*05 | ナノ

 夜が明けた。鳥の鳴き声、心地良い陽気を感じながら目をこする。


「…おかあさん、」

 名前を呼んでも、出てきてはくれない。昨日のことが頭に浮かんできて、頭がぽーっとする。おかあさんの顔は、赤いぐちゃぐちゃで塗りつぶされて消えた。これが何を意味するのか、おれにはわからない。
 ただひとつわかるのは、おかあさんはもうおれと同じ世界にはいないということだけだ。



「おはよう」

 それが、おかあさんとおれのいつもの合図だった。ねてるおかあさんにこう言いさえすれば、同じようにおかあさんは返してくれて。
 それから、顔を洗って、おかあさんの作った朝ごはんをたべて、歯をみがいて、おかあさんと一緒に過ごす。



「…わかんない」

 かさり、さすけからもらった白い紙をなでてつぶやく。おれはまだそれほど字が読めないからわからないけれど、これが“いしょ”というものらしい。これは若が持っておいて、とさすけに渡されたけれど、目を通してみてもおれにはわからなかった。
 若が大きくなった頃にまた見てみるといいよ、と頭を撫でられて、こくりと頷いた記憶はある。




「…おきなきゃ、」

 おかあさんからのおはようが返ってこなくても、朝は来た。おかあさんがいなくても、時間は進む。世界は回る。きっと、おれがそうだったとしても。
 用意されていた衣服にゆっくりと着替えてから、静かに部屋を出た。



「さすけ…?」

 きっと、さすけはもうおきていろいろやってると思う。おれは今おきたばっかりだし、時間なんてわからないけれど。
 どこに何があるかもよくわかっていないこの広いお家を、ぺたぺたと歩く。誰もいない。昨日はしゃいでいたやけに広いこのお家がやけに怖くて、思わずさすけの名前を呼んだ。

「はいはーいっと、俺様参上!」
「わっ、さすけ?」
「はい、佐助ですよー。お呼びかな、若」

 若はちゃんとひとりで起きれたねー、えらいえらい。
 風が吹いたと思ったら、どこからともなくさすけがあらわれた。それにびっくりしていると、呼んでくれたでしょ? と頭をなでられる。こくり、と頷いてよく見ると、さすけはしろいの? おかあさんがお料理する時にいつもつけてるやつ。それとそっくりなものをつけていて、俺様時々忍であることを忘れそうになっちゃうってもんだよ…とさすけはふっと目をそらした。
 でもおれにはよく意味がわからなくて、さすけは何も言わずにおれの髪をわしゃわしゃした。
 ああそうだ、とそんなさすけが屈んでおれとさすけの目の高さが一緒になる。



「若、おはよう」
「おはよう…?」
「朝の挨拶。まだだったでしょ?」


 そう言われて、はた、と止まる。おれとおかあさんが毎日交わす言葉はいっぱいあったけれど、そのなかで一番さいしょの言葉がこれだった。これをしないと一日が始まらない、おれはそう思っていた。そしておかあさんがいなくなって初めてわかった。
 お互いに相手がいないと、この言葉は成立しないのだと。

「…おはよう」
「はい、おはようございます」
「さすけ、おはよう」
「おはよう、若」



 おはようと言えば、おはようと返してもらえる。おかあさんはもういないけれど、この言葉は続いていく。それがどうしようもなくうれしくて、おれは何度もおはようと言い続けた。さすけはにこにこ笑いながら、おはようと返してくれる。
 おはよう、おはよう、おはよう。特別じゃないこの言葉が、今のおれにはきらきらしたものに思えた。


「さすけ! おはよう!」
「おっと若、元気だねー。旦那みたい」
「ほかのひとにも、おはよう?」

 そう言うと、さすけは目を大きくひらいて、びっくりしたのかな? そんな表情のあと、なぜかぶっと噴き出した。
 ごめん若ちょっと待って、と口に手をあててこらえてるような仕草は笑ってるみたいだったけど、おれにはどうしてさすけが笑ってるのかわからなくて、首を傾ける。
 はー、と大きく息を吐いたさすけは落ち着いたようで、若はほんとに可愛いんだからもう、とおれに向き直った。




「そうだね。いってらっしゃい」

 旦那なら外にいると思うから。声は覚えてるでしょ?
 そうさすけに言われて、こくっと頷く。
 大将へのところは旦那に連れてってもらえばいいよ。わかった? と言われて、わかった! と言葉を返す。おっといい返事、とおれの頭をなでるさすけは、たぶんすきなんだと思う。なでるのが。


「さすけ!」
「んー?」

 たたた、とさすけから少しはなれた場所で立ち止まり、くるりと振り返る。

「いってきますっ!」

 これも、おれにとっては大事な言葉だった。さすけに手を振り、またあの言葉をかけるため、そして返してくれるであろう彼のもとへと急ぐ。


「まーったく、可愛くてやんなっちゃうねえ」

 俺様仕事したくなくなっちゃいそう。
 そう呟いた佐助の声は、空に溶けて消えた。





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