*03 | ナノ

「おかあさんは?」

 どれぐらいそうしていただろうか、すっかり夢中になっていたおれはさすけに抱えられたまま聞いた。
 うーん、と返してくるあたりさすけも知らないみたい。外を見ると空はすっかり橙色になっていて、おりるー、とさすけに言っておれは降ろしてもらった。


「おかあさん…」
「そういえば遅いね。どこか行くとか言ってた?」
「ゆっくりしてなさいって」
「気を利かせてくれたのであろうか…」
「でもね、おかしいの。」
「若、おかしいって何が?」



 目線を合わせるように屈んでくれるさすけをまっすぐみつめて、ぽつりぽつりと話し始める。
 今までにおかあさんがおれをどこかに連れて行ってくれることはあったけれど、たとえおれとあそんでくれるひとがいたとしても、今日みたいにこんなに長い時間ほっとかれることなんてなかったのだ。おかあさんが迎えにきてくれて、おかあさんと一緒におせわになりましたって頭をさげて帰るのが当たり前だったのに。でも、おかあさんがこない。




「おれ、さがしてくる!」
「あっ若ちょっと待って!」

 ひとりで行っちゃだめだってばー!
 後ろからさすけの声が聞こえたけれど、おれは前だけを見て走った。おかあさんに、あいたい。




「ここ、どこだろう…」


 おれがおかあさんを探すはずだったのに、まいごになってしまった。くらくてこわいけど、今はさすけもゆきむらもおやかたさまもいない。やっぱりひとりでくるんじゃなかったかなあ、という考えをぶんぶん頭をふって消した。
 おれがおかあさんを助けてあげるんだから!



「うやっ!?」

 何かにつまずいて転けてしまった。すりむいたところから血が滲んできたけど、それよりもおかあさんを探すんだ。
 ぱんぱん、ついた土をたたいて転んだほうを見ると、何か大きなものが倒れていた。おれが、つまずいたもの。ちがう、ものじゃない。暗くて見えにくいけど、これは―



「…おかあさん?」

 紛れもなく、おれの探していたおかあさんだ。おれみたいに転んじゃったのかな? でも、動かない。おかあさん、と声をかけてみたけど返事はない。いつもだったら、笑って答えてくれるはずなのに。
 寝ちゃったのかな? でも、お外で寝ちゃだめだって言ってたのはおかあさんだ。あぶないんだって。おこしてあげなきゃ。
 もう一度おかあさんと呼んでゆさゆさ動かす。そのとき、手にぬるっとしたものがついて自分の手のひらを見る。真っ赤だ。これって、


「―若!」

 いきなりまぶしい光がおれを照らして、さすけの声がした。思わず目を瞑って薄目で見ると、さすけの姿がうっすらと見えた。よく見えないけど、後ろにゆきむらもいるみたい。おやかたさまは、わからない。
 でも、光はおれだけでなくおかあさんも照らしたわけで、おかあさんは、赤で汚れていた。血だ。おれの手にも、血がべっとりついている。さっきのが、そうだったんだ。




「さすけ、おかあさん、けがしてる」
「若…」
「なんという…」
「ゆきむら、ねえ、おかあさん、いたいって」
「若殿…っ」
「…旦那、ちょっと若お願い」


 ゆきむらに抱えられて、おかあさんから離れた。
 ゆきむら、ねえ、おかあさんが、と呼びかけてもゆきむらはただおれを抱きしめるだけで。さすけはおかあさんの手首をつかんで、ただふるふると首を横に振った。離れたおかあさんの手がだらんと垂れる。ゆきむらが、そんな…と言っておれを強く抱きしめた。
 くるしいよ、と言っても、すまない、と言って力を緩めることはない。おれには意味がわからなかった。



「さすけ、おかあさん、けがしてる?」
「若…」
「いたいって。ねえ、たすけてあげなきゃ―」
「ごめんね、若。もう、お母さんは助けてあげられない」
「…なんで?」
「…君の、お母さんは―死んでる」


 もう、動かないんだ。目を覚ますこともないし、俺にはどうすることもできない。
 …なんで? なんでさすけは、そんなこと言うの? しぬって、もう動かなくなることでしょう? お星さまになっちゃうんでしょう? もう二度としゃべることもできなくて、こころの音が、きこえないの。



「うそだ! だって、おかあさんは、おいていかないもん! おれとずっと一緒にいるって、約束したもん!」
「若…」
「おかあさん…!」




 ゆきむらの腕から抜け出して、おかあさんのもとへと走る。だって、おかあさんは眠ってるだけなんだ。
 おかあさん、おきてよ。揺さぶってみても返事はない。でもいつか起きてくれるはずなんだ、おかあさん、おかあさん、おかあさん。ねえ、なんでこころの音がきこえないの。どうして、おきてくれないの。



「おかあさん、おかあさん…!」
「っ若、もういい、もういいから―」
「っうぁ、あぁ、おかあさ…!」

 おかあさんは、確かに、死んだのだ。





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