一歩踏み出して急にやわらくなった地面に累は勢いよく転んでしまいました。驚くことに扉の外はお城の外に繋がっていて、急に地面がやわらくなったのは、固い床から土に変わったからでした。
累は酷い目にあったわと起き上がって水色のエプロンについた土を払います。後ろをちらりと見ると扉は無くなっていましたが、もう何度目にもなるので驚くことはありませんでした。
「いるんでしょ、チシャ猫」
「フフフ…ばれちゃっタ」
累が声をかけるとふわりと夏目が現れました。先ほど聞こえた声は夏目だったようです。
「助かったわ、ありがとう」
累は目の前の夏目の頭を撫でました。
すると夏目は少しだけ嬉しそうにして、その手に擦り寄ります。
「ねこみたいね」
「そうさ、ボクはチシャ猫だもノ」
ふわりと近寄った夏目は累に軽く抱きついてすり寄ってきました。尻尾もくるりと累の体に巻きつけて、全身で甘えてきます。
これが他の人なら無理やり引き剥がしたでしょうが、かわいいかわいい後輩の夏目がしていると思うと、嬉しくなってしまう累はそのまま頭を撫でてやりました。
しばらくして満足したのか夏目は離れて行きました。
「あんまり独り占めしてたら怒られちゃうからネ」
ひらりと累の腕から出た夏目はくるりと一回転して姿を消してしまいます。
「さあ、子猫ちゃん。道が続く限り歩みは止めてはいけないヨ。終わりがどうなるかは君次第ダ。気をつけてネ」
その声に背中を押されながら累は進みます。
終わりを目指して。
一歩一歩進んで行くと突然目の前がまばゆく輝きました。累は思わず目を瞑ってしまいます。
次に目を開けた時には真っ白な空間にいて、目の前にいたのは累と瓜二つの同じ格好をした人でした。
「こんにちは、偽物のアリス」
にこりと微笑む自分と同じ顔で同じ声。
こんなことをできるやつは一人しか知りません。
それにちょうど、彼にだけはあっていませんでした。
「あなた、渉でしょ?気持ち悪いからやめてくれない?それに偽物はそっちでしょ?」
「ご名答!」
そう返ってきた声は渉のものでした。しかし、顔も体も自分自身と全く同じ。気味が悪くて累は思い切り顔をしかめました。
そんな累に渉はおかしなことを聞いてきます。
「あなたはアリスですか?」
「そうよ、私がアリス」
「ほんとうに?」
そこで累ははっとします。
自分はアリスではない。では、一体誰?
累はこの世界にいるうちに、自分の名前を忘れてしまいました。アリスと呼ばれ続けることで、自分自身がアリスだと、そう思い込まされてしまっていました。
「おやおや大変あなたは誰なのでしょう?」
「私は、だれ」
気づくと累の姿をしていたはずの渉は本来の姿に戻っていて、水色と白色を基調としたベストとパンツに一つに結った髪には黒いリボンをつけていました。
「フフフ、あなたはアリスなのでしょう?」
「私は、アリス」
「そう、」
渉は笑顔を浮かべて手を差し出します。
「あなたは私。私もアリス。あなたもアリス。私の、アリス」
混乱している累は何も考えずに渉の手を取ろうとします。そんな累をみてにやりと渉が口端を上げた時でした。
「全く情けない」
その声とともに空いていた手を後ろに引かれて累の体は渉から離されました。
「三月ウサギ、眠りねずみ。その不躾なやつを捕まえておけ」
その声にどこから出てきたのか、みかと、それから普段の大きさに戻ったなずなが渉の両腕をとり拘束しました。
「おや、あなたは干渉してこないと思いましたのに。どんな気のかわりようですか?帽子屋」
「フンッ貴様には関係ないだろう」
ハッとした累が後ろを振りかえると、腕を引いていたのは宗でした。
「チシャ猫がわざわざ忠告していたのにも関わらず間抜けにもほどがあるのだが」
「…悪かったわね。まあでも助かったわ」
あの時、渉の手を取ったらどうなっていたのか。今となってはわからりません。だけれども、絶対に良くないことが起こっていたことは何となくわかりました。
「あいつは僕が仕置しておいてやろう。元々アリスを捕まえろと言われていたからな。男でも女でも構わないだろう」
「じゃあお願いするわ。みかもなずなも助かったわ」
累がお礼を言うと気にするなとばかりに笑顔を向ける二人。
「お前はアリス、だけどアリスではない」
その言葉に、累は全て思い出しました。
「そう、私はアリスじゃない。私は、広瀬累。五奇人のお姫さま。夢ノ咲学院のアイドル」
もう迷うことはありません。
累は前へと歩き始めました。
「さあ、アリス。パーティーをはじめるのだよ」
「ええ、帽子屋さんいいでしょう!Amazingなショウでいかれたパーティーに華を添えてさしあげます!…どうですあなたも」
いつのまにか拘束を解いた渉はまるで魔法のように急に累の目の前に現れました。そして再び累に手を差し出します。
しかし累は迷うことなく、
「お断りするわ」
そう言って、堂々とした笑みを浮かべました。
ゆっくりと目を開けた累は体を起こして周りを見ました。そこは奏汰に穴に落とされた大きな木の下でした。服装は夢ノ咲の制服に戻っていて、あったはずの大きな穴もありません。一体どこからが夢でどこまでが現実であったのでしょうか。
「…面白い夢だったわ」
累はひとりごちてほくそ笑みます。
これを自分一人の記憶にとどめておくのはもったいない。そう思った累は軽い足取りでその場を去っていきました。
「またおいで」
その声は誰にも聞こえず空気に溶けていきました。
20180721