「あら、」
「こんにちは…」
矢霧波江は、見知った来訪者に短く声を漏らした。返事をするようにか細い声で来訪者は挨拶と共に頭を下げる。
「あいつ、今はいないわよ」
あいつとは、ここの家主であり波江の雇い主であった。それを聞いた来訪者の名前の肩が残念そうに落とされる。
「…ま、入りなさい」
「すみません」
波江は、この女が特別嫌いでは無かった。無駄話はしない上、興味ありげに自分の愛しい弟の話も聞いてくれる。しかし臨也信者であるところは常々不思議に思っていた。
外見に惹かれる馬鹿だったり、どこかネジが歪んでいたり、今までの信者とはどこか違っていた。良い意味でも悪い意味でも、普通の女なのだ。
どこでどのようにしてあの外道な雇い主と出会ったのかまでは知らないが、こちらの世界に足を踏み入れるような人間ではないしただの馬鹿という訳でもないし、資料を見る限りは本当に、本当に普通という言葉がしっくりくるような女だった。
浪江はコーヒーの入ったカップをテーブルに置くと、礼を述べる女を横目に自分の低位置であるデスクへと腰を降ろした。
「貴女も、飽きないわね」
「え?」
「あんな馬鹿のどこがいいのかしら。…まあ、見た目と収入が良いのは認めるけど所詮誠二の足元にも及ばないわ。比べるのもおこがましい」
うんざりとデスクに肘を着く波江の口から最早聞きなれた男の名前が出て、女は穏やかに微笑んだ。
「波江さんは、本当に誠二さんが好きですね」
「あら、今更?ああそうだ、聞いてくれるかしらこの間…」
そうしていつものように、女と波江の談話が始まるのだ。

そしてやがて、陽が傾いた頃。
漸く家の主人が帰宅した。どこか上機嫌でリビングに入る臨也はソファで眠る女に気付いて目を丸くした。
「ただいまーっと、あれ?」
「昼からずっと待ってたわよ。その子」
コートをハンガーにかけながらデスクからの秘書の言葉を聞いて、臨也は眠る女のもとへ歩み寄り傍らへ腰を降ろした。
「追い返さなかったんだ?」
「追い返すだけ無駄でしょう」
「他人が居るより一人で仕事してる方が波江は好きだと思ってたんだけど」
「…その子は、誠二の話を聞いてくれるからいいのよ」
「素直じゃないな、波江も」
ソファの二人を見詰めながら会話を続けていた波江はパソコンの電源を落とすのと同時についと視線を外して席を立った。
「時間だから、私はもう帰るわ」
「ああ。お疲れ」
ハンガーの上着を手に無関心に玄関へ向かっていく秘書の背中を見送り、臨也はソファの女に視線を落とす。子供のような幼い顔で安心しきって眠るその姿に臨也の頬が緩む。手の甲でそっと女の頬を撫でれば、もぞりと身体が揺れた。
「ん、」
うっすらと開かれた女の視線が頬にある手を辿って臨也の視線とぶつかった。
「臨也、さん」
「起きた?ここは君の家じゃ無いんだけどなあ」
「っすみませ、私、きゃっ」
はっと目を見開いて慌てて起き上がる女の後頭部に手を添えると、臨也はそのまま自分の膝へと押し付けた。訳が分からずぱちぱちと瞬きを繰り返しながら女は臨也を見上げる。
「い、臨也、さん?」
「俺もさ、今日は歩きまわって疲れてるんだ。もうひと眠り、付き合え」
疲れている割に膝枕をされているのは自分だが、と。女はあえて口を出さずに微笑んだ。
「お疲れ様です、臨也さん」
「ん、おやすみ、名前」
額に落とされる口付けと共に、名前は目を閉じた。

20110724 / とある信者の日常
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