腹を満たせば戦も起きぬ | ナノ

「…お茶、です」
「ああ、悪ィな」
「…いえ、」
「……………」


 訪れる沈黙。ここ、成歩堂なんでも事務所という一見胡散臭いチラシの「お助けします」という字を見ながら、お金払うので助けてくださいと気まずい空気に祈るほどにおれは居場所がなかった。
 事の発端は、数分前である。



「じゃあ、悪いけど留守番頼めるかな」
「大丈夫です。何かあったら電話するので」
「そうと決まればいざ、調査! 行きますよっ!」
「あっ、希月さん…! すいません、俺追い掛けるので先に行きますっ」
「ああ、ごめんね。僕ももう行くよ」
「はーい、いってらっしゃい」




 ひらひらと手を振って、慌ただしく去っていった人たちを見送る。
 ここ、成歩堂なんでも事務所は名前こそ胡散臭いが、れっきとした法律事務所だ。成歩堂さんを筆頭に、弁護士が揃っている。
 …まあ、マジシャンもいるし弁護以外の依頼もちょこちょこ受けてるんだけど。ペットの捜索とか。
 おれはここのバイトみたいなもので、成歩堂さんたちは調査に向かった。
 みぬきちゃんはそれより前からマジックのショーに行っているし、しばらくはおれひとり、というわけだ。



「さて、どうしよっかな」


 もともとおれは、バーで働いていた。先輩の知り合いの方、もといバーのマスターを紹介してもらい大学からバーのバイトをしていたが、そろそろ就職活動に本腰を入れなければ、という時に正式に雇ってくれる話で落ち着いたのだ。
 料理が好きなこともあってか自分が考案した料理やスイーツをメニューとして取り入れてくれて、それも集客に繋がったりだとか。そんなおれがここ、成歩堂なんでも事務所でも働くきっかけとなったのは常連さんである、赤いスーツが似合う検事さんのおかげなのだけれど。





「…あの、一応連絡しておきましょうか?」
「いや、構わねェ。帰ってくるまで待つさ」
「そ、そうですか…」

 話をもとに戻そう。おれ以外のみんながすべて出払った状態で、突然の来訪者。成歩堂さんを訪ねてきたというその人にとりあえずお茶をお出しして、やることもなくなった今、おれはとても気まずい雰囲気の中気配を消す方法だけを探っていた。
 気さくに世間話をするような人ではなさそうだし、ただならぬオーラを感じる。
 スカーフが似合う鳥…鷹かな? を時々撫でていて、気持ちよさそうにしてる鳥は可愛くてこっちまで癒されるんだけど、でも。


「こいつが気になるのかい」
「えっ、あ、すみません。可愛い子ですね」
「触ってみるかい?」
「…いいんですか?」
「ま、こいつは俺が言わない限りは噛まねえからなァ。ギンってんだ」
「へ、へえ…ギンちゃんですか。お名前も可愛いですね」



 それってつまり、この人が言いさえすればおれはこの鷹…ギンちゃんに容赦なく噛まれるってこと? い、いや、いくら何でも初対面の人間にそんなことはしないはずだ! …よね? と自問自答を繰り返してしまうぐらいには、目の前のこの人は悪そうな笑みを浮かべている。
 それがまた様になっているというか、女性なら気になってしまうような魅力を醸し出しているのだけど。


「取って食ったりしねえから安心しなァ。ほら、こっちだ」
「じ、じゃあ失礼します…触っても?」
「ああ。ギンは、喉を撫でられるのが好きだ」
「えーと…ここですか?」
「問題ねェ。ククッ、俺の時より気持ちよさそうにしてやがる」

 おそるおそる手を伸ばしてみると、触るたびにふわふわとした感覚が気持ちよかった。ゆっくりと指を動かしてみると、大人しくしているあたり不快感を与えることはないらしい。よかった。
 それどころか、身体をすりすりとおれの手に寄せてきた。こ、これは確かにかわいい…。
 この人の笑い方も爽やかと言うには程遠かったが、先程とは違う笑みだったのでおれの緊張は解けた。



「あ、そうだ。えっと、」
「夕神迅だ。迅でいい」
「じゃあ迅さんで。お昼はもう済ませましたか?」
「いや、まだだ。そういやもうそんな時間か」
「良ければおれ、作りましょうか?」
「いいのかい? 大した手持ちもねェんだが」
「そんなのいらないですよ。ギンちゃん触らせてもらったお礼です」




 でもギンちゃんは専用のものとか買ってきたほうがいいのかな。それなら留守番の意味がないし、さすがに迅さんに留守番を任せるわけにもいかないし…。
 ちらりと迅さんを見ればそんなおれの考えを察したのか、ギンのことは気にするな、と言ってくれたのでその言葉に甘えることにする。


「俺の飯さえ作ってくれりゃいい。ギンが腹を空かしたならそこから取るだろうよ」
「何か食べれない物とかあります?」
「いいや。食べれるだけありがてェんだ、楽しみにしてるぜ」


 そう言われるとプレッシャーを感じて緊張してしまうんですけど…。
 適当に寛いでください、と言い残してキッチンに向かう。手を洗ってから冷蔵庫を開けて、ありあわせで作れそうなものを頭で考えながら材料を手にする。
 …この材料なら、手っ取り早くてオムライスが無難かな。あんまり待たせるのも悪い気がするし。よし、そうと決まればさっさと作っちゃおう。
 いつも使っているエプロンをさっと身に着けた。




「すみません。お待たせしました」
「いや、そんなに待ってねェ。言ってくれりゃ運ぶぐらいしたのによォ」
「お客さんにそんなことさせられないですから。お口に合うといいんですけど」
「それは食べてからのお楽しみ、ってところだなァ」

 オムライスに付け合わせの野菜、簡単なスープを付けてから迅さんの待つテーブルへと運ぶ。
 いただきます、としっかり手を合わせた迅さんが、スプーンで掬ってそれを口に運んだ。咀嚼する迅さんをドキドキしながら見つめる。飲み込んだ迅さんに目を見張れば、短く息を吐いた迅さんと目が合った。


「うめェな。俺が今まで食ってきたオムライスで一番の出来だ」

 一番優しい笑みだった気がする。笑顔と呼ぶに相応しい、微笑みに見えた。
 それまでぎゅっと握っていた拳に入った力が、すっと抜ける。深く長い息を吐いたのはおれだった。


「…よかった……」
「ククッ、不味いと言うとでも思ったのかい?」
「だ、だって、正直そうですし、」
「それはどうだろうなァ? あんまり信用すると、後悔するぜ」
「へっ、」
「…何か起こってからじゃあ、な」



 胸を撫で下ろして座ったおれの、腕に誰かの手が触れる感覚。ギンちゃんはもちろん人間とは肌触りが違うし、ここに残るのはおれと迅さんしかいない。
 顔を上げると、至近距離に迅さんがいて思わず目を見開いた。おれの手首を掴んでいるのは迅さんの大きな手で、それを目に捉えてからもう一度迅さんへと視線を戻す。
 息もできないような距離に、固まったその時だった。



「こういう危険もあるってこった。覚えときな」
「び、びっくりさせないでください…」
「お前さんがあまりにも危なそうだったからなァ。それじゃすぐに騙されるぜ」
「以後気を付けます…」
「そうしろ。ま、知らねェ人間とふたりきりにはならないこった」



 あっさりと手を話した迅さんは、再びスプーンを手に取ってオムライスを食べ始めた。
 男女関係なくあんな至近距離に詰められたのは初めてで、こっち驚きで声も出せなかったというのに…! …ん? だからダメなのか。驚きで声が出せなかったら危ないよね、そりゃ。でもおれ、男だしそんな危ない出来事にそうそう遭遇するとも思えないんだけどな…。


「食わねェのかい」
「あっ、食べます。いただきます」
「ん。ちゃんと自分の作ったもんでも、そうやって言えるのは偉いこった」
「あ、ありがとうございます…?」

 …かと思えば、こんな風に頭を撫でて優しく言ってくれるし。な、なんだろう。マインドコントロールに近いものを感じる。
 簡単に人を信じるな、ということを言いたかったのかもしれないけれど悪い人には見えないし。
 意外といい人そうなのは、この数分で馴染んでしまったおれの経験上ってことで。



「でも、迅さんがいたら安心ですね」
「あァ? お前さん、さっきの今で何言って―」
「迅さん、本当に悪いことはしないと思いますから」
「…は、」
「それに、迅さんになら悪いことされてもいいかなって」


 いや、本当に悪いことされたら困るんですけど、えっと、つまり。それぐらい迅さんを信用してるってことでして!
 …なんでこんな必死なんだろう、おれ。反応が返ってこない迅さんを不思議に思って見てみると、固まって…る? め、珍しい。
 迅さんの顔の前で手を振ってみても、それは変わらないままだ。ど、どうしよう。
 迅さんの顔を覗き込もうと近付いてみれば、迅さんが手を口元に当てた。よく聞いてみれば、小さな笑い声だった。その声はだんだん大きくなり、口元から手を離した迅さんが大きく口を開けて笑い出す。
 固まったのはおれのほうだった。




「ククッ…お前さん、いい度胸してるじゃねェか」
「は、はあ…」
「俺ァお前さんのことが気に入ったぜ。覚悟しなァ」
「はい?」
「俺ァ、狙った獲物は逃さねェ主義でなァ。…たとえどんな手を使っても、な」


 威圧感のある迅さんにそう言われて思ったのは、凄みがあるなあ、ぐらいだった。
 言ってる意味が理解できないというか、確かに迅さんから逃げるのは難しそうだな。ギンちゃんもいるし。でもなんでそれをおれに言うのかがわからなくて、首を傾げる。
 また迅さんの笑い声が聞こえて、今はそれでいい、と言われた。
 やっぱり意味はわからなかった。




「うううう、なんか疲れた…」
「希月さんが走るからだろ。俺はもう喉がカラカラ…」
「はは、王泥喜くんは叫びすぎじゃないかな」
「…あれ? なんか声がしますね」
「本当だ。お客さんでも来てるのかな」
「何かあったら電話するって言ってたんだけどなあ…」


 その頃、事務所の外で調査を終えたみんなが帰ってくるのに気付かないほど、事務所内は盛り上がっていた。
 静かに開けて! と小声ではあるが叫ぶ王泥喜に、王泥喜くんのほうが煩いんじゃないかなあ、と成歩堂が苦笑するのもまた仕方ないことで、まるで中を窺うようにゆっくりと扉を開けた。


「ほう、じゃあ御剣のダンナに頼まれてここにいんのか」
「そうなんですよ。夜はバーで働いてます、検事局の近くの」
「ああ、あそこか。俺ァ酒より飯優先でな、ああいう小洒落たところだと物足りなくてなァ」
「そういう人向けに、がっつりメニューも用意してるんですよ。おれが作ってるんですけど」
「なら今度、行ってみるか。お手並み拝見だ」
「お待ちしてます。サービスしますよ」



 まず目に飛び込んできたのは、事務所の留守番をしてくれている子と別の男が仲睦まじげに話している様子だった。
 成歩堂たちが入ってきたのに気付かないぐらい盛り上がっているらしく、何が起こってるのか一瞬わからなかった。その穏やかな空間は、ここに唯一いる彼女の絶叫で終了することになったのだが。



「あーっ! 夕神さんじゃないですか!」
「あれっ、みんなおかえりなさい。お知り合いだったんだね、迅さん」
「はい! …って、なんかいいにおいすると思ったら夕神さんだけずるい!」
「じゃあ、今から心音ちゃんたちのぶんも作ろうか。成歩堂さんも食べます?」
「あ…うん、じゃあ貰おうかな…」
「俺、手伝いますっ!」


 私も手伝いたいです! と元気いっぱいに後を付いて行く心音ちゃんに負けないぐらい声を出して付いて行ったことにより、残ったのは僕と夕神検事だけになった。
 いや、ここに彼がいるということは少なくとも僕に用があって来たということで大方間違いなく、その目的も何となくわかっている。わかってはいる、んだけど。
 仲睦まじげに話すあの子と夕神検事の姿が衝撃的で、半開きになった口を指摘されるまで閉じれなかった。




「ゆ、夕神検事と彼はどういった関係で…」
「関係も何も、なァ。今日会ったばっかりだぜ」
「そ、そうですか。よかっ―」
「ああ、そうだ。うめェなァ、お前さんの部下はよォ」
「り、料理の話ですよね? 腕ですよね? 味ですよね?」
「ん? いいもん持ってやがんなァ、って話さ」


 だからそれはどういった意味で言っているんですか! と掴みかかりたくなるほどに意味深な笑みを浮かべる夕神検事の視線の先は、心音ちゃんたちに微笑みながら料理をする彼だった。
 カップに口を付けてから舌なめずりをしたのは唇を拭うためか、それとも別の理由なのか。冷や汗がどっと出てきた気がした。



「心配しなくても、お前さんが思ってるようなこたァ起きてねェよ」
「そ、そうですよね。ははは、」
「まァ、これから先何も起きねェとは言い切れねェがな」
「!? そっ―」
「はーい、ごはんできましたよー!」
「あ、お話の途中でした?すみません」
「あっ…いや…大丈夫…」




 運ばれてきた料理と共に姿を見せたのはやっぱり彼で、夕神検事と交互に見てからレストランにも負けない見栄えのオムライスに目を向ける。
 とても美味しそうだけど、何故か彼の顔を真っ直ぐ見れない僕にとっては、いただきまーす! と元気よく手を合わせた心音ちゃんの声がありがたかった。

「成歩堂さん、汗かいてるけどそんなに忙しかったの…?」
「希月さんが走るからじゃないですかね? あ、美味しい」
「ほんと! こんな美味しいオムライス自分じゃ絶対作れないですよ!」
「ふふ、こんなものでよかったらいつでも作ってあげるね。あ、迅さん。デザートぐらいならまだ入りますか?」
「余裕だ。なんか作ってくれんのかい?」
「それはできてからのお楽しみで」



 今日初めて会えたばっかりの迅さんとこんなに仲良くなれて、しかも自分の料理を褒めてもらって嬉しいし、迅さんよく食べてくれるから気持ちいい。
 成歩堂さんがまだ汗かいてるみたいだから冷たいデザートでも作ってあげよう、迅さんもまだ入るらしいし。たくさん作っても困らないよね!
 そう意気込んで、おれはキッチンへと向かうのだった。





fin.

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -