累は歩いていた足を止めて、元来た道を戻ることにした。理由はとても簡単である。向かいから天敵が歩いてきていたからだ。累の零嫌いは筋金入りである。
回れ右を決めた累は足早にその場を去ろうとした。
しかし数歩進んで足を止める。それからせっかく引き返した道を返っていく。向かうは真っ直ぐに零の元。
「ちょっと、」
「あ〜?なんだよ累か」
零は前方にいた累に気づいていなかったらしい。声をかけられてやっと、というような感じだった。
やっぱりおかしい、累はそう思った。
「…ねえあんた、顔色悪いわよ」
累のその言葉に普段ならからかってきようものだが、今日はあ〜と気の抜けた声が返ってきただけだった。
「俺様はあんまり暑いのが得意じゃね〜んだよ」
そういう零の顔は、普通なら太陽に当たって火照っていそうだが、そうではなくてむしろ蒼白く、干からびるというのが妥当な表現な気がする。
「そんなんでのたれ死んでも私は知らないわよ」
「ほんとにのたれ死ぬかもしれねえ」
いつにもまして弱気な零に戸惑いを隠せない累。本来なら忠告をしてその場を去ろうと思っていたのだがこのままだと本当に倒れるのではないかと去ることができなくなっていた。
「あ〜悪い、ほんとに無理だ」
そう溢した零はふらりと前方に倒れる。
累が現れたことによってギリギリで耐えていた体力も精神力も果ててしまったようだ。
慌てて抱き止めるが、意識が半ば遠退いているのか零の体は通常時に抱き止めたときより重みを増しており、気を抜いたら倒れそうだ。
「ちょっと嘘でしょ…。ああもう!保健室まで意識飛ばすんじゃないわよ!」
累は半ば引きずるようにして零を保健室へと運んだ。
零が起きると保健室のベッドにいて、その横で累が椅子に座って携帯をいじっていた。
「やっと起きたの?」
ゆっくりと体を起こした零に気がついた累は携帯から視線を離す。
「ずっと側にいたのかよ」
「自分の手を見てみなさい」
累の言葉に自分の手を見ると累の服を握っていた。
どうりで累が保健室にとどまったわけだ。零嫌いの累が起きるまでそばにいる訳がない。
「ほんと、お姫さまに守られるとはざまあないわね」
「仕方ねえだろ、太陽の光が苦手なんだよ」
「日傘でも指して歩いてなさいよ。いや、やめて似合わなくて笑うわ」
累は想像して思わず笑う。確かに荒々しい性格の零が日傘を持つとなると似合わない。それを自覚しているから零も日傘を使っていなかった。
クスクス笑う累に零は見た目だけはお姫さまなんだがなあと思う。
もちろん、零の耳にも噂は届いていたのだ。
「最近調子いいらしいじゃねえか」
「ふふ、あんたも一回ライブ見に来なさいよ。最近しばらく来てないでしょ」
嬉しそうに累は笑う。累は最近ライブが楽しくて仕方なかったのだ。自分のライブで笑顔になってくれる人が増えたことが嬉しくて、つい天敵の零すら自分のライブに誘ってしまう。
そもそも、零は元々累のライブによく来ていた。零にとって累がよほどお気に入りであることがわかる。この間のライブ後に零の姿を探してしまったのはそのせいだ。
ただ、最近はライブだけでなく学院からもめっきり姿を見なかった。
「俺もなにかといそがし〜んだよ」
「前は嫌ってほど来たくせに。でもねえ…」
累は表情を曇らせて言う。
「今の点数制のライブ、嫌なのよねえ。もちろんやるからには負けはない。けれど私は競うためにアイドルをやっているわけじゃないもの。すごく、嫌」
確かに累はあまり点数制のライブには参加していなかった。累のアイドルとしてのあり方に、点数制のライブは合わなかった。むしろ嫌悪感さえ感じる。
零も点数制のライブには違和感を感じていた。夢ノ咲学院に何か起きている。それに気づいているのはほんの一握りだろう。それがこの先にどう影響を及ぼすのかはまだわからない。ただ、ほの暗い何かが渦巻いている。今の夢ノ咲も廃れているが、それとは違うなにかが。
目の前で憂いの表情を見せる累はか弱いお姫さまにしか見えない。
累には、そんな表情は似合わない。
零の手が累の頬に触れる。
驚いた顔の累がこちらを見た。
そのとき。
バンッと勢いよく開く保健室の扉に二人の視線はそちらに向く。
「お、お邪魔しましたッ!!!!」
息を切らしながら扉を開いた金色の瞳は
二人をとらえると、勢いよく扉を閉めた。
「じゃねえ!おい、お前!朔間先輩から離れろッ!!!」
しかし次の瞬間再度扉は開き、荒々しく叫びながら一匹の犬ーーー大神が迷いこんだ。
零を大尊敬している大神は零が倒れたときいて急いで保健室へと来たのだ。しかし扉を開けると零と女の子がいい雰囲気でいたために邪魔をしたと思って扉を閉じた。
だがすぐに彼は零のお気に入りのお姫さまを思い出して自分の見たものがそれではないことに気づいたのだった。
「グルルルッ!お前朔間先輩になんもしてねえよな!」
「するわけないじゃない。ていうかいつもされてるほうなんだけど」
まるで獰猛な番犬のように累を威嚇する大神に累はいらつきながら冷たく返す。
「あんた飼い犬くらいちゃんと躾といてくれない?噛みつかれちゃたまらないわ」
「俺は犬じゃねえ!」
「こうが、うるせえ、頭に響く」
「あっすみません…ッス…」
零の言葉に大神はしゅんとした。よく飼いなされている。
「はあ…無駄に時間を使ったわ」
これ以上ここにいる義理はないと思った累は保健室から去ることにした。
「せっかくつれてきてやったんだからちゃんと安静にしなさいよね」
「わ〜ってるよ。まあ、助かった」
「気持ち悪いからお礼なんて言わないでよね」
累は思いきり顔をしかめながら保健室を出ていった。
零は累が去った扉を静かに見つめていた。
20161125