カランコロン、
「いらっしゃいま、あ、」
「どうも」
今日もまた、店を訪れた人間にいつものように声を掛けようとして顔を上げると、その姿がファーコートの男である事に名前は気付いた。男、奈倉は片手を緩く上げて微笑んだ。
一週間程か久しぶりにやってきた男に名前の胸が弾み、釣られ同じように笑顔を返す。
「こんにちは、奈倉さん。またいらしてくれたんですね」
「そりゃあね。名前覚えてくれたんだ」
勿論、と頷く名前にどこか嬉しそうに笑う奈倉は席を案内されながら店内を見渡した。自分以外に誰も居ない事を確認して満足げにしている。
(綺麗に笑う人だなあ)
名前は名前で、先程見た奈倉の表情を思い出していた。
育ちが良く誠実な男性で仕事はIT系、もしかして実業家では、などと想像を巡らせる。そう思われても仕方の無い立ち振る舞いを、男は心得ていた。
椅子に腰を降ろした奈倉がコーヒーを注文しながら普段と型の違うパソコンを持っている事に気付いて、名前はメーカーのロゴを覗き込んだ。
「あれ…パソコン変えたんですか?」
「ああ、いくつか持ってて。今日はこれで」
「凄いですね、私パソコンとか全然分からないので」
「慣れるとなかなか面白いよ。苗字さんも持ってみたら?」
なんなら俺が一緒に選んであげようか。
そう続けた奈倉に、確かに今時パソコン持っていないのは珍しいと友人に指摘されるし興味もあった。これを機にパソコン買ってみようか、と名前は納得して頷いた。
「そうですね、ちょっと近いうち手を出してみます」
「…それにしても、パソコンの違いに気付くなんてよっぽど俺のこと見てくれてるんだね」
不意に指摘された自分の行動に名前は返事を返すのも忘れてあんぐりとした。やがて意味を理解すると自分がまるで片想いしているのを悟られた瞬間のような感覚に陥ってしまう。
「ち、ちがっ、すみません、ごゆっくり!」
楽しげに笑う様を横目に慌てて否定し逃げるようにそこから離れた。
ついこの間も今日も、まんまと奈倉のペースに乗せられているのを自覚しながら名前はキッチンでコーヒーを淹れる最中熱くなった頬をパタパタと手で仰ぐ。
まさか男を観察していた事が本人に気付かれているとは思わず、自分も何をこんなに照れているんだろうと、言い聞かせるがその熱はなかなかおさまる様子は無い。
「どうした?」
背後からかかった声に、全く気を抜いていた名前はびくりと身体を震わせた。同時に肩に手を置き顔を覗き込まれ、相手がバイト仲間の先輩である事に気付きほっと胸を撫でおろす。
「い、いえ、何でもありません」
「悩みがあるなら聞くよ、何かあった?」
肩に置いた手を下ろしいやらしく二の腕を撫でてくる感触にぞわりとした。
正直、名前はこの男が苦手だった。
外面で判断してはいけないと頭では理解しつつもそのだらしない服装はもとい、男の持つ雰囲気が自分とは合わないと感じていた。
実は今日のシフトで二人きりになる時間帯がある事を知っていた名前は憂鬱に思っていた程だった。あと数時間もすれば信頼しているバイト仲間が出勤してくるのだが。
出来るだけ視線を合わせないようにして身を引くが、にじり寄る男にとっては無駄な抵抗となってしまい不安に眉間の皺が増える。
「大丈夫です、本当に」
「そう?でもさ、」
「お姉さーん、コーヒーまだかなぁ」
そこへ、フロアからキッチンにまで響く声。
自分達の場所からフロアを覗く事が出来るのだが、視線をやると奈倉が不満げにこちらを見て頬杖をついていた。
「た、ただいまお持ちします」
助かった、とばかりに名前は返事をしてから男の腕をすり抜けコーヒーを手にフロアへ逃げる。背後で舌打ちが聞こえた気もするが、それは気のせいだと心の中で納得させた。
「すみません、お待たせしました」
慌てて声をかけると奈倉は先程キッチンから窺い見た表情とは打って代わり、普通見せている綺麗な笑顔で迎えた。
「いいよ、全然待ってないから」
その言葉に、まさか彼はキッチンでの自分の様子に気付いて助け船を出してくれたのだろうかと自惚れてしまった。
しかし最後までそれを尋ねる事は出来なくて、バイト仲間が出勤してきた頃に奈倉はついに席を立った。
いつもであればここまで長居する事も無かった。やはり彼は、と名前は胸が嬉しさで苦しくなるのを感じた。
「ごちそうさま。今日も美味しかった」
「ありがとうございます。…あの、」
レジにやってきた奈倉についに尋ねてみようかと声を掛けたところで、カウンターに一枚のメモ用紙が差し出されて言葉を切った。
その紙には携帯の電話番号のようなものと”奈倉”という文字が書き殴られているのが確認できて首を傾げると、男はにこりと笑って口を開く。
「これ、いつでも連絡して」
「え?」
「パソコン選び、付き合うって言ったでしょ?」
そういう意味かと納得してメモ用紙を受け取るが、まさかあれを本気で言っていたとは思わずに素直に驚いた。
パソコンに詳しいとはとても言えない自分には正直助かるし、プライベートで奈倉に会えるという事に、名前は淡い期待を持った。
弾む胸を抑えながら釣りを渡し、再度受け取ったメモをまじまじと見つめた。すっきりとした綺麗な時だ。
「本当に付き合って頂いていいんですか?」
「もちろん。俺でよければだけど。…ああ言っとくけど、これはデートの誘いでもあるからよろしく」
奈倉は淡々と、それでいて爽やかに告げて店を出て行った。言われた言葉の意味が分からずぽかんと口を開けたままの名前を残して。
「デー、ト?」
紡がれた言葉を自らで鸚鵡して、名前はまた熱くなっていく頬を両手で隠した。

20120603 / 奈倉という男
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