「おい」
「…」
「チッ、おい、聞こえてんだろうが」
「なんですか」
「茶」
彼に拾われ、なんだかんだ寺院でお世話になってかなりの時間が経つ。初めは女人禁制という理由からたくさんの反感を買っていたが、三蔵の強引さにお坊さん達も諦めてきていたようだった。拾ってくれた感謝はしてもしきれないし、何より三蔵さんに恋心を抱いている理由からか私は彼に反抗はもちろん、嫌な顔ひとつすらした事はなかった。
けれど最近の私は反抗期らしい。その理由はとても単純なものだ。初めて逢った日に名前を聞かれた以来そのまま、私は彼に名前を呼ばれた事がないから。先程のように、"おい"とか"テメェ"とかそんなのばっかり。だから名前を呼んでくれるまでは、反抗してやろうと拗ねていた。
「…」
ダン、と。煎れたお茶を、三蔵さんの目の前に少し力任せに置いた。やり過ぎたのか執務机に少量だが零れてしまった。瞬間、彼の眉がピクリと反応する。そのまま視線はこちらに向けられ、その鋭い眼光に私は怯むも目を逸らして平静を装った。
「なんのつもりだ」
「…」
「聞いてんのか」
「…」
三蔵さんの冷たい口調の恐さと、それに負けず意地を張るように私は口を閉じたまま佇む。すると間を置いて彼の溜息が耳に入ってきた。
「もういい、出ていけ」
彼の機嫌を損ねたのは紛れも無い私なのに、突き放すような言葉にちょっとだけ哀しくなってしまった。それでも私はその言葉に反抗するように、まだ黙ったままその場に立つ。空気で、彼の苛々が増していくのが分かった。
「聞こえなかったのか?出ていけ」
「…やです」
「消えろ」
「っ、や」
「捨てられてぇのか?」
「、ごめんなさい」
彼は、狡い。それを言われたら私は、従うしか方法は無いのだ。目に溜まる涙に気付かれないように前髪で隠し、私は背を向けて部屋を出た。バタン、とドアの閉まる音が人気の無い廊下に響く。私の部屋や居場所なんて他に無いから、行く場所もこれといって無くて。そのままドアに寄り掛かって座り込み膝の間に顔を埋めた。スカートが涙を吸い込んで、の染みができていく。せめてドア越しでも、彼の傍に居たかった。

「ん、」
目が覚めて一番に見えたのは、見覚えのある天井。私はベッドに体を沈めて、眠っていたらしい。確か廊下に居たはずなのに。今の自分の状況が理解できず、ふと視線を横にずらすと、
「!」
綺麗な顔が目の前にあって驚いた。椅子に座り、ベッドに顔を伏せている大好きな彼の顔は今はとても安らかで、いつものような眉間の皺は無く。こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてだった。恥ずかしさから体にかかっていた毛布を鼻まで持ち上げる。
「、…」
「あ」
それに気付いた彼が小さく身じろいだ。起こしてしまったかと様子を伺うと、閉じられた瞼がゆっくりと持ち上げられていく。たったそれだけの事に物凄い色気を感じてしまう。ドキドキと高鳴る胸を抑えようと必死になりながら、毛布から彼を見つめた。
「三蔵、さん?」
うっすらと開いた目から覗く紫闇と目が合い、小さく声をかけると。彼はガリガリと頭を掻いてベッドに肘をついた。私は口元で毛布を握りしめ、体ごと彼の方を向く。
「起きたのか」
「はい。…三蔵さんが、運んでくれたんですか?」
「あー」
低い声で呟いた彼の手は、ゆっくりと私の頬に伸ばされる。いきなりの事に驚いてビクリと体が揺れてしまった。三蔵さんはそれを気にする事なく、ぼんやりと親指で目元を撫でてくる。先程まで寝ていた上、低血圧のせいか。もしかして寝ぼけているのだろうか。
「三蔵、さ」
「名前」
私の言葉を遮り、呼ばれた自分の名前に驚き目を見開く。あまりにもいきなりの出来事にうるさい心臓が、更に高鳴りが増していった。
「泣くなよ」
「あ、」
目元の涙の跡に気付いたのだろうか。頬を親指で柔らかく撫でながら三蔵さんが言う。それに動揺している間もないまま、前髪を掻き上げられた。そして、
「、!」
額に柔らかく触れたのは、彼の薄い唇。
「さ、三蔵、さん」
軽いリップ音を残して離れると、今度は瞼から頬へとその唇が降りてくる。唇が触れる度に心臓が爆発しそうになりながら、一体どう反応したらいいか分からずされるがままになる私。最後に唇を掠め、口元に口付けられれば、今度こそ彼は離れた。
「眠ィ。寝る」
「え、あ」
言いながら三蔵さんが、もぞもぞと私の眠るベッドへ潜り込んでくる(といってももともとは彼のベッドなのだが)しっかりと彼がベッドへ収まれば、グイと頭を彼の胸へ押し付けられた。
「さ、さ、三っ、」
「うるせェ黙れ」
黙れと言われても。さっきからこの心臓に悪い彼の行動に平静で居られる訳がないのに。でも怒られるのは嫌なので、大人しく口を閉じる。ちらりと彼を見上げれば、本当に眠る気なのか既に瞼は閉じていて。ゴクリと息を飲んで、私は恐る恐る腕を彼の背中へと回してみた。怒られる気配が無かったので、そのまましっかりとしている胸板に抱き着く。
「今度はちゃんと目が覚めてる時に、…」
大好きな三蔵さんの匂いに安心して思わず笑みを浮かべながら、私も目を閉じ眠りについた。

(寝てなんかいねぇっつーんだ、馬鹿女)

20090621
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