不思議な宇宙人と知り合った。 ひどく可愛らしい貌をしたその宇宙人の名は、有島透と言った。



 今は毎日が、全国出場を果たすために存在しているといっても過言ではなかった。とても忙しくて、とてもきつくて、とても、充実している。日々熱を増していくのは何も太陽に限った事ではなかった。ここ氷帝学園のテニスコートを中心に、負けない位の熱気に包まれていた。
 前述の目標を達成すべく、ここ一週間は、学園と家を往復するだけの生活を送っていた。楽な練習が行われているわけがなく、朝から晩までほぼ一日、何かしら練習にかかりっきりだった。


「ねえ、結局、昨日どうだったの?」
「……最悪だった」

 今だって練習を終え、誰もが疲れきっていて言葉も交わさずに黙々と着替えをしていた最中だったのだ。
 日もすっかり暮れてしまい、今この場にいる誰もが思っているはずだ。早く帰りたいと。もちろん俺もその内の一人である。にも関わらず、シャツに腕を通していた俺に、無神経にも好奇心で満ちた目をして話しかけてきた鳳を見ていると、既に出会い頭に昨日の分の文句は言ったはずなのにまだまだ言い残した事があるような気がしてきて無性に腹が立った。

「そ、そんな怖い顔しないでよ」
「……はぁ」

 少し睨んだくらいでそのでかい図体に似合わずびくつかれてしまうと、はたから見ればまるでこっちが虐めているようだ。それがなんだか憐れに思えてしょうがなくて、苛立ちは次第に消えてしまった。

「お前な、そんなすぐびびってたら勝てるもんも負けるだろ」
「日吉こそ、いつも眉間に皺寄せてさ、疲れない?で、何かあった?」
「……何も、なかった」

 憎まれ口に続いて出てきた言葉は、事実を否定する言葉だった。
 昨日の事を、透さんの事を隠そうと思っていたわけじゃなかった。かと言って、積極的に話したいのかと言われるとそうではなかった。何となく、人に話すのは憚れて、それ以上の言葉を口は紡がなかった。
 鳳に、嘘をついた。どうして嘘をつく必要があったのか、自分にもよく分からなくて。矛盾する思いと後ろめたさと、それらがせめぎ合っているのを、見抜かれてしまうのが怖くて、目の前の純粋な瞳から目を逸らす。

「えー、そうなの?残念だったね」

 隠し事をつくった俺へ言葉をかけた鳳はいつもと何ら変わりなく、本当に俺が残念がっていると思っている。騙すのはいい気分がするものではない。けれども気づかれていないことに、一息ついた。

「本当だよ。誰かさんのせいで疲れただけだった」
「しつこいなあ、ごめんってば。そっか、何もなかったんだ」
「叫び声らしいのは、俺も聞いた。でもあれはただの風の音だ」

 発光の事については何も言わなかったが、鳳はそれ以上追求してこなかった。答えながら俺は、全ての謎は解けたわけではないことが胸に突っかかって、気分が悪かった。

「え、もう着替えたの」
「お前が遅いんだよ、じゃ」

 乗りかかった船は下りようにも下りれない。変な使命感に突き動かされた俺は再び、あの丘へ行ってみることにした。思い立って部室を出る、疲れていたはずのその足はとても軽かった。

















 今日丘へ行って、また透さんに会えるという確証はどこにもなかった。昨日彼女は、自分はいつもかここにいると言っていたけれど、今日はもう帰ってしまったかもしれない。それでも俺は、きっとまたここへ来ていただろう。迷っても、道を示す林檎の風が、また俺に進むべき道を教えてくれる。 何故だかそう思えて仕方がなかった。 あの爽やかな、甘酸っぱい香りが一段と濃く香ってきた先に、昨日見たものと同じ星空が広がっていた。

 ゆるい坂を登っていくうちに、不意に風に紛れて何か別の音が耳に届く。それは坂を登れば登るほど、はっきりした声になっていった。ただそれは、昨日聞いた透さんの声とは違うように聞こえた。

「透、さん?」

 登りきった一番上のそこに、人の姿はどこにも見当たらなかった。声の主を透さんかと少しだけ期待していたらしい俺は、小さくため息をついた。
 しかしそこには昨日と同じように、 鞄や本、コンビニ袋に、そして聞こえてきた声の正体らしい、付けっぱなしのラジオが置かれていた。いくらここが本来の道から外れて更に奥にある場所だと言っても、俺みたいに人が来るかもしれないのに、鞄を置いておくのは無用心すぎると思う。


 荷物はあるのに、透さんはどこへ行ってしまったのだろう。鞄はここに置いてあるから家に帰ってしまったわけではないらしい。ただ席を外しているだけなのだろうか。
 立ちすくむしかできなかったところ、風の音と共に聞こえるラジオから途切れることなく声が聞こえるけれど、何を言っているのかは全く頭に入ってこなかった。



「日吉くん?」

 凛と響く、機械を通されたものでない、透さんの声が聞こえた。声が聞こえてきた方向を振り返ると、不思議そうな顔をした透さんがいた。

「透さん」

 風でゆらゆらと揺れる黒髪。それとは対照的に闇に映える、夏に似合わない生白い肌。星の光を吸い込む黒真珠のような瞳。そこにあるものは全て、昨日見たものと何ら変わりない、透さんの姿だった。

「こんばんは、日吉くん。今日も来てくれて、ありがとう」

 眦を下げて穏やかに笑う透さんは、やはりとても美しかった。確かに今、目の前に透さんがいる。ただそれが嬉しくて、安心して、ラジオから聞こえる音楽にも、耳を傾けられる余裕ができた。

「鞄、置きっぱなしはさすがに危ないですよ」
「そうですね、気をつけます」

 どこへ行っていたのか、聞くのもおかしいと思ってそんな事しか言えなかった。嬉しいという感情が確かに存在している。自分の心中ながら気恥ずかしく思えて、くすりと笑う透さんと今は目を合わせられなかった。
 ふと下へ外した目線の先に、透さんの手に握られている懐中電灯が目に入る。まさか、そんなそれだけの事なのか。

「どうかしました?いい事でもあったんですか?すごく悪い笑顔して」
「本当いい性格だな……もしかして透さん、いつも懐中電灯持ってます?」
「森は暗いから当たり前の事かと」
「そうですか。そうですよね」

 実証はないからやってみなければ分からないけれど、十中八九、発光事件は懐中電灯の仕業だろう。蓋を開けてみればとてもつまらない事件だった。これでは収穫はほぼないようなものだった。

「……日吉くん、」
「はい…………うわっ!」

 名前を呼ばれたかと思うと、透さんは物凄い勢いで俺との距離を縮める。眉根を寄せて訝しげな顔をして、その勢いに押された俺は身を引くけれど、すぐに坂に追いやられてそれ以上は動けなくなる。体制を崩し地面に座り込んでしまった俺に、透さんもまた手と膝をついて、四つん這いになりゆっくりと詰め寄ってくる。
 退かなければ。けれど自分がこれ以上動くと坂を転がり落ちてしまうかもしれない。透さんは退く気なんて更々なさそうだ。考えている内に、気がつくと、二人の体は風が無ければ暑苦しい程の距離にまでなっていた。

「な、にを」

 何を、と、呟いた自分の声が上ずっていてとても恥ずかしかった。心臓はばくばくと早鐘を打っている。鼻先が触れてしまいそうなほどに近かった。
 風に吹かれて揺れる、透さんの髪が腕をくすぐるのがこそばゆい。合わせた目がその黒真珠に捉えられて離せない。ラジオからまた音楽が聞こえる。息をするのを忘れる程短い時間だったか、息をしているのを忘れるくらいに長い時間だったか、どちらかもよく分からなかった。透さんが、その形のいい鼻を、すんと鳴らしたすぐ後だった。再び吹いた風が鼻腔に届くと、あの甘酸っぱい、林檎の香りがした。

「やっぱり」

 そうぽつりと呟いた透さんの顔は俯いてしまい、表情はよく分からなかったけれど、頬が微かに紅潮していた気がした。

「私の、UFOは壊れてしまいました。ここにいるべきじゃないんです。私は」

 しばらくぴくりとも動かなかった透さんは、すっくと立ち上がって俺から離れた。そしてまた、突然に脈絡のない話を始める。背を向けられてしまっているからどんな顔をしているのか分からない。また泣いていなかったらいいのだけれど。

「どこか、行くべきところが、あったはずなのに、ここに来てしまった。これはね、でもね、日吉くん」

 くるりと向き直った彼女の顔は、星の光に照らされて、浮かべていた笑みがより一層に深くなる。

「でも、もしかして、神様が私にくれたサプライズなのかもしれません。最初からここへ来るようにプログラミングされてたかもしれない。私には、そう思えて仕方ないんです」

 泣きそうに笑う透さんの顔がどうしようもなく綺麗で。だから本当に、神様を信じているわけじゃないけれど、透さんのUFOがここに墜ちてきたのは俺に出会うためだったらいいなんて、柄でもないがそう思った。













「何だよ、わっりー顔で笑って。なんかいい事でもあったん?」
「……向日さんといい、あの人といい。俺をどんな風に見ているんだ」
「は?あの人?」
「なんでもありません」

 顔に出てしまっているなんて、全く俺らしくもない。しかも向日さんに指摘されるとは、余程だったのだろうか。きっと練習がきつかったから、少し気が緩んでしまったのだろう。汗を拭いながら、そう結論づけた。
 コートチェンジの際、ふと思い出して、向日さんとすれ違う時に声をかける。

「UFOなんて、ありませんでしたよ」
「え?」

 突拍子もなくそう告げた俺に、向日さんは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたので笑ってしまった。










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