なんだ、意外にかわいいやつなんだな | ナノ

「ダメ。全然話になんない。やる気ある?」
「あっ、ります…!」
「そう、じゃあやる気だけが空回って中身のない練習ばっかりしてたのかな。時間が無駄だったね」


 たどたどしい歌声が響いてきて、やってるな、と思えばその後に続く容赦ない言葉。冷ややかな声に懸命に返事をする後輩の声は、だんだん小さくなり震えている。



「じゃあ、もう一回」
「で、きません…っ」
「できないじゃないでしょ、やるんだよ。ただでさえ使い物にならないんだから」
「ふ…っ、」
「泣いていいなんて言ってない。もう一回、やると言ったらやる。ほら、スタート」
「…っ!」




 とうとう耐えきれなくなったのか、後輩は何も言わず部屋を走り去る。中から表情を変えずに出てきた問題の顔は気怠げで、俺の姿にはまだ気付いてないようだった。


「あれだけ感情を露わにできるのにどうしてそれを歌に表現できないんだか…」
「教育熱心だな」
「ああ、日向さん。お疲れ様です」
「おう、お疲れ」



 そのまま横に並んで歩く。さっき指導…と言うにはやりすぎだと思う者もいるかもしれないが、頼み込んできたのは後輩のほうからだった。それを振り向きもせず、いいよ、と頷いたのもこいつ。
 実力、人気共に他のアイドルに引けを取らず、目上の人に対しての言葉遣いもきちんとできる。スタッフだろうが共演者だろうが、分け隔てなく気配りもできる。モデル、歌手、俳優と数え切れないほど活躍するうちの大事なアイドルだ。
 ただ、こいつにはひとつ問題があった。




「教育熱心なんかじゃないですよ。思ったことを口にしただけで」
「思ったことを、ねえ…」
「まあ、その必要もなかったみたいですけど」


 これで何人目だか、と呆れにも似た溜め息を吐くこいつは、後輩に指導中逃げ出されるのは初めてではない。
 多種多様に活躍するアイドルであるこいつに憧れて、指導を頼み込む後輩は何人もいる。ただ、こいつはどうにも口が悪いのだ。勿論、意地悪を言っているわけではないのはわかっている。
 ただ、憧れの先輩の言葉を待っていたらこう返ってきてしまっては、心が打ち砕かれるのは仕方ない。間違ってはいないんだが、それに耐えられる心を持つ者はこいつに親しい奴を除いてはほとんどいないだろう。



「あっ、鬼さんの登場だー!」
「何の話だ」
「こっちまで聞こえてたぜ。さっきの」
「ああ、邪魔したか。悪い」
「レイジひとりのほうが煩かったけどね」
「ふん、せっかくのティータイムが台無しだ。淹れ直せ」
「…ってもうどうせなくなるところだったんじゃないか。藍は? いる?」
「じゃあ、もらおうかな」

 …とまあ、このようにうちの事務所では先輩とされるこいつらとは仲が良い。
 コーヒーを淹れるのが美味いのは、俺も実証済みだ。甘党であるカミュのコーヒーにも容赦なく角砂糖をじゃぼじゃぼと投入しているが、カミュにとっての好みの味を把握している。普段は食事おろか水分さえ摂らない藍もこいつが出す物には口を付けるし、あの蘭丸でさえこいつの出すものには美味いと毎回言うほどだ。


「って、ちっがーう!」
「何が? ちゃんと嶺二のぶんも淹れてるぞ。ほら、カミュ」
「ふむ…相変わらず美味だな、貴様の淹れるコーヒーは」
「そりゃどーも。蘭丸と藍はブラックな」
「おう」
「ん、ありがと。いい香りだね」
「はい、日向さん。ミルク多めです」



 受け取ったカップに口を付けて、一口啜る。ん、美味い。何回飲んでも口に出してしまうのは、たぶんこいつが俺を含めてそれぞれの好みを熟知しているからなんだろう。自分のぶんのコーヒーにこいつが口を付けたところで、また煩い声が室内に響いた。


「だ、か、らー! ぼくのこと無視しないで! 仲間外れ反対!」
「なんだよ。不味かったのか?」
「そりゃもう、ぜーんぜん! とっても美味しいよ! 女の子だったら彼女にしたいぐらいにねっ!」
「ありがとう、不名誉なことだな」
「つーか、お前はさっきから何が言いたいんだよ」



 不機嫌そうに眉間の皺を深めた蘭丸が、コーヒーを啜ってからそう切り出した。いつもなら嶺二相手に煩いと言って声を荒げそうなものだが、こいつのコーヒーを飲んで落ち着いているのか声のトーンは静かだった。もはやこの空間で煩いのは、ただひとり嶺二だけだ。


「だからさあー、後輩にはもっと優しくしてあげないと!」
「優しくしてあげたら成長でもするわけ?」
「そりゃ違うけどぉ! 言い方がさあー」
「これがおれの言い方だ。今更変わったって気持ち悪いだろう」

 カミュの営業用がプライベートでもずっと続く感じだろうか。想像したことはカミュを除くここにいる全員が同じだったようで、苦い顔をした。素を知っているからか、あれがずっと続くと耐えられないのだろう。それは俺も含めて。
 変なこと考えさせんな、と蘭丸に叩かれて、痛い! 暴力反対! と声をあげた嶺二はやっぱり煩い。



「でもぼくさあ、びっくりしちゃったよ。ランランより口悪い人なんていないと思ってたもん」
「嶺二、てめえ…」
「きゃーっ! いじめよくない!」
「レイジ煩い。…でもまあ、確かに言えてるかもね」


 ランマルは威圧感があるけれど、君はそれだけじゃないからね。
 そう言う藍の言葉に、でしょでしょー? とこいつの後ろに隠れていた嶺二が顔を出したその瞬間、待ってましたとばかりに蘭丸から叩かれる。んもうランランったら激しいんだからっ、と口を開く嶺二は学習というものをしないのか、喋らずにはいられない性分なのか。…たぶん両方だな。


「ランランはさあ、普段から怖い顔してるし人を必要以上に寄せ付けないオーラっていうの? それがあるから冷たい態度取られても仕方ないって部分もあるけどー、」
「はっ、いい歳して媚び売ってるお前に言われたくねえな」
「んもう、歳のことは言わないでっ!」
「はあ、もう5分32秒のロスだよ。時間のムダ」
「…つまり、外面はいいのに素になった途端冷たいおれのギャップに戸惑うってことか?」


 そうそうそれそれ! と言った嶺二は調子のいい奴だとは思うが、こいつが綺麗に纏めてくれて助かった。嶺二だと話が進まない。
 …そして、こいつ自身の言う通りだとも思う。アイドルは裏表が激しいというが、こいつは特にそれが著しいのかもしれない。つまり、極端にその差が激しいのだ。悪いことではない。
 これはカミュや藍といったアイドルにも言えることだし、殆ど裏表が変わらないと言ってもいい嶺二や蘭丸のほうがどちらかというと珍しい。だが、こいつを含めたここにいる全員はそうやってトップアイドルとして活動しているのだから、誰も文句は言えない。それがプロってもんだ。



「おれはおれを変えるつもりはないよ。例え誰に何と言われようとも」
「愚問だな。貴様が変わる必要などない」
「…ま、悔しいが同感だな。お前はお前の信じた道突き進めよ」
「ボクも同じだよ。君じゃない君なんて、こっちから願い下げ」
「それはぼくも同じだけどぉー…ってどこ行くのー?」
「休憩。ちょっと外の空気吸ってくる」
「でももうちょっとコミュ力付けてもいいと思うんだー…って聞いてるー!?」


 嶺二の言葉を聞いているのか否か、扉は静かに閉まった。それを合図に、各々自分の作業に移る。
 嶺二はまだ何か言っていたが、誰も相手にしてくれないと知ると静かになった。俺はコーヒーの礼を言っていなかったのを思い出して、飲み干してから席を立つ。
 別に急ぐことでもなかったんだが、スケジュール変更であいつに伝えることもあったので、外に出て姿を探すと複数の話し声が聞こえてきた。



「あいつさ、泣いたってよ」
「うわあ、マジかよ。確かにあの人きっついもんなー」
「アイドルとしては尊敬できるけど、素があんなだとなー」
「人間的にどうなの? っていうやつ? ああはなりたくねえなー」


 その後騒々しい笑い声が響いて、すぐにあいつのことを言っているのだとわかった。嫌われることもアイドルにとっては大事なことだとは言っても、あまりいい気分のものではない。俺がわざわざ口を出すことでもないんだが、今はあいつを探し出さなければならない。
 陰口はまだ終わらないらしく、何がそんなに楽しいのか軽快なトークが続く。かと言って今出て行けば、それなりに気まずい顔をされるに違いない。
 めんどくせえな、と頭を掻いたところで見知った姿が視界に入った。




「そんなところに突っ立って話さないでくれる? 通行の邪魔だよ」
「えっ、あ…」
「聞こえなかった? 邪魔だって言ったんだ」
「す、すいませっ、」
「それと、陰口ならもっと本人にばれないようにしなよ。おれは気にしないからいいけど」

 まあ、陰口叩くぐらいなら練習でもしたほうがいいけどね。君たちただでさえへたくそなんだから。
 そう吐き捨ててあっという間に去っていったのは紛れもなくあいつで、言われた奴らは小さく文句を言いながら、悔しそうに唇を噛み去っていった。あいつはこんなことで傷付くような器じゃないが、さっきも言ったように俺はあいつに用事がある。
 …まあ、まったく心配じゃないわけじゃないしな。
 そう思いながら辿り着いた先で、俺は意外なものを見てしまった。


「ん、遅くなって悪かったな。元気にしてたか」
「にゃあ、」
「わかってる、今やるって。…ふ、くすぐったいな」

 笑いかけていたのだ。猫に。そこにいるのはまるで別人のようで、猫も懐いているあたり手慣れているのだろう。擦り寄る猫に笑って、餌にがっつき始めた猫を優しく撫でるその姿にはさすがに俺も度肝を抜かれた。




「お前、動物好きだったのか」
「っ!?」
「ああ、悪い。そんなに驚くとは思ってなくてな」


 なるべくゆっくり声をかけたつもりだったが、俺以外の人間がいると気付いた途端勢い良く振り返った顔は珍しく焦っていた。あまり見ないその表情に感心していると、猫が鳴き声をあげる。それにはっとして餌を追加すると、冷静さを取り戻した目の前のこいつは俺に向き直った。

「猫、懐いてるな」
「…こいつ、いつもここにいるから。餌だけ、やってて」
「そうか」
「…あの、日向さん。このことは…」
「言わねえよ。お前が望むなら、な」

 ほっとしたような表情を見せたこいつは、ありがとうございます、と表情を緩ませた。あ、ちょっと嬉しそう。


「…おれは、教えてくれる先輩もいなかったから」
「ん?」
「前の事務所。先輩はいたけど、自分のことは自分で、って主義だったので」

 勿論ここに入ってからは日向さんたちから学べることが多かったですけど、と続けるこいつはオッサンにスカウトされて移籍したクチだ。その頃から目立ってはいたが、うちに移ってから飛躍的に人気も知名度も伸びたのは言うまでもない。



「これでも結構大変だったんですよ、おれ。だから、なるべく後輩たちには失敗してほしくなくて」

 ただでさえ厳しいこの世界だし、少しでも気を緩めばすぐに足元を掬われる。落ちていったらあっという間。少しでも長く輝いて欲しい。なんて、そんなのおれのエゴなんですけどね。
 そう笑った表情は苦そうで、きっと今まで消えていった仲間たちを何度も見たのだろう。だから、厳しくする。たとえ誤解されようとも。



「それにしても、お前…意外に可愛いところあるんだな」
「…やめてくださいよ」

 男にそんなこと言われても嬉しくないです。
 それもそうか、と笑った。今はただ、こいつの新しい一面を見れたのが嬉しかった。


「日向さん」
「おう、どうした?」
「あの、これ…この前のお礼、です」

 そう言って渡されたのは、焼き菓子数種類が入ったラッピングされた袋。律儀な奴だ。手招きをして、なんですか?と近付いたこいつの耳元に口を寄せた。


「お前、やっぱり可愛いな」
「ッ!?」

 囁くように言ってやると、真っ赤な顔で耳を押さえながら俺を見上げる。その反応に満足して、ひらひらと手を振った。
 ああ、やっぱり可愛い後輩ってもんはいいな。次はどう可愛がってやろうか、上機嫌になる自分に笑った。





fin.

DOGOD69
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