カフェ&ベーカリー『檸檬』には、イケメンの常連客がいるA


 祖父母が営むカフェ&ベーカリー『檸檬』には、今日も様々なお客様が訪れる。
 早朝出勤のサラリーマンやOL、通学途中の生徒、お年寄りや専業主婦らしき子連れの婦人。
 時間帯によって異なる常連客さんの中に、いつの間にかあのイケメンのお兄さんが追加されていると気づいたのは、彼の会計を担当して三回目の時だった。
 きっかけが自分の作ったパンだったということもあり、彼が店に訪れてくれることは他の誰より私が喜んだ。
 一方で、「目の保養になるわぁ」と祖母と母が喜ぶ隣で「厄介な虫が来た……」祖父と父が少し苦い顔をしていたのは、ほんの少しだけ面白かったので黙っておこうと思う。
「すみません、こちらを一つずつ」
 そう言ってお兄さんが持っていたトレーにのせられたのはサンドイッチと、私が作ったレモンパンだった。
「店内でお召し上がりですか?」
「いえ、今日は持ち帰ります」
「かしこまりました。お手拭きも一緒に入れておきますね」
 お兄さんはカフェを利用したり持ち帰ったりと日によって異なるが、購入するパンの中には必ずレモンパンが含まれている。
 いつものように会計を担当しているのが私だから気を遣ってくれているのかな、と思ったけれど、それを作ったのが私だとは教えていないし、つい先日には「このパン、すごく好きなんです」と言ってくれたので、たぶん、本当に好きになってくれたみたいだ。
 嬉しくて、照れ隠しに思わず「そんなに食べて飽きませんか?」と聞いてしまったこともあったが、このお兄さんは優しさの塊で出来ているのか「まさか! 毎朝食べたいぐらいです」と言って笑い飛ばしていた。
 この人、もしかしなくてもモテるどころの騒ぎではないのでは。外見だけでなく中身も素敵過ぎて色々と眩しい人だと思った。
「おや。名前ちゃんのレモンパン、今日はもう売り切れたのかい?」
「あ、はい、そうなんです。ごめんなさい、鶴山さん」
「いやいや、気にしないでいいんだよ……おや?」
 お兄さんのあとから来店した常連のお婆さん──鶴山さんが会計の近くの棚を見渡してそう声をかけてきたので、手を動かしながら謝罪する。
 やんわりと微笑みながら私にヒラヒラと手を振った鶴山さんは、不意に隣にいるお兄さんを見上げてきょとんとする。それから嬉しそうに頬を緩ませ、彼女はお兄さんに話しかけた。
「あら、まあ。安室さんじゃないかい?」
 お兄さんがぴくりと反応する。
 へえ、このお兄さん、安室さんっていうんだ。彼がここに通うようになってそれなりに月日が経っているけれど、名前は今日初めて知った。
(安室さん……安室さん、ね。よし、覚えた)
 一人心の中で彼の名前を復唱していると、当の本人は妙な沈黙のあと、チラリと私を横目に見てから鶴山さんの方へ顔を向けた。
「こんにちは、鶴山さん」
「こんにちは。まさか安室さんも来ていたなんて、偶然ねぇ。ここのパン、美味しいでしょう?」
「ええ、とっても! すっかりここのレモンパンの虜になってしまいまして」
「私もなのよ! ここは随分昔に友達が始めたお店なんだけれど、やっぱり孫だからなのかしらねぇ……この子が作ったパンもすごく美味しいわ。酸味が強くないし、ジャムもほどよく甘くて」
 ひぇえ、本人を前にしてそんなに褒めないでほしい。そして、できることならこのお兄さんにバラさないでいてほしかった。
 褒め慣れていない私はワタワタとしながらパンを袋に詰め、忙しない動きでお兄さんに袋を押しつけた。
「あ、ありがとうございました! お気をつけてお帰りください!」
「え、あ、はい……また来ますね」
 接客にあるまじき態度だったが、私の顔を見たお兄さんはどうやら気づいてくれたようで、少し驚いた様子だったけれど最後は笑顔で袋を受け取ってくれた。
「相変わらず、恥ずかしがり屋さんだねぇ」
 そんな鶴山さんの笑いを含んだ言葉に、さらにボフンッと私の顔が赤くなったのは言うまでもない。


 お兄さんこと安室さんが店にやって来るのは、一週間に一回か二回、多ければ三回の頻度だった。それも月によって違うけれど、顔を合わせる頻度が多くなれば多くなるほど、彼が私に話しかけてくる機会が少しずつ増えていった。
 最近では顔馴染みになれたおかげで、お互いを「安室さん」「名前さん」と名前で呼ぶこともあるぐらいだ。歳の近い男性に名前で呼ばれることなんてほとんどないので、なんだかくすぐったい気もする。
 ──とはいえ、話すと言ってもいつも内容は短く、他愛ないものばかりだ。
「今日は午後から雨が降るみたいですね」とか。
「初めて見るパンがあったので、気になって取ってしまいました」とか。
 とにかく安室さんのほうから何か話題を見つけては声をかけてくれるので、もしかしたら彼は人と話すことが好きなのかもしれない。スーツを着ていることも多いし、仕事は営業サラリーマンなのかも。あんな話し上手のイケメンが営業であちこち回っていたら、瞬く間に契約の話が殺到しそうだ。
 そんな彼に話しかけてもらえて舞い上がっている私も、私なんだけども。
「……ふふ」
 自分と親しくしてくれる常連さんができるって、意外と嬉しいものだ。
 彼とのやり取りを思い出してうっかり笑いを漏らした私に、耳聡くその声を拾った母が振り返った。
「なぁに? 今日はいつにも増して楽しそうね」
「えっ。そ、そうかな……?」
「そうよ。あのイケメンの彼が来てから特にね」
 図星である。反論できずに無言を貫くことにした私は、背中を向けて売り上げの点検に集中することにした。
「照れちゃって」
「照れてないし」
 ムキになって言い返してもクスクスと笑われて終わりだ。むすーっと頬を膨らませて肩越しに母を睨みつける。
 するとその時、一人の大柄な男性が店に入ってきた。
(あ、この人……)
 安室さんと同時期からこの店に来てくれるようになった常連さんだった。
 しかし、だからと言って安室さんのように仲良く話をするような間柄かと言われたら、そうではない。この人はどちらかと言えば話しかけ辛い雰囲気の人で、私より接客慣れしている母ですら、話しかけることに苦手意識を感じるタイプだった。
 いらっしゃいませ、と声をかけた母と私の言葉になんの返事もなくチラリと目を向けたその男性は、のしのしと重たい足取りでパンの棚に近づき、レモンパンに視線を留めた。
 彼がそのパンに注目したのは、この時が初めてだったと思う。
 一つ、また一つとトレーにのせられていくレモンパンの数を見て、私は目を丸くした。
「お会計、お願いします」
 こんもりとレモンパンの山を作ったトレーを持って会計へとやって来た彼に、呆然としていた私は我に返り、慌ててレジを打つ。
 母が袋詰めを手伝ってくれるのを横目に、私は男性からお金を受け取り、おつりの小銭を返す。この時、分厚い手の平に置かれた小銭を握るフリをして指先を掴まれた気がして、私はさっと素早く手を引っこめてパンを袋に詰めこんでいく母を手伝った。
「……可愛いね」
 ボソリと聞こえた声に、母と私の手が止まる。
 そろりと落としていた視線を上げると、目の前に立つ巨漢の男が、細い目に怪しい色を宿してニタリと笑っていた。
 ──ゾッ。
 目が合った途端に背筋が凍るような寒気が襲って、一瞬喉に詰まったように声が出せなくなった。
「あ……りがとう、ございます……」
 なんとか絞り出したそのお礼が彼に聞こえたのかは分からない。
 ニタニタと笑みを浮かべる彼に震える手でパンの入った袋を差し出し、私は引き攣る頬をなんとか抑えながら必死に営業スマイルを見せた。
 彼は店を出る直前にもう一度だけ私を振り返った。
 視線が交わったそれはやはり、どこか少しだけ危ない気がした。


「最近、レモンパンがよく売れていますよね」
 いつものようにスーツ姿で来店した安室さんは、そう言って残念そうに微笑んだ。
「僕以外の人にもあのパンの良さが伝わっているのは、すごく嬉しいことなんですけど……」
「す、すみません、安室さん。せっかく楽しみにしてくださっているのに」
 そうなのだ。最近はあの常連客の男性が朝早くに大量にレモンパンを買っていくせいで、安室さんだけでなく他のお客さんにも何度も残念がられている。
 かと言って、私には午後からの分を新たに作る暇もないので、どうすることも出来ない。
 不甲斐ないと思いながら謝ると、安室さんは慌てたように首と手を振って「気にしないでください」と苦笑した。
 そこへひょっこりと横から姿を見せた母が口を出してくる。
「毎日大量に購入していく人がいるのよねぇ。本当にあれだけの数を食べるのか、怪しいけれど」
「え、毎日?」
「ちょっと、お母さん。余計なこと言わないで」
 不思議そうに聞き返す安室さんが話題に興味を示したので、私はジロリと母を睨む。
 母は口を押さえながら意味深な笑みを浮かべていた。
「そうなのよ。どうもこの子、その人に気に入られているみたいで」
「そう、なんですか」
「もう、お母さんやめてってば……あの、安室さん。この話は気にしないでくださいね。心配しなくても、これから毎日一つだけ安室さんの分をこっちで確保しとくので……!」
「あ、いえいえ、そこまでしていただくわけには……手に入れられないのは僕がここへ来るのが遅いせいですし、今度はもう少し早い時間に来てみますね。どこのどなたかは存じませんが、次は負けません」
 真面目な顔でそう意気込む彼に、私は呆気にとられてから思わず吹き出してしまった。
 ふはは、とお腹を押さえて大きな声で笑う私を見て固まる安室さんに、おかしさと嬉しさで目尻から涙が溢れる。
 だって、まさか自分のパンを手に入れるためにそこまで張り合ってくれるとは。
「ふふ……じゃあ、明日からはもう少し多めに作ってお待ちしてますね」
 そう言って目尻に溜まった涙を拭い、彼が購入したパンを袋に入れて差し出すと、彼は少しだけ照れ臭そうに口元に手をやりながら視線を逸らした。
「……お願いします」
 ちょっとだけ不機嫌そうな声音にまた笑いがこみ上げたのは、彼には秘密にしておいたほうが良いんだろうな。
 そう思った私は何も言わずこくりと大きく頷いて、いつものように彼の背中を見送った。
Storyへ


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -