に向けた。

「でも、仕方ねぇだろ。目が離せなくなっちまったんだから」

 は、と私の唇から音にもならない息が零れ落ちる。
 轟の目はどこまでも真っ直ぐで、美しい。穢れを知らない宝石のようで、視線が逸らせなくなった。
 そんな私に、轟はふっと穏やかに微笑む。
「わりぃ。やっぱりフられても、俺は諦められねぇ」
 だから、まずは友達からよろしく頼む。
 そう言って手を差し伸べてくる彼に、私はなんと答えるのが正解だったのだろう。
 考えるよりも早く、気づけば私は全力でその手を叩き落としていた。
「い、意味わかんない! 勝手にすればっ!?」
 逃げたい一心で『個性』を発動する。
 そして自分を呼び止める声は無視して、私は一目散にその場から駆け出したのだった。
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