bouquet *01 | ナノ

 ぼくが一緒に暮らしているライアンという人間は、よくわからない男だった。


「ライアン、朝だよ。起きて」
「…んー? メシは?」
「作ったよ。ほら、ごはんあげに帰るんでしょ」
「おはようのキスは?」
「…っ早く顔洗わないと、先に食べちゃうからね」
「ったく、スキンシップじゃねーの」



 のそのそと起き上がったライアンは、ぼくの頭を優しく叩いて洗面所へと歩く。
 ぼくみたいな情けない身体とは全然違う、逞しくて男らしい身体。ぼくに触れたその手もしっかりとした厚みがあって、触れられるたびに、ぼくがどんな思いをしているかなんて知らないくせに。
 それでも。ライアンを追い返すことができないぼくに、弱虫以外の言葉は見つからなかった。


「あー、目ぇ覚めた」
「はい、コーヒー。これでもっと目覚ましなよ」
「今日もブラック? 顔に似合わず」
「ほっといて。好きなんだよ」
「悪いとは言ってねーよ。ギャップってやつ?」
「…ぼくに聞かれても困るんだけど」



 そりゃそうだ、と笑ったライアンが席に座って、ふたり手を合わせていただきます、と声を揃えてから朝ごはんは始まる。
 一緒に暮らしている、というのも正しくはない。ここはぼくの家で、ライアンはライアンで住んでる家がある。
 ペットのイグアナにごはんをあげるために、一度家へ帰るのだ。でも、夜にはぼくの家に戻ってくる。
 室内用のダーツとか、やけに目立つ金色のインテリアとか、ぼくには違いがまったくわからないサングラスとか。ライアンの私物は日に日に増えていって、ぼくの家はちぐはぐになっていた。




「な、今度外食行こーぜ」
「別にいいけど。友達いないの?」
「うっわ、かわいくねー」
「冗談だよ。外食ね、いいよ」
「ん。ごちそーさま、歯磨いてそのまま行ってくるぜ」
「…うん、いってらっしゃい」


 まるで、ここが帰る家のような言い方。ライアンが勝手に買ってきたペアのマグカップも、歯ブラシも、増えた食器も。ぼくの生活の一部に溶け込んでいる。
 そして、今みたいにライアンがいなくなってぼくひとりの空間と化した時。
 どうしても、愛しくなって、苦しくて。関係性すらはっきりわからないライアンに恋焦がれ、泣きたくなるのだ。

「…なっさけないなあ」

 女々しいぼくも、ライアンと奇妙な関係を続けてる現状も。ライアンが出て行った玄関を見つめて、溜め息がもれた。




「…久し振りに、ランチでもしようかな」

 家事をしながらゆっくりしていると、いつの間にかお昼近くになっていて。いつもなら自分でごはんを作ってしまうのだけど、晩ごはんの材料もないからどうせ買い物に行かないといけないし。ああ、寒くなったからマフラーを探すのもいいかもしれない。

「そういえば、ブーツも壊れてたんだっけ」



 ライアンの影響なのか、ファッション関係の買い物に楽しみを見出すようになっていた。別に誰に見せるわけでもないけど。
 …ただ、ライアンはブーツしか持っていないので、ここで今ブーツを買うとライアンへの気持ちがばれるみたいで気後れしていたのだ。
 ライアンと外食行くんだし。そう言い訳をしている時点でライアン中心に回っている自分に、我ながら苦笑した。
 ライアンが、もし、ぼくの前からいなくなったら、どうなるんだろうか。気分屋なライアンのことだから、ある日突然消えてしまっても不思議ではない。
 ギラギラと存在感を放つ私物もそのままに、またな、なんてこっちの気持ちも知らずにあっさりと手を振って。




「…やめよう。引きこもってるからこんなこと考えるんだ」


 外に出て陽の光を浴びれば、きっと気持ちも変わるはずだ。買い物をして、気分転換になればいいし。晩ごはんを考えるのは、その後でもいい。
 適当に着替えて外に出ると、首元を冷たい風が襲った。



「いらっしゃいませ…あ、」
「どうも、氷室くん」
「お久し振りです。元気でした?」
「うん、元気だよ。君も相変わらずみたいで」
「ええ、俺はもう。元気ですよ」

 それはよかった、と返して店を見渡す。雰囲気がいいこの店にたまたま入ってから、ここの店員である彼と仲良くなるのに時間は掛からなかった。
 綺麗な笑顔で相手の懐に入ってくる。嫌な感じはなく。極めつけは、日本人という共通点だろうか。
 ぼくの仕事の後輩と兄弟仲にあることが発覚してから、今では連絡先もお互いに知っている。下の名前でいいと言われたのだけれど、兄弟仲である後輩の彼は名字呼びで定着してしまっていたので、そのまま名字呼びだ。
 それからぼくはここの常連となっていたのだけれど、ライアンと知り合ってからはなかなかここに来ることが減っていた。



「今日は何かお探しで?」
「えーっと、マフラーがあったら」
「寒くなってきましたもんね」
「首が締め付けられる感じがどうも苦手で…」
「だったらいいのがありますよ。少々お待ちください」




 そう言うなり彼はこれまた綺麗にお辞儀をして去って行った。これもいつものことで、言ってくれれば一緒に行くのに、と言っても聞かないのであきらめている。
 高身長の彼は脚もすらりと長く、歩く後ろ姿だけで様になる。最初はモデルか何かをやっているのかと聞いて、笑われたぐらいだ。
 日本人でも小さい頃はここに住んでいて、兄弟仲の彼もいるここは自分の肌にも合っているのだという。



「お待たせしました。これなんですけど」
「あ、かわいい」
「でしょう? 俺も同じの使ってるんですけど、全然苦しくないんですよ。髪型も崩れにくいですし」
「髪型ねえ…」


 ぼくはストレートなので髪型をセットしたことはそんなにないけど、ライアンはいつも大変そうだなあとは思っている。家を出る時にはすっかりテレビで見るヒーローとしてのライアンが出来上がっているので、髪を下ろしているライアンを見れるのは特権なのかもしれないけれど、それを見れるのがぼくだけとも限らない。



「あれ? どうかしたんですか?」
「いや、知り合いが髪型セットしてたなってね」
「どんな人ですか?」
「うーん…派手、かな」

 見た目からしてライアンは派手だ。まず金髪だし、あんなサングラスが似合うのも頷ける。ぼくなら絶対似合わない。人を惹き付ける魅力があるのはここにいる彼も同じだけど、ライアンとはタイプが違う。
 じゃあその人へのプレゼントにどうですか? とすすめてくる彼はさすが店員といったところか。


「派手なら、無難ですけどブラックとか」
「あ、いいね。似合いそう」
「先輩、好きな色とかあります?」
「ぼく? 明るすぎない色なら何でも」
「じゃあ、ネイビーとか…先輩の服にも合わせやすいと思いますよ」
「どれ? …あ、いい色」



 …そういえば、ライアンに何か物をあげたことがなかった。ライアンはよく物を買ってきてはぼくにくれて、それが決まって何でもない日なのだ。理由を聞いても何となくとかやるだとか、それ以上は言わない。
 素直に受け取れよ、と言われればぼくには返す言葉がありがとうしかないわけで。
 お返しはいらないときっぱり言われたのだけれど、プレゼントとしてならどうだろうか。マフラーぐらいなら貰ってもそんなに困らないだろうし、付けてくれるとは限らないけれど。


「じゃあ、こっちラッピングで」
「ありがとうございます。他にも何かご覧になりますか?」
「ああ、それじゃあ上着とブーツがあれば―」



 それからは氷室くんと世間話をしながら服を選んで、マフラーと一緒にお買い上げ。ショートブーツだけどいいのも見つかったし、久し振りのショッピングで楽しかった。
 ショッピングバッグを持った氷室くんが、扉を開けてくれる。

「そういえば、知り合いの人ってコレですか?」
「…氷室くんって時々、古いネタ引っ張ってくるよね」
「ふふ。でも、いい仲でしょう」
「え?」
「マフラー見てる時、とてもいい顔してましたよ」


 爽やかではない笑顔でそう言われて、氷室くんのほうをじっと見てみる。
 すいません、と謝る気持ちは見せたようなので、いいよ、と笑って荷物を受け取った。
 別に本気で怒ったわけではないし、氷室くんに本心を言い当てられたみたいでヒヤッとしたのだ。氷室くんはたまに鋭いことを言っては、何でもなかったように笑うから助かる。といっても、ぼくの心情も悟られているんだろう。



「ありがとうございましたー」

 氷室くんに軽く頭を下げて、店を後にする。中に入ったラッピングされたそれを確認して、もう一度歩き出した。
 そういえば、この辺においしいお店があるって言ってたっけ。評判がよかったら、たまにはぼくのほうからライアンを誘ってみてもいいかもしれない。ライアンはきっと、自分で店を決めているだろうし。


「本当にこの辺で合ってんのか?」
「わかんない…」
「おいおい」

 聞き覚えがある、声だった。片方は。もう片方は、まったく知らない。知らないけど、年頃の女の子だということはわかった。
 向こうから、ぼくの姿は見えない。何でぼくは、こんな盗み聞きするような真似をしているんだろう。
 そっと、ばれないように様子をうかがってみた。
 目立つ金髪にブーツ、そしてサングラス。間違いなく、ライアンだった。その隣に立つ、女の子。



「…別に探してなんて頼んでないし、」
「大事な物なんだろ? 意地張ってないで探すぞ」
「…ありがと」
「ん、」

 若くてかわいいその女の子は、誰がどう見てもお似合いだった。
 ライアンは、優しい表情でその子の頭を撫でる。…今朝、ぼくに同じことをした、その手で。
 ああ、お似合いだなあ。ライアンはお世辞にも口がいいとは言えないけど、かっこいい。
 どうして、勘違いしてたんだろう。いい人が、いないわけが、ないのに。
 思いたく、なかったのかもしれない。



「…ばっかだなあ」

 抱えた荷物が、揺れた。彼らは探し物をしているみたいだったから、早くここから去らないといけない。荷物を抱え直して、ゆっくり来た道を戻る。
 舞い上がって、プレゼントなんか買っちゃって。
 そもそも、ぼくとライアンの関係って何なんだろう。友達とも呼べないこの関係に、終わりも見えない。
 それなのに、プレゼントだなんて調子に乗って。ライアンは気分屋だから、気紛れでぼくと一緒にいてくれたのかもしれない。



「あれ? 先輩?」
「っ…あれ、火神くん?」
「お疲れ様っす。どうかしたのか?…っです」
「え?」
「顔色悪い」

 偶然会ったのは後輩―もとい、氷室くんの兄弟仲である彼で。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。
 彼に心配そうな表情をさせてしまったことが心苦しくて、とりあえず笑ってみせた。きっと、うまく笑えてはいなかったのだろう。その証拠に、彼の表情は変わらない。


「先輩、メシまだ?」
「えっ、まあ」
「メシ行こーぜ。腹減ったー」
「う、うん…」

 ぼくの手を握った彼が、ぐいぐいと進んでいく。さっきの出来事ですっかり食欲も失せてしまったのに、つい頷いてしまった。食べられるだろうか。
 されるがままに彼に引かれて付いて行く。何か喋ったほうがいいのだろうか。でも、何を?
 悩んでいる間にも彼はどんどん進んで、人混みを掻き分けるように歩く彼に手を引かれなければはぐれてしまいそうだ。



「大丈夫だろ」
「え?」
「うまいもん食えば、元気も出るって!」

 一度歩みを止めた彼が、笑ってまたゆっくりと歩き出す。
 これから行くお店だろう、料理について楽しそうに語る彼に笑って、敬語抜けてるよ、と返すぼくは意地悪かもしれない。


「無理に敬語使わなくていいからね」
「…っす」

 照れくさそうに髪を掻く火神くんに笑って、今度はぼくから手を差し出した。

「引っ張ってきちまって悪い。奢る」
「いいよ。ぼくもちょうどランチしたいって思ってたんだ」
「そうか? ここ、うまいんだ」
「うん。落ち着いたいい雰囲気だね」
「だから、ゆっくり話ができるぜ」


 優しい声に顔を上げれば、微笑む彼が視界に飛び込む。
 まず何頼むか決めるか、とメニューを広げる彼。相変わらず信じられない量のメニューを頼む彼に、食欲が少しだけ戻ってきた気がした。





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