「累ちゃ〜ん!」
名前を呼ばれて累はちらりと視線を向けて。そして見なかったふりをした。と、いうのも呼んだ主が呼んだ主だったからだ。この学院で累のことをちゃんで呼ぶやつなんて限られている。それはあの憎き皇帝と宗のお人形のマドモアゼル、累が把握する中ではそれからあと一人くらいだった。その一人というのが累を見ながらニコニコとして手を振っている鳴上嵐、その人だ。
彼と話したことがあるかと言われれば否と答える。直接の関わりもない。それに彼の馴れ馴れしい態度を累が好ましいと思うわけもなく、累はまるでそこには何もいなかったと言うように食堂の空いている席を探した。
が、タイミング悪く残念ながら空いている席は見当たらない。しかし累の手には既に購入してしまったコーヒーのティーカップが鎮座している。
「こっち空いてるわよォ」
嵐がもう一度累に声をかける。そこで累はもう一度、今度はしっかりと嵐の方に目を向けた。嵐の隣にはあんずが座っていて、そのあんずの目は彼女の目の前の机にあるパフェに向かっていた。どうやらプロデューサーとしての意識が高い彼女は嵐が食べ始めるまでそれを食べようとしないようだ。ただ、瞳は早く食べたいと言わんばかりにパフェを捉えており、それを見た累は仕方なく…ほんとうに仕方なく嵐たちが座る席へと足を向けた。
「はあ…」
「もうため息なんてひどいわァ。累ちゃんとは話してみたかったのよォ。話しかけてもいつも無視しちゃうじゃない?こうでもしないと累ちゃんとおしゃべりできないと思って!」
席に着いた累に嵐は嬉しそうに告げた。
実は直接の関わりが一度もないと言ったのは嘘だ。嵐は以前から累を見かける度に声をかけていた。しかし累は全くと言っていいほど相手をせず、会話という会話は今が初めてである。
「それに泉ちゃんがいつもお世話になってるしね!」
パチンとウインクをする嵐。累は少しだけ悩んで、瀬名、knigts、ああそういえば同じユニットだったかとなんとか方程式から解答を導き出した。
そもそも嵐のことはみかの友達で、そのような人物がいるという認識程度はあったのだ。だからわずかな情報だけだが嵐のことを記憶していた。
「そういえば鳴上もknigtsだものね」
「鳴上なんて可愛くないわ、嵐ちゃんって呼んで!」
「なにあんためんどくさいわね」
「累ちゃん、ブーメランって知ってる?」
嵐の言うことは最もだ。累だって自分のことをお姫様と呼ぶなだの、女の子扱いするなだの、端的にいえばめんどくさいやつである。まあ最近は以前瀬名にいろいろ言われてからものすごく気にすることも少なくなった気がするが。
「そもそも後輩の癖に馴れ馴れしいんじゃない?」
「いいじゃない!学院に数少ない女の子なんだから仲良くしましょう!ね、あんずちゃん!」
嵐に声をかけられたあんずはコクリコクリと頷く。が、果たして話を聞いていたのかはわからない。なぜなら目が目の前のパフェしか捉えていないからだ。累が来たことでようやくありつけた目の前のパフェに夢中である。
幸せそうなあんずと打って変わって累の機嫌は急降下していた。女扱いが好きではない累は嵐の発言に嫌悪感を感じた。
しかし嵐はそんなもの気にしないようだ。
「私たちはもうお友達よォ」
そうのたまってあんずと同じように幸せそうな顔でパフェを食べている。
あの泉のことを泉ちゃんなんて軽々しく呼んでいるあたりで図太い性格なのだろうとは思っていたが、累の予想以上である。
「偶然ここにいてよかったわあ。実はあんずちゃんと次のライブの計画を立ててたんだけど煮詰まっちゃって」
「瀬名じゃなく?」
本来ならknigtsの仮のリーダーは瀬名が務めているはずだ。だからライブの話も瀬名にしているはずだと思った累はそう返したのだ。
「実はDDDの一件で今は私が代わりのリーダーなのよォ。ほら、knigtsって野蛮なイメージついちゃったじゃない?その名誉挽回も込めて無償でライブ…つまりボランティアとしてライブさせてもらえるものを見つけたからそれをあんずちゃんに相談してた訳」
周りに興味がなかった累はDDDで泉がしたことやそれが原因でリーダーを交代していることを知らなかった。一体何をやらかしたのだろうかと気なりはしたものの、まあいいかとさして興味がないように持ってきていたコーヒーを口に含んだ。
累がカップをテーブルの置いたところで彼の制服がくいくいと引かれる感覚があった。その方向にいるのはあんずで、パフェを堪能し終えすでにプロデューサーモードになった彼女は、おそらくそのライブの資料を累に見せていた。
「もう、せっかく休憩にきたのに意味ないじゃない」
嵐はあんずに対して愚痴をこぼすか、そんなこと関係ないとばかりにあんずは強い瞳で累のことを見ている。
「へえ、随分イメージに合わない仕事ね」
「モデル時代の知人がくれたお仕事なんだけど、騎士をイメージしてるknigtsには可愛すぎるのよねェ。私は大歓迎なんけど。でも野蛮なイメージは払拭できるでしょ?」
資料にはとあるお店の開店イベントでライブをしてほしいという依頼で、お店のイメージ写真にはピンクを基調としたメルヘンな店内が写っている。女の子が憧れるかわいいを詰め込んだお店。お姫様を守る騎士であるknigtsと考えればありえなくない依頼ではあるか、どう考えてももっと適当なユニットがいるのは明らかであった。
それはそう、Rabbitsや2winkや…そして累のPinky Ribbonような可愛いユニットにぴったりなのである。
あんずは累を見て閃いたのだ。累に協力してもらえれば、お姫様と騎士という構図で上手いことお店のイメージに合わせられるのではないかと。
そのあんずの意図に累もすぐに気づいた。と、いうより熱烈な視線で見つめられれば誰でも気づくものであろう。現に鳴上もすぐに気づいたようだった。
「累ちゃん!」
「………まあ、考えてあげなくもないけど」
累の返答に鳴上は驚いたように数度瞬きした。
なぜなら累は即答で断ると思っていたからだ。ボランティアに近いこのknigtsの仕事を手伝う義理が、累にはない。だから断っても当然のことだし、累の性格上断る以外の選択肢が返ってくることが考えられなかった。
それを考えたのはあんずも同じで、自分から提案しておきながら嵐と同じように目を瞬いてみせた。そしてそれから花が咲くように一気に笑顔になる。
「明日は雨かしらァ?」
「別に瀬名には不本意だけど世話になってるし」
瀬名は累に対して無駄に過保護だ。その理由は累にはわからない。が、とにかく瀬名は累に優しく、累は確かに彼に助けられたことが何度かあるのだ。貸しを作りっぱなしなのは累のプライド的に許さない。だから手伝おうと思ったのだ。
「ふふ、きっと泉ちゃんも喜ぶわァ」
「そう。それはよかったわ」
累はそう言うと、また一口ティーカップのコーヒーを飲み干した。
それが照れ隠しであると分かっている嵐はくすりと笑ってユニットのメンバーに連絡するために携帯を手に取った。
20191021