雨は、嫌いではない。雨水を吸ったアスファルトの匂いも、落ちてくる雨の音も、私にとって心地よく体に染み込むものだ。今日は朝からしとしとと時雨が降り続いていた。寒空の中降る雨は、体感温度を実際より低くするようだった。昇降口に出て来ただけで身をきるような寒さが体に伝わってくる。こんな寒さの中私は歩いて家に帰らなければいけないのか。そう思いながら上靴から下靴に履きかえ、外に出ようとする私の視界に人影が映った。

「幸村先輩」

ただぼーっと外を見ている、その横顔だけでも絵になる人で、いつ見ても綺麗だと思わざるを得ない。いつまでも落下を続ける雨粒を見ているその人は、傘を持っていなかった。

「幸村先輩、誰か待ってるんですか?」

近寄ってそう声をかけるとやっと私に目を移す。私だと気付いた幸村先輩は、少しだけ微笑んだ。

「誰かを待っているわけじゃないよ。ただ、傘持ってないから、雨、止まないかなって思ってただけ」

そう言って苦笑いする。雨は止みそうにない。先輩が帰れるのはいつになるだろう。

「濡れて風邪ひいちゃったら大変ですよ。傘、あげます」

そう言うと、先輩は一瞬目を見開いてすぐに元の表情に戻る。

「どうせ予備の傘なんてないんだろ?濡れて帰るなんて事したら姓が風邪ひくよ」

「いいんです、走って帰ります。先輩だって、傘ささないで家に帰ったなんて知れたら皆に怒られますよ」

「ふふ、そうかもね。じゃあこうしよう。家まで送るから一緒に帰ろう。女の子に傘借りて一人で帰したなんて知られたら、きっと柳生に怒られる」

妙案でしょ?そう言って笑う先輩を見ると、断る気なんて起きるはずもない。握っていた傘を取られてしまったんだから選択肢など無いに等しく、私は大人しく先輩の後ろをついていく事にした。




外に出て私達を襲った寒さは昇降口の比ではなかった。頭上に掲げる前に、先輩は私の傘を広げていて何か気になる事でもあるのかまじまじと見ている。

「綺麗だね。黄色い傘って珍しいな」

「そうでしょ?見つけるの結構頑張ったんです」

先輩は、若干私の方に傘を傾けながら歩いてくれる。さりげなく紳士然としたその振る舞いは柳生先輩仕込みのものなのか、それとも慣れているだけなのか。傘というものは本来一人ものだから、二人で中に入るとなると必然的に私と先輩の距離は普段では考えられない程近くなってしまう。いつも以上に、先輩の傍にいる事に緊張してしまって心臓が早鐘を鳴らしているのは私だけだろうか。今さらだが、同じ傘の中にいるのはあの幸村精市、その事を急に意識して、それを態度に出してしまう自分が恥ずかしい。先輩は分かっているのか、濡れないように、もっと近寄るよう催促する。先輩はやっぱり、意地悪だ。

「先輩、もうすぐ卒業なんですね」

当たり障りのない話題をと思って呟いてみる。言葉にしてみたら、それは急に、数ヶ月後には実現してしまう事なんだと理解して、切ないものが込み上げてきた。

「寂しい?」

「……寂しいです。一年間でも先輩がいないのは凄く寂しい。勿論、他の先輩がいないのも寂しいけど、幸村先輩がいないっていうのが、一番寂しいです」

真面目な顔で幸村先輩は問い掛けてきた。それは私を諭しているようで、素直な気持ちが出てしまう。どこで止めればいいものかと考えている内に、思ったより喋りすぎてしまった。

「あ、せ、先輩、肩、濡れてます」

自分で言っておいて気恥ずかしくなってしまう言葉が作り出したこの雰囲気を壊せる事を願って、私はそう言う。先輩の肩が少し濡れていたのを見つけた私は、傘を持って先輩の方へと傾けてみせる。もう濡れないように。

「これで大丈夫」

そう言って私は笑い、少しの間沈黙が流れた。じっと私を見つめていた先輩が、私の名前を不意に小さく呟いた。

「名」

にわかに腕を強く引かれた私はよろけそうになる。地面に倒れる前に、私はそこに立っていた先輩の腕の中にいた。急に引っ張られたせいで私は持っていた傘を手放してしまって、冷たい雨が私達に直に落ちてくるけど、それでも私は寒くなかった。

「せん、ぱい」

絞りだした声は聞こえたか私には分からない。そこには時雨の降る音と、どちらのものとも知れない心地よく音を刻む鼓動とが重なって響いていた。

「名、」

「はい」

幸村先輩に抱きしめられているという考えられない状況に、まだ対応できていない私は名前を呼ばれただけで体が強ばった。腕の中から先輩の香りが漂う度に、頭がくらくらする。

「ごめん。もう少し、このままでいさせて」




雨が止むまでの間、
君は僕のもの








09/1112






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