あの日以降臨也から連絡はなくカフェにもやってくる事は無かった。
こちらから連絡しようにも特に用事がある訳では無いので出来ずに、そのまま日が過ぎ去っていった。
誘われたチャットにも何度か顔を出したが臨也と思われる人物は見当たらず、今のところただ甘楽と名乗っている女性と世間話をするだけに終わっている。
(…顔出す時間帯とか、聞いてもいいのかな)
いつものようにカフェでの仕事中、名前は溜め息をついてそんな事を考えていた。
(でも折原さん、この頃来ないし…忙しいんだろうなきっと)
ガシャアアアン!
「!」
ぼんやりと天井を見上げたその時、外から大きな衝撃音が聞こえて名前は肩を震わせて弾みで盆を床に落とす。
慌ててそれを拾いながら外に視線をやるとざわざわと人がたくさん集まってくるのが見えた。普段は賑わいの無いこの店のある通りが、騒がしくなっている。
「な、なに?」
目を凝らしてみると道路に自動販売機のような物体が転がっている。それには一度見覚えがあった。同時に先日甘楽に教えて貰った"平和島静雄"という名前が頭を過り、固唾を呑んで店を飛び出した。
(、え)
瞬間見えたのは、自分に向かって吹き飛んでくるゴミ箱だった。
「きゃああ!」
冷静に避ける技術など、無難な人生を歩んできた女に備わっている訳が無かった。ただ叫び、それでどうにかなるとも思わなかったが名前は反射的に両手をかかげた。弧を描いたゴミ箱は女の足を掠め、けたたましい音と共に地面に転がり名前も足を縺らせて尻餅をつく。
「名前!」
臨也の呼び掛ける声に閉じていた目を恐る恐る開くと隣に転がるゴミ箱が見え、名前はばくばくと高鳴る心臓を押さえた。
「ああほら、シズちゃんが何でもかんでも投げるから危うく名前にぶつかるところだったじゃないか。勘弁してよ」
「あァ?手前が避けなきゃよかったんだよこの糞野郎死ね」
名前を挟むようにして立ち、臨也と金髪の男が言い放った。
安堵したように肩を竦める男と苛立ちを隠しもせずにいる男を交互に見ながら名前は、安易に外に出なければ良かったと今更ながら後悔した。
(平和島、静雄…さん)
逆行で表情の読めない金髪の男を盗み見てその迫力に名前は息を飲んだ。静雄を見るのはこれが二度目だったが、その雰囲気に身がすくんでしまいそうになるのは相変わらずだった。
「今日こそ楽にしてやるからよぉ、ちっとそこ動くなよ」
地面を這うような低い声を発しながらじりじりと距離を詰める静雄に、対峙している張本人は溜息を吐いて名前を一瞥した。不意に目を合わせてきた臨也に名前は微かに肩を揺らして動揺してみせた。
「折角美味しいコーヒーを飲みに来たって言うのに台無しだ。日を改めてまた来るよ。そういう訳で、またね名前」
一息に言い切って、ひらりと手を振ったかと思ったらそのまま踵を返し駆け出した。
「待ちやがれ臨也ァァァ!」
それを追うべく、静雄の足が雄叫びと共に地を蹴った。
「っ、待っ…」
久しぶりに姿を見せたと思ったらすぐに背中を向けてしまった臨也の背中に名前は手を伸ばす。引き留めて何と声をかけるのかなどと考える間もなく、無意識に声を上げた。
しかしその声に反応したのは呼ばれた本人ではなく平和島静雄の方だった。
脚をびたりと止めて振り返った静雄をばちりと視線が交わり、名前はびくりと身体を震わせる。行き場の無くした手を下ろしゆっくりとその場を立ち上がる。
「…」
そのまま何を言うでも無く胸の前で手を組んで視線をさ迷わせる女の様子に静雄はがしがしと頭を掻き、己を追い付かせる為長い溜め息を吐いた。そして先程の声よりかは幾分柔らかな声を発した。
「悪かった。あー…大丈夫、すか」
名前には意外だった。まさかこんな言葉をかけられるとは思っておらず、面食らったように目を丸くする。
「あ、の、いえ、すみません、大丈夫で」
「足」
何と返したらいいか分からずにいた名前の言葉を静雄が遮り、余計に戸惑いを露にしてしまう。
「あ、足、?」
「足、挫いたろ」
(…あ)
確かにと、先程バランスを崩した時に足を捻ったのを名前は思い出した。目の前で起こる事態にそれを忘れていたものの、やはり足首はずきずきと骨が痛んでいた。
「これは…自分が勝手に飛び出したから、」
「…悪い」
捻った名前の足首を見つめ、叱られた子供のように眉を顰める静雄。その違和感に名前は首を傾げた。あそこまで派手に力を奮う男がこんな小さな怪我を気にかける理由が分からなかった。
やがて男はそれを吹っ切るように顔を上げ傍らのカフェを見やった。
「ここで働いてんのか?」
その言葉に同じように店に視線を向けた名前は、勝手に仕事を抜け野次馬となってしまっている自分の状況に漸く気付いた。
「す、すみません、私戻りますね」
言いながら慌ててカフェへの扉へ手をかけた名前は、再度静雄を振り返ると言いにくそうに口を開く。
「あの…心配してくださってありがとうございました。貴方のその腕も、ちゃんと消毒して、大事にして下さい」
名前の視線は衣服が切り裂かれて痛々しく血の流れた静雄の腕へ注がれており、今度は男が目を丸くする番だった。臨也のナイフがそうしたとは名前には到底知りえなかったが。
「苗字!」
そしていよいよ店内から同僚の呼ぶ声が聞こえ名前は頭を下げて仕事へ戻っていった。何を思うでもなく、静雄はその背中を見えなくなるまで見つめていた。

20120810 / 平和島静雄という男
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