■ 非人間的な美談




「ちょっと自分のお葬式に出てくるわ」


槙島の家を訪れた次の日の夕方、彼女は昼間までずっと寝ていたせいで跳ねた髪を水で直しながら、ぽつりと言った。
その日の槙島は外出する用が無く、ソファで本を読んでいた。

「それはつまり…一般社会に身を潜めるのをやめてここで暮らす、という事を言ってるのか」

「まあ、大体はね」

「…そうか」

彼は彼女に鍵を渡した。

「え…?」

「待ってるよ」

「合鍵?ありがとう。人を待たせるなんて初めてだわ」

「時間に忠実なんだね」

「そうね。けど、時間は私に忠実ではないわ」

「それは君が時間に逆らったからだろう?」

「ふふ、その通りね」

彼女は自嘲気味に笑った。そして、

「また此処に戻ってくるわ」

槙島の鍵を握って、彼女は槙島の家を出て行った。





平日の13時、桜霜学園では昼休憩で、大体の教師は職員室や食堂でお昼を食べるか、次の授業の準備をして過ごす。槙島は、職員室の用意されたデスクで端末片手に暇していた。
暇していたというのは、あくまでも他人から見た彼の様子であり、彼の脳内はせかせかと動いていたのだが、それでも彼のデスクにはタブレットのみ、イヤホンを付けているわけでもない。つまり、他人から見て話しかけやすい状態にあった。

「聖護くん。これ」

そんな彼に本を差し出し、話しかけてきた男がいた。名前は藤間幸三郎。社会科教師で、写真部顧問。

「面白かったよ。僕が1番気に入ったのはね、ジャンヌ・ダルクかな」

受け取った本は、百年戦争史だ。
ジャンヌ・ダルクとは、神の声を聞いたとされるフランス王国の女戦士。百年戦争終盤に活躍し、19歳で最期を迎えた。

「ジャンヌを処刑まで運んだ奴らの考えてる事は納得いかなかったよ」

「君ならどうする?」

「彼女の存在を永遠にする、かな」

「良かったな。君の手を下さずとも、ここまで語り継がれてきた」

「うん、良かったよ。ところで聖護君、何調べてるの?」

藤間はタブレットを覗き込んで、検索ワードを読み上げる。

「吸血鬼?」
「ああ」

「あれ…聖護君は、そういうの信じないタチじゃなかった?」
「そうだね」

そうだけど、その常識を引っ繰り返すような彼女に出会った。彼女が吸血鬼でなければ何者なのか。槙島の考えは既に其処まで辿り着いていた。

「昨日、面白い女の子が家に来たんだ」



「へえ、もしかして、調べてるのは…その子が?」


「うん、当たり」


神など居ない世の中。それを否定するように、神に嫌われた彼女がいる。心臓は動き鼓動もある。だが、体は老いを知らず、神が定めた有限に背く。その所為で時間には疎まれ、神には見放された。それが彼女、吸血鬼だ。

1週間後の週末。
槙島聖護は藤間幸三郎を家に招いた。

「へえ、そんなことを。で、彼女がひと月戻らなければ逃げたか、或いは本当に墓に戻ったか」

「そう、そして彼女が吸血鬼でないと立証される」
「ふーん」

さっきまで槙島の目を見て話を聞いていた藤間は、紅茶に映る自分の目、泣き黒子をつまらなそうに眺め始めた。どうやら彼の関心は薄れたようだ。

「戻ってこないよ。吸血鬼なんて存在しない」

「けど君の中に悪い魔法使いが存在するように、彼女も存在していたら。君はどうする?」

「それは聖護君が決めなよ。僕には関係ない。
ただ、もし居たら一目見たい。

僕の好奇心はその程度だよ」

結局、その後藤間は帰った。
槙島は部屋で1人、藤間が去り際に放った言葉を反芻してみた。



”来るはずのない化け物を待つなんて、君らしくない”


確かに会った筈の化物を待つ嘗ての日本の名作映画”となりのトトロ”のヒロインのように、彼は辛抱強く無かった。だが同時に彼は、そのヒロインのように好奇心が強かった。

その好奇心こそが、彼に1ヶ月という長い待ち時間を設けさせたのだ。

だが、しかし。






「ほら、言っただろ。吸血鬼なんかいないって」




ひと月経った。彼女はまだ帰らない。

「きっとその子はイタイ子だったんだよ。じゃなければ、聖護君の幻覚さ」

現代では、待つ事を”待たされる”という狭い考えから嫌う傾向にある。だが、2世紀前の江戸時代では”待つ事は快楽”であり、楽しみであった。
今の僕は後者だ。

自称吸血鬼は本当に死ねるのか、蘇った彼女の姿はどんなものか。
あれは老婆の夢語りであり、肉体と共に魂も消滅してしまったか、そうしたら彼女に会う事は二度とない。
勇気が出ずに死に損ねたか、実は吸血鬼ではなく、バンパイアイズムやヘマトフィリアなどの性的嗜好を持った人間。

不思議な事に、そこに僕の期待を裏切るケースはなさそうだ。
どんな形でも面白いと思う。

人間は無知で未知のモノを伝聞で知る段階では大して恐れはしないが、実際に出会ってしまった時、その人の潜在意識が変化を恐れ、大抵の場合認めようとしない。
意識を飛ばす。都合良くできている。


「変化を望み変化を嫌う」


これは随分と我儘なパラドックスで、抗う事のできない摂理。
現状に飽き変化を乞う自分には、無いものだった。








”光島倫冴”


文字を撫でる。彫られたのは最近らしい。

所狭しと背の高い和型墓石と低い洋型墓石とが混在し並ぶ中、彼女の墓は洋型だった。
確か聖歌を嫌がっていた。西洋の生まれか。
十字を飾らないこの国の墓はどうだ。寝心地は。

もしこの墓に眠っていたとする。掘り返す。
”吸血鬼カーミラ”の話通りなら、生身の死体が出て来る。
だがそれは西洋の話だ。ここでは火葬後の骨を埋めている。


考えて、足を引き返した。
彼女はもう、戻らない。





自宅の鍵を開けると、やはり彼女はいない。

ふらりと帰ってこい。そして、蘇りの経験則を聞かせてくれ。



僕はまだ、どこかで期待している。








2ヶ月後。

存在を忘れようとしていた頃。




彼女は、平然とした様子で帰ってきた。

確かに火葬されたのに、墓に眠っていたのに。
彼女が魂を宿す健康体は、槙島の家の鍵を開けた。



「遅くなってごめんなさいね」

「待ってたよ」

「どのくらい?」

「ふた月、かな」

「大分経ったのね」

彼女はキャリアケースを玄関の前に止めた。
そして大量の札束を彼に渡す。居候代よ。と。


「どこでこの金を?」

「遺産を引き継ぐ人が居なかったから、貰ってきちゃったわ」

「とんだドロボウ猫だ」

「富んだ?金持ちって意味?

ドロボウ猫はーー、
そうね、吸血鬼って事かしら?」

「そうじゃない」

蘇った彼女は、とても楽しそうだ。
老婆の姿よりも血色の良い肌、日本に合わせた黒髪黒眼。何より妖艶で美しい外目に所作。




帰ってきた。帰ってきた。

待ち望んでいた女が。吸血鬼が。

槙島は口を手で押さえて、笑みを零す。


「ーーーやはり、本当にいたんだな」

「私?
帰ってくるって言ったじゃないの」


彼女は鋭い犬歯を見せて笑う。

「まあ、信じていなくても仕方のない事よ。

けど」



実在したでしょう?

人間が驚いているところを見るの、好きよ。

私、あなたの定義をひっくり返せたかしら。
ーーー槙島聖護。


28.9.12
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