「柳、遅かったね」
近づけば近づく程、いたたまれなくなる。かと言って逃げれはしないから、目を合わせないよう目線は落として自分の足を見ながら歩いていた私の耳に、凛とした声が聞こえる。声の主はもちろん、六天魔王幸村のもの。超逃げたい。
「すまない、口説くのに時間がかかってしまった」
何だか色々問い詰めたい物言いに、柳くんって冗談通じる人なんだなとか考えて、ちょっと親近感が湧いた。
「すいません、やっぱ場違いなんで帰ります私」
その場でくるりと反転し、出口に向かって踏み出そうとしたら腕をがっつり捕まれてしまった。振り向けば、笑顔の幸村様。
「ほーちゃんも、つっ立ってないで座りなよ」
「思いっきり回れ右した様をどうやれば突っ立ってると認識できるのよ。つーか誰がほーちゃんだ幸村ゴルァ」
……しまった。ついいつもの癖でこんな口の利き方をしてしまった。
しんと静まり返った一同を見て我に還る。言ってしまったものは仕方ないけど、ただ相手が悪かった。幸村だった。
皆の反応は一様に、目を丸くしているとか開いた口が塞がらないとか、驚愕の色が伺える。ただ一人、笑顔な幸村を除いて。その笑顔が恐ろしい。
「ぷっ、あは、あははははははは!!や、やべえ!幸村部長相手に啖呵きってる女とか初めて見た!やべえ、は、はら、腹が……」
張り詰めた空気を笑い声で吹っ飛ばしてしまったのは、確か切原くん。相当ツボにはまったみたいでひいひい言いながら笑っている。蛇に睨まれた蛙のように縮こまっていた私は、切原くんにびっくりして警戒を解いてしまう。
切原くんに釣られて笑ったのが、丸井くんとジャッカルくんだった。
「ははは、あはははっ!お、お前、幸村君相手にゴルァって……や、やば、腹筋死ぬ」
「お前、雨宮だろ?すげえな、幸村にんな事言った女子初めて見たぜ」
丸井くんは切原くん同様、腹筋崩壊の危機らしい。切原くんと一緒になってまだ笑っている。ジャッカルくんは目元の涙を拭いながらそう言った。泣くまで笑わなくてもいいじゃないか。さすがの私もなんだか恥ずかしくなってきた。
「せ、先輩ら、こいつの知り合いなんすか」
「切原君、口を謹みなさい。彼女は私達と同学年の方で雨宮帆乃夏さんですよ」
「は、先輩?マジ?」
さっきまで一緒に笑っていた丸井くんとは違い、切原くんはあんぐりと口が開いたまま塞がらない。悪かったな幼くて。つーか丸井くんひいひいうるさい。
「口さがない奴らですまんのう、雨宮」
奥から聞こえてきた言葉は今の私にとって、どれだけの慰めになったか。声の主は仁王くんだ。
にっこりと柔かな笑みを湛えてそう謝ってくれた仁王くんを見ていると、優しすぎて泣きそうになる。
「お前さん、さっきのゴルァのとこの巻き舌、素晴らしかったぜよ」
「「「「あはははっ、あははははははは!!!」」」」
前言撤回、そりゃ涙も引っ込みます。仁王くん優しくなんかないです。
仁王くんのその一言で収まりかけてた笑いの嵐はまた復活した。しかも今度は幸村まで参加していた。もうお前らなんかみんな嫌いだ。あ、真田くんの肩も震えてるよ。私泣きそう。
「あは、あはははー」
乾いた笑いが出てしまったのは仕方ない事だと思う。そんな私の肩を、ポンと叩いたのは柳くん。
「どんまい」
「そんな哀れむような目はやめて」
そう言う柳くんの肩も若干震えていた。何て事だ。
「もー、とりあえず座ってよ!」
そう言った幸村は、衆目に晒されている私をその細腕からは想像できないような力で引っ張った。力を受けてがくんと揺れた体は素直に、すとん、と幸村の隣に着地する。私と柳くんが座るからと言って、幸村は既にそこにいた真田くんを席から追いやってしまった。ちょっと可哀想。
引っ張っられた私は両サイドを柳くんと幸村に固められているという最悪な状態。最悪だ。大事だから二度言いました。トイレに行くのもままならないではないか。テーブルを挟んで向かいの席には左から切原くん、丸井くん、仁王くん。そして私の後ろのテーブルには、ジャッカルくん、真田くん、柳生くんがいるというような状況。どんな要塞だ。
周りを見渡していた私の目の前に幸村はずいっとメニューを突き出す。そしてえらくきらきらした笑顔で私に言った。
「ほーちゃんは何食べる?」
「お金ないんでいいです。つかほーちゃんて呼ぶな話聞けや」
「そんなの奢ってあげるから何か食べなよ」
「遠慮げなせんで食べんしゃい」
そう言って仁王くんまで勧めてくるから困った。でも確かにお腹は減ってるし、ここまで来て何も食べないなんていう意味もよく分からないし、幸村が奢ってくれるって言うから、まあ損にはならないと思って私はメニューを物色することにした。
「じゃあこれ」
私もそこまで酷な人間じゃないし、ファミレスで大量生産されているご飯よりも家で食べるご飯のほうがおいしいのは分かっているから、ちょっとお腹を満たすくらいにと思ってチーズケーキを頼んでみた。
「あー、俺も甘いの食おっかなー」
私の注文を聞いて、丸井くんは私の手元のメニューを覗き込んできた。きらきらした目で見ているのは私の視線と同じ部分で、甘いもの好きなのかなーと意外に思いながら見ていたところ、周りのその他は呆れ顔を隠す事なく晒していた。
「丸井先輩、そんなんだから幸村部長にデブって言われるんすよ」
「そうだよデブン太。いい加減にしないと本当に糖尿病になるよ」
にこにこにこにこ、素晴らしい笑顔を張りつけたまま幸村はそう言った。