カタン、と机が揺れた。開けっぱなしの窓から夏の風が入り込み、纏められていないカーテンを浚う。とても在り来たりな風景だった。でも、唇に触れる唇はとても新鮮だった。


*


すっかり忘れていた学級日誌。なんとかなるかと白紙のまま出したのが間違いだった。さあ帰ろうとしたところを捕まえられ散々説教をくらったうえ、「隙間なく書け」とのこと。放課後の教室にひとり日誌に向かうアゲマキワコは今日何度目かになる溜め息をついた。

「ひゃっ」
「おつかれさん」
「タ、タクトくん」

急に頬に触れた感触にワコは驚いて振り向く。そこには楽しそうに笑うクラスメイトのツナシタクトがいた。

「も〜びっくりした!」
「アハハ、作戦成功〜」

腰に手を当てて高らかに笑うタクトに頬を膨らませるワコであったが、ふいにも受け取ってしまった感触、アイスを見つめて短く礼を言った。二人で分け合うタイプ、大好きなソーダ味。ワコの前の席に座ったタクトも同じアイスを頬張った。

「っくー!生き返るー!」
「ワコおじさんみたい」
「だって、教室暑いんだもん〜」

教室の窓と扉を全開にしても気休めにしかならない暑さ。こんなことなら真面目に書いておくんだったと後悔するワコをみて、タクトは小さく微笑んだ。

「自業自得」
「わかってる!」
「はやく帰りたい理由でもあったわけ?」
「それは…」

タクトの質問に語尾を濁したワコ。そんなワコの反応にタクトはすかさず答えをつついた。

「なんか、約束事?」
「約束…っていうわけじゃ」
「じゃあなに?」

少しだけ攻撃的なタクトの質問にワコは疑問を抱く。彼はこんな風に、相手に答えを強要するような人ではなかったはずなのにと。

「スガタくん、が…」

ワコの唇がその名を紡いだ瞬間、タクトの指先が跳ねた。ワコは気づかずに言葉を続ける。

「なんとなく、寂しそうだったから、会いに…行こうかなって」

そう言って長い睫毛を伏せたワコをタクトは真っ直ぐに見つめた。少しだけ困っているのは、どうして?声にならない、胸を掻き乱す言葉が鬱陶しい。

「でも!たぶん気のせいだよね!だって笑ってたもんスガ」

その名は遮られた。ガタン、と机が揺れた。さっきまで撫でるようにしか吹かなかった風が、慌ただしくカーテンを浚った。机についた両手、乗り出す上半身、座る彼女は目を見開いて、吐息が触れると、身を強張らせた。

「…っ!」

ワコの呼吸が鳴った。ワコの腕は思い出したようにタクトの胸を押した。呆気なく唇が離れると、ワコは赤に染まる顔でタクトを見上げた。

「な、んで」
「……理由がなきゃ、だめ?」

タクトは目を合わせなかった。少しだけ頬を染めるその様子はとてもタクトらしいのに、とてもタクトらしくない表情で俯いていた。

「こ、いびとでもないのにっ、理由のないキスは、キスじゃないよ…」
「…そう」

そこから、言葉は続かなかった。お互いなかなか帰ろうとはせず沈黙を突き通したが、いよいよ堪えきれなくなって逃げ出したのはワコだった。荒々しく荷物を鞄に詰め椅子をしまうと、小さな声でまた明日、と告げた。タクトのほうは見ずに。すかさず返事をしようとタクトが口を開くより先に、ワコは教室から飛び出していた。残されたタクトはしばらくその場に立ち尽くし、強く強く拳を握った。

「何やってんだ…っ」

苦い声はぬるい風が撫でるだけで、浚ってはくれなかった。


置き去りの放課後


2011.01.31(2011.07.23 改変)


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