sweeeeet? | ナノ





時の流れは偉大だ。昔は流れに身を任せるなんてまっぴらだと考えていたものだが、今はどんなことも時間さえ経てばどうにかなるものだと思えるようになった。特に、静雄のことに関して言えば、時間の力というものを認める他ない。出会ってから現在まで、生まれたばかりの子供が九九を言えるようになるぐらいの時間を重ねて、ようやくここまできた。もちろんその中には互いの努力や譲歩がある。けれど、それだけでは決して説明できない力が働いたのだと考えざるをえない。静雄と臨也が和解を通り越して、恋人として休日を臨也の家で過ごしているなど、数年前の二人からしたらまったくの奇跡と言っていいだろう。
そんな奇跡の片割れである静雄は、先ほどからずっと臨也に背を向けたままだ。
二人して真昼間からあまり人様には言いふらせないようなこと(もっとも臨也としては今すぐにでも池袋中に吹聴して回りたいと思っている)を済ませた直後だった。当然、静雄も臨也も全裸である。事を終え、さあ余韻にでも浸りながら三回戦の有無を決めようか、というところで静雄は早々にベッドから出ていってしまったのだ。行為後すぐに立ち上がれる回復力の速さはさすがというかなんというか。
臨也自身は、まだ身体に残る気だるさから、急に動き出した静雄に声をかけることもなく、部屋を出ていく後ろ姿を見送った(俺のシズちゃんは後ろ姿もえろい)。一糸まとわぬ姿のまま寝室を後にした静雄は、数分後ボウル片手に部屋へ戻ってきた。ボウルと言っても投げたり取ったりするボールではない。調理用の食材を混ぜたり捏ねたりするのに用いるあのボウルだ。彼の顔より大きいガラス製のボウルには、波々とゲル状の物体が入っている。なんだったか、と記憶の引き出しを探ってようやくその名前を思い出した。臨也も小さい頃に何度か食べたことがある、牛乳と液を混ぜると全体が凝固しゲル状に固まるデザート、いわゆるフ○ーチェというやつである。どうやらイチゴ味らしい薄いピンクの上には、無造作に、カレーを食べるときに使うような大ぶりのスプーンが刺さっている。
物を食べている静雄は可愛い。これは、臨也が静雄とこういう関係になる以前、その恋心を認めたくないあまりおかしな方向へ逆算し憎んでいた頃から、唯一共通して持っている認識だった。怒っているとき以外の表情が極端に少ない静雄だが、食べているときだけは別だ。普段は怒りに歪んでばかりのその眉が、甘いものを食べたときだけスッと下がるのなんて、最初に見た時はこの目を疑ったものだ。この顔が自分のものになればいいのにと思ったことが全てのきっかけだったなんて、今となっては単なる笑い話でしかない。
だから、なんでそんなに元気なんだよとか、そんなものいつの間にうちに買ってきてたのとか、ボウル直食いはないわーとか、それどう見ても一人分じゃないだろとか、そもそももうちょっとムードを大事にしてくれたっていいんじゃないのかとか、思う事言いたい事は多々あれどその全てをグッと飲み込んで、ベッドの端で胡座をかいてボウルの中身を頬張る静雄を見守った。残念ながら臨也に背を向けて座ってしまった静雄の表情を伺うことはできない。けれど、一口食べる度に数秒止まる動作だとか、大きなスプーンにボウルなんて言う豪快な装備のくせにやたらゆっくりと味っている後ろ姿だけでも十分だ。かわいい。
「…あんだよ」
臨也が頬を緩めたのを見咎めた静雄が、背中ごしにこっちを見た。彼の視界には入ってなかったはずなのに、勘の鋭さは相変わらずだ。
「べつにー」
緩んでいたであろう頬を慌てて引き締め答える。別に今更っちゃあ今更ではあるのだが、こんな臨也にも若干のプライドというものがある。あんまりだらしない顔を見せたくはない。
静雄は暫く不審そうに臨也を見ていたが、すぐに前へ向き直り食事を再開する。一パック丸々使い切ったらしいボウルの中身は、優に3人分はあった。まだ暫くは食べ終わらないだろう。
食べている静雄は可愛いし、それをこんなに近くで見れるのは恋人として与えられた特権だ。しかし持っている権利は余すところなく使い尽くしたい。そんな気持ちから、スプーンを口に咥えた静雄の背中にのしかかった。決して、乳白色のゲルなんぞに嫉妬したわけではないということを強く主張しておきたい。
急に背後から全体重をかけられたにも関わらず、静雄は動じなかった。ただ、自身の肩口に収まった臨也の顔をちらりと見るのみだ。無言でスプーンをまたボウルへ運ぶのを見て、無視?!まさかスルーなの…!とショックを受けかけたのも束の間、その右手のスプーンは臨也の目の前へ差し出された。つい反射で口を開き、スプーンの上の物体を飲み込む。これは、噂に聞く「はい、あーん」というやつではなかろうか。恋人ならではの権利(さすがにこれを他の人にやっているとは思いたくない)を予想外にゲットしたことに内心狂喜乱舞する臨也とは対象的に、静雄はまったくの平常心である。
「欲しかったなら素直に言えよ」
どうやら静雄は、先ほどの臨也の熱視線を自分の食べている物体に関してだと勘違いしたようだった。自分の差し出したスプーンを大人しく受け入れた臨也にそれとなく満足している風ではあるものの、さっきの動作に対し恥じらう様子はない。傍から見たら恋人特有の甘ったるい仕草に見えても、これでは雛に餌をやっているのと同レベルだ。嬉しくない。非常に嬉しくない。
だからその顎を捕まえて、スプーンではなく唇を頂いた。俺が欲しいのはこっちだよ、という意図を込めて下唇を軽く噛んでから顔を離すと、眉根を寄せた顔と目があった。
(照れないんだもんなぁ…)
最初の頃は、耳元でリップ音をさせるだけでも真っ赤に色づいたというのに、今は不意打ちのキスにも動揺ひとつする気配がない。つい先刻できうる限りの感謝を捧げた時間の経過というものに、唯一欠点があるとすればここだろう。彼は静雄から初々しさというものを根こそぎ持って行ってしまった。
先ほどのキスで、ようやく臨也の求めるところを正しく理解したらしい静雄は、ため息混じりに再び口を開く。
「もうしねーぞ」
「えーやだー」
「子供かよ」
「そんなもの幸せそうに食べてる人に言われたくないね」
頬に顔を寄せれば、静雄のほうから首をひねって応じてくれる。ああ、完全に甘やかされてるなーと思いつつ、ボウルが静雄の手からサイドテーブルへ移動したのを合図に再度唇へ食らいついた。
時間の神様とは、もう一度きちんと話し合いをしておく必要がありそうだ。



---------------
事後にフルーチェをボウル食いする静雄が見たくて見たくて。