その日は雨が、降っていた。
「三蔵さん」
トントン、と。名前は控えめに三蔵の部屋をノックした。静かな宿屋の廊下にそれが虚しく響く。中からの反応は無い。
「三蔵さん、入ります」
名前は意を決してドアノブを回した。鍵はかかっていない。ギィ、と小さな音は雨に掻き消され、中へ入ると静かにドアを閉めた。名前の手には、食事の乗った盆。
「三蔵さん」
暗い部屋で、かろうじて窓際に座る三蔵の姿が見える。名前を呼ぶが、窓の外を見たまま三蔵はピクリとも動かなかった。名前は内心小さな溜息をつき、ゆっくりと彼に歩み寄る。
「三蔵さん、ご飯食べないと体持たないから…食べてください」
男が果たして聞いているのかはわからないが、出来るだけ彼を刺激しないようにと柔らかい口調で声をかける。しかしやはり、三蔵は黙ったままだった。
小さなテーブルに盆を置き、更に三蔵との距離を詰めた。すると、
「!」
じゃきり、と。向けられた銃口に、名前は体を固くした。しかし三蔵の視線は窓の外に向けられたまま。
「さ、」
「出ていけ」
男が今日初めて発した言葉だった。名前はギリ、と奥歯を噛むとずいっと距離を詰めた。その瞬間、辺りに低い銃声がこだました。女には聞き慣れた音だった。男が放った弾が、名前の髪を掠めた。まさか本当に撃つとは思わず名前は目を見開いて三蔵を見つめる。そうしてやっと、三蔵の目がこちらを向いた。その瞳に光は無く、まるで敵を見るかのような目で名前を見据えていた。
「二度は言わん」
冷たく、部屋に声が響く。しかし名前は引き下がらなかった。
「、嫌」
ピクリと、三蔵の眉が上がる。次に口端が僅かに歪んだ。
「犯すぞ」
「三蔵さんはそんな事っ、しません」
三蔵の威圧感に思わず体が震えてしまうが、それを払うように女はぶんぶんと首を振った。男はクツクツと喉で笑う。何が面白いのかと、名前が口を開けた時だった。
「っ、!」
ダン、と。いきなり腕を引かれたかと思えば、名前は力任せに壁へ押し付けられて口付けられていた。壁に縫われた腕を何とか離そうともがくも、ピクリとも動かない。
「っや」
嫌だ、と口を開けた隙を狙って侵入してくる三蔵の舌に、名前は体を震わせた。乱暴な口付けに、名前の目尻に涙が滲む。息が続かなくなった頃、名前は思わず三蔵の唇に噛み付いた。そして咄嗟に離れるそれ。
「っ、はあ、ご、ごめ」
酸素を思い切り吸いながら、名前は噛んでしまった事を詫びる。しかし三蔵は、それに答える事なく。壁に縫いつけた腕を離し、顔を名前の肩に埋めた。同時に、腰を強く抱きしめた。
「、三、蔵さん」
名を呼んでみるも彼からの反応は無く、名前は不安になりながら三蔵の髪に恐る恐る手を伸ばし柔らかく撫でた。
「三蔵さ…」
「、黙ってろ」
少しだけ、このまま、と、掠れた小さな小さな声で三蔵が呟く。
「…」
まるで母に縋るように回された腕に、名前は目を細めた。

(かみさま、今だけは彼が)
(少年のように泣く事を許して)

20090625 / 大きな少年
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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