いろづくこころ | ナノ


「…今日、誕生日ってほんと?」
「…えっ、ああ、はい。そうですけど」

 本来なら挨拶をするより前に出た俺の言葉に君が戸惑った表情を見せるのは、しかたないことかもしれなかった。


「…ああ、えっと、おはようございます?」
「…ん、おはよう。あと、誕生日おめでとう」
「あ、ありがとうございます。よく知ってましたね」
「今日、木葉さんから、聞いて」
「ああ、秋兄が。なんかすみません」

 俺と君は先輩後輩同士の関係などではない。
 2年ではじめて、同じクラスになった日。たまたま隣だったのが、君だった。
 それまで君の存在も知らなかった俺は、どことなく誰かに似ているな、ぐらいにしか思っていなかったのだ。だから、君が部活の先輩である木葉さんの弟だと気付いたのは、隣の席になってから1ヶ月以上のことだった。

「席、ラッキーでしたね。よろしくお願いします」

 ふわりと笑うその表情は、今でも忘れられない。
 うちの学校はどこのクラスも、最初は名前順の並びだと決まっている。俺は必然的に前だったのだが、これでも身長があるほうだ。後ろの席の女子が俺の身長により見えにくいと申し出があったことにより、それならしかたないと移動した先での出来事だった。
 また、うちのクラスの担任は席替えはしない主義だったため、冬といっても過言ではない寒さのこの季節でも、俺と君は隣同士である。


「どうかしたんですか?」
「…いや、寒くなったな、って」
「ああ、朝早いと大変ですよね。秋兄も寒がりなので」
「…君は違うの?」
「僕はそんなに…赤葦くんは、どうですか?」
「まあ、ちょっと苦手かな」

 そういえば、確かに木葉さんはいつも手袋にマフラー、おまけにカイロまで準備して登校している。それでも寒いと言っているのだから、そういう体質なのだろう。俺も木葉さんほどではないが、寒いものは寒い。
 さすがに兄弟とはいえ、そこまでは似ないものなのか。会話を続けながら、不自然ではない程度に君をじっと見つめる。
 木葉さんより瞳は大きいけど、笑うと細くなる目は木葉さんに似ている。髪は外見だけでわかるほどに、さらさらのストレート。黒髪だ。癖っ毛の俺からしたら、少し羨ましいほどに。
 そして何より、同級生相手とは思えない丁寧な言葉遣い。俺も先輩たち相手には敬語を使ったりするけれど、君より正しく使えている自信はない。それは同級生だけではなく、もちろん年上、そして年下にも変わらないことだった。木葉さんいわく、敬語を使わないのは家族だけなんだとか。


「赤葦くん。もし良ければ、手を出してくれませんか」
「別にいいけど、こう?」
「ありがとうございます。触っても、いいですか?」
「うん…っ、」
「あ、本当だ。指先が少し冷たいですね」

 手が震えなかった自分を褒めてあげたい、と思うぐらいには動揺する。その、感触に。
 冷えてしまった指先にまで温かな君の熱がじわりと浸透していく。
 秋兄と違って僕は寒がりじゃないので、僕で良ければいつでもお貸ししますよ、とか。
 笑顔と共にそんなことを言われたら、熱があがってしまいそうで。


「赤葦さ、俺の弟のこと、好きだろ?」

 いつだったか、やけに微笑んだ木葉さんにそう言われたことがあった。
 セッターは、いわゆる司令塔のようなポジションだ。他人をよく観察して、見極めて。そのうえで考えて動くから、同時に感情をあまり表に出してはいけない、つまりポーカーフェイスが必要とされるポジションだと思っている。その俺が、この時ばかりはそれを保てていたか自信がない。どんな表情をしていたかすら、記憶に、ないのだ。
 いきなり何ですか、木葉さんにその話しましたっけ、どういう意味ですか。
 いくらでも思い浮かぶのに、そんな簡単な言葉すら出せない俺に珍しく木葉さんが噴き出すように笑っていた。それはもう、その勢いのまま、軽く涙を浮かべるほどに。
 怪訝そうな表情で木葉さんを見れば、悪い悪い、と全然悪びれる様子のない木葉さんは落ち着いたのか、こう言った。



「赤葦にそんな表情させるんなら、俺の弟は大したもんだなって」

 木葉さんは、それだけ言うと、俺の肩を数回叩いて去った。
 これが俺にとって、君との距離を計りかねている、そもそもの原因なんだ。
 君を好きか、どうか。天秤にかけるまでもない。それが、どういう意味を含むのか。その考えに至るだけで、答えは決まっているようなものだった。
 でも、彼はどうだろう。彼のことだから、俺のことはいい友達だと思ってくれているのかもしれない。
 俺以外の知らない誰かに君が笑いかけるたび、気持ち悪くなる。その表情を向けるのは、俺だけであってほしいと願ってしまう。そんな無茶なことは不可能だと、わかっているのに。こんな汚い俺を、君に見せたくない。君に嫌われたくない。君に触れたい。君を知りたい。目で、口で、耳で。
 まるで知らないもうひとりの自分がいるみたいに渦巻く感情に呑まれそうな、そんな時に限って。俺の視線に気付いたのか、君が俺を見て笑ってくれるから。俺はいつだって、君との壁を作れずにいるんだ。

「…もしもの話なんだけどさ、」
「はい?」
「もし、絶対に嫌われたくない人がいて。でも、自分がその人を傷付けてしまいそうだと、わかった時…どうする?」

 きょとんとしたその表情は、あまり見ないもので。素直にかわいいと思える俺がきっと君を嫌いになれる日なんて、永遠にないんだろう。たとえその逆が、あったとしても。
 しばらくそうしていた君だったけど、うーん、と考えるような声を出して、首を傾げるしぐさを見せた。次に君が、どんなことを言うのかちょっと怖い気もして。心地いい君の声でも、返答次第ではこの不安定な心は抉られてしまうのだろうか。それとも、君になら何を言われても喜んでしまうのだろうか。後者もじゅうぶんに有り得ると思って、君に見えないように笑った。


「たとえば僕がその立場で、好きな人が…そうですね、赤葦くんだったらと仮定して考えると…」
「っ…それで?」
「僕は赤葦くんから、はっきりとした嫌悪が感じられない限りは、仲良くしていたいと思ってしまいますね」
「え、」
「赤葦くんとお話する時が…いえ。一緒にいられるだけで、幸せですから」

 僕はよく鈍いと言われるので、はっきり言われないと気付けないかもしれないんですけど。
 困ったように笑う君から放たれるその言葉さえも、頭から抜け落ちてしまいそうだ。
 これはあくまでも、仮定の話。君に好きだと言われたわけじゃない。それでも、仲良くしていたい、とか。幸せだって、そんな言葉を君の口から直接聞くだけでこんなにも、嬉しいと。胸が高鳴ってしまうなんて。
 …俺はこんなに、単純な人間だったんだろうか。ああ、違う。きっと、君だけだ。君だけなんだ。君と話してると、いつもの俺じゃない。狂わされる。君の笑顔を見てしまった時から、すでに始まっていたのかもしれないこの感情は消えることもないのだろう。


「…っふふ、」
「あ、赤葦くん?」
「いや、俺はバカだなと思って」
「赤葦くん、頭いいと思いますけど…?」
「…そういうとこ、ほんと、敵わないね」
「ぼ、僕はそのぶん運動がダメなので…」


 なんだ、簡単なことだったんじゃないか。自覚してみればバカらしくなってきて、君に面と向かって言ってみても、欠片も俺の気持ちが伝わってる様子は見られない。まあ、そんなところも含めて好きなんだけど。
 まだ笑いが止まらないのは、君が心配してくれるのが嬉しいんじゃない。君といると、おかしくて、自然に笑い声が込み上げてしまうんだって。


「…赤葦くんがここまで笑ったの、はじめて見ました」
「うん、俺もここまで笑ったのははじめてかも」
「そうなんですか? でも、なんか…」
「ん?」
「笑顔の赤葦くんも、素敵ですね」

 なんだか、貴重な赤葦くんを独り占めしちゃったみたいで少し嬉しいです。
 …ああ、君は一体どこまで好きにさせたら気が済むんだろう。
 悪戯そうに笑うその表情も、間違いなく貴重な君なのに。どこまでいっても、君の魅力に終わりが見えない。それはまるで底のない、足場の不安定な水溜まりのように。
 いっそのこと、溺れさせて欲しい。そう思う俺は、おかしいだろうか?



「…今日は、まっすぐ帰るの?」
「あ、いえ。今日は秋兄と一緒に帰るつもりで…」
「俺も一緒に帰りたいんだけど、いい? …ふたりで」
「あ、僕は全然。じゃあ、秋兄に連絡しておきますね」
「うん。その時に誕生日プレゼント、渡すから」
「えっ、悪いですよ…!」

 困ったようにぶんぶんと首を横に振る君に、いいからいいから、と笑って向き直る。
 そうは言っても、大した誕生日プレゼントなんて用意できていない。君の誕生日すら知らなかったことも悔やまれるし、君の好きなものだって知らない。
 でも、きっと。どんなものを渡しても、君は笑顔で受け取るんだろう。
 俺が知らない君は、まだまだいっぱいあるんだろう。それでも、君がそういう人間だということを知っていれば、それで今はじゅうぶんだと思うから。


「じ、じゃあ赤葦くんの誕生日に何かお返しします」
「じゃあ、日にちだけ知らせとく」
「えっ」
「だって、俺だけ知らないなんてフェアじゃないでしょ」
「今教えたら、」
「だめ。それを考えるのが楽しいんでしょ」
「そういうものですか…?」
「そういうものです」

 君の真似をしてそう言えば、君は困ったように、それでも笑った。
 とびっきりの誕生日おめでとうを贈るから、俺にもそれをちょうだいね。
 決して口には出さない。だって、今がその時ではないとわかっているから。
 今のうちから悩んでいるのだろうか。悩ましげな表情を見せる君に、ふっと笑った。





fin.

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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