カフェ&ベーカリー『檸檬』には、イケメンの常連客がいる@


 私の祖父母が営んでいるカフェ&ベーカリー『檸檬』には、様々なお客様が訪れる。
 朝の七時から開店して、最初に来店してくれるのは早朝出勤のサラリーマンやOL、通学途中の学生がほとんどだ。昼頃に近づけば、お年寄りや専業主婦らしき子連れの婦人達がやって来るし、おやつ時から閉店する五時頃になればまた学校帰りの子供達がおやつ代わりにパンを買いに訪れてくれるので、今日も祖父母の店はとても繁盛していると思う。
 ──町の人に愛される、米花町の片隅にあるしがないパン屋。
 そういう店であればいい、と笑いながらパンを作り続ける祖父母を両親と一緒に手伝う日々は、私にとってはとても大切で、大好きな日常だった。
「あら、美味しそうな匂いね」
 朝ご飯の支度をしている母の隣でオーブンの中を覗きこんでいた私に、開業前の手伝いを終えてキッチンへと顔を出した祖母が声をかけてきた。
「これは……レモンの香りかしら? 爽やかな朝にぴったりねぇ」
「初めて作ったから、味の保証はないけどね」
「名前ちゃんの作るパンはいつも美味しいから、大丈夫よ」
 そうは言うが、祖母がいつも私の作ったパンを美味しいと褒めてくれても、祖父のほうはそうもいかない。
 おっとりとした調子で私を褒めた祖母がそのまま母と一緒に朝食の準備を始めたのを横目に、私もお皿を準備しながら頃合いを見てオーブンからパンを取り出した。
 しばらくして、開店準備をしていた祖父と父が家に戻ってきた。
 二人が椅子に座ったのを確認すると、まず私が無言でパンの入った皿をテーブルに置いた。新聞紙を手に取って広げていた祖父の眉が僅かにぴくりと動いたのは知らないフリをしておく。
「いただきます」
 全員が席に着いて、手を合わせる。
 各々がカチャカチャと食器の音を立てる中、私は息を潜めて真っ先にパンに手を伸ばした祖父に注目した。
 祖父はしげしげと奇妙な物を見るような目でパンを見つめたあと、手でパンを千切ってからぱくりと口に放りこんだ。
「……」
 無言だった。
 そのあとも千切ったパンの切り口を眺めながら一口、また一口と食べていく祖父からパンの感想が飛び出すことはない。終始無言で食事を進めていく祖父に、私は混乱する。
(え、待って。それは美味しくなかったの……!? それとも美味しいの……!?)
 いつもなら趣味で作った物でも「焼きが甘い」とか「パン生地が硬い」とか「見た目がまだまだ」と駄目出しをされるのだが、今日は何も言わない。
 厳格そうな見た目に反して優しいが、パン作りには厳しいのが祖父だ。その祖父が何も言わないということは、とりあえず祖父の中では及第点をもらえたのだろうか。
 不安になって目の前で紅茶を飲んでいる祖母を見ると、彼女はこっそりと祖父を見て口角を上げていた。祖母には普段から口数の少ない祖父の考えていることが分かっているようだ。
 とりあえず今すぐに駄目出しされる様子もないので、私は祖父の反応を気にせず朝ご飯を食べることにした。
「ん! これ、美味しいじゃない!」
 パンを食べて真っ先に声を上げたのは、祖父ではなく母だった。目を丸くして咀嚼している母の視線は、手に持ったパンに釘付けになっている。
「珍しく変なパンを作ってるなぁ、とは思ったけど、案外イケるわね」
 褒められているとは分かっているが、『変なパン』とはなかなか酷い言い草だと思う。そりゃあ、祖父母が作るパンに比べたら変わっているけれど。
「これ、お店に出してもいいんじゃないかしら?」
「えっ、だ、駄目だよ! こんなの売り物にならないから! 自分でも美味しいかどうかなんて分かんないし……」
「どうして? 十分に美味しいわよ。レモンパンなんて、うちの看板商品にぴったりじゃない。ねえ?」
 母に同意を求められた祖母と父も気がつけばパンを食べていて、二人揃って同時にコクンと頷いていた。
「そうねえ。売り物になるかどうかは、実際に店に出してみないと分からないわねぇ」
「うん、そうだね。俺はこのパン好きだし、売り出してもいいと思うけど」
 父が微笑みながらチラリと祖父を見た。祖父は相変わらず我関せずといった様子でパンを食べ終え、さくさくと食事を進めていく。まるで私達の話なんて聞いていないかのようだった。
「とっ、とにかく、このパンは店には出さないから! はい、この話は終わり!」
 えー、と三人が残念そうに声を上げたのを無視して、私と祖父は同時にコーヒーに手を伸ばした。
 何やら物言いたげな祖父と目が合ったけれど、結局最後まで彼は何も言わなかった。


 この日の店は、いつも以上に繁盛していた。時間が経つのも忘れるほど次から次へとやってくるお客さんの対応に追われていた私は、ようやく閉店の時間を迎えて息を吐き出す。
「ありがとうございました」
 本日最後に来店したのは子連れの親子で、店の前まで見送るとお母さんの膝ぐらいしかない子供が振り返って「ばいばぁい」と手を振ってくれた。ぎこちなく動く小さな手がとても可愛らしい。
 ヒラヒラと手を振り返して、愛らしいお子さんに内心ほっこりとした。
(さて、片付けるか……)
 小さくて可愛いお客さんのおかげで元気を取り戻した私は、スタンド式の看板に手を伸ばす──その時だった。
「すみません。もうパン、残っていないですか?」
 背後から少し高めの、男性らしき声がした。
 振り返った先に立っていたのは、あまり見かけないグレーのスーツを着たお兄さんだった。それも、滅多にお目にかかれないほど整った顔立ちをしている。
(わわっ、すっごいイケメンさんだ……!)
 明らかに地毛のように見える金色の髪と、日焼けしたような色黒の肌。真っ黒な自分のそれと違って夕日に煌めく深い青の瞳と目が合って、私は緊張で体が硬くなるのを感じた。
「閉店間際にすみません。先ほど、こちらのお店のパンがすごく美味しいとお聞きしたので急いで来てみたんですが」
「そ、そうだったんですね。それは、あの、ありがとうございます。ですが生憎、今日は全て売り切れてしまって……」
「やっぱり、そうですよね……」
 うちは多めにパンを作ったりしないので、その日にパンが売れ残っていることが少ない。人気のあるパンはその日の売れ具合を見ながら追加で作ることもあるが、それも今日は全て完売していた。
 お兄さんは「残念です」と言いながら苦笑いしているけれど、眉をハの字にして明らかに肩を落としている。
 その様子に、私は胸が痛んだ。
(どうしよう……まさか、一度も食べたことのないうちのパンをそこまで楽しみにしてもらえていただなんて)
 そこでふと脳裏を過ったのは、今朝自分が作ったレモンパンだった。
 祖父の前で店には出さないと言った手前、勝手に売り物として彼に差し出すわけにもいかない。しかし、だからと言ってこんな反応を見せられてしまったら、きっと祖父や祖母だって残念だと思うだろう。
「失礼しました。また日を改めて伺います」
 私がぐずぐずと悩んでいる間にも、気を取り直して頭を下げた彼はくるりと背を向けて歩き出す。
 ──ええい、ままよ!
 意気込んだ私は勇気を出してお兄さんを追いかけ、彼の腕を掴んで引き止めた。
 近づいたら思ったより背が高かったし、触れた腕も想像以上にたくましいな、なんてどうでも良い感想が頭に浮かんだが、それを慌てて振り払った私は、驚いて目を丸くしながら見下ろしてくるお兄さんに精一杯の営業スマイルを浮かべ、口を開いた。
「あの、試食で良ければ……一つだけ、食べていきませんか?」
「え、でも……いいんですか?」
「そんな残念そうな顔をされてしまったら、パン屋の孫娘としては見過ごせません」
 冗談まじりに笑いながらそう言えば、目を瞬かせていたお兄さんはふわりと嬉しそうに笑った。


「本当にいいの? あなた今日、自分が作ったそのパンを店に出すの嫌がってたじゃない」
 窓から見えないカフェスペースの一角にお兄さんを案内してドリンクのオーダーを聞いたあと、急ぎ足で厨房へと足を踏み入れた私に母が心配そうにそう声をかけてきた。
 私は肩を竦め、力無く頷いた。
「だってあの人、うちのパンをすごく楽しみにしてくれていたみたいなの」
 彼の顔が良いせいかもしれないが、あんなにも悲しげに微笑まれてしまったら後ろ髪が引かれるというものだ。
 遊び半分で作った自分の試作品で満足してもらえるかは分からないけれど、祖父母から叩きこまれたパン作りの基礎は間違いなくうちの技術なのだ。これで駄目だったら、と思うとみんなに申し訳ないけれど、なんとかしたいと思った。
「出してみなさい」
 明日の仕込みをしていた祖父の声が聞こえて、私はそちらを振り向く。
 厳格そうな顔つきの祖父は朝に見た時とは打って変わり、優しく微笑んでいた。
「自分が作ったパンは、誰かに見て、食べてもらわないと何も分からないもんだ」
「……うん」
 私は頷いて、コーヒーの準備に取りかかる。
 そして背後の物陰からこっそりと見守る祖母と両親の視線を感じながら、コーヒーを淹れたカップとレモンパンをのせた皿をお兄さんの前に並べた。
「ああ、すごく美味しそうだ……コーヒーの香りもいいですね」
「ありがとうございます。お口に合えばいいのですが……」
「これはなんのパンなんですか?」
「レモンパンです。レモン風味の生地に、レモンの果実を薄切りにした甘めのジャムも中に入っています」
「へえ、お店と同じ名前のパンですか……」
 呟きながらヒョイとパンをつまんで持ち上げ、今朝の祖父と同じようにその形をしげしげと興味深そうに眺めてから、ぱくりと口に含む。それからモゴモゴと何回か咀嚼していたお兄さんは、途端に目を輝かせて口元を緩ませた。
「美味しい!」
 ほころんだその表情はよく店にやって来る子供達のものと全く同じで、思わず私は彼の顔に見惚れてしまった。
 ──美味しい。
 脳内に何度も彼の声で繰り返されるその言葉が、その表情が、間違いなく彼の本心であると感じられて、私の顔にぶわりと熱が集まる。
 どうしよう、嬉しい。自分が作ったパンを「美味しい」と言ってもらえることが、こんなに嬉しいなんて想像もしていなかった。
「……ありがとう、ございます」
 小さく呟くようなお礼に、お兄さんはこれまた見惚れてしまうほど素敵な笑顔を返してくれる。
 それにほんの少しだけときめきを感じながら、同時に彼の優しさに泣いてしまいそうだった。
 慌てて「ごゆっくり」と頭を下げて厨房へと引き返した私に、祖母がぽんぽんと頭を撫でてくれる。
「良かったねぇ」
 その一言に色々な思いがこみ上げてきて、声も出せないまま静かに頷いた。
 今朝は自分で食べみても良し悪しがよく分からなかったレモンパンも、今なら最高の自信作だと胸を張れる気がした。
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