矛盾だらけの愛に住まう | ナノ
「好きなんです」
彼に告白する女の子を見て、すごいなあと単純に驚嘆した。おれにはそれすらできないというのだから。この光景は初めて目にするものではない。
煙草吸いたかったんだけどなあ、なんて思うおれは現実から逃げることに慣れてしまった。
「…ねえ、あの人って」
「なに、カミュがどうかしたの?」
「おっ、なんだミューちゃんに興味あるのー?」
「…別に。正反対のタイプだなって思っただけ」
自分に言い聞かせるように発した言葉は震えていなかっただろうか。
綺麗な顔立ちをした彼は体格が男のそれであっても溢れ出る色気は性別の壁を打ち砕くほどで、昔から女に間違えられたおれとはまったく正反対だ。だからといって男らしさを失うわけでもなく、今だって彼と話している女の子は嬉しそうに頬を赤らめながら笑っている。
恋をする女の子はあんなにかわいいものなのか。おれとは造りがまるで違う一級品の人形みたい。だってきっとおれは、誰かに恋をしてもあんな風に微笑まないしそれどころか嬉々として話すことさえない―ああ、それ以前の問題で恋などしたことない未熟者なのかもしれない。
「ねえ」
「ん? ああ、ごめん。なんか言った?」
「いや、言ってはないけど―」
「あーいちゃーんっ! どこですかあー?」
「…四ノ宮が探してる。行ってあげな」
「…はあ、しょうがないな。じゃあまた後で」
「ん、行ってらっしゃい」
藍の姿を確認して笑いかける四ノ宮と来栖の姿を見て、かわいいなあ、と純粋に思った。
藍はどこか人間離れしているというか、たまに機械人間かと思うぐらい喜怒哀楽が乏しい印象だった。けれどマスターコース以来、主に呆れながらも藍はよく笑うようになったと思う。ファンに向ける作り笑顔のようなそれではなく、楽しいと感じているような笑顔で。
それも端から見れば微々たる変化だったが、藍がこの事務所に来てからずっと一緒にやってきたおれたちにしてみれば一目瞭然であった。
「後輩たちはかわいいな」
「きみもそれらしい格好すりゃ化けると思うよ? 素材は悪くないんだし」
「上から目線か。それにおれは―」
「わかってる。変えるつもりはない、んでしょ?」
「…ん、」
「無理に変えることもあるめーよ。みんな今のお前が好きだと思うぜ」
「ちょっとランラン、ぼくのセリフとらないでー!」
ぎゃーぎゃー騒ぎたてる嶺二をめんどくさそうに見ながら蘭丸はうるせえと耳を塞いだ。今日一緒の仕事なのにひどくなあい!? とオーバーリアクションな嶺二に、ちょうどいい乗せてけ、と嶺二の襟首を掴んで歩き出す蘭丸。
あれ首締まらないのかな、と思いつつもいつもの光景なので行ってらっしゃいとひらひら手を振った。
そんなふたりが隣を通り過ぎるこの時に、おれも蘭丸好きだよ、と返す。ありがとうが言えないおれなりのひねくれたお礼。わかってくれる蘭丸は一度立ち止まり、おれの頭を数回撫でて今度こそこの場所を離れた。
「っと…タバコ、」
結局のところおれは独りなのだ、そういう意味で。
懐から取り出した煙草を口にくわえてライターを着ける。風のせいなのかそれとも残り少ないのか、なかなか着かない火に苛立っていると横からにゅっと火が出てきた。
「使え」
「…どうも、」
「吸い終わったら付き合え。火を提供してやったお礼にな」
「…別にいいけど」
隣に立っていたのは紛れもなくあの人自身で。お言葉に甘えて一度肺に吸い込んでから煙を吐き出す。この人が隣にいたことにびっくりしたのは確かだが、それはいきなり出現したからであって決してそういう意味ではないのだ。たぶん。
自分でもわからないから、はっきりとは言えないけれど。
「で、何かな。用事でも?」
「話したかったんでな。ふたりきりで、…な」
「―っ!」
「痛いと、言わないのか」
いきなり叩きつけられるように腕を握られ、締め上げられてギリッと音を立てる腕は悲鳴をあげている。
深く刻まれた皺を見て、美人は怒ると一層綺麗になるというのは本当なんだな、と思うおれはポーカーフェイスを守ることに必死。
「おれが、あなたに何かしたの」
「何もしていない。だからこそ、苛つくのだ」
「は…?」
「あなた、だなどよそよそしく呼びおって。俺の気持ちも知らないくせに」
「…あなただって、おれの気持ちはわからないだろう」
ピク、と小刻みに動いた目の前の人物を見てしまったと思った。これは殺されてもしょうがない。
力は緩んだものの未だにおれの腕は彼に握られたままで、いっそ縛ってくれたほうが痛みはないように感じるぐらいおれを抉る。
「じゃあ、言ってみるがいい。お前の気持ちを」
「…おれ、は」
「言えないのだろう? 俺はな、お前がそういう奴だと知っている。知ってるからこそ、変化を求めている」
俺はお前のことが好きなのに嫌いで、守りたいのに壊したくて、慰めたいのに傷付けたい。
淡々としたその声が後半で震えるのを感じて、おれは開きかけた口を閉じた。
目の前のこの人は、泣いているのか、怒りに震えているのか、わからない。ただひとつ、わかるのは―
「俺は、どうすればいい」
おれに、変化を求めているということ。おれの口から、独り善がりなその感情を打ち砕く決定打が欲しいのだ。
思えば、最初からこの人に魅かれ、好意を寄せ、目で追うようになったのは誰の目から見ても明らかだったというのに。
変化を求めるこの人と、変化を嫌うおれ。プラマイゼロには、ならない。
「俺は、貴様を奪っても、いいのか」
好きだと言いたい、気付かれたくない。傷付けられたい、泣きたくない。
矛盾だらけの感情が織り交ぜになって心を震わす。
「……おれ、は…」
声を震わせながら開く唇に全身が警鐘する。言ってはならない。ここでの変化は、愚問だ。気付いて欲しい、言いたくない。言えない、近付きたい。
かたかた震えた唇に、視界を覆ったその感情を押しのけた。あなたの表情は見えない。
fin.