何だかなあ。憂える私はここの所、というかもう毎日、ため息ばかりついていた。

「ため息ついてると幸せが逃げるんだよー」
「はっ。そんなんもうとっくにないわ」

 かけられた言葉を鼻で笑い、そう返すことで本当に幸せ逃げているなあと妙にしみじみと実感してしまって、自分で言っておきながらとても悲しくなった。

 午後最後の授業が始まる前の休み時間、たくさん動いてたくさん食べた昼の騒動が影響してか、最高潮の眠気に襲われた五限の授業を何とか乗り越えた私は、十分でも仮眠をとろうと思っていたのに。

「ほーちゃんは、押しに弱いんだよね」
「押しに強くても、あいつらは跳ね返せないよ」

 最早強いとか弱いとかの話ではない気がする。私は至って普通の女子中学生なのだからそんな強靭な精神は持ち合わせていない。それにそんな次元はとうに越えていて、幸村を筆頭にあいつらは、いろいろとぶっ飛んだ連中なのだから。
 人の生活の中にあいつらは土足なんてそんな軽装備では踏み入ってこない。例えるなら、完全に武装化した特殊部隊が立て籠もり犯と対峙するときのような。私が三年間築き上げたテニス部に対するシールドを各人が全力でぶち破ろうとしてきている。その中の筆頭幸村に至っては、ガドリング砲を以てして私を征圧しようとしているようなものだ。装備も何もない健全な一般市民である私はその反則的な攻撃力を前に、防戦を繰り広げることすら許されなかった。けれど未だ私が屈せずにいられているのは、三年を費やした、このプライドのおかげでもある。こんなに短期間で集中的な、美学もへったくれもない攻撃に、私が白旗を揚げるなんて考えたくもなかった。

「それってもう、ほとんど意地張ってるだけじゃない」
「意地なんてそんな易しいものじゃないの。ある意味戦争なの」

 そう、毎日追いかけられたり、囚われたり、刺客を用いられたり。本当にこれはもうある意味戦争だった。

「戦争、ねえ。それにしてはほーちゃん楽しそうだけど」

 ほーちゃん、と、幸村と同じように、けれど幸村よりもっと柔らかい、ソプラノの声が私をそう呼ぶ。その音が届くことにはもう、随分慣れてしまっていた目の前にいる春の陽だまりのような少女、私の幼馴染は、声以上に柔らかい笑顔で私に笑いかける。

「楽しくない。おかげで私はここのところ毎日筋肉痛です」
「運動不足解消になっていいんじゃない?」
「うるさいなあ、もう鐘鳴るよ。そこ柳くんの席だから邪魔。自分のクラス帰れ」
「はいはい。じゃあねほーちゃん。あ、今日買い物付き合ってよね」
「うん、後でね」

 くすくすと笑いながら席を立ち、やっとこの場から離れていく。執拗な追求の手から逃れることができた安心に、思わずまたため息をついてしまった。押しに弱いのは認めよう。現にこうして、貴重な睡眠時間をお喋りに付き合い費やしてしまったのだから。我ながら自分の人の良さには呆れる。
 私の睡眠時間を奪った幼馴染を、恨みをこめた目で追ってみると、出入り口で柳くんと遭遇している姿が見えた。じっとりと観察していると、奴は柳くんに対して何かを言っているようだった。騒ついている教室では何を言っているか聞き取れなかったが、何か変な事を言ってなければいいが。

 じっと目で追っていたその姿が、しばらくして廊下の雑踏に中へ消えて見えなくなった頃と同時に、私の隣へ柳くんが席に戻ってきた。柳くんは席に着くと、私を見つめてきて、それが何だか気まずくて、とりあえずおかえりと言ってみた。

「筋肉痛には、タンパク質の摂取が効果的だぞ。それと今日はゆっくり風呂に入るといい」
「……それは、どーも」

 ふ、と私を見て微笑みながらアドバイスをくれた。私の祈りも虚しく、余計なことを言ってくれたようだった。口では一応お礼の言葉を言っているが私の態度はとてもじゃないけど人にお礼を言っているものではなかった。顔はきっと引きつっていたはずだ。
 柳くんがどこへ行っていたかは知る由も無いが大方テニス部の連中のところだろう。そういえば、柳くんと一緒に教室を出て行った幸村の姿が見当たらない。聞こうか聞くまいか迷って、お互いが言葉を出すのを遠慮し合う変な空気の中、先に口を開いたのは柳くんの方だった。

「春原萌と随分仲が良いんだな」
「あれ、意外。柳くんなら知ってるかと。春原は幼馴染だよ」
「交友関係に首を突っ込む程に野暮ではないと心得ているつもりだが」
「それは、すみませんでした」

 尤も春原の名前が柳くんから出たことから考えると、春原を知らないわけではないらしい。流石というか何というか。

「3C春原萌、茶道部部長。品行方正でまさに大和撫子と名高く、目立つ方ではないが隠れたファンも多いという」
「柳くんって、そんな情報どこから集めてくるの」
「そうだな、それは禁則事項ということにでもしておこう」

 悪戯な笑みを見せながら取り出した手帳を再び内ポケットにしまう。前々から思っていたが、柳くんの人物紹介は少しだけゴシップめいたものが含まれている気がするのは、それは本人の趣味による物なのだろうか。

 柳くんリサーチによる私の幼馴染である春原萌は、大凡柳くんの評した通りの人物だ。春原と私は、もう何年の付き合いになるのだろうか。特別に家が近いわけではない。親同士が昔からの付き合いを持っていたわけでもないが、いつのまにか一緒にいることが多くなった。世間の定義する幼馴染とは少し違った関係かもしれないが、他に私達を形容する言葉もないので幼馴染ということにしておく。タイプは全く違うはずなのに、側にいても苦痛に思わない。もし本当に波長というものが存在しているのなら、それがあっているのかもしれない。姉妹のようだと互いの親までが言う始末になっている。春原と私は、ただの幼馴染ではないのだ。

 少し春原について思考を巡らせていたところ、柳くんがその長い足を組み替える仕草をするのが視界の隅で見えた。

「俺にも、幼馴染と言える関係にある奴がいる」

 そして不意に、柳くんはぽつりとそんな事を漏らす。

「幼いころだが、互いに変なあだ名で呼び合ったりしてな。仲が良かったんだ。だが俺が小学生の頃に引っ越して、何も言えないまま神奈川へ来てしまったんだ。奴もテニスをしていて、いつも切磋琢磨し合ってきた。俺は裏切ってしまったんだ。仲違いをしたわけではないが、それ以上に俺は、あいつの心を傷つけてしまったのかもしれない」

 過去を語る柳くんの表情は相変わらずよく分からない。けれどどこか寂しげに見えたのは気のせいではないような気がする。

「すまない。妙な話をしてしまった。忘れてくれ」
「……言えなかったんだよね。言いたくなかったんだ、でしょう?当たり前だったその人との日常が明日からなくなるのが想像できて、辛いって、なんとなく分かるよ」

 忘れてくれ、自嘲気味にそう言った柳くん自身が、一番忘れられない後悔のひとつであるのだろう。私程度の者の言葉でそれが慰められるわけがないのだが、言わずにいられなかった。けれど柳くんは何か感じ取ってくれたのだろう。少し笑って、呟いた。

「幼馴染とは、良いものだな」
「……うん、そうだね」

 良いもの、という言葉に、少しだけ胸が痛んだ。先程柳くんにかけたつもりだった私の言葉は、何故か私の心を詰まらせる。何故だろうとぼんやり思っていると、私の名前を呼ぶ幸村の声がして、そのせいで、私が何を考えていたか、それらを全て忘れてしまった。







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