累は学院を駆けていた。こうして走っていると昔零に追われていた頃を思い出す。まあ今でも出会うとしつこいほど絡んでくるが。たった一年も前のことなのにもうずっと昔のことのようにかんじる。
しかし今はそんな遠き思い出に浸っている場合ではない。なんせ後ろには追っ手が来ているのだ。

「もう、なんで逃げるんですかねえ。前はやってくれたじゃないですか」
「その時にもう二度と零と同じ舞台に立たないって決めたのよ!!!!」

累は一瞬だけ振り返って笑顔で彼を追う渉に吐き捨てた。その渉の手にはドレスが握られている。

放課後に演劇部の部室に呼び出された累は差し出された台本とキャストを見てすぐにそれを渉へと返した。なぜならキャストの一覧に零の名前があったからで、しかも累の相手役だったからだ。
零とは一度、渉の脚本で同じ舞台に立ったことがある。その時に散々な目にあった累はもう二度と零と同じ舞台に出ないと決心したのだ。
嫌とはっきりと言った累に部室内に居た零はおいおいと泣いて見せたが累は一目やっただけで無視を決め込んだ。相変わらず零に冷たい。
しかし渉は引き下がらなかった。面白いことを思いついたとばかりに準備して居たドレスを持って累に迫って来たのだ。友也が変態仮面というのも頷ける、と思いながら累はその魔の手から逃れるべく演劇部の部室から飛び出した。そして冒頭に戻るのである。


バンッと音がして何事かと友也が音の出た方を見ると、ぜいぜいと息を乱した累がそこに居た。教室の戸が跳ね返って再び閉まろうとしているところを見ると、先ほどの大きな音は扉が勢いよく開いて壁に当たった音のようだ。

「ちょっと友也!あいつどうにかしてくれない!」
「へ、ええ!?いやちょっと待ってください!近い!近いですって!」

累は教室に入るなり迫真の勢いで友也に迫って来た。一体何事かと椅子に座ってた友也は迫る累に大きく背を仰け反らせる。

「ちょっ、いきなりどうしたんスか!一回離れるっス!」

机を挟んで反対側に座っていた鉄虎が二人の間に手を割り込ませたことにより、ようやく友也と累の間に距離があいた。

それからハッとした累は自分が来た方を見る。しかしそこには、開きっぱなしになった扉があるだけで、誰もいない。
累は急ぎ足で扉まで近づくと少しだけ顔を出して廊下を確認した。そして誰もいないことを確認して、安心したように一息吐きながら、ぴしりと扉を閉めた。

「ごめんなさい、取り乱したわ」

ようやく落ち着いた累が二人の元へ戻ってくる。
累をよく見ると、いつもは整えられている髪があちらこちらへと跳ねていて、どれだけ必死に走ってきたのかがうかがえた。

「俺の所に来るってことはまたあの変態仮面ですか?俺に言われてもどうしようもないですしこれ以上押し付けないでくださいよ」

とても嫌そうな顔をする友也。ひどい言われようであるが、それだけ渉に振り回されているということである。

「ああ、友也くんの部活の部長さんのことっスか?」
「そう、私は絶対やらないっていうのにあいつ楽しそうに追いかけてくるし…!」
「えっ、累先輩が嫌がる役ってなんですか?部長は先輩にはあんまり酷い役当てないじゃないですか」

累の言葉からどうして累が逃げていたのか察した友也は驚く。
そして累は友也の言葉に口を紡いだ。

確かに友也の言う通り酷い役ではないのだ。
しかし、嫌な理由が理由である。後輩たちのいる手前あまりみっともないことは言いたくないので、思わず無言になってしまった。

「確かに何の役もこなしてるイメージっすけどそんな酷い役なんすか?」
「………相手役が、零なのよ」

観念したようにボソリと呟いた言葉。二人はしっかりそれを聞き取ったようで、ああ、と納得したような顔をした。

「それは…なんというか…」
「いや、わかってるのよ、わがままだって。それでも嫌なものは嫌なのよ」
「広瀬先輩は本当に朔間先輩のことが嫌いっスよね」

一年生の間でも累が零のことを毛嫌いしていることは有名だった。と、いうのもそこらかしこで二人の攻防は目にするからだ。昔ほどしつこく追いかけ回されることはないが、だからと言って泣きながらベタベタとまとわりついてくるのにはうんざりしていた。

「まあ、あんだけしつこかったら嫌いになるのも訳ないっスけど」

鉄虎が同情しながら遠くを見るような目でそう言う。

「ああ、南雲は流星隊に所属しているんだっけ。守沢がいるものね。私もあいつは嫌い」
「そんな気がします。でも言い切れるところが流石ですね…」
「広瀬先輩らしいっス」
「いや、今はあいつのことはどうでもいいの。どっかいい逃げ場所ない?友也なら逃げ慣れてると思って」
「累先輩、ときには諦めも肝心ですよ」

ぽんっと累の肩に手を置いて同情するような目を向ける友也。累はその手を埃を払うように払いのけて、それから、

「諦めるなんて性に合わないわ」

と、ツンと不満げな顔をした。

「まあ、俺も毎回逃げ切れないくせに逃げてますから逃げたくなるのもわかります」
「あんたはもう少し根性あってもいいと思うけどね」
「ひどいっ!」
「あ、こういうのはどうっスか?灯台もと暗し、演劇部の部室に戻ってみる!」

いい考えを思いついた、とばかりに鉄虎が自分の握りこぶしを反対の手のひらに打ち付けて笑顔を浮かべる。

「うん、悪くないかもしれない。ありがとう、南雲」

累もその考えに納得したようで、それならばと、早速移動するようだ。鉄虎の頭をわしゃりとひと撫ですると、足早に教室を出て行った。



その姿を見送りながら、鉄虎が撫でられて乱れた髪を直していると、向かいの椅子からがたりと勢いよく立ち上がった友也が、

「あっ!!!」

と、叫んだ。
そのあとにまた言葉を続けようとしていたようだったが、急に友也の口元が覆われ、むごっと言葉にならない声になっていた。累が出て行って、この場には自分と友也しか残らないはず。しかし自分の手は自由に動かせた。と、いうことは今塞いでいるその手は誰のものだ。
鉄虎がそう思って視線をあげると、その腕はにゅーんと長く、とても長く、そして天井から伸びていた。

「おやおや、いいことを聞いてしまいましたねえ」

そしてその天井の、ぽっかり空いた穴からのぞいていたのは、今まで話題に上がっていた渉であった。
腕が伸びているなんて摩訶不思議、しかし友也から聞く限り、演劇部の部長である彼は、なんでもやってのけてしまうから、このようなこともできるのだろうと鉄虎はなんとか自分を納得させた。そうでもしないと驚きすぎて卒倒していたところだ。
本当に突拍子もつかないことをするのだなと思いつつ、目の前の友也がもがもがと苦しそうにしているのに気づき、驚きからハッと我に帰った鉄虎は、

「ちょ、とりあえず一回離して欲しいっス!」

と、渉へと声をかけた。

「ああそうですね。失礼しました」

するりと天井から降りてきた渉はようやく友也の口から手を離した。

「ぷっはぁ〜!!!お前!ふざけるなよ!」
「おやあ〜、友也くんお口が悪いですよ?」
「誰のせいだと思って!」

肩で息をしながら友也が怒りをあらわにする。それを渉は面白そうに見ていた。

「あ!累先輩は?!」
「もう行っちゃったっス。ていうかこの人から逃げてたんスよね?」
「そうなんですよ〜!こんなに素敵な役なのに!零が可哀想だと思いません?」
「いや、どう考えても累先輩が嫌がるのわかってただろ!っていうか、もしかしてさっきの話、聞いてたのか!?」

友也がさっと顔を青ざめさせながら渉の方を見る。渉は何も言わずにニコニコとした表情を浮かべていた。否定がない、ということはつまりだ。

「やばい、早く累先輩に知らせないと!」
「もうっ、私の味方はしてくれないんですねっ」
「するわけないだろう!あっそうか俺たちがここでこいつをやっつければ…」
「ちょ、やっつけるってなんスか!」
「鉄虎はヒーローなんだろ!こんなやつやってけしまえ!」
「ええ!ちょっと押し付けるのはやめて欲しいっス!って、あれ!?いなくないっスか!?」
「嘘だろ!?逃げられた!?」

友也と鉄虎が騒いでいるうちに、まるで消えたようにいなくなっていた渉。出てきた天井から消えたのか、はたまた窓から飛び降りたのか、それとも普通に教室の扉から出て行ったのか。二人は全く気づかなかった。
渉が消えたことに気づいた二人は顔を見合わせた。

「「先輩が危ない!」」




演劇部の部室の扉が静かに開く。
そこから顔をのぞかせた累は、ぐるりと部室内を見回し、誰もいないことを確認して素早く中に入ると、また静かに扉を閉めた。累累が部室を出た時には渉の他に零もいたはずだったが、もう一度部屋の中を確認するが見当たらず、すでに出て行った後のようだった。

やっと一息つける、と部室のソファーへと腰を下ろす。
まあ、嫌だと言いつつやっても構わないのだ。零のことは嫌いではあるのには違いないが、嫌いの反対は無関心ということがあるように零のことは大事な友人だと思っている。ただ、できれば避けたいと思うし、やっぱりどうあがいても零のことを好きになるということはできない。これは一生変わらないだろう。
逃げたのはいつもの癖に近い。渉はよくわからないことを押し付けてくるため、身体が逃げることを選んだ。おそらく、友也に同意を求めたら首を縦に大きく振られることだろう。

さて、これからどうしようか。
このまま見つからなように帰宅できれば一番いい。1日も立てば渉も諦めるだろう。
見つかったとしても、逃げずに話せば渉も無理強いはしないはず。

もう少し様子を見てから動こうと、肩から力を抜いた時だった。
急に視界がぐるりと回って、気付いた時には天井と…それから渉の顔が目の前にあった。

「渉、いつのまに、」

累はいつ部屋に入ってきたのか全くわからないかった。扉が開いた様子はなかったので、正規の方法で部屋に入ってきたわけではないのだろう。

「フフフ、いつでも側におりますよ」

彼は楽しそうに笑いながら累の制服の襟に手をかけた。
累はぞわりと鳥肌を立てた。何が楽しくて男に身ぐるみを剥がされなければいけないのだ。
しかしいち早くこの場を脱しようとしたものの、上から覆い被さられているせいか、重力も相まって力で押し負けてしまう。

「さあ、捕まえましたよお姫様。ああ、なんと哀れなお姫様!悪の手先によってその身体を暴かれてしまうのでしょう!」
「えっ、ちょっと渉、やめて、」

端的にいうと暴走している。そんなような渉は累が嫌がっているのにも関わらず、そのままの体制で制服を脱がせていく。

「大丈夫ですよ、なんの心配もいりません!そのまま身を委ねれば良いのです…!」
「良くないわよ!まって、や、わたる…!」

累が渉の腕を掴んで静止を求めても止まらない。悲鳴にも近い声をあげた累だったが、それでも渉は止まることがなかった。
再度逃げようと渉の胸を押したが、それを不服に思った渉が累の腕を捉えてしまう。

そんなときだった。
演劇部の部室の扉が勢いよく開く。息を乱しながらバタバタと大きな足音を立てて入ってきたのは友也と鉄虎で、彼らは渉によってソファーに押し倒された累を見て目を見開く。

「お前、何やってんだよ!!!」
「さすがにこれは止めるっスよ!!!」

友也と鉄虎は渉の片腕ずつを持つと、累から思いっきり引き剥がして、そのまま引きずるようにして累から距離をとった。

「うーん、惜しかったですね!」
「なんなんだあんたは…!すみません、部室に戻るのは得策じゃないって言いたかったんですけど、あいつに邪魔されて、」
「友也くん知ってたんスか?」
「一度あっさり見つかったことがあってさ」

渉がいなくなったことで、ようやく累は解放された。ひとまず体を起こした累だったが、一言も喋らない。俯いていて表情はわからないが、一目でわかるくらい、不機嫌、だった。
それに気づいた友也が、

「累先輩…?」

と、恐る恐る声をかける。
すると、彼は、

「いいわ、二人は謝らなくて。何も悪くないもの」

底冷えするような声でそう言った累はゆっくりと立ち上がり、顔をあげた。
そこに映し出されていた表情は、嫌悪、その一言がしっくりとくる。いつにも増した冷たい目線で射抜いていたのは、友也と鉄虎の間にいる渉だった。

「だいっっっっっきらいよ!!あんたなんか!!」

累は吠えるようにそう言うと、プイッと顔を背けて、出口の方へ向かい、大きな音を立てながら、部屋から出て行った。

怒っている累を見ることはあったが、あそこまで怒っている累を見るのは初めてな友也と鉄虎は驚きで固まったまま動けなかった。

「すっごい迫力だったっス」
「美人を怒らせると怖いって言うけど、ほんとだな。っていうか、」

動けなくなっていたのは友也たちだけではなかった。

「お〜い部長〜?」

言われた張本人、渉は驚いた表情のまま固まっていた。友也が声をかけたが全く動かない。
普段、渉も累を怒らせることがある。でも、それはじゃれ合いにも近いもので、累も怒ってはいるもののある程度妥協はしている。
しかし、先ほどのようなはっきりとした拒絶の言葉を言われることは、今まで一度もなかった。それだけ、累は嫌だったのだろう。

「こういうの、親しき仲にも礼儀ありって言うんだろうな」
「これどうするんスか?」
「ほっとけばいい。そんなことより累先輩の方が心配だ」
「確かにそうっスね!」

そう言って二人は累の後を追いかけた。
こうしてしばらくの間、演劇部の部室には静けさが訪れたのであった。



20190225
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