深呼吸をしてみたら、星を吸い込めると思った。




「ぶ、ブン太!はや、速い!揺れてる!」

「掴まっとけ、リズム上げるぜぃ!なんつって」



漂う冷気が加速して、走り去る私の頬を擦っていく。今の私には、ブン太のかます冗談を笑って返す程の余裕はなかった。これ以上何か喋ると舌を噛んでしまいそうで、ぐっと歯を食い縛る。肌がぶわりと粟立つのは寒さのせいではない、現在私の脳内でおおよその割合を占める恐怖のせいだ。死にたくない、その一心から、今まで緩くブン太のシャツを握っていた手を腰へと回した。回したと言ったけれど、スピードを更に上げられれば回さざるを得なかったというか、不可抗力だ。とはいえ、ブン太に押し付けた全身から伝わる熱は心地よくて、抱き締めた体は意外に引き締まってるなとか、甘いブン太の匂いがするなとか、存外恵まれたシチュエーションであることに気付いた。尤もこの状況では、心臓が痒くなるような甘い雰囲気になることはまず無いだろうが。



さて、12月も半ばに差し掛かかった日の深夜、身を貫くような寒さの中で、何を好き好んでブン太は私を自転車に乗せて全力疾走しているのかというと、それもまたブン太のせいである。国道沿いから少し外れた道を走り続けている一台の自転車の行方を私は知らない。知らないままに、私はこの自転車に連れ回されているのだ。この時間では道路を走る車は少なかった。故にこんな風に大胆に走行する事ができて、それが余計にブン太の冒険心を煽るのだろう。ところでブン太は、いつの間にこんな道を見つけたんだろうか。知らない内に大きくなった目の前の背中が着ていたはずのダウンは今、私の下に敷かれていて、出発前に照れ臭そうに差し出したそれは本来座るためにあるのではない場所に座る私への配慮の賜物だった。知らない内にすごく優しくなっていて、気付かない内に体が大きくなっていて、やがて私が知らないブン太になってしまうのだろうか。目の前にいるのは私が知ってる丸井ブン太なのに、私の知ってる丸井ブン太じゃないような気さえして、狐にでも化かされたような気分だった。

「あ……」

意味もなく見上げてみた今日の夜空は、15年と少しは生きた私だけど、初めて見るものだった。星空なんて地学の授業くらいでしか見たことがない私は、目の前の空高くに輝くたくさんの星々に思わず感嘆の息が出る。ブン太は漕ぐのに疲れたのか、自転車の走行速度は大分落ちていて、空が丁度よく見える。

「……きれい」

「だろぃ。今日は天気がいいから、特別によく見えるぜ」

ゆっくりと、私達は空を見ながら進んで行く。街灯がいらない程明るいだなんて初めて味わった体験だった。私達が住む街は、夜でも人工の光が強すぎて、小さな星達は見えにくいんだって、ブン太はそう言った。
紺色の布に小さなガラスの破片をばらまいたみたいだねって言ったら、それなら手に入れられるって言って、二人でやってみようと言った。


「ちっさいよなー」

「ん、」

「いや、宇宙スケールで考えると本当俺等って、ちっさいよな」

「そうだね」

そういうもんなんだから、しょうがないよ、って、ブン太に言ってみるけど、ブン太は少し不思議そうな顔をしただけで、何も言わなかった。

46億年前から空は同じだ。それはこれからもずっと変る事はないだろう。例え私が明日にでも息をしなくなったとしても、空は何事もなかったかのように朝を迎えて、夜へ歩む。誰にでも平等で、決して優しいだけじゃないものなんだと、私は知っている。

ブン太はそれきり話さなくなってしまった。空を見ていた私が生返事しかしなかったからかな、とも思ったけれど、どうやら違うようだ。目的地はまだ見えない。ただ走り続ける自転車はあてがあって走っているのかという事さえも怪しくなってきた。どれくらい走ったんだろう。どこを走っているんだろう。どうして走っているのだろう。星の海を漂い流れ、行く当てもなく、もしかしたらブン太は、私にこの空を見せたかっただけかもしれない。



「……あのさー」

「なに」


自分から問い掛けたくせにブン太はそこで会話を切ってしまった。星達に魅了された私にとって、ブン太との話は大事だと思うけど、その続きがどうしても気になるという風にはならなかった。とは言うものの、その沈黙はあまりに長く、自転車のタイヤが回る音だけが辺りに響いているのがすごく淋しく思う。

「どうかしたの」

「……お前、知ってる?宇宙にはまだまだいっぱい銀河があって、その中の銀河系は端から端までが10万光年もあって、更にその中には太陽系があって、地球より大きい惑星とか小さい惑星が8個もあんだよ。大きさ的には太陽をスイカとしたら、地球なんてブルーベリーだぜぃ、ブルーベリー。でもそんな地球にも人間だけでも65億はいて、日本っていうここには1億3千万人もいやがる。俺らなんて、そん中のたった2人だぜ」

「そうだね」

「だから、さ」

「うん」

「お前が抱えてるのとか、外から見れば案外小せえもんだよ。だから、そんな一人で思い詰めんな」

「……うん、ありがとう」

空を見上げる首が辛いと悲鳴をあげた。目の前にある意外に大きい背中に額をつけると、なんだか泪が出てきてしまったようだ。


惑う星、迷い星、夜空にはたくさんの私達が駆けている。








09/1224





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