おわりではないはじまり | ナノ

 おれには、憧れている先輩がいる。



「は〜疲れたっ!」
「あ、黄瀬くん。お疲れ」
「もー聞いてくださいよー今日も朝からシゴかれて…」
「ふふっ」
「…俺のこと全然労ってくれる気ないッスよね?」
「えっ、あるよっ! 思ってるよ?」
「ま、しょうがないか」


 何せ先輩だーいすきッスもんね?
 にやにやしながら言ってくる黄瀬くんに慌てて周りを見渡すと、同じ空間にいるクラスメイトたちはそれぞれ自分のことで盛り上がっているようだ。ほっと胸を撫でおろすと、名前出してないから大丈夫ッスよー、と呑気な返事。
 そういう問題じゃないよ、と口に出すのさえも億劫で、自然と溜め息が漏れた。



「今日もどうせ来てたんでしょ?」
「どうせって…」
「女の子多すぎて見つけらんないんスよー。ちゃんと見えてんスか?」
「なんとか人と人の間から…」
「もっと前で見ればいいのに」


 女の子たちがすごくて、と言うと黄瀬くんは申し訳なさそうに頭を掻く。
 勿論それが全てではないし、おれだって一応男なので身長はそれなりにある。黄瀬くんやバスケ部の方々とは比べ物にはならないけれど、笠松先輩のことを目に捉えられるぐらいには視界は確保できているので困ることはない。毎日ご苦労さまだなあ、と言えないのは何だかんだでおれも通っているから。



「そもそも何がきっかけなんスか? 馴れ初めとか」
「なれっ…別にそんなんじゃ、」
「ないとは言わせないッスよー? こんだけ尽くしてんだから、なんかあるでしょー」
「え、えええ…」

 ずいずいと身を乗り出して聞いてくる黄瀬くんは何故だか知らないけれど、とても乗り気のようだ。黄瀬くんが近付くぶんおれも下がるので、正直ちょっと身体が痛い。
 なくはない。なくはないのだが、理由が至極単純なのだ。ひたむきに練習に臨むその姿に心をうたれた。わざわざ口に出すほどもない理由。黄瀬くんが期待の眼差しを向けてくるだけに口に出すことすら気が引ける。



「つ、つまらない理由ですので…」
「ちぇ。ま、いいや。あとはくっついた後の楽しみにとっとくんで」
「だ、だからそういうんじゃあ…!」

 はーいはいっ、と笑う黄瀬くんは女の子が見たらそれはもう声をあげて騒ぎ立てそうなぐらい様になっている。だけどおれにとっては先輩関係で弄ってくる黄瀬くんは心臓に悪いので、今も内心ヒヤヒヤだ。この悪戯っ子な部分も含めてきっと魅力的なのだろうけど。
 予鈴のチャイムを聞きながら、そう思った。



「…好き、なのかなあ」


 黄瀬くんに言われたことが頭を離れなくて、今日ずっとどこか上の空だということは自分でも承知の上だ。その黄瀬くんは女の子に呼ばれて姿を消してしまったわけだが。

「…図書室にでも行こうかな」


 本でも読めばきっと気分転換になるはずだ、うん、きっとそうだ。今読むことはできなくても、本を選ぶ余裕ぐらいはあるだろう。放課後あたりに本を読んで暇を潰せばいい。そうしよう。
 思い立ったら即行動。まだ食べきっていないお昼ご飯を片付けて、おれは図書室へと向かった。



「…あ、」

 タイミングがいいのか悪いのか、そこには偶然にも笠松先輩がいた。笠松先輩は真剣に本を選んでいるようで、おれには気付く様子すらない。黄瀬くんにあんなことを言われた後だからか内心良かったと安堵したものの、そこはおれが大抵見る棚で。
 もう暫く時間がかかりそうなので他の棚を見て時間を潰すか、と思った矢先、ぐらりと傾く棚を目に捉えて、身体が勝手に動いていた。


「あぶなっ…!」



 絞り出した声は弱々しいものだったけれど、なんとか間に合いそうだ。こちらを振り返って驚いた表情の笠松先輩に心の中で謝り、申し訳程度に突き飛ばす。おれみたいな軟弱者にやられたぐらいで何の問題もないだろう、充分にぶつからない距離感は保てたみたいだし。
 慌てて棚を抑えたが、それに反して棚から漏れ出た本たちが次々に落ちてくる。頭を庇うように覆った手に当たって少し痛かったけど、酷くても痣ができる程度のものだろう。
 最後に分厚い本が足に落ちて、痛みに悶えたところで本の雪崩は終わったようだ。思わずしゃがみ込んで足を押さえる。




「ったあ…」
「何やってんだお前! バカか!」
「え、あ、お怪我は」
「ねえよ、つーか人の心配してる場合か! 立てるか?」
「あ、はい。この通り」
「とっとと保健室行くぞ」
「え?いや、でも本の片付けが」
「んなの後でいいんだよ! いいから来い!」


 結構な物音がしたのか駆け寄ってきた委員らしき女子を捕まえ、悪いけど後頼んだ、と声をかけおれの腕を掴み歩いて行く。言われた女子は慌てたように返事をして本の片付けに取り掛かっていた。それを気にしていると、強く引っ張られてバランスを崩す。思わず笠松先輩の背中にぶつかってすいませんと謝ると、余所見すんな、とだけ言ってまたおれの手を引く。先輩に腕を引かれ歩く図は注目を集めていたようで、自分で歩きますと言うも笠松先輩の返事はない。
 どうしよう、と思っている間に保健室に着いてしまった。先程の状況説明とおれが足を痛がっていたことを先生に伝えると、笠松先輩は外へ出てしまった。



「あちゃー、災難だったな」
「いや、おれは別に」
「…ふーん? 足ちょっと捻ってるな。一応湿布貼っとくけど、痛むようだったら病院行くこと」
「はーい…」
「んじゃ、お大事にー」




 ちょっと気怠げな喋り方で手をひらひらと振る男の先生にお礼を言って出ると、保健室のすぐ横で笠松先輩が立っていた。
 待って、くれてた…のかな?
 遅くなってすいません、と言うと、俺が勝手に待ってただけだ、と返ってくるのも笠松先輩のいいところなのかもしれない。


「でも、怪我がなくて良かったです」
「おまえ、この期に及んでまだそんなことを…」
「だって、バスケできなくなったら困るじゃないですか」
「…だから俺を庇ったのか?」
「おれは部活してるわけじゃないですし、別に怪我して困ることもないので―」
「…このバカ!」
「いっ………え?」



 バチッという衝撃と共に額に感じた違和感。笠松先輩の人差し指だけが突き出るようにこちらを向いているのに、所謂デコピンというやつをされたのだろう。大した痛みはなかったけれど、思わず額を押さえて笠松先輩を見る。びっくりしたのは笠松先輩の表情だ。
 不機嫌そう…というか、怒って、る?


「…俺を守ろうとしてくれたのは嬉しかった。感謝もしてる」
「あ、いえ、」
「けどな、俺を庇って怪我なんかされたくねえんだよ」
「えっ…」
「自分なら怪我していいとか言いやがるし」
「あの、」
「…わかれよ。お前のことが心配なんだよ」



 ちょっと眉間に皺を寄せて言う笠松先輩には申し訳ないと思ったけれど、心配されたことが嬉しいと感じてしまった。もう何回謝ったかわからないけれど、すいませんと口に出す。謝って欲しいわけじゃねえと言う笠松先輩に、心配してくれてありがとうございます、と返すと笠松先輩はぶっきらぼうにおうと答えた。そこでおれはふとした疑問に気付く。


「なんで、おれのこと…」
「…お前、いつも見に来てくれてるだろ。時々黄瀬と話してるの見たし」
「あ…」
「男でわざわざ見に来てくれるやつ、あんまいねーしな。まあその…なんだ。嬉しかった」
「あ、ありがとうございます…」
「お前だけが見てると思ってんじゃねーよ」




 ふ、と笑う笠松先輩があまりにも綺麗で。というか真剣な笠松先輩の表情しか目にしたことがなかったので、思わず呆けてしまった。大丈夫かと笠松先輩にのぞき込まれて、近くなった距離に慌てて大丈夫ですと笑う。
 まさか憧れている人とは言えど、同性の先輩にときめかされる日が来るなんて…。



「あ、お前今日帰り待ってろよ」
「へっ?」
「送ってやる」
「大丈夫ですよ。大したことないですし」
「嫌とは言わせねえ。先輩命令だ」
「えぇっ、」
「…だから、本でも読んで待っとけよ。迎えに行ってやる」


 また微笑んだ先輩に、実はわざとやってるんじゃないだろうか、と思いながら、俺は頷くことしかできなかった。
 早くこの赤くなった顔を戻さないと、黄瀬くんにまた何か言われちゃうかもなあ。もしかしたら帰りに何か言われてそれに先輩が蹴りをいれるのかもしれない。
 そう思うと、少しだけ怪我に感謝できるような気がした。ほんの、新しいはじまり。





fin.

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