恋愛イベントがやってくるまで(中編)


 春の月、一日。
 あれから町長さんと何度も手紙のやり取りをして、仕事を辞める手続きから引っ越しの準備まで慌ただしく済ませた私は、なんとか新年度に合わせておじいちゃんの牧場へと引っ越してくることができた。
「アンアンッ」
「うんうん、やっと町に着いたねぇ」
 列車に揺られて数時間。馬車に乗って数十分。そうして長い旅を終えて懐かしい土地に足を踏み入れた私は、大きく息を吸い込んでほう、と息を吐き出した。
 やっぱり、ここは都会と違って空気がとても美味しい。
 澄み渡る空と綺麗な自然の景色を眺めながら、私は大きく伸びをした。
 ちなみに愛犬のココは私の相棒として連れてきた。番犬はいた方が良い、というお父さんの助言もあったが、元より自分が拾った小さな命だ。最初から責任を持って自分が面倒を見るつもりだったので、ココには悪いけれど私の人生計画に付き合ってもらうことにした。
 初めての長い旅路で疲れてしまったかと思ったけれど、ココは案外元気そうだ。ブンブンと尻尾を振り、興味津々であちこち匂いを嗅いで回っている。
「まずは牧場に行くんだよね……」
 町の地図は町長さんから手紙で送っていただいたけれど、実際に足を踏み入れてみると町の中は随分と様変わりしたように見える。人の姿もそれなりに多く見られた。
 町長さんの話では、近年少しずつ開拓事業も進めているとのことなので、幼少期に遊びに来た時よりも町は大きくなっているのかもしれない。
「よし、とりあえず町の中を歩こうか」
 目指すは新しい自分の家だ。
 ココに声をかけて、ガラガラと荷物の入ったキャリーケースを引っ張り、私は町の中へと足を踏み出した。
 それなりの大荷物なので、町の人達は一目で余所者が尋ねてきたと分かるのだろう。すれ違った人達は何人か私のことを振り返っていたし、遠くで遊んでいる子供達も物珍しそうに私のことを見ていた。
 それに少しだけ居心地の悪さを感じながら、私は地図を片手におじいちゃんの牧場を目指して歩き続けた。
 しかし数分後、町の真ん中で私は地図と睨めっこすることになる。
「……うぅん」
 道が分からない。でも、決して私が方向音痴だというわけじゃない。ただ昔に比べて道が入り組んでおり、表札もないので地図を見ても今自分がどこの通りにいるのかいまいち把握できないのだ。
 地図に描かれた通り目印らしき建物を探しながら歩いているが、そこそこに広い町なので目的地までの距離もそれなりに遠いような気がする。
(おじいちゃんの牧場、こっちで合ってたっけ……?)
 一度考えると不安になり、もう一度しっかり現在地を確認しようと足を止めた。周囲に何があるか確認して、手元の地図に指を滑らせる。
「えーと……今の場所は……」
「ここは二番通り。町一番の品揃えの良い雑貨店と腕の良い医者が開業している個人病院があるんですよ」
 地図を覗き込んでいた私の真横から男性の声が聞こえ、ドキリと心臓が跳ね上がる。
 目を丸くして顔を上げれば、いつの間に距離を詰められていたのか、色黒の肌をした金髪の格好良いお兄さんが自分の真横に寄り添うように立っていた。
 その青い服装は都会でも見慣れた警察官のもので、彼は制帽の鍔をひょいと軽く上げて空のように青く澄んだ瞳を柔らかく細めてニコリと微笑んだ。
「こんにちは」
「え? あ、こんにちは……えっと……あの、お巡りさん? ですか?」
「ははっ。ええ、そうです、お巡りさんです。驚かせてしまったようで、すみません。引っ越してきたばかりで道が分からないんだろうな、と思って……良ければ僕が道案内しますよ。ちなみに、今いる場所はここです」
 言って、イケメンのお巡りさんは私が持つ地図を覗き込み、指で現在地をトントンと指し示した。
 ちょっ、近い! 顔とか色々距離が近い!
「って、そうじゃなくて……! どうして私が引っ越してきたって分かったんですか?」
 もしかしたら観光客かもしれないのに、然も当然のように移住者であると言い当てられたことに気づいた。
 不思議に思ってつい無意識に問い返すと、一瞬だけきょとんとしたお巡りさんはおかしそうにクスクスと笑って、私が持つ地図の裏側を指し示した。
 そこにあるのは町長さんから受け取った封筒だ。
「その封筒、見たところ町長さんから送られたものでしょう? その封筒に押されている郵便の印がこの町のものだったので、もしかして、と思ったんです。もう何年も前から持ち主が不在になっている牧場に新しい住民が来ると噂で聞いていましたし……あと、ここに犬を連れて観光に来るような物好きな人も、あまりいないので」
「あ、当たってます……これ町長さんから送っていただいたもので……すごい! お巡りさん、名探偵みたいな名推理ですね」
「あはは! 探偵ではないですが、まあ、これでもこの町の警察官なので……それに、こんなの大した推理じゃないですよ」
 そう言っておかしそうに笑うお巡りさんに、私は思わず見惚れてしまう。顔立ちが整っているせいか、それとも明るい髪色のせいか。彼が笑うとまるで太陽のような眩しい輝きを感じた。
「そう言えば、お名前をまだ聞いていませんでしたね。僕は降谷零といいます。あなたは?」
「あ……私は苗字名前です。ご存じの通り、祖父が経営していた牧場に引っ越して来ました。これから、どうぞよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。……君も、良かったら仲良くしてくれよ」
 ぺこりと頭を下げる私に、降谷さんと名乗ったお巡りさんは同じく穏やかな笑顔で会釈を返してくれた。さらにココにも手を差し出してくれて、お近づきの印に匂いを嗅がせてくれる。
 しかし、ココは彼の手をクンクンと嗅いだあと、警戒したように小さな唸り声を上げて後退りをする。そのまま私を盾にするように逃げるので、私は目を丸くした。
 いつもは初対面の人に対して愛想が良いのに、どうしたんだろう。
 首を傾げる私とは正反対に、降谷さんは納得したように笑っている。そして臆さずココに手を伸ばして、顎の下辺りを撫でていた。
 ココはもう唸り声を上げなかったが、つんっとそっぽを向いて私の顔を見上げていた。
「そうか……君も他の子を警戒してしまうんだな」
「どういうことですか?」
「僕も犬を飼っているんですよ。今日は連れていませんが、大体いつも一緒にパトロールしていて……うちの子も知らない犬の匂いを嗅ぐと警戒することがあるので、一緒だなって思ったんです」
「えっ、そうだったんですね! 降谷さんの相棒、賢そうだなぁ……良ければ、今度ぜひお会いさせてください」
「! ええ、勿論……その時はぜひ、この子とも顔合わせをさせてくださいね」
「ふふ……じゃあ約束ですね」
「はい。約束です」
 目を細め、柔らかく甘い微笑を浮かべて私を見下ろす降谷さんはとても嬉しそうだ。そんな表情で見つめられたら、いくら私でも思わずくらりと目眩を起こして倒れてしまう。
 しかしこの時、降谷さんの顔の格好良さに胸を打たれていた私はふと、彼の頭上に何かが浮かび上がるのを見つけた。
 ──なんだ、これ。
 私は思わず目を瞠り、降谷さんの頭上を凝視する。
 彼の頭の上で紙を丸めたようにくしゃくしゃに丸くなっているそれはもぞもぞと動き続け、しばらくしてパッと小さなハートの形を作った。
「!?」
 降谷さんの頭上に現れたそれから目を離せないでいると、小さくて真っ黒なそれはじわじわと灰色に近い色に変わっていく。それだけでなく、ハートは心臓のように脈打っているように見えた。
 私は視線を逸らして目を擦り、もう一度そこを見た。
 やはり、頭上にはハートが浮かんでいた。
(いやいやいや……)
 ちょっと待って、少し落ち着こうか。
 このハート、どこか見覚えがある。
 私が今いる世界は牧場主となってまったりほのぼの牧場生活を満喫するあのゲームと同じだ。一年が四季に合わせて四ヶ月しかないので、おそらくこれは間違いない。
 ──ということは、だ。
 仮にここがゲームと全く同じ世界だったとしたら、牧場で作物や動物達を育てるだけでなく、毎日通りすがりに挨拶をしたり、イベントに参加したりして町の住人達と友好度を上げていくことにもなるわけで、当然この世界には『結婚候補』とやらが存在すると考えられる。
 すなわち、この黒っぽいハートはその『結婚候補者』達に備わっている愛情度を示すあのシステムなわけだろうか。花だったりハートだったり、灰色から赤へと少しずつ色を変えていくアレだというのだろうか。
 だとしたら、このハートの存在も少しは納得できる。納得できるけれど、どうしてそのハートが私に見えているのか。それが全然理解できないし、したくないし、むしろ今は見えない方が良かったと切実に思う。
「ところで、名前さんは今から牧場の方に向かう予定だったんじゃ──……? 名前さん?」
 声をかけられていることにも気づかず、私は一人深い思考の海に沈んでいた。
 どうしてこんなことになった?
 もしかして、このハートが見える現象は巷でよくある『主人公補正』というやつなのでは?
 だって、ほら。今も何もしていないのに何故か降谷さんのハートが僅かに大きくなって──。
(って、ええぇぇぇぇぇえ!? 色が変わってるーっ!?)
 少し目を逸らした隙に何故か紫に変わっているハートの色。その紫色もだんだんと青みがかって変色していて、流石の私もあんぐりと口を開いて固まってしまった。
「おーい。名前さん?」
 目の前で手を振る降谷さんをまたしても無視して、私は一人固まってしまう。不思議そうにしている彼には申し訳ないが、今の私はそれどころじゃない。
(なんで? これは愛情度を示すアイコンじゃないの? 私、プレゼントも何も上げてないのにどうして色が変わったの?)
 怖い。ハートが見えている自分も気味悪いけど、何よりこちらが何もしてないのに一人で好感度上げていく降谷さんが怖い。
 神様にはぜひとも覚えておいていただきたいが、今の私は異性との恋愛イベントなんて望んでいない。前世でも住民達とは平等に親交を深めていたし、特定のキャラと恋愛フラグを立てることもしなかった。
(なのに愛情度が見えるなんて! それにいきなり好感度爆上げしてくるとかバグとしか……いや、待って──)
 ──この反応がバグじゃないとしたら?
 私は青褪めた。
 もし今の会話のどこかで選択肢が出現していて、私がバンバンと好感度を上げる選択肢を選んでいたとしたら。それなら彼の好感度が上がった理由も(こんなに急激に上昇するのは以上だけど)説明がつく。
 だけど仮にそうだとして、まず普通に会話しているだけの私にそんなベストな選択肢なんて分かるわけない。知らずに恋愛フラグ立てているとか切実にやめてほしい。今すぐに折ってしまいたい。
(まずい……これはまずい……恋愛イベントはいらない……恋愛イベントって、進んだら結婚するじゃん……結婚したら当たり前のように子供が生まれてたじゃん……子供なんていたらまったりほのぼの牧場生活なんて言ってられないじゃん……)
 そこまで考えて血の気が引いた顔で立ち竦む私の肩に、ぽんっと降谷さんの手が置かれた。
「ひゃい!!」
「あ、すみません……! 何やらぼーっとしていたようだったので……」
「あ、あ、すみませ……」
「顔色も悪いですよ。もしかして、長旅で疲れているんじゃないですか? 大丈夫ですか?」
「は、はい……あの、家に着いて町長さんに挨拶したらすぐ休むので……」
「なら、早くお家の方に行きましょうか。牧場はこっちですよ」
「えっ?」
「え?」
 当たり前のように先導して道案内しようとしてくれる降谷さん。
 さっきまで余計なことを考えていた私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、その私の声に降谷さんも不思議そうに振り返った。
「ふ、降谷さん……一緒に来てくれるんですか?」
「やだなぁ、さっき言ったじゃないですか。道に迷ってるみたいだから、道案内しますよって。途中で投げ出したりしませんよ」
「で、でも、ほら……お仕事とか……」
「迷子をお家まで送り届けるのも僕の仕事ですから」
「まさかの子供扱い!」
「エスコートの間違いですよ。さあ、行きましょうか。……あ、良ければ飴でも食べますか? 疲れた時には甘い物を摂取すると良いですよ」
 さらりと恥ずかしげもなく言うや否や、私にブドウ味の飴を差し出した降谷さん。「あ、好きな味だ」と無意識に呟いた私をニッコリと笑いながら見下ろした彼は、すかさず私の手を引いて歩き出した。
(そう言えば……昔おじいちゃんの牧場に遊びに来た時、知らない男の子にこうして手を引かれたなあ)
 あまりにスマートに促してくるので何も考えず彼の手に導かれるまま歩き出した私は、ふと自分の脳裏に幼い頃の記憶が蘇って懐かしむように彼に掴まれた手を見つめた。
 十年以上も昔のことなので名前どころか顔も声も思い出せないけれど、なんとなく彼と同じ髪色をした男の子だった気がする。
(いやいや、まさか。そんなワケないよね……)
 もしかしたら降谷さんがあの時の男の子なのでは、なんてどこかのロマンチックな小説みたいな展開を想像して、すぐに自分で否定する。
 何故なら、当時その男の子はもうすぐこの町から引っ越すと言っていたのだ。大人になった今、わざわざこんな遠い町まで再び戻ってくることはないだろう。仮にこの町にいたとしても、私のことなんて忘れているに決まっている。
 もう会えないのは寂しいけど、どこかで元気で過ごしてくれていたら嬉しいな。──なんて昔を懐かしく思いながら歩いていた私だが、しばらくして微笑ましそうに自分達を見ているご婦人達の視線に気づいた。
 それが降谷さんと手を繋いでいるからだと知って、顔を真っ赤にしながら慌てて彼の手を引き離すことになったのは言うまでもない。


「おお、名前君! 元気そうで……という程でもないようだが、大丈夫か? 少々待たせてしまったかな」
「いえ、あの、大丈夫です……さっきお巡りさんにここまで案内して頂いたばかりなので……」
 少々疲弊した面持ちでそう答える私に、わざわざ牧場の方まで足を運んでくれた町長さんは少々疑わしそうに首を傾げながらも降谷さんの話を聞いた途端に笑顔でうんうんと頷いた。
「なんじゃ、もうヤツと顔を合わせておったのか! わしより先に君と顔合わせを済ませるとは、相変わらず抜け目のない男じゃな!」
 ちなみに、その降谷さんは牧場に着くなり「それでは、また」と言ってあっさりと帰って行った。私はお礼もそこそこにしか言えず、つい先程ポカンと彼の背中を見送ったばかりだった。
 ココはすでに小屋の中に入って蹲っている。どうやら新しいお家がお気に召したらしい。
「家の中はもう確認したかの? ある程度は揃えておいたはずじゃが……」
「はい、問題ありませんでした。何から何まで色々サポートしてくださりありがとうございます、町長さん」
「なぁに、まだ大したことはしとらんわい。それと、わしのことは次郎吉と呼べば良い。君のおじいさんには昔から世話になっておったからの……その礼に過ぎんよ。何か困ったことがあればいつでもわしのところに来なさい。町の者達も頼りになるぞ」
「はい! あの……しばらくは皆さんのご厄介になりますが、よろしくお願いします」
「はっはっはっ! 堅苦しいのは父親譲りじゃな! ……まあ、見ての通り牧場は荒れてしまっているが、君なら大丈夫だろう」
 感謝の意も込めて私なりに丁寧に挨拶をすると、町長さん──次郎吉さんは私の肩をバシバシと叩いてニカッと笑った。頑張りなさい、と優しく言葉を告げてくれた彼に、大きく頷いた。
 次郎吉さんの言う通り、おじいちゃんの牧場は昔の面影を感じないぐらい荒れていた。話には聞いていたし、前世の記憶も思い出してある程度覚悟はしていたけれど、実際に見ると想像以上だ。家屋は今のままでも暫くはなんとかなるだろうけど、畑の方はそうもいかない。
 ──まずは少しずつ雑草刈りをして、畑を耕すことから始めないと。
 少し殺風景な牧場を見渡し、ざっくりと考えていた『まったりほのぼの牧場生活計画』のプランを練り直しながら、私は心の中でひっそりと意気込む。
 こうして私は今日、長年抱き続けた夢に近づく第一歩を踏み出したのだった。
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