それは楽しい夢だった。
他愛もない日々を送ってる夢。
たまに腹がたつこともあったが、不思議と嫌ではなかった。それが当たり前で、幸せだった。
彼は夢を見ていた。
他愛もない日々を送っている夢。それは夢で現実ではない。なぜなら、彼は知らないから。
隣にいるのが誰なのかを。
こんなにも愛おしくて、腹がたつのに。
『good night』
その声と赤色で、彼は、累は起きる。
「っていう夢を見るんだけど、なんだと思う?」
累の言葉に薫は口に運ぼうとしていたフォークを止めた。巻き付いていたパスタが、ゆるんでだらりと垂れ下がる。
「………相手の顔は見たの?」
たっぷり間を開けて薫は答えた。
それに累は少しだけ怪訝な顔をしたが、気にしないことにしたのか、そうよ、と肯定の返事を返して、お弁当の卵焼きを口に運んだ。
「で、覚えてないの?」
「だからそう言ってるじゃない」
しつこいのが嫌いな累は少しだけ声を荒らげる。
薫はそれにふうんと返事をして、パスタをようやく口に運んだ。
累はカフェテラスで昼食を共にしていた薫に最近見る夢のことを話していた。その夢はなんの変哲も無い日常なのだけれど、起きると相手の顔も声も性格も覚えていない。いつも誰かが隣にいて、笑ったり怒ったりするなんの変哲もない夢。最後には赤色。その赤色が何を意味するのかもわからなった。
「なんども見るってなるとどうしても気になるのよねえ」
「まあ気にしなくてもいいんじゃない?気にしたってどうなるもんじゃないしさ」
薫はクルクルとフォークでパスタを巻いて口に含んだ。興味はないらしい。
そんな薫の反応にこの話を続ける理由もないと判断した累はこれ以上話を続けることはなかった。累自身も大して気にしていなかったし、どうでもいいと思っていた。
累は置いていた豆乳のパックを手に取り、ストローをくわえた。
しかしもう一つ気になることがあったのを思い出して、すぐにそれを離した。
「この前なんだけどね」
「うん」
「二階から一年生の子が飛び降りてきてびっくりしたわ」
「二階ってどこからさ、まさか窓から飛び降りたの?自殺願望でもあるわけ?」
「違うわ。普通に壁をつたって降りてきたの。帰りも同じようにして戻っていったわ」
「壁…!?そんなことありえるの?忍者じゃないんだからさあ」
「いや、それがありえるみたいなのよ」
「ふうん」
薫は驚きはしたもののそれ以上興味はないようだ。まあ知らない男の話なんて薫にとってどうでもいいのだろう。クルクルと残りのパスタをまとめて口に放り込んだ。
「そういえばその子に悲しそうな師匠の色が見えるって言われたけどなんだったのかしらね」
薫は咀嚼していたパスタをゆっくり飲み込んだ。
「さあ?そんなことより次の授業俺抜けるから〜」
「はあ?またなの?」
「別にいいでしょ?真面目な俺の方が気持ち悪いし」
「まあ確かにそうね」
「そんなに肯定されると傷つくんだけど」
少しだけムッとしながら薫はお皿の乗っていたトレーを手に取り立ち上がる。
「ま、いいや。じゃあ俺行くね」
「はいはい、どうぞ」
そう言って累はお弁当を食べる作業に戻る。卵焼きがまた一つ累の口に運ばれた。
20180727