ぼくときみの不完全体質 | ナノ

 強くならなきゃ。隣で笑うもうひとりのぼくを、ぼくを好きでいてくれるきみを、守るために。



「ちょっといいかな」
「…どうぞ」
「えっ、今のって…桃井じゃ…」
「黒子やばくね…?」

 いつもよりちょっと早く家を出て、ぼくとさほど変わらない体つきの彼を捕まえた。というか、知り合いに話しかけただけなのだけれど。ただ、周りの目からはそう見えないらしく、ぼくが彼を無理矢理連れ出した、と思っているのだろう。唯一の救いは彼が何も気にせずついてきてくれることだろうか。



「桃井に、おめでとうって言ってほしいんだ」
「君も桃井じゃないですか」
「この場合の桃井は彼女だよ」
「相変わらず、名前では呼ばないんですね」
「…そうだね。その役目はぼくじゃないから」


 ぼくと同じ姓を持つ彼女は、正真正銘血の繋がった姉で、片割れだ。でも、その隣で桃色の頭を撫でてあげるのはぼくじゃない。青色の、風にも靡かないぐらいの短い髪をした、よく知るぼくと彼女の幼馴染み。そして彼の光でもある。



「おめでとう、と言えばいいんですか?」
「うん。誕生日、って付けてくれるといいかな」
「その場合、君も―」
「ぼくのことはいいから。お願い、聞いてくれる?」
「…ええ。わかりました」


 有無を言わさないお願いの方法は、これまでの経験で身に付けた。
 彼女は黒子に好意を寄せている、そばにいないぼくにだって、彼女の考えていることぐらいわかる。もっとも、彼女がわかりやすいというのもあるかもしれないけれど。



「君が一番に祝ってくれたほうが喜ぶだろうから」
「…僕は構いませんが、いいんですか?」
「構わないよ。すべて話は付けているから」
「そうではなくて、君が―」
「言っただろう? ぼくのことはいいよ、って」




 笑顔には、いくつかの種類がある。愛想笑い、苦笑い、そして、他人に向ける笑い。
 本来ならば黒子に向ける笑顔はそのどれにも当てはまらないが、時としてそれを向ける時がある。嘘くさい笑顔を向ければよっぽど頭が弱くない限り理解してくれる。特に、察しのいい彼には。
 これ以上、喋るつもりはないよ、と。貼り付けた笑顔で語りかけるのだ。



「わかりました。そんなことでいいのなら」
「ありがとう。助かるよ」

 今度は、本心からの笑顔を向けた。無表情に近い彼が何を考えているかなんて、ぼくは知らない。


「もう話は終わったのか?」
「ああ、借りて悪かったね。もう少ししたら戻ってくると思うよ」

 別れも告げずに歩いていると、黒子も所属するバスケ部の面々と会った。赤司キャプテンすごい、という声が聞こえてきたが、それはぼくみたいな人間と話せる赤司がすごいとでも思われているんだろう。本人がこの場にいるのに堂々と話せるその図太さもたいしたものである。
 まあ、本人たちは聞こえてないつもりなのかもしれないが。


「じゃっ、じゃあもうおめでとうって言ってもいいんスかっ?」
「青峰が言ってからね」
「えーっ!」
「その後はどうでもいいから」

 頼むよ。…ね?
 緩く微笑むと、騒いでいた黄瀬がぴしりと固まる。あ、威圧的だったかもしれない。
 ぼくの片割れは、身内贔屓をなくしてもかわいいほうだと思う。ぼくは片割れでも男だからか、顔は普通だと思うけど男らしくはない。体格もいいほうではないし、変な奴に絡まれるのは自然なことだった。だから、喧嘩を覚えた。
 もう二度と、ぼくを庇おうと彼女が前に立たないように。ぼくが強くなれば、きっと。それもなくなる。…その結果、悪名ばかりが名高くなってしまったが。


「じゃあ、ぼくはこれで」
「ねーねー、さっちんには何あげるのー?」
「ぼくはね、約束をしたんだ」
「えー、そうなのー? どんなー?」
「まあ、ちょっとね」

 今ここで言ってしまったらつまらないでしょう、と言う相手はさすがに頭を撫でるには大きすぎる。成長期とはいえぐんぐん伸びる身長は幼馴染みに露骨に表れていて、運動とは大切なのだと実感した。ぼくのこれもある種の運動なのかもしれないが、ほめられたものではない。
 またね、と言い残して今度こそ姿を消した。




「あっ、桃井くんじゃーん」
「ちょっと付き合って、く、れ、る?」
「………はあ、」


 彼らの目の届かないところに来たところで、見慣れた声に顔を上げる。下卑たその笑いと汚らしい声は、ぼくに溜め息を吐かせるには充分だった。



「いっつも調子、乗りやがってよ、っ」
「悔しかったらなんか言ってみろよ、ああ?」
「……気は済んだ?」
「は? 済むわけねーだろクソが」
「ぐっ……」


 喧嘩の方法を覚えてから、ぼくはよく絡まれるようになった。それについてはぼく自身が選んだことだし、あくまでも絡まれた時の対処法として身に付けたつもりだったのだが、そんなこと相手にとっては関係ない。いつもなら、動けなくなるまで適当に相手してあげるまで。
 でも、今日はそういうわけにもいかなかった。今日だけは、どうしても。だから、耐えた。



「ああ? 何やってんだこんなところで」
「げっ、灰崎っ…」

 痛くないと言えば嘘になるが、ぼくは全然構わなかった。飽きるまでだ。ぼくは今、子供のおもちゃだ。それも、とびっきり新しいの。おもちゃに飽きたら、子供はそれを投げる。こいつらはそんな子供なのだ。
 目を瞑って現実逃避のような暗示を自分に言い聞かせていると、聞こえてきた声にゆっくり目を開けた。



「…へー、リンチ?」
「ああ、そうだよ。こいついっつも調子乗っててムカつくからな」
「灰崎も一緒にどうだ?」
「あ?」
「灰崎だってこいつに大きい顔されてムカつくだろ、今なら―」
「うぜえ、喋んな」




 うっすらと開けた視界で、灰崎の拳が突き出るのを見た。さっきまでぼくを殴っていた男が飛ぶ。もうひとりの男が何かを言ってから灰崎に立ち向かって、さっきの男よりも派手に飛ばされて膝をついた。呻きながらもまだ何かを言っているようだったが、灰崎がまた拳を振りかぶったからだろうか。よくある捨て台詞を吐いて、よろめきながらふたり仲良くその場を去っていく。
 その情けない後ろ姿に向かって、バーカ、とつぶやく声がした。


「久し振りだね、灰崎。ごめん」
「あ? うるせえよ。つーかテメーなんでやり返さなかった」
「…約束をね、したんだよ」
「はあ?約束?」



 顔を合わせるなり、慌てたようにとっ捕まえた彼女がぼくに放った言葉。

『誕生日だけは、喧嘩しないでね!』

 それに頷いたのもぼくで、それがぼくに唯一できる、彼女にしてあげられることだと思った。だって、ぼくが彼女にあげられるものなんて何もないから。




「だから、手出さなかったっていうのか? 逃げりゃ良かっただろうが」
「…うん、なんでだろうね」
「…あー、もういい。やる気なくなったわ」
「残念、とでも言えばいいのかな」
「今度一発相手しろよ」
「強いからやだなあ」
「言ってろ、バーカ」

 大体、お前に勝てたことなんか一回もねーんだよ。
 そう言い残して、灰崎はひらひらと手を振ってぼくの前から離れていく。



「一発の意味わかってねーだろ、あいつ」


 そんな声が響く頃には、ぼくの視界から消えていた。

「…何をしているのだよ」
「ああ、緑間。お疲れ」
「質問に答えろ。何をしている」
「ああ、ちょっと汚れを落とそうと水道に」
「お前という奴は…っ」
「ごめん、ちょっと今は勘弁してほしいな」


 ふらふらと歩いていると、よく知る顔がこっちを見るなり目を見開かせて詰め寄る。ぼくの腕を掴むその形相は怒っているようにも見えて、一応怪我人なんだけどなあ、と他人事のようにも思う。まあ、ここまで怪我したところで傷が増えようとちょっと虫に刺されたようなものかもしれないし。


「ついて来い。手当てしてやる」
「いいよ。ぼくは水で流したかっただけで、」
「そんな怪我をしていてそれだけで済むと思っているのか!」
「っちょ、何の騒ぎッスかー?」

 緑間が声を荒げた途端、聞き覚えのある声がそこに響く。振り返ると、ぼくがひどい顔になる前に出会った彼らがそこに立っていた。



「おいっ、これ」
「ちょ、な、んなんスかその怪我!」
「うわーいたそー。大丈夫ー?」
「とりあえず、手当てを急ぎましょう」

 珍しく戸惑う青髪の幼馴染みに、わかりやすく動揺する金髪の彼。長身の彼はいつものように間延びした声を出し、影の薄いとされる水色の彼はさすがに冷静。赤髪の彼だけは腕を組みぼくを見ている。
 後ろで新たな足音が聞こえて、目を見開いたのはぼくだった。



「な、に」
「も、桃っち、あの、これはね」
「なん、なの、なんで、」
「桃井、落ち着け。とりあえず手当てを」
「っちがう!」

 目に見えて混乱する彼女が声を荒げて、誰もが喋ることをやめた。ゆっくりと、彼女がぼくに近付いてくる。下を向いていて、表情はよく見えない。見ようとも思わなかった。逸らしたかった。
 さっきはなんとも思わなかったのに、今はどうしようもなく逃げたいと感じた。




「喧嘩っ、しないって、言ったのに…っ!」

 まだ、叩かれたほうがよかった。目の前で苦しそうに顔を歪める彼女の大きな瞳から、水の粒がこぼれ落ちる。ぐっ、とこらえるように何かを噛む唇。そのままぼくの横を通り過ぎてからも、ぼくは一歩も動くことができなかった。


「桃井は俺が見てこよう」

 だから、お前はおとなしく手当てを受けろ。
 耳元で響く囁きの次には、優しく肩に手を置かれる感覚。赤髪の彼はぼくの返事も聞かないまま、いや、ぼくが何も言えないことに気付いていたのだろうか。颯爽と姿を消した。
 歩けるか、と緑間に問われこくりと頷く。よっぽどぼくの足取りは覚束なかっただろうか、隣に立った彼のぬくもりを手に感じたのは久し振りのことだった。



「あおみね」
「言っとくけど、離してやんねーぞ」
「怒って、ないの」
「…ちげーよ。悲しいだけだ」


 つーか、怒ってたとしてもそんな顔のお前なんか怒れるかよ。
 そう言われて、ゆっくりと彼を見上げる。繋いだ手は離れないまま、逆の手がぼくの頬にそっと触れた。

「泣きそうな顔しやがって」
「ぼく、が…?」
「…お前が、どんなにくだらねーこと考えようが口出しするつもりもねえよ。でもな、」


 俺たちと距離を取ろうと、お前がそんな顔してたらほっとけねーんだよ。
 そんな顔って、だからどんな。もっとうまく説明して。それじゃないなら、鏡を持ってきて。
 そんなことを言えなかったのは、額がこつんと優しく触れ合う衝撃。そして飛び込んできた、余裕のなさそうな幼馴染みの表情。



「わかれよ。みんなお前のことが、好きなんだよ」

 瞬きを繰り返すぼくに、早く行くぞ、と手を掴まれ引っ張られる。いつもより早足で進むようなそれに後ろを振り返ると、みんなが笑っているような気がした。




「さて、手当てをするぞ。座れ」
「うわーいたそー。大丈夫ー?」
「順を踏んで行くぞ。とりあえず―」
「うっ、わあああああん!」
「ぐっ!?」


 これから手当てをするという時に、聞き覚えのある叫び声が耳を衝いた。突き飛ばされるように倒れた幼馴染みを目に捉え、ぼくに抱きつく姿はさっき傷つけた彼女そのもので。



「ごっ、ごめんね!」
「…どうし、」
「わたっ、わたし、けんか、したとおもって、ひどっ、」
「うん、大丈夫だよ」

 ぼくも何の説明もしなかったし、ごめんね。
 目を合わせて言うと、瞳を潤ませた彼女が更に抱きつく力を込めた。あ、ちょっと痛い。


「改めて、誕生日パーティーするッスよ!」
「待て、手当てが先なのだよ」
「ケーキ出していいー?」
「ひぐっ、うっ、」
「さつきマジで覚えてろよ…」
「あ、誕生日おめでとうございます」
「ちょっと黒子っちフライング!」

 騒がしい空気の中、ふっと目線を動かすと、赤司がこっちを見て笑っているように見えた。きっと口添えしてくれたのも赤司なのだろう。声に出せないありがとうの代わりに、そっと微笑みを返した。





fin.

Happy birthday to Satsuki !
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