ゆきとわんわん | ナノ
「先輩! ゆっ! きっ! 雪っすよ! ねえ先輩! うっはーさっむい! つめたっ! 雪ー!」
このキャンキャン煩い犬を置いて帰ってもいいだろうか、震えながらそう思わずにはいられないほど俺と左近の温度差は歴然であった。
「先輩ー! せーんーぱーいー!」
「うっさい聞こえてる」
「先輩なんでそんなにテンション低いんすか! 雪っすよ!?」
「雪だけで元気になれるお前のほうが不思議だわ」
バカみたいにはしゃいでいるクソ後輩の喜びようでわかるかもしれないが、現在外なう。
異常気象だか何だか知らないが、突然の雪。結構な雪。俺の経験上、一番の大雪。
つまり寒い。寒すぎる。しね。
お世辞でも普段から口はいいほうじゃないけどこんな暴言吐かないとやってらんないぐらいありえない。意味わかんないから左近殴りたいけど手を出すのも絶対嫌だ。
事の発端を思い返して、マフラーに口元を埋めた。
『歓迎会?』
『そう。生徒会に左近くんが入ってきたことだし、せっかくだからやろうかって話になってね』
『いいんじゃないですか? あいつ、そういうの喜びそうだし』
それは午前の授業が終わった、休憩時間のこと。移動教室の帰り、二年の教室にはあまり見慣れない半兵衛先輩が立っていた。
笑顔で手を振る半兵衛先輩に黄色い声を上げる女子たちも何のその、我先にと声を上げた三成が走って半兵衛先輩に挨拶をしに走る。
半兵衛先輩のことだから、きっと三成に用事か。生徒会の連絡とかかも。
そう思って軽く挨拶して教室に帰ろうとしたまさにその時、呼び止められたのは俺のほうだった。
『君と、それに三成くんも。一緒にお昼でもどうかと思ってね』
『あ、ありがたき幸せ…!』
『…ああ、俺も大丈夫です』
『そう、よかった。秀吉にも話は通してあるんだ』
『半兵衛様のお心遣い、感謝いたします…!』
三成の異常とも言える半兵衛先輩好きを真横で眺めながら、こっそり呆れた視線を向ける。三成は目を輝かせて半兵衛先輩を見つめているので、気付く暇もないだろう。
半兵衛先輩も慣れた様子で、普通に返している。慣れって怖い。
三成は基本的に飯を食わないので、俺は三成の弁当も用意することになっている。一度だけ忘れたことがあって購買でいいか聞いたところ、貴様の作る弁当以外は要らん、とか言われてだいぶ困った。そのおかげで最低限の食事は果たしているから、よかったけど。
『ああ、悪いんだけど三成くんは先に行っててもらえるかな。僕は購買に寄るから』
『わ、私も付き合います…!』
『彼に付き合ってもらうから大丈夫だよ。それに、秀吉を待たせているから』
『そ、それは早く行って参りますッ!』
『うん。よろしく頼んだよ』
元気よく返事をした三成は、風が起きるほど早いスピードで去って行った。
おい、廊下走っていいのか生徒会。ていうか弁当持って行ってねーだろ。
ちょっと待っててください、と半兵衛先輩に告げてから教室に入り、自分の鞄からふたつの弁当箱を取り出す。三成ほどではないが俺も男のわりには少食なので、弁当箱はそれほど荷物じゃない。
まあ、いつも鞄に大したもん入ってねーんだけど。
『お待たせしました。購買でしたっけ?』
『ああ、ちょっと飲み物をね。少し君に話もあって』
『わかりました。歩きながら話しましょう』
話が早くて助かるよ、と微笑む半兵衛先輩と歩きながら話していたのがついさっきのことだ。
俺は別に生徒会に入ってはいないが、三成と腐れ縁みたいなもんだから生徒会の人間と関係を持つのに時間はかからなかった。たまに手伝いもするし。
左近もそれは同じで、三成を慕う彼に懐かれるのも時間の問題だった。
三成だけに懐いとけよ、と思ってしまう俺は悪くない。だってあいつ犬みたいなんだよ。
『そこで、鍋でもしようと思ってね』
『ああ、鍋ならいいんじゃないですか? 簡単だし』
『ただし、サプライズとしてやりたいから左近くんには内緒にしたいんだ』
『へえ、』
『そこで、君には時間稼ぎをして欲しいんだ』
『…はっ?』
ゴトン、と落ちた自販機の飲み物を半兵衛先輩が手に取る。
えっ、ちょっと待って、そのメンバーの中に俺も入ってるんです?
君が生徒会に入っていないからって仲間外れにするような酷い人間に見えるかい? 大体僕はずっと君に生徒会に入って欲しいと言ってるのにいつも話を逸らしてはっきり返事をくれないから、
あっすいませんごめんなさい話の続きをどうぞ。
半兵衛先輩がマシンガントークに突入するであろうまさに今、俺はそう言うしかなかった。くそう。
『僕たちで準備をするから、君は適当な場所で左近くんと時間を潰して欲しいんだ』
『それって左近ひとりじゃダメなん―』
『左近くんをひとりで行かせたとして、僕たちの準備が終わるまで大人しくしている彼だと思うのかい?』
『…思いませんね』
それにあの子はいっつも賭け事でばっかり遊んで、から始まった半兵衛先輩の呟きに少し同情する。勿論金を賭けているわけではないが、主に食べ物を賭けてそういった勝負事をしてるらしい。
普段からサイコロ持ち歩いていきなり勝負しましょー! なんて言ってくるような奴だから、それもまた左近らしいっちゃらしいんだろうけど。
生徒会としての自覚を持って欲しいんだけどね、と溜め息を吐いた半兵衛先輩がお母さんのように見えた。言ったら怒られそうだから絶対言えないけど。
『僕から連絡するまで、左近くんと一緒にいてくれればいいんだ』
『まあ、それぐらいなら…』
『ありがとう。今度何かお礼するよ』
『三成のいないところでお願いします』
ばれるとめんどくさいんで、と言えば半兵衛先輩は笑った。
そのまま待っていた三成と秀吉先輩と一緒に飯を食いながら、詳しい話を半兵衛先輩がしてくれたのだけど俺の役割は左近の散歩だけなので気にも留めなかった。
そう、簡単だと思ってたのだ。鍋料理のように、左近を連れ出して時間を潰すことなんて。
「ちくしょう滑りてえ! 段ボールとかその辺から貰えないすかね先輩!」
「恥ずかしいからやめろ」
「じゃあ先輩一緒に遊びましょうよー!」
「ここ以外でな」
「何言ってるんすか! こんだけ積もってんのに遊ばないなんて勿体ないっすよ!」
そしてこの信じがたい寒さの中、はしゃぐ左近を横目に俺は突っ立っている。
お前が何を言ってるんだ、こんな雪が積もるほど寒い外で過ごすとかしねってか。
素手で雪に触っている左近を見るだけでこっちが冷たい。コートにマフラーに手袋という重装備の俺に対し、左近の服装はパーカーだけだ。
コートすら着てないとか何なの、お前自身がカイロなのか。貼れないカイロか。
「寒くねえの」
「えー? 超寒いっすよ!」
「じゃあどっか入っ、」
「でもいつ止むかわかんないじゃないですか! 今楽しまなきゃ!」
少しの間室内に入ったとしても雪がなくなるなんてありえねーよ、ていうか止む気配ねーし。寒いのに雪触るとかバカなの? 死ぬの? いや、こいつは死んでもバカのままだな。早く帰りたいです半兵衛先輩。
震える手で携帯を取り出してみても、半兵衛先輩からの連絡はまだない。まだ耐えられるレベルではあるが、我慢できなかったから左近の首根っこ引っ張ってでもどっか店に入ってやる。
そう思って顔を上げれば、左近がこっちに走ってきていた。
「先輩! ちょ、ごろごろしていいっすかね!? あっ先輩も良かったらどうすか一緒に! 足跡ない場所ごろごろしたっ、」
「キャンキャンうるせえんだよとっとと転がりやがれ」
「あっ、ちょっ、うわっ…つめてー! あはははははっ」
あまりにも煩いのでつい足が出た。寒いので手は出す気にもならない。俺が蹴ったことにより左近はバランスを崩し、背中から倒れて雪にダイブした。
ざまあみろ。そう思ってたのに、左近がそのまま転がり始めたので軽く引いた。
きったねえな。なんでそんなに笑ってられるの? お前の笑いのツボ何なの?
俺の目の前には間違いなくバカがいた。
「先輩もどうっすか! 気持ちいいっすよ!」
「やだよ、お前じゃねえんだからきったねえ。それより雪付きまくってんぞ、顔まで冷やしやがって」
「先輩…!」
手袋をつけたまま、左近の顔についた雪を軽く払う。左近の目的が終わったのかどうか定かではないが、あれだけ笑えばそれなりに満足しただろう。
半兵衛先輩からの連絡もないし、いくら左近とはいえ風邪でも引かれたら困る。俺に面倒が回ってきそうで。
もうそろそろ行くぞ、と声をかけて歩こうとしたその時、左近の身体が密着してきた。おい、と声をかけても離す気配がない。
左近のほうが背高いから、顔冷たいし苦しいんだけどふざけんなよこいつ。
「抱き付いてんじゃねえよ、寒いのうつんだろー…がっ」
「うぐっ!?」
シカトされたのもなんかむかついたので左近の腹にグーパンを入れてやった。腹を押さえてうずくまる左近を見て、息を吐いた。手加減はしたが、それなりに苦しかったらしい。
誰が悪いってそりゃ俺の許可なく勝手に抱き付いてきやがった左近のせいだけど、これでおあいこだろ。
とっとと左近連れてどっか入ろうと手を伸ばしたその時、左近の身体が小刻みに震えているのに気付いた。
「さすがに寒くなってきただろうが。早くどっか入るぞ」
「…っふ、」
「あ?」
「ふっ、はっはは、先輩さいこーじゃないっすか…っはあ、超いってー! あはははっ、」
わからない。俺に腹パン入れられといて、俺を最高と言い笑っている左近の意図が。
笑いダケでも食ったのお前? 定期的に笑わないと死ぬ呪いでもかかってんの?
雪の積もった地面にうずくまって笑い終えたらしい左近は、ゆっくりと立ち上がってまた俺の顔を見て噴き出すように笑った。
先輩の顔見て笑うとか殺していい? いいよね? 答えは聞いてない。左と右どっちがいい? そう聞いてやる俺ってなんて優しい先輩なんだろう。
賭けっすか? よしきた! と目を輝かせる左近のバカは手遅れなのかもしれない。
「あ、もういいや」
「えー? 先輩どこ行くんすか」
「いいから来い。お前も」
「どこか言ってくださいよー、あっ俺左で!」
「おー、左な。あとで楽しみにしてろ」
拳に力を込めたまさにその時、震えた携帯を見れば半兵衛先輩からだった。準備ができたからもう帰ってきていいよ、とのこと。
左近を殴る楽しみは後に取っておこう。うまい鍋食えるんだし安いもんだろ。
「先輩って小さくてかわいいっすね!」
「よーしわかった、コーヒー奢れ。それで許してやる」
「いいっすねー! 俺ココアで!」
「お前の奢りだぞ、わかってんのか」
「はいっ!」
ついでに半兵衛先輩たちのぶんも奢らせてやろう。無駄に跳ねて歩く左近を見て、密かに企む。
滑って転びそうになった左近を見て、ばーか、と笑ってやった。
fin.