君に言えなかった事があるんだ。

さびしい。ごめん。いかないで。あの時お前を追いかけて、素直に言えていたら。こんなことにはならなかっただろうと。今悔やんでも遅いけれど。

「阿伏兎」
あの日からしばらく名前と顔を合わせることは無かった。会いたい。でも会えない。向こうが避けているのか、この広い船内で名前の姿が見つからないことにどんどん不安になっていく。
いよいよ我慢出来なくなった頃名前の部屋に足を運んでみれば、そこに女の姿が無かったどころか私物まですっかり無くなってガラリとしていた。一瞬理解出来ずに息をするのも忘れてしまったように思う。
弾かれるようにその部屋を出て、向かうは部下の部屋。そこにいつものようにデスクワークを黙々とこなす阿伏兎の姿を見つけて名前を呼んだ。すると奴が顔を上げ、やはりいつもと変わらぬやる気のない目と視線が合う。ずかずかと部屋に入って目の前まで歩み寄る。
「どうかしたのか、団、」
その言葉を遮って、俺は胸倉を掴みぐいと引き寄せた。阿伏兎の目が驚いたように見開かれる。笑顔を作るのは既に忘れていた。
「どうかしただって?名前の部屋がもぬけの空なんだよ、どういうことだ」
ギリギリと掴んだ胸倉に力を込めながら問えば、目の前の男は訳が分からないといった風に眉を顰めた。そして俺は衝撃的な言葉を聞くことになる。
「どういう事だって…こないだ出て行っただろうが。アンタが何も言わないから、俺ァてっきり知ってるもんだと」
言い終わるが早いか、俺がそうしたのが早いか。おもむろに阿伏兎の身体を持ち上げ部屋の壁へと投げつけた。
「ぐおっ、」
そしてそれに目をやることも無く俺はその部屋を後にした。
今度は操縦室に走りこみ、団員を2・3発殴って向かわせたのは名前の故郷の星。前に一度だけ行ったことがある。アイツはそこに戻っている筈だ。今か今かと到着を待ちながら色々なことを考えたがやはり一番は、何故俺に黙って出て行ったのかということ。何故か、なんてそんな事は心のどこかで分かりきっているのに。

「名前」
到着して船から飛び降りると廃れた村の家の前でぼんやりと空を眺めている愛しい彼女の姿がすぐに見つかった。臆す事無く彼女の名前を呼べば、ピクリと肩を反応させてこちらを振り返った。どこか物悲しそうな顔は少しやつれて見えた。
「神威、さん」
「名前」
戸惑いながら俺の名を口にする名前。答えるようにまた名前を呼んで、歩み寄ると更に不安そうに瞳を揺らして後退った。僅かに彼女の肩が揺れていることに気付いた。
「何してるの、こんなところで」
「、…」
「なんで勝手に船を降りた」
名前は答えない。違う、こんなことを言いに来た訳じゃない。名前にまた会えて安心した、嬉しかった、抱きしめたい、離れていかないで。俺をそんな目で見ないで。
「名前」
しかしやはり名前は何も言わない。もう俺のことは嫌いになった?何故俺から離れていこうとする。何故そんな怯えた瞳で俺を見る。ただただ俺の中では凶暴な気持ちが込みあがっていた。
「、っ」
気が付いたら、俺は女の身体を地面に打ちつけ跨っていた。目の前には息ができず苦しそうに顔を歪める名前。その首には俺の両手が掛けられている。ミシミシと、骨が軋む音が聞こえた。
「かむい、さっ」
「ねぇ、どうして俺から逃げるのかな」
「ち、が」
「俺のものにならないなら、いっそ」
いっそ、何だと言うのか。俺は一体何をしているのか。名前が苦しそうに微笑んだ。俺の好きな名前の笑顔、何だか久しく見ていなかった気がする。
「愛して、います、」
首に掛かる俺の手の力は緩まない。この女は、今なんと言ったのか。
「貴方に殺される、なら、…本っ」
ぼきりと。
低く鈍い、聞き慣れた音が響いて名前の声が途切れた。
「名前、」
呼んでも何も応えない。まだ温もりの残る女の身体。愛しい女の顔。その頬を見下ろしてゆっくりと頬を撫でた。
「名前、ねぇ、名前」
何度も呼ぶのに、この女は何も応えない。
人の命を絶つ事なんてもう慣れている筈なのに、この込みあがる気持ちはなんだろう。初めての感覚だった。拳に残る骨が折れた時の感触にいきなり実感が湧いた。
「名前、名前、名前、」
無我夢中で名前を呼んだ。身体を揺さぶっても名前は目を閉じたまま、やはり何も応えない。
当然だ、俺が殺した。この手で。彼女を。どうしてこんなことになったのか。名前は死ぬ瞬間、何を言っていたのか。
「名前、」
こんなにも愛しいのに、爪を立てること事しか出来ない。挙句、手を掛けた。それなのに何故こんな男を愛しているなどと言えるのか。何故、こうなってしまった。
ありがとうと、伝えることももう叶わない。

20100228 / 「ありがとう」
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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