喪女にイケメンとの恋はハードルが高い


 ──結婚なんてしたくない。
 そう思うようになったのはいつの頃だったか。
 美男美女だなんて呼ばれていた不仲の両親を見て育ってきた私は、少なくとも小学生の時にはそれが口癖になっていたような気がする。
 だからなのか、幼少期の頃から恋愛事には一切見向きもしなかった。
(もしこんな人間が結婚出来るとするなら、『契約結婚』ぐらいだろうな……)
 少なくとも、私はそう思っていた。
「あなただけを愛すると誓います。結婚してください」
 異国の血が混ざった、美男と言われた父さえ霞んで見えるほど美しい顔をした男に、そう告白されるまでは。


 気が触れた。
 一言で片づけるのならそれだった。
 社会人になって早くも七年が経つが、毎日のように長時間働き続けていると、ふと我に返って思うのだ。
(ああ、仕事辞めたい)
 仕事がつまらないわけじゃない。職場の環境も悪いわけじゃない。
 ただ、とにかく忙しいのだ。忙しくて、気がつけば一日が終わっていく。
 朝起きて洗濯を済ませ、弁当を作って、出勤して、帰ったらご飯を食べて、お風呂に入って、あとは寝るだけ。休日は何もする気が起きなくて部屋の掃除や買い物で一日が終わるし、独身だった友達もほとんど既婚者になってしまって遊びに誘うこともできなくなってきた。
 そんな日々を過ごし続けていると、なんの前触れもなく考えてしまうのだ。
 自分はこのまま、この職場でずっと働き続けるんだろうか。
 何十年、何百ヶ月、何千日、何万時間。
 ただただ目まぐるしく過ぎていく日々を繰り返して、同じ環境に身を置き続けて、そうして自分に残るものって、なんなのだろう。
 そんな哲学にも似た考えが過ると、予想外なことに今まで考えもしなかった案が浮かんだりする。
 人はそれを『気まぐれ』と呼ぶのかもしれない。
 でもハッキリ言おう。私の場合は本当に『気が触れた』というのが正しい。
 そうでなければ、誰が婚活パーティーになんて参加するだろうか。
(なんでここに来たんだ、私……)
 賑やかなパーティー会場の中を廊下から覗き込み、私は深いため息を吐き出す。
 身だしなみを整えた男女が笑みを浮かべながら話し合っているが、彼らの周りから自分好みの相手を狙い合っている空気が漂うのを感じて吐き気がした。
(だから嫌いなのよ、こういう場所は……)
 最初から分かってたでしょ。私はバカなのか、バカだったわ。仕事辞めたい一心で婚活なんてするもんじゃなかったわ。
 何度も「バカ、バカ」と自分のことを心の中で罵りながら、私はあっちへこっちへと色んな男性へ声をかけて回る独身仲間の友人を眺める。相手から声をかけられている回数も多く、彼女は楽しそうに彼らと話に花を咲かせていた。
 ──いや、もう無理だわ。
 一時間は粘ったのでもうそろそろ良いだろう。空気が合わない。とにかく帰りたい。一刻も早くこの場から逃げ出したい。
 でも友人を残して勝手に帰るのもどうかと思うし、だからと言ってこの場に留まって人を値踏みするような彼らとコミュニケーションを取るなんて苦行に耐えられそうにもない。
 もう私にはなす術がない。最終手段だ、トイレに逃げ込もう。
 そう考えて静かに足を後ろへ忍ばせた時だった。
「おっと」
 とん、と背中が誰かに当たり、人の気配を全く感じなかった私は盛大に飛び上がった。
「す、すみません……!」
 慌てて振り返り、ぺこぺこと頭を下げる。それからチラリと視線を上げると、男性用のグレーのスーツの胸元に番号札がついていた。
 げっ。
 ぶつかったこちらがこんな反応をするのは悪いけれど、タイミングが悪すぎて思わず口元が引き攣った。
「いえいえ。こちらこそ、前を見ていなかったもので」
 優しい口調でそう言った彼には悪いが、嘘だとすぐに分かる。わざわざ物陰に隠れているような女の後ろに立つ奴がいると思えない。
 そう思いながら私は相手の顔を見上げ、そして激しく後悔した。
 目の前に立っていたのは、人目を惹いてしまうような美貌の持ち主だった。
 色素の薄い髪に、普通の日本人より濃い褐色の肌、深い青の瞳。
 目立ち過ぎて、会場の中に入れば確実に女性が群がりそうだと思った。
(外国人? それともハーフ……?)
 まさかこんな所でこんなスペックの高そうな男性と出会うとは。
 しかし、どれだけ見た目が良くても私には関係ない。所詮、こんなイケメンに私のようなブスが選ばれるわけもないのだ。そう思ったらイケメンなんてただの目の保養だ。両手を合わせて終わり。
 それに何より、顔だけで結婚相手を選ぶとどうなるかは、自分の両親を見てきたのでよく理解している。
 流暢な日本語だったので会話は出来ると一安心して、私は愛想笑いを浮かべながら軽く会釈した。
「本当にすみません。それでは……」
 そう言ってもう一度謝りながら彼の横を通ってお手洗いに向かおうとしたのだが、何故かがっしりと腕を掴まれた。
 絶望のあまり、私はくらりと眩暈を感じた。
「待ってください。さっきからずっと中を覗かれていたようですが、どちらへ? あなたもこのパーティーの参加者のようですが……」
「ただのお手洗いです」
「全くの別方向ですよ。そちらは出口です」
 うるさいな、間違えただけじゃん、放っておいてよ。
 イラッとしたのを隠そうとして、つい笑みが深くなる。
「あ、そうなんですね。うっかり間違えちゃいました、アリガトウゴザイマス」
 だからさっさとこの手を離せ、と手を引き抜こうとしたけれど、彼の腕はびくともしない。
 ああ、もう、何なのこの人? 細身に見えるけど実はゴリラなの? 別に掴まれてる部分は痛くないけど、見ず知らずの女性の腕を掴むのは止めて欲しい。
「……もしかして、帰ろうとしてません?」
「え」
 何故バレた。いや、帰るのではなくトイレに逃げ込もうとしただけなんだけど。
「……仮にそうだとして、あなたに関係ありますか?」
 正直に言って、鬱陶しい。
 流石にここまで来ると、男慣れしていない私でもこれは逃してもらえないと分かる。失礼だと思うが、不機嫌さを隠さずに眉を潜めて怪訝な顔をした。
 しかし、彼は特に気にした様子もなく、まじまじと私を見つめてきた。
 そしてじっくりと考え込んだ後、やがて彼は薄らと口元を緩めて、穏やかに、けれど妖艶な雰囲気を纏いながら静かに微笑んだ。
「……うん、やっぱり。良いな」
 いや、何が。
 意味が分からない上に値踏みするような目で見られて、私はさらに不快感を顕にした。
 そんな私をクスクスと笑いながら見下ろし、彼は続ける。
「ああ、すみません。まさかここで運命の人に会えるとは思ってもいなかったのもので、つい」
「……はい?」
 誰が、誰の、運命の人だって?
 彼はなんでもない顔をしてさらりと言ってのけたが、私の耳にはとんでもなく気障な台詞が聞こえた気がする。本気なら申し訳ないけれど、とにかく胡散臭いとしか思えない。
「えっと……」
「ちょっとお話しませんか? この会場に入るのが嫌なら、どこか別の場所に移動しましょう。その方が邪魔も入らないでしょうし」
 他の人を邪魔扱いとか、この人は一体何しにここに来たんだろう?
 会場にも入らずに逃げようとした私が言える立場ではないけれど、この人もよく分からない。
 でも、と私は改めて考え直した。
 一緒に来た友人を置いて帰るのもどうかと思うし、パーティーが終わるまでの時間潰しをするぐらいなら、別に誰が相手でも良いかもしれない。
「……お話するだけ、なら」
「ありがとうございます」
 するりと腕を掴んでいた手が、私の手を握った。
 きゅっと優しく握って嬉しそうに笑う彼に「こっちです」と誘導されるまま、私は大人しくついて行った。


 彼の名前は、降谷零さんというらしい。
 最初は少々強引な感じで会話をするのも辛いだろうと身構えていたけれど、思っていたよりも彼は話し上手で、そして聞き上手な人でもあった。
 住んでいる場所のこととか、趣味は何だとか、最近観た映画の話だとか、ペットの話だとか、子供の頃はどんな子だったとか。
 時々笑いも交えながら、まるで友人を相手にしているみたいに見知らぬ他人と気楽に話せるだなんて、私は少しも想像していなかった。
 たまには知らない人と話すのも良いかもしれない、だなんて考えてしまうぐらい、彼との会話はいつまでも弾んでいて楽しかったのだ。
 だからつい、口が滑ったのだ。
「私、本当は結婚したくないんですよね……ただ、仕事を辞める口実が欲しかっただけで」
 言ってから、「あ」と思った。
 あまりに何でも話せてしまったから、馬鹿正直に本音を話してしまった。
 結婚したくないなら、どうしてこんな所に来たのか。そう思われても仕方ない。
 でも、私も分からないのだ。
 自分が本当はどうしたいのか、どんな人生を過ごしていきたいのか。そんなことも決められないまま、ただ漠然と、今の仕事だけに没頭する日々から抜け出したいと思ってしまった。
 要は、ただ仕事を辞める理由が欲しかったのだ。
「ご、ごめんなさい……こんな所で言う言葉ではなかったです……」
「……知ってますよ」
「え……?」
「結婚願望がないのは、知ってます。そうでなければ、会場の外にいたりしなかったでしょう?」
 そう言った彼は、特に怒った様子もなかった。代わりに柔和な笑みを浮かべて、そっと優しく私の手に触れる。
「分かっていて、僕はあなたと話をしているんですよ」
「で、でも……それ、降谷さんに得があるんですか?」
「ええ、十分なぐらい得られるものはありました」
 いや、むしろ無駄な時間だと思うのだけれど。そう思った私は、ただ首を傾げた。
 そんな私に、降谷さんはスッと目を細めて優しく微笑む。
「僕達、相性が良いと思いませんか? 現に、こうして会話が弾んだじゃないですか」
「それは降谷さんが話し上手だからで……」
「そういうのも含めて、相性だと思うんです。普通の人は興味がなかったり、気が合わないと思った他人の話は聞かないでしょう?」
「それは、そうだと思いますけど……」
「でも、あなたは違う。あなたは僕の話にもちゃんと耳を傾けてくれたし、今こうして自分の本音すら話してくれた。それって、僕に気を許してくれたってことですよね?」
「う……う、ん……?」
 そうなるのか?
 会話が弾んだのは事実だし、彼といて気が楽だったのも事実だけれど、それだけで相性って分かるものだろうか。
 俯き、うんうんと首を捻って考えていると、彼に名前を呼ばれた。
「あなたは仕事を辞める理由が欲しいと言いましたが、今でもその気持は変わりませんか?」
「ど、どうでしょう……仕事は大変ですけど、別に人間関係が悪いわけじゃないですし、本気で辞めたいわけじゃないと思いますが……」
「でしたら、今はそれでも構いません。もしあなたさえ良ければ、お付き合いしましょう」
 ぱかりと私の口が開いた。
 この人は今、なんと言った? 私とお付き合いするだって? 結婚願望もない女と?
 何かのドッキリじゃないか。こんなに顔が良くて気も利く男が、どうして私なんかを選ぶのか。
「その、さっきも言いましたが……私は別に結婚したかったわけじゃ……それに私、あの、連絡不精で……」
「僕も仕事でなかなか連絡が取れないので、それは大丈夫です。あと、結婚についてはその気になるまで待ちます」
 待つのは得意なので、なんて言って朗らかに笑う彼に、そうじゃないと声を荒げたい気持ちだった。
(この人、本気なの……?)
 もしかして、私は騙されているんじゃないだろうか。
 そんな不安が過ったけれど、もし彼が本気だったらと考えると、それはそれで少し心が浮ついた。
「やっぱり……駄目、ですかね……?」
 不安そうにそう尋ねてくる彼に、言葉に詰まる。
 若々しい顔を武器にして、きゅるんとした表情で見つめてくるなんて卑怯だ。
「……わかり、ました……」
 気がつけば、「私で良ければ」なんて言って頷いていた。
 お付き合いなんて、将来結婚したい人がするものだと思っていたのに。
(本当に、どうかしてるわ……)
 結婚する気もないのに婚活パーティーに参加したことも、そんな私とお付き合いをしたいだなんて言った彼も、きっと今は正気じゃないんだ。
 しかし、そんなことを思いながら私の心は、嬉しそうに笑う彼の顔を見てきゅん、と音を立てていた。
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