相手を庇ってできた怪我 | ナノ






席の前に置かれたカップを手にとって、口に運ぶ。臨也はすこしだけ間を空けて、静雄の隣に腰を降ろしている。彼に意識を置きながら、わざとそちらを見ることはしなかった。
一口含むと、やらかな甘味とともにほのかに香ばしい香りがした。前に聞いてもいないのに作り方を解説してきたことがあるが、あまりよくは覚えていない。君のために手間をかけているんだよ、という旨の話をわざわざしてくるのは実に折原臨也らしい行いだった。
だからこれは良くない合図だ。10分も時間をかけて用意したくせに、臨也は感想を求めるどころか、一言も言葉を発しない。見返りを求めない丁寧なもてなし。わかりやすく親切にしてくるときはたいてい機嫌がよくない。そのことに気付いたのはつい最近の話だ。
飲み干したカップを置いて、臨也のほうを見る。彼はこちらを見ていた。無表情に見えるが、かち合った視線に薄く苛立ちが滲んでいる。

「こういうのやめろって、前も言ったろ」

「こういうのって、なに?」

いたって平坦な声色で臨也が返す。ほらみろ、やっぱりへそ曲げてんじゃねえか。

「言いたいことがあるなら言えっつってんだよ」

「へえ!さすがのシズちゃんでもそれぐらいはわかるんだ!」

「ふざけんな」

ころっと表情を変えて臨也が笑う。厭味ったらしい言い方に思わず喉の奥から低い声が出た。静雄の苛立ちを認めて、臨也は口角をわざとらしくあげた。

「怒ってるんだよ」

明るい声で言ってから、彼の視線が動く。静雄の輪郭をなぞるように動いて、ある一点で止まった。
声のトーンがガクンと落ちる。

「俺のことなんだと思ってるわけ」

臨也が見つめるその場所を静雄を見た。自分の左腕。今は衣服に遮られて見えないその場所には、つい一時間ほど前についたばかりの傷があった。

「別に、大したことねえだろ」

ついたばかりのときはそれなりに血も出た。けれどもうとっくに傷は塞がっている。いらないというのに臨也の巻いた包帯だけが取り残されている状態だった。

「そういう問題じゃないよ」

「そういう問題だろ」

突然空からハサミが降ってきた。持ち主が窓の傍で手を滑らせて落ちたそれは、まっすぐに臨也の上に落ちてきた。そのまま彼に接触していた可能性と今の静雄の腕とを比べたら、どう考えたって後者のほうが被害が少ない。
実際傷は治っているのだ。こんな風に責められる言われはない。

「非は認めないんだ」

「誰も怪我しなかったんだからそれでいいだろ」

ぴく、と臨也の眉が動いた。薄い笑みを消した顔から、苛立ちが透けてみえる。

「そう。そういう考え」

立ち上がって、臨也はデスクのほうへ移動する。机の引き出しを開いて、何かを取り出す。
それがハサミだと静雄が認識するより先に、彼はまっすぐ自身の左腕へ右手を振り下ろした。

「おいっ」

立ち上がって駆け寄る。無我夢中で刃物を握った右手を掴んだ。無傷の左腕を見て、静雄は粗い呼吸を抑える。

「なにしてんだよ!」

「なにって、シズちゃんと同じことだよ」

臨也は涼しい顔をしている。最初から本当に傷を作る気などなかったのだと、ようやく静雄は気がついた。

「俺と手前じゃ訳がちが」

「違わない」

静雄のように荒げるわけでもないのに、彼の声は強かった。思わず言葉を飲み込んで、彼を見る。臨也は左の手を上げた。

「痛いだろ」

静雄の胸を指し示す。呆然とする静雄の瞳を覗きこむようにしてもう一度。

「痛いんだよ」