中等部に在籍していたこの三年間、私は立海大附属であるここに通って来た。現在中学三年である私は、ここがエスカレーター式なのをいい事に、世間で毎年のように騒がれる受験の苦しみを知ることなく高校に行くことができる。
 成績は良くもなく悪くもなく。外部を受けるほど特別に何かしたいこともない私は、高等部に行っても今と代わり映えのない凡俗な生活を送るのだろう。行けるなら大学に行って、それから就職をして、結婚して、という普通の人生を送っていく。誰に決められるでもなく自分で決めたでもない。きっとこれからもよくある人の一生を歩んでいく。そう考えると、眠くなって仕方がない。


 中学生として過ごすのは最後になる11月の下旬も、去年や一昨年とあまり大差なく過ぎようとしていた。この時期には中等部の主だったイベントも終わっていて、残すのは卒業式というところだがそれも私にとっては別段感傷的な行事にはならないように思う。だって大した変化もなく、今のまま、高等部へと上がるだけなのだから。



「明日って、日直誰だっけ」

 書くべき文字を見失い、チョークの音が止まる。黒板の一点に向けていた目を外し、振り返ってまたとある一点に目を向ける。私がぽつりと呟いたその言葉は二人しかいない教室に反響するには充分だった。私が見つめる先にいるもう一人は、私の問いかけに対し机の上に落としていた目を上げて、考えこむようにじっとこちらを見つめ返す。

「幸村と、立石じゃなかったか」
「あぁ、そっか。ありがとう柳くん」

 言葉を交わす私達二人には得に何の表情があるわけでもなかった。柳くんはそれだけ言うと、再び机に目を落とした。

 徐々に夕闇が迫ってくるこの時間帯であるのに、教室に居残る私と柳くんは、日直とは名ばかりの雑用仕事に追われていた。外で吹きつける木枯らしの音が聞こえる程にここは静まり返っている。私達二人は特別に親しい間柄でもなく、率先して話すべきこともないのでそれは仕方ないことだが、室内全体が何となく気詰まりな雰囲気を纏っていて、くすぐったいような居心地の悪さに見舞われる。
 私は柳くんの方に目を向いたまま、意識を持って彼を注視していたわけではないけれど、視線を感じたのか、ふと柳くんが顔を上げたので、再び彼と目が合ってしまった。咄嗟に上手く対応できずに驚いてしまった私を不思議に思ったのか、変に思ったのか、柳くんは首を傾げ、少し笑う。
 気恥ずかしくなった私は薄ら笑いを浮かべ、深呼吸をして黒板の方に向き直った。風の音が一層強くなった気がして窓へ目を向けてみる。褪せた落ち葉が風で舞い上がるのを見届けた所で、私は再びチョークを手にとった。


 やっと文字を書き終えた私は今日の仕事を終えることができた。同じく仕事の一つである日誌への記入を担当している柳くんの様子を見ようと彼に近づいたところで思い留まり、微妙な距離で立ち止まってしまう。特にすることがなくなった私は暇になり、先程の柳くんの言葉に考えを巡らせる。立石さんは明日幸村と日直なのか。可哀想に。一度にあらず、私は何度か彼奴と仕事をしたが酷かった。できれば二度とご一緒する機会がないよう願いたいくらいに。

 目の前に立って考え事に没頭していた私をいつの間にか柳くんはじっと見ていた。彼の視線に気づいた私は、先程の二の舞にはなるまいと何か言おうとしたけれど、思いつく言葉がなかった。気まずい微妙な沈黙が流れた後、柳くんはおもむろに口を開く。

「俺からも一つ、質問があるのだが、いいか」
「え、ええっと……はい」

 私がそう言うと柳くんは握っていたペンを離し、開いていた日誌を閉じる。全て記入が終わり、彼の仕事も終わったようだ。気まずさ故に目を合わせられない、目の前にいる私を柳くんはじっと見つめる。



「立海は、つまらないか?」

 しばしの静寂。意外すぎる、しかし私をいとも簡単に見抜いた彼に、驚いた私は喋れなかったのだ。

「…………は、あ」

 閉口していた私を突いて出た言葉は、言葉とも言えない間抜けで苦しげな、とても静かな吶喊の声だった。定まらなかった私の視点はいつの間にか、柳くん一点に集中していた。

 何故彼にはそれが分かったんだろう。
 柳くんとは、親しい、というか話し易い方(立海テニス部内比)だとは思う。けれどだからと言って特別親しい間柄なわけではないのだが。と、ここまで思考を広げたところで私は、彼はデータマンと言う名高い異名を持ち合わせている人であったという結論に行き着いた。確か初対面でいきなり誕生日を言われたことがある。びっくりしてそして若干ひいた。私という人物は、柳くんに一体どこまで控えられているのだろうか不安になる。

 いや、そうじゃなくて。

 柳くんとは確か二年から同じクラスになって、私はテニス部のことは知っていたから勿論彼の事も知っていた。加えて言うと彼の頭はずば抜けて優れているものだから、多分この学校で柳くんを知らない人はいないだろう。
 つまり、私は一方的に彼を知っていたけれど、逆もまた然りとはいかないはず。しかも私が知っていることはとても表面的なもので、柳くんの内面を完全に理解しているわけがない。理解していることなんてないと言ったほうが正しい気がする。
 それほど親しくもなく、彼と私には関わる点なんて数える程しかない。とどのつまり、柳くんが私のことなど詳しく理解する由などないという事。いや、むしろ逆に、私はそんな大した接点もない彼にも分かる程つまらなそうに生きていたのだろうか。

「お前が分かりやすいという訳ではない」

 またも私は見透かされていたようだ。

「とある人物からの入れ知恵でな。俺も最初は個人の感情的な予想の範疇に過ぎないと思ったが、今の反応を見ると、そうとは限らないようだな」

 口角を上げて少しだけ微笑む柳くんに、してやられた。

 柳くんは目を細めたまま、相変わらず顔色を変えずにいとも簡単に言う。言葉以外に他意はないから、そんなに率直に言えるのだろう。

「俺はお前が好きだ。勿論友愛的な意味でだが。二年からの付き合いではあるがお前とは話易く思うし、他の女子と違って俺たちに必要以上に干渉することがない点も、物分りが良くて有難い。何より、あの幸村が気に掛けているくらいだからな」
「……えっと、そこまで褒めてくれてありがとう。恐縮です………………って、何、幸村?」

 訳も分からず褒められ続けている私は初めての経験にただでさえいっぱいいっぱいで、さらに名前が出るとは露ほども思わなかった人物の登場に頭がついていけなくなる。よく分からなくなってきた。他の女子だったら、もう少し反応が違ったのかとつまらない事が頭に浮かんで、どうしていいのか分からなかった。どうしたいのだろう、私は。

 また深まった静寂に、息がつまりそうになる。それが不自然に長いのは紛れもなく私のせいだ。その様を見た柳くんは、不意に少しだけ口角を上げて笑ってみせる。

「突然すぎたか。悪かった。お前を困らせるつもりはなかったんだが、いや、まあ覚えておいてくれ。仮契約と言うのが正しいか。とりあえず卒業までの話だなんだが、お前に遊び相手になってほしい。遊びとは決して不純なものではないから安心しろ。契約の延長は充分にあり得るがな」

 理路整然とした柳くんにしては珍しく、要領を得ていない話だった。私に関する話であるのに私は置いていかれてしまってる。それは奇怪な話で、キャパシティの限られた私の脳は今の話でオーバーヒートしかけている。その真意を説き明かすくらいの使用スペースがあるなら英単語の一つでも覚えるわとは思うものの、ぼうっとした頭でも素直なもので、柳くんが言った先程の言葉を反芻し続けている。あぁほらまた沈黙が重くなった。けれども、柳くんは私と対照的に涼しげな顔をしていた。その様を見ていると整理をつけ安くなったような気がしなくもない。

「……あの、一応聞く。相手するって誰の?私、猛獣のお守りなんて嫌だよ」
「存外、可愛らしい子猫かもしれんぞ」

 それはどこか楽しそうな関係者の笑みだった。笑止、どう見ても子猫と呼ぶにはきつい人が約一名いるでしょうが。私のその言葉は柳くんに苦笑いを作らせてしまった。

 時計を見なくとも外はもう真っ暗だ。書き終えた日誌を手に持ち、柳くんは立ち上がる。

「さて、行こう」
「い、行こう……?え、私も?」

「子猫達の待つ歓迎会だ」

 これからはそんな顔できなくなる。それだけ言って柳くんは歩き出す。どうやら私に拒否権はないようだから、大人しく着いて行くしかない。

 そんな顔、できなくなるとは、何だと、よく考えてみるけど分からなくて。でもなんだか柳くんと話す事は、私にとって楽しいようだ。そうか、私は暇だったんだ。




そして世界は帳を開ける







「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -