「悪い、ちっと出てくるわ。すぐ戻る」
電話を終えたトムさんが言った。うす、と返事をすると上司は事務所を出て行った。手持ち無沙汰になった俺は、ポケットから煙草を取り出しながら事務所の外に出る。禁煙ではないが何となしに外の空気を吸いたくなった。路地の汚い壁を背に、肺に入った煙を吐き出す。ふと空を見上げると、ビルの間の四角い青が見えた。いい天気だ。
そして頭に浮かんだのは先日逢った女性、もといトムさんの彼女の顔だった。
(綺麗だったな)
ぼんやりとそう思った。顔は幼びていたが、時折見せる表情に大人の女性を感じさせた。あの顔がトムさんの腕の中ではまた違う表情を…
(何考えてんだ俺)
ふと我に返って首を振ったその視界の隅に、ミュールを履いた細い足があった。その先を辿るとちょうど今考えていた、名前さんの顔があって思わず肩を震わせてしまった。
「こんにちわ、静雄くん」
俺と目が合い、にこりと笑った女性の声が裏路地に響く。
「…ども」
咥えていた煙草を指に挟んで頭を下げると相変わらず人懐こい笑みを浮かべた彼女が歩み寄ってくる。
「煙草、身体に悪いよ?」
悪戯っぽく笑って俺の顔を覗き込む名前さん。睫が長く目が大きくて肌が白い。年上なのに、どうしてこうも仕草がいちいち可愛らしいのか。ふんわりと香ったシャンプーの匂いにくらりとした。ヴァローナとはまた違う、女の匂い。
(変態か、俺は)
気恥ずかしさから頭を掻きながら視線を逸らし、持っていた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「トムさんは中?」
「いや、今ちょっと出てます。すぐ戻るって言ってましたけど」
事務所を指差す名前さんに首を振ると彼女は、そう、と肩を落とした。そうあからさまにがっかりされると、俺の方のテンションも下がってしまう。本気でトムさんの事が好きなんだろうと実感して溜息が漏れた。
(ま、当たり前か)
そんな俺を尻目に、名前さんはちょこちょこと俺の隣に来て壁を背にしゃがみこんだ。
ワンピースの裾が地面についている。
「…服、汚れますよ」
言うと名前さんは、俺を見上げてにこりと微笑んだ。…その上目遣いは反則だと思う。
「優しいね、静雄くん」
「…別に」
頬に熱が集まるのを感じて思わず顔を逸らすと、隣でくすくすと笑う声が耳に届いた。
「今日は何しに来たんすか。名前さんが来るようなとこじゃないすよ、此処。危ない奴等もいるし」
気恥ずかしさで堪らなくなった俺は話をすり替えようと話題を振った。しかしその言葉に返答は無く、不思議に思って名前さんに視線を戻すと彼女は切なげに眉を下げて視線を落としていて。何かヤバイ事でも言っちまったかと俺の心臓が揺さぶられた。
「静雄くんも、トムさんと同じこと言う」
困ったように笑う彼女にどくどくと心臓が波打つ。表面では平静を保っていたが内心は明らかに動揺していた。俺が何も言い返せないでいると、彼女は前方に視線を向けころりと表情を変えた。そして俺の好きな花のような笑顔を浮かべて名前さんは立ち上がり、小走りで駆け出す。
「また来たのか、名前」
「トムさん、お帰りなさい」
仲良く身を寄せ合う二人につきりと胸が痛んだ。彼女を悲しませる事が出来るのも、あの笑顔をさせるのも、トムさんなんだと考えたら、何だか無性に泣きたくなった。どうやら思いの外俺はあの人に惚れているらしい。

20100820 / 花の君
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