*04 | ナノ

 泣き喚いた小さな彼は、今確かに俺の腕の中で眠りについていた。…泣き腫らした目のまま。
 客室部屋に布団を用意して彼を寝かせて、泣き腫らした目の処置をして部屋をあとにした。旦那と一緒に、大将のもとへと向かうためだ。



「ただいま戻りました。大将」
「うむ、ご苦労であった。あの子は」
「泣き疲れて眠ってますよ。一応見させてはいますけど」
「そうか…」


 こちらに来る前に大将には事実を知らせていたため、一番先に気にかけたのは若のことだった。
 ほんとうは真っ先に彼のもとに向かいたいのだ。俺だって、旦那だって。行ったところで彼の闇を消してあげられるわけでもない。救ってあげられるわけでもない。ただ、俺たちがそうしたいのだ。しかし今やるべきことはわかっている。




「して、遺体の状況は」
「自害と考えて間違いないと思いますよ、抵抗した痕もなかったし。まあ、でも決定的なのはこれかな」
「? なんだ、それは」
「ま、遺書ってやつだね」


 遺書。その言葉に旦那は目を見開いたが、大将は何も言わずにそっと開く。黙って読み進めるその内容が気になるのだろうか。固まる旦那に、読み終わった大将が静かに息を吐いた。

「お、お館様! 何と書いてあったのですか?」
「…この子を、守ってやってくれと」
「自害で…間違いないのだろうか…」
「十中八九、ね。部屋から見つかったんならまだしも、持ち歩いてたってことは―」



 そう。恐らく、彼女は最初から死ぬつもりでいたのだ。ここで。大将にこの子を預けるつもりで。
 若自身が彼女の亡骸を見つけるのは予想もできない事態であっただろうが、今の彼女にそれを聞く術はない。死人に口なし、というやつだ。


「で、どうします?」
「血の繋がった儂の子じゃ、何の異論もあるまい。あの子には寂しい思いをさせてしまうかもしれぬが…」
「そのぶん、幸村が精一杯尽くしましょうぞ!」
「うむ。頼むぞ幸村、佐助もな」
「はーいはいっと。ま、わかってたけどね」



 まあ本人の意志を一番優先するべきなんだけど、たぶん首を横に振ることはないだろう。
 一番の問題は、この事実を彼に伝えることだ。最愛であろう母が死んで、まだ気持ちの整理もつかない幼い彼に、これから家族になります、と軽く言えるわけがない。でも、言わなければならないのだ。だってあの子は俺たちの家族になるんだから。




「で、どうします? 大将の口から伝えるのが一番だと思うんですけど」
「もとよりそのつもりじゃ。まだ部屋か」
「まだ眠っておられるのだろうか…」
「んー、とりあえず部屋に行ってみて、休んでたら出直して…」




 そこまで言って止めたのは、気配を感じたからだ。大将と旦那も意識を扉にしゅうちさせる。ぺたぺたと軽い足音は、きっと彼のものだろう。どうやって抜け出してきたのか、今はそれどころではないが。扉が開くのを待っていると、やはり小さい彼がひょっこりと顔を出した。



「さすけ…?」
「若、おはよう」
「さすけぇ…!」
「おっと。…ごめんね、寂しかった?」
「うっ、うう、さす、さすけぇ、」


 俺の胸に飛び込んできた若をしっかり抱きとめて、また泣き出した彼の背中をあやすように優しく叩いてやる。どうやら目が覚めて傍に見知った人がいないのがこたえたようだ。俺の服に皺ができるほど、ぎゅっと掴んで離さない。
 大丈夫だよ、ここにいるよ。
 安心させるように耳元で囁くと、彼はこくこくと頷く。涙が散って俺の服を濡らした。
 それさえも愛しい、と思う。守らなければ。




「若殿…!」
「ゆきむら…? おやかたさま…! んっ、」
「これ、擦るでない。目が腫れてしまうであろう」
「ごめんなさい…」


 しゅんと目に見えて落ち込む彼に、大将はふっと笑った。
 大丈夫だよ、怒ってないから。と俺が言うと、ほんと? と不安そうに尋ねてくる。
 ほんとほんと。ね、大将と話したいでしょ? 行ってきなよ。と言うと、ちらちら俺のほうを振り返りながらおずおずと大将のほうに向かう。
 そんな若を見て、大将がぽんぽんと自らの膝を叩く。ここに来い、という合図だ。まだ大将が怒っていると思っているのか、おずおずと大将の膝に乗る彼がなんだか微笑ましかった。



「無理して泣き止むことはない」
「…っ」
「だが、お主の泣き顔は見てて哀しい」
「ごめんなさ…」
「…泣くなとは言わぬ。精一杯泣いた後に笑ってはくれまいか」


 それまで俯いていた若が、ばっと顔を上げる。ふっと優しい表情になった大将がわしわしと若の頭を撫でると、若が大将の胸に飛び込んだ。漏れてきた嗚咽に、俺と旦那は目を見合わせて笑った。



「…もうよいのか?」
「…うんっ、だいじょうぶ!」

 満足いくまで泣いたのか、大将の膝から降りた若がへらっと笑う。泣き腫らして赤くなった目は痛々しかったが、その笑顔にほっとした。
 よい顔じゃ、と大将に撫でられて嬉しそうに口元を緩める。


「…でもおれ、ひとりになっちゃった」
「…若殿。そのこと、なのだが―」
「お主を、家族に迎え入れようと思う」




 旦那の言葉を遮って、大将が口を開く。その言葉に瞬きをぱちぱち繰り返した若が、かぞく? と口に出して、それに大将が力強く頷く。


「そうじゃ。儂の息子にな」
「俺もいますぞ!」
「俺様もいるよ〜」



 若の頭に手を置く大将、握り拳を胸の前で作る旦那、ひらひらと手を振る俺。当の若は口を開けたままポカーンと呆けている。
 まだ状況が飲み込めないらしい若に笑い声が漏れそうになるのを堪えて、若は俺たちと家族になるの、嫌? と尋ねてやると、はっとした表情を見せて、いやじゃない! とぶんぶん首を勢いよく振ってみせた。
 堪えきれずにぶっと噴き出した俺に続いて、失礼ではないか佐助、と途切れ途切れに言葉を紡ぐ旦那だって笑い声が漏れている。最後に大将の地を揺るがすような大きな笑い声が響くと、なんでわらうの!? と若が声を荒げる。もう限界だった。それを合図に俺も旦那も大口を開けて笑う。若も最初は不満そうにしていたけど、俺たちの笑い声を聞いてつられたのか可愛らしい声で笑った。




「さて。改めて、儂の息子となってくれるか?」
「うんっ!」

 若は今度こそ、元気よく返事をして自分から大将に飛び付いた。ようこそ、武田家へ。





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