累は開いた扉の先を見た瞬間に、何事もなかったかのように勢いよく閉めた。と、いうのとあの忌まわしき赤い瞳と目があったからだ。そこはknigtsがよく使うレッスン室で、"それ"がそこにいるとも思っていなかった累は、思わぬ刺客に脳が考えるより早く扉を閉めたのだ。

そこからすぐに逃げようと累が扉に背を向けようとしたとき、扉がまた開いた。累が開いたわけではなく、中から他の誰かが開いたのだ。

「ちょっと、なにやってるの?」
「いや、用事を思い出して」

扉を開いたのは泉で、あいつでなかったことに累は少し安心した。それでも油断はできない。それのことだ、すぐにでれっとした顔をして飛び出てくるに違いない。しかしいつまで経っても累が予想した事態にはならなかった。いつもだったらぎゅうぎゅうと抱きしめられて悲鳴をあげている頃なはず。
不思議に思った累は泉の向こうのレッスン室の中を覗いた。再び赤い瞳と目が合う。しかし今度はそれがそいつのものではないことに気づいた。

「用事?今すぐやらなきゃいけないわけ?」
「…大丈夫になったわ」

累は方向転換していた足を元に戻して、泉の横を通って中へ入る。泉は怪訝そうな顔をしていたが、特に追求することはせずに扉を閉めた。これが他の誰かならうるさく追求していたのかもしれないが、累に関してはやはり甘い泉である。

中に入ると部屋の中にいたのは地面に転がる黒髪の男、これがさっきの赤い瞳を持つあいつではない者だ。

「ねえ」

累が部屋に入ってくるなり彼−−−凛月はとても機嫌が悪そうな顔で声をかける。

「なに?」
「まさか間違えたとか言わないよね」

凛月の言葉は疑問形の癖に言い方は断定的であった。
なにと間違えたのか、"それ"の兄弟である凛月がわからないわけがなかった。そして凛月はそれが大嫌いだ。特に"それ"に間違われることは凛月の中で一番と言っていいほど嫌いだった。

「まさか間違えたとか言わないよね」

より断定的に繰り返されたその言葉に累は白旗をあげるしか無かった。

「悪かったわね」
「最悪なんだけど。まあそれくらいあれのことが嫌いってのはよくわかるよ〜。だから許してあげる。感謝してよね」

上から目線の発言に今度は累の機嫌が悪くなる。そもそも彼に対していい印象などなかった。初対面の時は指を舐められ意味不明な発言をされ、気づくとその場からいなくなっていると言う最低な印象しかないからだ。

こいつとは会い慣れないなと思いながら累はその横へ視線を移した。

「とりあえず離したら?」

累がそう言ったのは凛月の腕の中にいる赤い頭を見つけたからだ。凛月の胸に顔をしつけられるようにして抱き枕のようにされている人物がいた。彼は必死にジタバタしているが、凛月は全く気にした様子もなく累と話していた。流石に可哀想だと思った累は声をかけたわけだ。

「ああ、ごめんごめん。忘れてた〜」
「凛月先輩!忘れてたとはなんですか!」

ようやく凛月から解放された彼は憤慨しながら立ち上がる。頭を抱えられていたせいで、髪の毛があちこちへ跳ねていた。

「俺の安眠の邪魔をしようとする方が悪いんだよ〜」

凛月はくありとあくびをした。
寝てばかりいる凛月を起こそうと近づいたが最後、司は起こされて機嫌を損ねた凛月に捕まってしまったわけだ。

「広瀬先輩助けてくださりありがとうございました」
「…………ああ、別に」
「ねえ、め〜くん今ス〜ちゃんのこと忘れてたでしょ」

凛月にそう指摘された累はふいっと視線を逸らす。つまりは図星なわけだ。相変わらず人のことを覚えることが苦手……というより覚える気のない累は二度も対面したことのある彼−−−司のことを忘れていたのだ。今回は返答までのその数秒の間になんとか思い出していたが。

「ていうかめ〜くんてなによ」
「姫だからめ〜くん。いいじゃん、セッちゃんだって姫くんって呼んでるし。あと話逸らさないでよね」

話を逸らしているのがバレた累は内心舌打ちする。

「忘れていらっしゃったのですか…!」
「いや、覚えてたから」
「思い出したんでしょ〜」
「あんた兄貴と一緒でめんどくさいわねえ」
「やめろ」

凛月は兄と比べられたことに露骨に怒りを乗せて声を上げる。司がびくりと肩を震わせるくらいには底から這い上がるように低い声だった。

「ちょっと、あんたら朔間が嫌いなところは同じなのになんでそんなに仲悪いわけえ?かさくん怖がらすんじゃないよ」

呆れたように泉が仲裁に入る。
確かに凛月と累は同じ穴の狢であるが、最初の印象が最悪なせいで累の凛月に対する好感度が最悪なのだ。もっと別な形で出会っていればもしかしたら仲が良かった未来もあったのかもしれない。

「なるくんは日直で遅れるっていうから先に楽譜もらってきたから始めるよお」

泉は手にしていた紙束を周りに見せる。それにようやく静かになった累たちに楽譜を配った。

見せた瞬間に累と凛月、それから司もその楽譜から目が離せなくなった。その楽譜はまるで累をイメージしたような可愛い、だけどどこかミステリアスな音が詰まっていた。そして音が生きていると思うかのようで、自然に体がそれに合わせて動きそうだった。

「セッちゃんこれどっから持ってきたの?」
「…くまくんは気付いた?」
「こんな曲は王様にしか書けないでしょ」
「あんたらが王様って言うってことは月永が書いたの?」
「ずっと前にね。俺たちには合わない曲だけどあんたには合うし。たぶんあんたのための曲だよ、それ」

確かに累は去年王様…knightsのリーダーであるレオには会っていた。ほんの少し会っただけであるが、とても印象に残っている。おそらくその時に書いた曲なのだろうと累は思った。

「Marvelous…!まだLeaderにはお会いしたことがありませんがやはり素晴らしい方なのでしょう!早くお会いしたいものです…!」

興奮気味に司は楽譜を握る。
その隣で累はレオのことを思い出していた。司がいうほど素晴らしい人間ではなかったと記憶する。なんせ出会い頭に胸を触るという失礼極まりないことをされたのだ。つい、司のことを引いたような顔で見てしまったのも仕方がないことなのである。

「ま、なんでもいいわ。やるからには完璧を目指すわよ」
「広瀬先輩のことはあまり理解できませんが、その技術は是非ご教授いただきたいと思っておりました。よろしくお願いいたします」

司は騎士のように胸に手を当て累を見据える。累はそれに苦虫を踏み潰したような顔をした。

「これは褒められているの?」
「ス〜ちゃんは素直だからねえ」

くすりくすりと凛月は笑う。
確かに自分のことを理解できる人などごく少数しかいないだろうし、累も理解していた。しかしそれをどストレートに、悪意なく本人に告げられたのは初めてだった。

「私のレッスンは厳しいわよ」
「望むところです!」

そんな自分に好意的な司に、なんとなく調子を崩される累であった。


20191105
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