ひらひらと、実家の庭に舞い落ちる桜の花弁が、うっすらと薄桃の絨毯をつくる。
見慣れた景色のはずだったが、何故だか、今日は今までのどんな日よりも眩しく美しく見えた。
そよぐ風はあたたかく、毎年どこか心待ちにしていた春の香りが鼻腔をくすぐる。
舞い散る桜の花弁も、頬を撫ぜる柔らかな風も、仄かに甘いこの香りも。
何故だが、胸を締め付けるほど美しいと思えた。


ーなんや、今日の俺は感傷的やなあ


自分でも柄じゃない、と思いながら、同時に嫌じゃないとも思った。





***


社会人になり働き始め、高校生だった頃よりもより深く事件に介入していくことが多くなった。
時に突きつけられる残酷な真実も、たとえそれがどんなに辛い結果だったとしても、絶対に曲げたりしなかった。
暴かない方がきっと幸せだったんだろうと思うこともたくさんあった。
それでも俺は、自分の信念を曲げることなく今までやって来られた。

一度だけ、自分の信念が揺らぐ事件があった。
真実を見つけたとき、この事実を明るみにするべきか悩んだときが。
誰にも、東京で俺と同じように事件に奔走するあの男にすら言えず、ただ一人、深い溝に落ちていくように思考を巡らせていたとき。
俺の頭上から降ってきたのは、嫌というほど聞いてきた声だった。


『無駄なことはやめた方がええで、平次』


すっ、と切れ味のいい刃物で切られたかのうような声だった。
見上げた先に映る幼馴染は、年頃の女のくせに、腕を組んで仁王立ちだった。
その姿と、発せられた言葉の意味がわからず眉根に皺を刻んだ俺に、ひとつため息をついて呆れたように言ったのだ。


『何を悩んでんのかよう知らんけど、アンタはな、もう答えを知ってるからそやって悩むねんで』
『いいや悪いやない。アンタはそんな柔やない。ちゃんと、自分がどうしたいんか、どうしたらええんかわかっとるやないの』



『私の知っとると服部平次はな、誰にも負けへん強い男なんよ』


あっけらかんと言ってのけたその顔が、最後だけ微かに笑ったように見えた。
あの瞬間のあいつの顔を、俺はこの先一生忘れることはないだろうと悟った。



幼馴染の言い分は悔しいかな、まったくもってその通りで。
俺は自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、とうにわかっていた。
真実をつきつけたときの、被害者たちのあの打ちのめされたような顔を見たときの痛みを、全部受け止める覚悟がなかっただけ。
そんな俺に、あの仁王像みたいな幼馴染は、背中からよろけるぐらいの勢いで喝を入れた。
受け止めた痛みは消えることはないけれど、それでも、全てを終えて帰った俺に、仁王様は「おかえり!」と誇らしげに笑って言った。
あの時俺は痛感したのだ。
ああ、俺はきっと、この女を逃したらアカン、て

走り出した自分の足が、抱き締めた細い身体が、馬鹿みたいに脈打つ鼓動が。
そして、溢れるみたいに出た自分の言葉が。
長い長い、それでいて揺るぎない、ふたりのあるひとつの関係を飛び越えるためには必要だった。
初めて触れた彼女の唇の柔らかさに、その甘さに、念を押されたようだった。
こんなにも、この女に惚れていると。





「平次」


耳障りのいい声がして、遠のいていた意識が呼び戻される。
目の前には、ぎっしりと敷き詰められた桜の絨毯が見えた。
声のした方を振り返ると、懐かしい黒い尻尾を揺らしながら微笑んでいる彼女がいた。
なんや、今日は仁王立ちやないんやな、と心の中で笑ってしまった。


「贅沢なうたた寝やなあ。ご飯できたで、食べるやろ?」

くすくすと笑いながら俺を見下ろす、ただそれだけのことなのに、胸が甘く鳴る。

「なんや、随分懐かしいもんが見えるなあ」
「ん?ああ、これ?」

俺の言葉に、和葉は自分の尻尾を撫ぜた。社会人になるまでは、それがずっと彼女のトレードマークだった。

「料理するんにな、ちょっと結ったんよ。」

どこか恥ずかしそうに言う。社会人になってからは髪紐を解き、料理をするときも低めの位置で髪を結うことが多くなった。「子供っぽいから」と、トレードマークを見かけることはあまりなくなった。
何も言わずに手を伸ばすと、「なん?」と不思議そうに聞きながら歩み寄ってくる。
近づいてきたその身体を優しく引き寄せると、いとも簡単にこの腕の中に降ってきた。

「きゃっ、な、なにすんねんいきなり!」
「じゃかましい。ちょお、おとなしゅうしとれ」

突然視界が低くなった和葉は、きゃんきゃんと犬みたいにつっかかってきたが、黙れ、と意味を込めて強く抱きしめるとすぐに大人しくなる。庭の絨毯の色のようにすぐに染まる頬と耳が覗いて、勝手に口の端が緩んだ。

「な、なんなんよ、もう」
「ええやろ、別に。少しぐらい付き合えや」

腕の中に閉じ込めた身体は相変わらず小さくて、いい匂いがする。
恥ずかしそうに身動ぎながら、少し落ち着いたところで彼女の目が写したのは、彼女が贅沢だといった桜色の庭だった。
心底嬉しそうに見つめるその瞳は、子供の頃と同じような目だった。

「綺麗やなあ。こんなん毎年毎日見られるなん、アンタほんまに贅沢やわあ」
「何言うとんや。お前やってほとんど毎日来て見てたようなもんやないか」
「そんなことあらへん。桜やなんてすぐに散ってまうもん。つぼみの頃から、ちゃんと満開に咲くまでなん、見れてないで」
「ほーか?でも」

俺の言葉の続きを促すように、桜色を映していた瞳が俺に向けられる。

「今日からは、ここもお前ん家や。だから、見よう思えば全部見れるやろ」

そう言うと、和葉はただでさえ染まっていた頬を更に濃く染めた。
そしてその後に、少し泣きそうに笑って、俺の胸に顔を埋めた。

「そっか。今日からここも、私の家なんか」
「当たり前やろ、何言うてんのや」

濡れたような黒い尻尾を指で梳く。滑り落ちるその感触を、あの頃の俺は知らなかった。
これから先は、あの頃の俺が嫉妬するくらい、何度も何度も、触れてやろうと思った。

「今日からお前はこの服部家の一部で、全部服部平次のもんになったんや。だから、もうどこにも行かれへんからな」

今日ばかりは、いつもは言えないような台詞がすんなり言えた。
腕の中で楽しそうに笑った和葉は、俺を見上げて、笑った。

「私が行くんわアンタのいるところで、ついでに言うと、もうずーっと前からアンタのもんや!」






その極上の言葉に、俺の心臓は耐えきれず死んでしまうと思った。


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