植え付ける愛吼え | ナノ

 あの名前を出されると、おれは否が応でも身体が動いてしまうのだ。それを知っていて呼びにくるこいつはやっぱり卑怯だと思う。そして、毎回それに抗えないおれも馬鹿だ、とも。


「やっほー! 生徒会やってるー?」
「…飲食店みたいに言うんじゃない」
「おっ、コガじゃーん。いつものあれ?」
「そうそう! ちょっと副会長借りていーい?」
「おれはまだ仕事が残って、」
「ああ、いいって。誰にでもできる仕事だし、他に手の空いた奴にやらせるから」
「でも会長、」
「いいから。…お前にしかできない仕事があるだろ? これは会長命令だ。いいね?」



 こうして何の前触れもなくこの生徒会室に来訪者が表れるのは、何も今に始まったことではない。最初は会長と仲が良いから出入りしていると思っていたのだが、いつからかおれには決まった仕事が押し付けられるようになっていた。
 小金井が来るついさっきまで行っていた作業も、会長にその書類を取られて笑顔でひらひらと手を振られたらおしまいだ。命令という言葉には逆らえない。
 いってらっしゃーい、と会長の隣でにこにこして手を振る小金井に溜め息を吐いてこの場を後にした。



『あっ、副会長! いたいたー!』
『えっと、確か…会長の―』
『そうそう、友達! あいつからよく話は聞いてるよーん』
『はあ…』
『これなら俺とお前ももう友達同然だなっ!』
『…で、用件は?』
『あっ、そう! 生徒会は困ってる人がいたら助けてくれるよな?』
『…まあ、お望みとあらば』


 小金井とのファーストコンタクトはこんな感じだった。今思えば自己紹介と言えるほどの言葉も交わしてないし、そんなことだからお互いのことを名前で呼ばない始末だった。
 会長を通じてお互いに名前を知ったものの、小金井はおれを決して名前では呼ばなかった。副会長、と毎回呼ぶのだ。そして、この日からおれは小金井が来るたびに顔を顰めることとなる。



『やー、困ってるのは俺じゃないんだけどさあ』
『…じゃあ誰が?』
『俺といつも一緒にいるさー、大きい奴わかる? 黒髪でちょっと困り顔のー、』
『ああ、あの無口な』
『そうそう! 無口っていうか本当に全然喋んねーんだけどさ!』

 だーれも水戸部の声聞いたことねえもん! と笑い飛ばす小金井に、そうだ水戸部だ、と話題に出された彼の名前を思い出した。彼が有名なのは、小金井が言った通りまったく喋らないのだ。いつも一緒にいる小金井が通訳となっているあたり、小金井を通じて水戸部と話すことは困難なはずなのだが。
 …もしかして、小金井も水戸部の声を聞いたことがない、と?
 あー、なんかフィーリングみたいな? と言われた時はこの世には理解できないことがあっても仕方がない、と思ったものだ。




『でさー、水戸部って女子に人気あんだよね』
『それが何か関係あるのか?』
『大あり! しょっちゅう呼び出されてたけど、最近その回数が増えてきたんだよ』
『…それは、いいことなんじゃないか』
『でもさー、最近ちょっとこう気が強いっていうの? 強引な子が多いらしくて』


 つまり話はこうだ。水戸部は昔からそれなりに人気があり、彼に好意を寄せる人間はどちらかというと控え目な子ばかりだった。遠くから見ているだけ、想っていられるだけで幸せ。そんな子たちが勇気を振り絞って、告白をするのだ。
 水戸部自身はバスケ一筋だし、ずっと断っていると聞いている。ただ、それも優しい彼らしいと言うか、申し訳なさそうに断った後、ふわりと笑うのだ。
 俺も水戸部が告白されている現場に遭遇したことがあるけど、その時は泣いていた女の子にハンカチを差し出していた。ある意味で罪深い。そんなの、嫌いになれるはずがない。
 優しい水戸部の行動は更に知れ渡り、結果、今回のような男からすれば何とも羨ましい悩みへと発展したわけだ。彼の性格を考えると、本気で困っているのは明確だが。




『かなり強引に迫ってくる子もいるみたいでさあ』
『例えば?』
『最近だと、キスしようとしてた子とか』
『…返事を聞く前にか?』
『そうそう。それがトラウマになっちゃったみたいでさー、呼び出されるたびにびくびくしちゃって』
『それは…まあ…お気の毒に…』



 それはトラウマになっても仕方ないだろう。
 このままじゃバスケにも支障が出るかもしんないしさー、俺らもやっぱり水戸部のことが心配だし。
 そう続ける小金井に異論はない。小金井、そして水戸部が在籍するバスケ部が頑張ってるのは知っているし、もともと小金井と仲が良い会長から聞いていたし、会長に連れられて見に行ったバスケ部の練習も、真剣に頑張る姿は鮮明に映った。おれはバスケに興味があるわけじゃないけれど、初対面のおれに気付くとぺこりと頭を下げる水戸部に、礼儀正しいな、と思いながらおれも頭を下げたものだ。


『…それで、おれにどうしろと?』
『ちょっと水戸部のこと助けてやって欲しいんだよねー』
『小金井のほうができることがあるんじゃないのか?』
『むりむり! 告白現場に乱入して水戸部が困ってるみたいだからやめてーだなんてそんなこと言えねーって!』
『それはおれも一緒だろう…』
『だから頼んでんだよ、ふーくかーいちょーう』




 にやりと笑う小金井の言う意味を理解して、そういうことかと頭を抱える。
 確かにいつも一緒にいるからと言って、水戸部の告白現場に小金井が邪魔していたんじゃ相手は不快に思うだろう。通訳で頼んだならまだしも。しかし、おれなら副会長という立場から注意できる。いや、副会長だからって何でもしていいってわけじゃないんだけど。
 そんな無茶なことを、おれにやらせようとしているのだ。この男は。



『生徒会は、困ってる人の味方でしょ?』

 その、呪いのような言葉を携えて。




「…ほっとけないおれも馬鹿だな」

 彼を助けに向かうのは、もう両手で数え切れないぐらいだ。最初はなんでおれが、と思った。おれが入ることで逆上する子や、手を上げようとしてくる子だっていた。なるほど確かにこれはキスのひとつやふたつあってもおかしくない、と。
 彼の助け…になっているのかはわからない。だって喋らないのだから。それでも、困ったような顔を見るとおれの身体は動いてしまう。大きい捨て犬みたいな瞳でおれを見つめる彼に、手懐けられているのはどちらだったか。



「ねえ、いいでしょ?」

 さて、今日も彼を助けなければなるまい。声なんて聞こえなくてもわかる。きっと彼は、また困ったようにおれを見つめてくるだろうから。


「これだけ近付いても何も言わないの?」
「っ…!」
「いいよ、何もしなくて。全部まかせて。あたしがやったげるから―」
「はーい、そこまでー」
「な…何よ、あんた」
「おれ? 生徒会長ですけど。あ、副ね」
「邪魔しないでくれる? 今取り込み中なの」
「できることならそうしたいんだけどね。でも、彼はすごく怯えてるみたいだ」



 ちらりと彼を見ると、怯えていたような瞳がおれを捉えた瞬間に、安堵の表情へと変わる。
 彼を何度か助けるようになって、仲良くなったと言ってもいいだろう。だから何だかんだ言っても、こうやって彼に頼られるのは嬉しい。
 だけど、今はこうしてぬるま湯の幸福に浸っている余裕はなさそうだ。…目の前の女子は、おれを鬼のような形相で睨んでいる。


「は? 生徒会に止める権限あるわけ?」
「普通の告白ならないだろうね。ただ、君のそれは明らかに度を越えている」
「何が悪いって言うのよ」
「ああ、顔の気持ち悪さと頭は比例してるのか。頭の弱い君にもわかるように説明してあげようか? 迷惑だ、って」
「調子に乗ってんじゃないわよ!」



 厚い皮で塗りたくられた顔に、パンダのような目、毛虫のような睫毛。ただでさえ悪印象を植え付けるその仮面は、そりゃもう歪む歪む。
 これは節分に付けるお面のデザインになっても遜色ないぐらい怖いな。子供なら泣いてトラウマになること間違いなしだ。わざとそう仕向けるように言ってるのはおれだけど。
 だって、彼をこんなに怯えさせて黙ってられない。仲良くなった今となっては、おれにとって彼は大切な人なのだ。


「まず、スカート丈が短い」
「…は?」
「特別綺麗な脚をしてるわけでもないね。見苦しい。その汚い茶髪もだな。根元黒いのわざと? 似合ってないよ」
「ちょ、」
「そのバケモノみたいな化粧、まあ化けると書いて化粧だから合ってるんだけどさ。日中には目の毒だな。ああ、あとそのピアスも下品だね。あまり拡張すると伸びて福耳になるよ」
「あんたねぇ…っ!」
「…全部、校則違反だ」



 ここでカード切ったっていいんだよ? とポケットから色の付いた紙をちらつかせると、目の前の女子の表情が固まる。それもそのはず。うちの学校には校則違反をするたびにカードを切る制度があって、基本的にはイエローカードだ。だけどそのイエローカードが重なって積もり積もれば、レッドカードへ移行と同時に保護者呼び出しとなる。
 どの人物がどの枚数カードを切られているかなんて、ちゃんと把握している。彼女は確か、次でレッドカードだったはずだ。
 彼女は暫く俯いて黙っていたが、どうする? と問い掛けると、舌打ちをしておれのそばを通り過ぎる。去り際に、クソ野郎が、と捨て台詞まで吐いて。おぉ、こわいこわい。




「さて…大丈夫だった? 遅くなって悪かったな」
「…!」
「ああ、いいって。水戸部も大変だな」
「っ…、」
「え?なに?」


 終わったら申し訳なさそうにぺこぺこ謝ってくるのはいつものことで。いいって言ってるのになあ。
 水戸部は納得がいかないのか、まだ困り顔のままだ。…と思っていたら、水戸部が何かを思い付いたような表情をしてちょいちょいと手招きをされる。自然と水戸部に近付くと、おれと身長差のある水戸部が屈む。ふわり、水戸部のにおいがした。



「えっ、」
「……」
「水戸部、今…ん?」
「…っ、」
「あ、あー…お礼? お、おお、いいのに…はは、うん」


 そして頬に落ちる柔らかい感触。吃驚して目を見開くと、ゆっくり離れていった水戸部が目を細めてにこやかに微笑む。
 いや、えっと、おれもあんまりこういった経験はないけれど。でもこれはちょっとさすがにわかるよ。
 まだ温もりが残る頬に手を伸ばすおれは、それは間抜けな顔をしていることだろう。
 だってしょうがないじゃないか。これ、所謂、キスっていうやつだろ。え?意味わかんない。




「…?」
「あっ、嫌じゃなくて、うん、大丈夫。ただびっくりして、?」
「…っ!」
「っうわ!」

 水戸部が悲しそうな顔をしたので、慌てて首を横に振る。水戸部が瞳を輝かせるのと同時に、今度は手を掴まれて流れるようにくちづけが落とされた。ちゅっ、という音を立てながら。
 い、嫌じゃない。嫌ではない、けど、なんでこんなことしてんの。そもそも水戸部キス迫られて困ってたんじゃないの。なんでこんなに恥ずかしいの。熱いの。水戸部はなんでこんなに、嬉しそうに笑ってんの?


 ―どんなに優しそうな奴でも、男は狼の皮を被ってるから気を付けたほうがいいぜ。―

 ありがたくもないと思っていた会長の忠告を、軽く笑い飛ばしていた過去の自分を罵りたい。今気付いたところで、どうにもならないけど、でも。



「狼犬…とか、はは」

 おれを見つめる瞳が、突如として熱のこもったそれに見えた。





fin.

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