大正浪漫綺譚(Ω)


「ねえ、聞いた? お隣の教室にいらっしゃる八百万家のご令嬢……先日お見合いなさった相手方とのご結婚が決まったんですって」
 ふと聞こえたその声に、足を止めた。
 廊下の端で僅かに声を潜めながら話をしているのは同じ教室で過ごす女学生だ。
 話しかけられた女学生はぱあっと顔を輝かせて頷いていた。
「ええ、聞きましてよ。アルファ同士のご結婚ですわよね……羨ましいですわ」
「八百万家は華族の中でも上位のアルファ家系ですもの。ご息女の百様もとても成績が優秀でいらっしゃるし、相手の殿方もそれ相応の家柄のお方なのでしょうね」
 愛らしい顔に喜色満面の笑みを浮かべながら人様の家事情を話す姿を見つめて、また足を動かす。
 なんら珍しいことではない。この女学院では当たり前の光景で、日常茶飯事の話題だ。
 女学院に通う生徒が卒業前にいなくなるなど、理由は一つしかない。女性の社会進出が世間を賑わせようとも、華族に生まれた女達の運命は変わりやしないのだ。
 どこから話を仕入れてくるのかは知らないが、在籍中の女学生はいつも消えた生徒の噂を楽しそうに口にしている。
 私は、人様のお家事情に花を咲かせる彼女達が、あまり好きではなかった。
「名前」
 名前を呼ばれて、振り返る。
 そこに立っていたのは今、女学生の話題になっていた八百万家のご令嬢だ。凛々しい顔立ちをした彼女は、不安と困惑の入り混じった眼差しで私を見つめていた。
 その理由を、私はちゃんと理解していた。
 だから、私は彼女を心配させないように笑いかけるしかなかった。
「帰りましょ、百」
 いつものようにそう声をかけると彼女は少しだけ迷った様子を見せたものの、硬くなった表情を僅かに綻ばせて頷いた。


 華族である八百万家の一人娘の百は、私の幼馴染だ。彼女と出会えたのは、父が彼女の家に商談を持ちかけたことがきっかけだった。八百万家のご当主様は商売上手な父の手腕を気に入ったらしく、よく父や母、そして娘の私を家に招待してくれていた。家柄なんて気にしない、とても気さくで素敵なご当主様だった。
 そんなご当主様の背中を見て育った百も、優しい女の子だった。誰よりも真面目で、勤勉で、そして何より、とても正義感の強い女の子だった。
 彼女の存在は、私の人生に大きな影響を与えていた。
 彼女との出会いがなければ、多分、今の私はいなかったのだ。
 何故なら百は──いつでも『オメガ(私)』を守ってくれる、『アルファ(親友)』だったから。
「ごめんなさい、名前。私、貴女にどうお詫びすればいいのか……」
 帰り道で浮かない表情のまま口を開いた百に、私は少しだけ困った顔をした。
 いつかはこんな日が来ると覚悟していたし、そもそも彼女に悪いところなど一つもない。今回のことは誰のせいにもできないのだ。
 強いて言うのであれば、人が『平等』でないことが悪い。『平等』という言葉がもう少しこの国に浸透していれば、私達はこんなにも思いつめることはなかったのだから。
 でも、そんなことを言っても現実は変わらない。
 だから私は気休め程度の言葉しか並べることができなかった。
「どうして百が謝るの? 百が結婚することはとても喜ばしいことだわ。ご当主様はちょっと強引だけれど、いつも百のことを最優先に考えてくださるもの。今回のお見合いの相手のこともそうよ? 百が素敵だと思った方だから話が進んだのでしょう?」
「ええ、それはもちろん。今まで出会ったどんな殿方よりも素敵な人ですわ」
「なら、百はこれからその人との幸せを考えていかなくちゃ。私のことなんて、気にしなくてもいいのよ。……結婚おめでとう、百」
「……ありがとう、名前」
 まだ暗い面影があったけど、百はさっきよりも穏やかに微笑む。
「名前にも素敵な殿方とのご縁があれば良いのですが……」
「私なんかを選ぶ物好きなんていないわ。『無個性』だもの」
「『個性』は関係ありませんわ! 名前の『運命の番』は必ずどこかにいます!」
 目を輝かせて力説する彼女に、「ああ、また始まった」と私は肩を竦める。
「あの舞台で見た物語の主人公のように、あなたもきっと幸せになれますわ」
「百、ほんとその物語が好きなのね」
 この世界には、男女の他に三つの性がある。
 一つはアルファ──人類の中でも最も優秀な遺伝子を持つ人達だ。華族の家系に生まれることが多く、その中でも何かしらの才能に秀でている人はこの性である可能性が高い。
 もう一つがベータ──こちらは突出した才能を持たない普通の人だ。大半の人々がこの性であるが、生まれ持った『個性』を活かして生活する人が多い。中にはアルファに引けを取らない人もいる。
 最後が私の性でもあるオメガ──これはアルファと同等かそれ以下の人口しか存在せず、男女関係なく子を産むことができる性だ。その特徴から差別を受けて虐げられる人が多く、心無い人達からは『個性』を持たない人間が生まれ持つ性とまで言われいる。
 その三つの性の中で、アルファとオメガだけに特別な繋がりが存在する。アルファがオメガの項を噛むことで契約が成立する『番』の関係だ。
 百のいう舞台の物語は、その『番』との恋を題材にしている。『運命の番』とはその物語で使われる言葉だ。理屈はよくわからないが本能で惹かれあるアルファとオメガを指しており、主人公はその『運命の番』との出会いを経て多くの障壁を乗り越えて番と幸せになる──という筋書きだ。
 でも残念ながら、私は百が話すその物語があまり好きではなかった。
「百には悪いけど……私はやっぱり、その話は好きになれないわ。番のアルファが元婚約者と別れてしまうところがどうしても受け入れがたいの」
「あれは確かに考えさせられる場面ですが……それ以上に、本能で惹かれ合う恋というものが素敵なのではありませんか」
「どうかしら……私が婚約者の立場だったら、泣き崩れる前に恨みと憎しみで結ばれたアルファとオメガを刺し殺しているかもしれないもの。とても共感できないわ」
「まあ、名前ったら……」
 私の発言にぎょっと目を剥いて驚いた表情を浮かべたものの、百は朗らかに笑った。
「でも私は、そんな風に誰かの立場で気持ちを考えられる貴女だからこそ、幸せになって欲しいと思っていますのよ」
「……うん」
 友達思いな百だから、私もその言葉を受け止められた。素直に「私もよ」と頷くことができた。
 そんな私を見つめた百は少し悩んだ素振りを見せたあと、意を決したように口を開く。
「……名前。やはり一度、私の友人と会ってみませんか? とても頼りになる方ですの。私が学院を去ったあと、あなたが一人になってしまうのはとても不安ですわ」
「やだ、百……またその話? 何度も言っているけれど、私なら大丈夫よ」
「ですが、万が一ということもあります。近頃、物騒な話も多くなりましたし……その方ならきっとあなたのことをお守りしてくださいますわ」
「もう、心配しすぎ。世のオメガ達の中には一人で生きている人もいるんだし、平気よ」
 百の不安を吹き飛ばすように私はからりと笑う──その時だ。
 どこかの店で異国の焼き菓子でも作っているのか、ふと嗅いだことのない甘い香りが漂ってきて、私は視線を彷徨わせた。
 最近は異国の食べ物を取り扱うカフェーが流行っているので、この近くにも新しく店ができたのかもしれない。そう期待して匂いのもとを辿った時、私はその考えが大きく間違っていることに気づいた。
 同時に、百の表情も険しいものに変わる。
 ──フェロモンだ。それも、アルファが意図的にオメガを引き寄せるために放っている。
 彼女は私と同じ方向に目を留めると、すぐさま私の腕を掴んで引き寄せた。花の香りがぶわりと広がり、私の体を守るように包み込む。
「も、百……」
「静かに。大丈夫……しっかり襟巻を握って、離れないでください」
 前を見据えたまま、百は強い口調で言った。
 私は小さく頷き、言われた通り首に巻いていた襟巻を握りしめて百の傍にぴったりとくっついた。こういう時、彼女の言う通りにしているのが一番安全なのだ。
 私達の前から一人の男が歩いてくる。ただ、その足取りは酔っ払いのように覚束ない。千鳥足とまでは言わないがよろよろとしていて、顔を見れば視線もあちらこちらへと彷徨っている。まるで意識が混濁しているようだった。
「……『ラット』……?」
 私がぽつりと呟くと、百は「ええ」と頷いた。
「ただ、普通のラットとはどこか様子が違いますわ……距離を取りましょう」
 百の言葉に従い、誘導されるまま私は彼から離れようとする。
 しかしその瞬間、私は視界の端でしゃがみ込んだ女性を見つけてしまった。
「百、あの人……!」
「!」
 明らかに顔色が悪くなっている。白い頬が紅潮し、息が乱れている様子からして男のフェロモンにあてられているのは確かだ。
 あの男が私に目を向けないのは、百のフェロモンが守ってくれているおかげだ。長い付き合いの中で染みついた香りと、威嚇するように放ったそれで百は私に向かってくる男のフェロモンを防いでいた。
 しかし、あそこにいる女性は一人だけだ。守ってくれるアルファらしき人物がどこにもいないので、フリーのオメガであることは間違いない。
 男もまた自分の放ったフェロモンに引き寄せられるオメガの香りに気づき、そちらに目を向ける。近づいていくその足取りは、獲物を見つけた飢えた獣のようだった。
 怯える女性は、近づいてきた男に悲鳴を上げて逃げようとする。
 周りにいるベータ達は、二人のフェロモンにあてられて身動きがとれないでいた。
「っ……!」
 即座に百が自身の『個性』で薙刀を作り出し、女性のもとへと走り出した。
「そこまでです!」
 正義感の強い彼女のことだ。目の前で襲われそうになっているオメガを見捨てられなかったのだろう。
 刃の切っ先を向け、フェロモンを放ち、彼女は男を威嚇した。
 突然の横槍に驚いたのか、男はぐぅと唸って後退りする。その様子に、私はちょぴり安心した。
 百は女学院でも随一の薙刀の使い手だ。試合でも一度も負けたことがない。おそらくあの男が飛びかかっても、彼女ならなんとか気絶させてしまうだろう。
(でも、相手は彼女と同じアルファ……『男』だ。どんな『個性』を持っているかもわからない……)
 私の考えは当たっていた。唸り続けながら後退りしていた男は、それでもオメガを諦めきれないらしい。口から涎を垂れ流し、血走って瞳孔の開いた目でオメガを見つめていた彼は大きく腕を振るった。
「!」
 どうやら彼は『体の一部を伸び縮みさせる』ことができるらしい。女性に向かったそれをいち早く察知し、素早く百が薙刀の柄で殴った。伸びている部分にも痛みは感じるようで、男は悲鳴を上げてまた腕を元に戻した。
「ぐっ……くそっ……くそぉ……! 女のくせに……女のくせにぃぃいいい!!」
 どう考えても普通じゃない。興奮状態のせいか、男の言動は明らかにおかしかった。

 そうして観察していた隙が、原因だった。

 殴られた腕を抱えた男がこちらを振り向く。
 真っ赤に充血した目と視線が交わり、自分を包み込むフェロモンが瞬く間に剥ぎ取られていく。

 標的が、自分に変わったのだと、理解した。

「名前! 逃げなさい!」
「っ!」
 百の声に緊張が弾け、震える足を動かして私は背を向けて走り出した。
 けれど男の『個性』から逃れられるはずもなく、私の体は簡単に巻き取られてしまう。
 バランスを崩した拍子に地面に叩きつけられて、今度は私が呻くことになった。
「いたっ……」
 ざりざりと地面を踏みつける足音と荒い息遣いが近づいて来る。
「はぁーっ……はぁーっ……俺のオメガ……俺だけの、俺のォオ……!!」
 やっぱり、この人おかしい。普通じゃない。
 正常の『ラット』ならまだ理性があるはずなのに、この人は本能のままに動いているみたいだ。まるで『危ない薬』でも使っているような、そんな雰囲気。定まらない視点と往来で堂々と『個性』を使うところが正にそれらしい。
「名前!!」
 百が私を助けようと足を踏み出す。
 だが、さっきの動きで学習していたのか、男はすぐに反対の腕を伸ばして百が持つ薙刀を振り払い、彼女を殴り飛ばした。
「百!!」
 幸い、それほど強い衝撃ではなかったみたいだ。地面に倒れたものの、身近にいた人に支えられながら彼女はすぐに体を起こした。
 それにホッとしたのも束の間、私の体に違和感が生じる。
 どうやら男のフェロモンによる浸食が始まったらしい。男の匂いにつられて体の中からじわじわと熱が込み上げ、意図的に私が抑え込んでいたフェロモンが溢れ出した。
 近づいてきた男は私のフェロモンを感じとったらしい。狂気を滲ませた表情がさらに愉悦に歪み、嬉しそうに口角を上げていた。
「ああ……オメガ……俺の、オメガ……番だ……一生可愛がってやるからなァア」
 ゆっくりと体が持ち上げられ、男の方へと体が引き寄せられていく。
 本当に気持ち悪い話だ。好意もない男の番など死んでも願い下げである。
 不愉快で、触られたくない一心で、私は叫んだ。
「っ……誰が、あんたなんかの番になるもんですか!」
 誰かが弾丸の如く飛んできて男に殴りかかったのは、その時だった。
 殴られた衝撃で巻きついていた腕の力が抜け、解放された私の体は重力に従って落ちて行く。
 それを、下で待ち構えていた誰かが軽々と受け止めてくれた。

「随分と派手にやらかしてんな」
「あなたには悪いけど、この子は返してもらいます」

 一体、何が起こっているのだろう。
 再び鼻を擽るような甘い香りを感じ、私はそっと目を開き、自分を抱き止めた人物の顔を見上げた。
 自分を抱えているのは、赤と白の髪をしたとても格好いい青年だった。帽子の影から覗く肌は雪のような白さで、整った顔に火傷の痕が目立つ。敵意を込めて相手を見据える双眸は黒と緑の色違いで、とても強い意志が宿っていた。
 思わず胸が高鳴り、彼の顔に見惚れてしまった。
「だ……誰……?」
 混乱したまま呟いた言葉は相手にしっかりと届いたらしい。
 鋭い眼差しが静かに自分に向けられ、私は首を竦めた。
 私の顔をじっと見つめた青年の瞳が、悲哀に染まった。
「怪我してるな……痛むか? 助けるのが遅くなって悪かった」
「は……はい……あの、大丈夫です」
 頷くと、青年はゆっくりと私を地面に下ろしてくれた。
 けれど、未だ恐怖で足が震えている私はがくりと膝を折ってしまう。青年がすかざす受け止めて支えてくれた。
 再び近づいた彼の香りに、私はびくりと反応した。
「っと……無理しなくていい。落ち着くまで俺にしがみついてろ」
「で、でも、あの……」
「フェロモンのことなら気にするな。まだ八百万の匂いが染みついてるから、特に問題ない」
 八百万という名前に、私は目を見開いた。
「百のお知り合いなんですか……?」
「その話はあとな。先にあいつを捕らえないと」
 捕らえる、という言葉に私は視線を動かして彼の服に注目した。
 よく見れば靡く黒の羽織りと軍服を模した制服──これ、この近くにある『雄英将校』の制服だ。胸元に光る赤色のバッジは、その将校の中でも『特殊な科』に属している者の証である。

「……ヒーロー……」

 それは、最近巷を騒がせている正義を掲げる英雄達の呼び名だった。


 それからは、あっという間に事件が収束した。
 私を真っ先に助けに飛び込んでくれた学生さんはとても強い『強化型の個性』だったらしく、あの一撃でアルファの男を気絶させてしまっていた。私を支えてくれていた学生さんがそれを確認してから慣れた手つきで拘束していくのを、私と百はぽかんと眺めていた。ここは「流石、雄英将校の学生さんだ」と称賛するべきなのだろうか。手錠一つで逮捕する警察に比べて、彼らは気絶している相手に対して容赦がない。少し引いてしまったことは内緒にしておく。
 その後、フェロモンをまき散らしていた男は意識を取り戻し、騒ぎに駆けつけたお巡りさんに連行された。現場で活躍した学生さん達は感謝こそされていたが、『個性』の使用については厳しく注意されていた。
 でも、大したお咎めにはならなかったようだ。注意されることにも慣れているのか、私達の前に立った時には反省の色一つなくケロリとしていた。
 ふわふわとした緑色の髪とそばかすが特徴的な青年が、私と百を交互に見つめて優しく微笑んだ。
「二人とも、大丈夫だった?」
「は、はい……あの、ありがとうございました」
 頭を下げる百に倣い、私もぺこりとお辞儀をする。
「轟さんも、ご迷惑をおかけしました」
「別に、迷惑じゃない。俺達は当然のことをしただけだ」
 轟と呼ばれた青年は表情一つ変えることなくクールに言葉を返す。
 ただ、と百を見つめていた目はそのままこちらに向けられ、視線が合った私はどきりとして肩を震わせる。
「……次は気をつけろよ。八百万の大事な友達なんだろ」
「……はい」
 しゅん、と顔を下げる百は、おそらく私の傍から離れたことを思い出しているのだろう。後悔の浮かんだその表情を見て、私は慌てて百の背に手を添えた。
「あの、百……? そんなに気にしなくてもいいのよ。こうして無事だったんだし、私は百があの人を助けに行ってくれたこと、嬉しかったわ」
「ですがその結果、私は貴女に怖い思いをさせてしまいましたわ……挙句、顔に傷まで……ああ、なんて不甲斐ない。私、もうあなたのお父様に顔向けできません……!」
「そんなことない! 百なら絶対に助けに行くってわかっていたから、あの時私は貴女に声をかけたのよ。それに、百のおかげでほら、私はこの通り元気だもの。掠り傷なんていつかは消えるわ。ね? だから元気出して……」
 事実、掠り傷はあれどピンピンしている。あれだけ大量に放たれていたアルファのフェロモンに誘発されて『ヒート』を起こすこともなかった。幼い頃からオメガの私を気にかけてくれた百のフェロモンが、こうしてアルファ性の狂気から私を守ってくれたのだ。
「むしろ、私は百が殴られたことの方が心配だわ……痣とかできてない?」
「あんなもの! 防具越しに薙刀で打たれた程度でしたわ!」
「そ、そう……それなら良かったわ……」
 あんなに弱気になっていたのに、今度は強がりを見せる。女とはいえ、彼女もアルファ性だ。女学院で一番の腕っ節という自覚もあって、同じアルファに一撃を受けたのが悔しかったのかもしれない。
 でも、本人の言う通りなんともないみたいだ。嫁入り前の娘に怪我がないことに安心した。
 するとそこで、黙って話を聞いていた緑色の髪の青年が声を発した。
「それで、その……ごめん。轟君と八百万さんって、知り合いなの?」
 そばかすの多い頬を人差し指でかきながらそう問いかける彼に合わせ、私も非常に気になっていたと心の中で頷いた。
 轟さんと百を交互に見つめると、「ああ」と声を発した轟さんのポーカーフェイスが見るからに不愉快そうに歪んだ。
 真面目に言って、とてつもなく怖い顔をしている。思わず私が顔を背けてしまうほどには鬼のような顔に見えた。
「この前、クソ親父に理由もなく呼び出された、って話しただろ」
「え、実は見合いだったっていう、あの話?」
 その言葉に、私は目を丸くする。
 なら、この人が百の旦那さんになるのだろうか。──多分、そうなのだろう。でなければ、こうして百と親しげに話しているはずがない。
 素敵な旦那さんを貰ったんだな、と一人心の中で納得していると、轟さんもまた小さく頷いていた。
「ああ。そん時に知り合ったのが八百万だ」
「へえ、そうだったんだ。……あ、僕、緑谷出久っていいます。あの……君の名前、聞いてもいいかな?」
 顔見知りの間に挟まれた緑谷さんが自ら名乗り、私にも振ってくれた。
 緑谷さんと轟さんを交互に見つめ、私は再度ぺこりとお辞儀する。
「わ、私は苗字名前です。百とは幼馴染です」
「轟焦凍だ。八百万から名前の話はよく聞いてる」
「え」
 自然と呼ばれた名前に私は目を瞬かせた。
 さっきから気になっていたけれど、轟さんの私を見る目はどこか親しみやすさを感じる。これまた表情も柔らかいものになっていて、彼の瞳を見つめていると再び胸の鼓動が早くなっていく気がした。
 そんな私の隣で、百がわたわたと慌ただしく手を振っている。
 まさか百ったら、未来の旦那さんに幼馴染のあれやそれを赤裸々に話してるのかしら。
 なんて考えながらぽかんとする私に対し、轟さんは不思議そうに首を傾げている。どうして私が呆けているのかわからないようで、空気を察して苦笑いを浮かべた緑谷さんが小さな声で轟さんに囁いた。
「轟君、名前」
「……あ。わりぃ……馴れ馴れしかったよな」
 ようやく気づいてくれた彼は、私の反応をどう捉えたのか視線を地面に落として謝る。その顔はほんのりと気恥ずかしそうに赤らんでいたけれど、まるで捨てられた子犬のようにしゅんと項垂れているようにも見えた。
 きゅん、と何かが私の胸に突き刺さった。
「あの……私は構わないのですが……でも流石に、幼馴染の旦那様とはいえ親し過ぎるのは外聞に問題もあるかと思いますので……」
「……は?」
「え?」
 今度は轟さんがぽかんとした。私の言葉が理解できなかったようで、彼は目を見開いて私を凝視している。
 それは緑谷さんや百も同じで、三人揃って唖然とした表情で私を見つめていた。
(な、何……私、何か変なこと言った……?)
 なんとも言えない空気に私が一人狼狽えていると、百がため息とともに私の勘違いを指摘した。
「……名前、人違いですわ。轟さんはただの友人ですのよ」
「……大変失礼いたしました」
 変なことどころか、大きな間違いを口にしていた。
 流石に恥ずかしくて顔を上げられなかった。火照る顔を俯かせたまま、私はボソボソと轟さんに謝る。
 すると、「おう」と言葉少なに頷いた轟さんが私に右手を伸ばす。
 ひんやりとした手が優しく私の頬を撫で、そして静かに微笑んだ。

「名前って、実際に会ってみると話に聞いていたよりも可愛いんだな。好きだ」

 その直後、私の時が見事に止まった。
 またもや自分を見つめたまま動かなくなった私に再び轟さんが不思議そうに首を傾げ、私達を見守っていた百が額に手を当ててやれやれと首を振る。
 そんな中、一人だけ苦笑していた緑谷さんが気恥ずかしそうに顔を赤らめて呟いた。
「轟君……口説くのは僕達がいないところでお願いします」
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