あなたへの好感度はマイナスの氷点下T


 ポアロの従業員の安室透とかいう男は、とにかく顔が良い。日焼けしたような褐色の肌と、すっと伸びた高めの鼻。少し大きめのタレ目は綺麗な群青色をしている。どのくらい良いかと聞かれれば、主観で例えるとテレビで見るような俳優よりも格好良いと答えられる。あれを見ると目が肥えると思う。
 そんな見目麗しい男だが、私は最近とある事に気づいてしまった。どうやら彼は、少々目に余る悪癖があるようだ。
 彼は自分と同じくらい綺麗な金髪の美女と恋人らしい。その女性と一緒にいるところをよく見かける。スラッとした、とてもスタイルの良い、これまたモデルのような綺麗な外国人だった。遠目から見ても二人の纏うオーラは一般人にはない華やかさがあって、よくお似合いだと思う。
 しかし、どうした事か。ある日の彼は、別の女性を連れて大通りを歩いていた。どう見ても以前に見た女性ではない。
 ――はて、どういう事か。
 その女性を連れて、彼はホテルへと入って行った。
 さらにその次も、その次も。彼は別の女性を連れており、食事をしたり、映画を見ていたり、ホテルに連れ込んだりを繰り返していた。
(……私立探偵って……)
 ――女をたらしこむ必要があるんだろうか。
 首を捻る私は、ある時また例の美人な外国人を見つけた。堂々と闊歩するその様は女性の私から見てもとても格好良く、美しい。彼女は姿勢が良いから、余計にそう見える。
 その美女が、見覚えのある車に乗っていくのを見た。開いた扉からは、やはり私が想像した通り、運転席に座る安室さんが見えた。
「……ほー」
 人知れず、声が漏れる。
 なるほど。彼はその見目麗しい容姿のせいで恋多き人生を歩んでいるらしい。なるほどなるほど。
 私は一人で頷いて、その車が去っていくのをただ見送った。
 まあ、私はただの常連客だ。いくら普段から彼とお話することが多いとはいえ、彼の女性関係とは無関係な話。


  ――その、はずだった。


「苗字さん」
 名前を呼ばれて、読んでいた本から顔を上げる。相変わらず彼は顔が良い。
「どうかしましたか? 安室さん」
「この前話していた映画のことなんですが……」
「ああ、あの人気俳優が出てるっていう……」
 確かに、そんな話もしたかもしれない。でも随分前のことだ。ジャンルが恋愛物だったこともあり、公開前に「観に行こうか悩んでいる」と言ったはずだが、それがどうかしたんだろうか。
 首を傾げながら安室さんを見上げる。
 すると、彼はにっこりと、それはもう輝かしいほどの笑みを浮かべてこう言った。
「良かったら、今度の日曜日一緒に観に行きませんか?」
「……えー、と……?」
 今、この人は何と言ったか。復唱しようか。
「日曜日?」
「はい」
「一緒に?」
「ええ」
「映画に行くんですか?」
「そうです」
「……なぜ?」
 おかしいな。私はあくまでただの客だ。この店の雰囲気が好きで、この店の料理が好きなだけの、ただの常連客。彼の友人でも何でもない。
 なのに、どうして彼とお出かけする話になったんだろう。
 状況がいまいち理解出来ていない私は助けを求めるように、キッチンの方から隠れてこちらを覗き見している梓さんに視線を移した。
 彼女はトレーで口元を隠しながら、キラキラと目を輝かせて私と安室さんを見ている。
 ――え、何あの反応。何か激しく誤解されてないだろうか。
 安室さんの言動に振り回されてJKにSNSを炎上されたと嘆いていた彼女は唯一の味方だと思っていたのに、何だか裏切られた気分だ。
 もう一度安室さんに顔を向ける。彼は人差し指で頬をかきながら、照れ臭そうに笑った。
「その……デートのお誘いのつもり、なんですけど」
「でえと」
 デート、とな。そうですね、これはデートのお誘いですね。はい、分かります。流石にバカじゃないのでそれは理解してます。だけど私が問題にしたいのはそこじゃない。
 一度落ち着くためにふう、と息を吐いた私は、自分が注文していた紅茶をぐいっと飲み干す。カップにはもうほとんど残っていなかったため、口に含んだ液体は冷たかった。
「安室さん」
 この空間にJKがいなくて心から良かったと思う。いや、多分、彼もこの時間を狙っていたんだろう。私も騒がしい時間を避けて通っているので、梓さん以外に見られていないのは本当に有り難かった。

 ――さて、私よ。ここで人見知りの最大の武器を使う時がきた。

 頬を緩めて、口角を上げる。
 にっこりと、満面の笑顔――つまり、自分なりの最大級の愛想笑いで、私はこう切り返した。

「デートは、本命の彼女だけにした方が良いですよ」

 ピシリ、と音が聞こえた気がした。
 ――やっぱりな。
 安室さんの顔が強張るのを確認して、私は確信した。何も知らないと思って、彼は私をデートに誘ったのだ。
 別に、彼の事は嫌いではない。人としては好きだ。気遣い上手なところは私も見習いたいと思う。
 でも、恋愛絡みになると話は別だった
 ――彼は一体、私を何人目の彼女にする気だったんだろう。
 そう考えただけで心の中は猛吹雪だった。ブリザードである。けど、本物の人見知りは余計な事を語らないのだ。
 財布からお金を取り出し、机の上に置いて鞄を手に取る。
「おつり、いらないので! ご馳走様でした! 彼女とお幸せに!!」
 そして私は、硬直状態になっている彼の横を素早く通りすぎ、ポアロを飛び出す。
 そこからはもう無我夢中で走るしかなかった。

 もう二度と、ポアロには近づかないと心に誓いながら。


 *** *** ***


 あれから一ヶ月が過ぎた。週に一度は足を運んでいたポアロにも、全く顔を出していない。というか、二度と行ける気がしない。
 だって、あの安室さんのデートのお誘いを断ったんだよ、私。店を出る前に「デートは本命の彼女だけにした方が良いですよ」とか偉そうに言っちゃったんだよ、私。無理です、そこまで神経図太くないんです、許して。
 それにしても、私が「彼女さんとお幸せに」と告げた時の安室さん、何とも言えない表情をしてたなあ。ちょっとそれが心に引っ掛かっているけれど――いやいや。駄目だぞ、私。安室さんのことは忘れるんだ。
 彼はあの本命らしき美しい外国人の彼女を相手に、二股どころか三も四も五も浮気を繰り返すような男なのだ。情けなど抱いていてはいけない。不必要に親密な関わりを持つのもタブーだ。あくまで自分は客としての態度を貫かねば。
 でも正直なところ、あそこの紅茶が大好きだったので行けなくなったことに少し凹んでいるのも事実。雰囲気も良くて、料理も美味しいお店なんて、そうそう出会えるものではない。
 散歩がてらに立ち寄った本屋で新刊のコーナーを眺めながら、はあ、とため息を吐いた。
(ああ……あの時にあんな言い方しなければ……)
 もう少しやんわりと上手く断れば、今頃はまだポアロに行くことができたかもしれないのに。
 ――いや、でも、安室さん意外と押しが強いから、やんわり断るなんて私には無理かもしれない。
 月に一度は「常連さんへのサービスです」とか何とか言いながら何度も紅茶のお代わりやお菓子を振る舞ってくれたことを思い出して、ぶんぶんと首を横に振った。
 サービス、と言われると何だか申し訳なくなるので何度も断ったのだけれど、その度に彼が「迷惑、でしたか……?」と捨てられた犬のような悲しげな表情で言うものだから、私のなけなしの良心がひどく痛んで押し負けたのだ。
 ――そうだ。今回ばかりは騙されないぞ。安室さんは俳優顔負けの演技派私立探偵なんだ。何があっても心を鬼にして用心せねば、こちらの身が危ない。
 もし、あの美女に私が浮気相手だとバレてしまったら――うん、私は絶対に頭を上げられないし、社会的に抹殺される気がする。見るからに気が強そうだったし、めちゃくちゃ怖い。美人は好きだけど、怒らせたらホントに怖いって、私知ってる。
 美しいものは遠くから見るのが一番なんだよなあ。景色と同じで。
 あ、梓さんは別だ。あの人は美人だけれど可愛いと表現するほうがしっくりくる。癒しタイプなので近くにいたくなる人だ。
(まあ、その癒しの梓さんにも、もう会えないんだけどね……)
 ふと目に入ったグルメ雑誌を見て、また深いため息が溢れた。
「はあ……美味しい紅茶が飲みたい……」
「でしたら、喫茶ポアロをおすすめしますよ」
「やっぱり、そこしかないですよね〜。紅茶も料理も最っ高に美味しくて大好きなんですけどねぇ」
「おや。何か問題でもありましたか?」
「うーん。ちょっと店員さんが……………………」
 そこまで話して、はたと思考が止まる。
 ――ねえ、待って。私、今、誰と喋ってるの。
 ぎぎぎ、と油のなくなった機械のようにぎこちない動きで顔を向ける。
 いつの間にか私の隣には、にっこりと満面の笑みを浮かべた安室さんが立っていた。
「『店員さん』が?」
「……うわぁっ!出たぁっ!?」
 思わず声を上げて仰け反ると、彼は眉尻を下げてあからさまに傷ついたと言わんばかりの表情になった。
「そんな幽霊を見たみたいな反応しなくても……」
「あ、すみません……」
 明らかに今の反応は私が悪いので素直に謝れば、安室さん寂しげな雰囲気でやんわりと微笑んだ。
「ああ、いえ。僕も驚かせてしまったようで……すみません。最近、店でお会いしなかったものですから、ここで偶然あなたをお見かけしたのが嬉しくてつい……」
「そっ、ソーナンデスネ……アリガトウゴザイマス」
 いや、そっとしておいて。そこは見かけなかったことにしておいて。というか、デートを断った挙げ句に逃げた相手によく話しかけられるな? リップサービスはいらないから空気読んで安室さぁぁあああん!
 あからさま過ぎるほど棒読みで答えた私の心は切実な叫びを上げた。もちろん、そんなことを安室さんが知るわけもなく、私の心中などお構い無しで話を続ける。
「今日はお休みなんですか?」
「まあ……はい……」
「良かった! 実は僕、これから出勤なんですけど、良ければポアロでお茶でもいかがですか? ここ最近はあなたに会えなくて梓さんも元気がなくて……」
「えっ!? えーっと……」
 これはどう考えても梓さんを出しに使われてる気がする。私の直感がこの人について行くなと警告音を鳴らしている。
 何と言って断ろうか。右へ左へ視線を動かしながら、そっと後退りしようと足を動かした時、安室さんの表情が曇った。
「やっぱり……避けられてます、よね? 僕のこと……」
 どきーん、と大きく心臓が跳ねた。
 バレてる! 何となくそんな気はしてたけど、やっぱりバレてるぅ〜っ! それと三十路手前の大人の男がその顔するのやめてください! 別に悪いことしたわけじゃないのに! 罪悪感がっ! 半端ないっ!!
(――はっ……!? もしかして……そうまでして浮気現場を目撃されたのを口止めしたいとか……!?)
 思い返してみれば、あの時の台詞は「浮気現場を目撃した」と遠回しに言っているように聞こえたかもしれない。
 そうだよねー。あんなに沢山の女性と関係を持ってるだなんて、死んでもあの金髪美女には言えないよねー。大丈夫だよ、安室さん! 私を巻き込まないならあなたの秘密は死んだあとも墓まで持って行くから!!
 そうと決まれば、ここはやはり波風立てずに黙って去るのが一番だ。
 ひきつる口角を何とか手で覆い隠し、私は一歩、また一歩後ろへ下がる。
「ふふふっ! やだなあ、安室さん。気のせいですよ〜! 私、今日はその……持ち合わせがなくて! お金引き出すの忘れちゃったんですよね〜。いやぁ、残念だなぁ〜! という訳で、ポアロはまたの機会に行きますね! それじゃ、またっ!!」
 以前と同じように人見知り特有の満面の愛想笑いを浮かべ、早口で捲し立てる。それから軽く手を振り、くるりと背中を向けて歩き出した。
 ――が、すかさず安室さんの大きな手が私の手首を掴んだことで一歩目で踏み出した足は動けなくなる。
 いやいや冗談抜きでヤバい。何この馬鹿力。全っ然振り払える気がしない。というか、そこのお姉さん達羨ましそうに見てないで助けてくんないかな、一生のお願いだからっ!
「待ってください」
「あ、安室さん……? まだ、何かご用ですか……?」
 全力で体重を駆使して掴まれた手を引き抜こうと踏ん張るけれど、彼はびくともしない。それどころか笑顔すら崩れる様子がなかった。
 その優男面で、どこにこんな馬鹿力を隠し持っていたのか。怖い。この男、色んな意味で怖い。
「実は、試作品のケーキがあるんです。店長に許可を頂いてるのでお代はいりませんし、良ければ試食して頂けませんか?」
「それなら店長や梓さんに食べてもらった方が……」
「お客様の意見も聞きたいんです」
 それなら他のお客様でも十分じゃないかな〜〜〜〜〜〜っ!?
 なんでよりによって私なのかな〜〜〜〜っ!?
 安室さんならお得意様(意味深)なんて簡単に作れるでしょ〜〜っ!!
「ケーキに合う美味しい紅茶も仕入れたんですよ」
 くっ。流石、私立探偵安室透。さっきから私の好物をしっかり把握して揺さぶってくる。
 ――仕方ない。こうなったらなるべく話題にしたくないけど奥の手を使おう。
「そっ……そういう時こそ、彼女さんでも誘えば良いじゃないですか〜」
 すると、安室さんは不思議そうに首を傾げた。私も同じ方向に首を傾げる。
「僕はここ数年、お付き合いしてる女性なんていませんよ」
「……は?」
 すう、と心が凪いでいくのか分かった。
 お付き合いをしていない?
「この前も誤解されていたようですが――」
 あんな美女達と腕を組みながら歩いていて?
 少しお高い店に入ったりしておいて?
 ホテルにまで連れ込んでおいて?
 え、待って待って。嘘でしょ、何この展開。それって、つまり、所謂、そういうことなのでは?
 安室さんの言葉が途中から入ってこない。
 どうやら馬鹿馬鹿しい彼の言い分を聞くことすら耳がシャットアウトしたらしい。
「それと、僕は一度デートを断られたぐらいでは諦めませんから」
 唯一聞き取れたその台詞に、しんしんと静かに積もり始めた鬱憤が、ブリザードに変わった。
「……すみません、安室さん」
「え?あ……いえ。誤解が解けたなら良かったで――」
 ほっとした彼が言い終わる前に、私は掴まれている手が弱まった一瞬の隙に手を振り払った。
「私、遊び相手にもセフレにもはなれないです! 一途な人が好きなので! はい、さようなら!」
「ええっ!?」
 驚いた声を上げる彼を振り返ることなく、私は踵を返して全力で地面を蹴った。「ちょっと待って、誤解です!」と言われた気がしたけれど無視だ。
 だって! まさかあの美女達が全員セフレだったなんて! あんな高嶺の花みたいな人達の仲間入りなんてしたら、真っ先に刺されるわ!
(あの人、やっぱり見た目通りちゃらんぽらんだったのね……仕事してる姿は尊敬できたのに)
 人見知りにあのタイプの人間は少々堪える。家に帰って、私はがっくりと項垂れた。


 とりあえず、もう暫くは外出も控えようと決めた。
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