little | ナノ

「はーい、ご到着ー」
「えっ、こ、ここですか?」
「ここの一番上な。高いとこ苦手だった?」
「い、いえ。それは大丈夫ですけど」



 そのまま荷物と買い物袋を持たれて、停まった場所は見るからに高級マンションだった。案の定荷物を持たれたライアンさんからどうにか軽い鞄だけは自分で持って、エレベーターを使い最上階へと上がる。
 荷物で手が塞がって鍵が開けられないのではないかという俺の心配を余所に、ライアンさんは備え付けの機械に指を翳す。すると機械がアナウンスを始めて、それが終わるとサングラスを外して顔を近付ける。
 し、指紋認証だけじゃなくて目も…!
 俺が驚いている間に、鍵の開く音がしてライアンさんが扉を開けてくれた。




「ん? どうした?」
「い、いえ。初めて見たもので」
「最近じゃ珍しくないけどな。ドア閉じたら自動的に鍵締まっちまうから、どうぞー」
「あっ、お邪魔します」

 ライアンさんに促されるままに中に入ると、玄関の時点で広かった。いつもブーツを履いているイメージの強いライアンさんでも、色んな靴が並んでいてオシャレさがうかがえる。当然だけど自分の知るマンションとは違いすぎて別世界だった。
 何突っ立ってんの、と後ろからライアンさんに言われてはっとする。
 降ろしてくれた荷物の中から買い物袋だけを手に取って、キッチンの使い方を軽く教えてもらった。


「先に料理作っちゃっていいですか?」
「おー、頼むわ。見てよっかなー」
「や、やめてください」
「わーかったって。なんか手伝うことあったら遠慮なくどうぞー」



 ライアンさんがいなくなったのを確認して、料理に取り掛かる。たぶん、飼っているというイグアナのもとにでも向かったのだろう。
 さすがに炊飯器はなかったので、味は少々落ちるが温めて食べるごはんを買った。お米も重いし。
 腕捲りをして野菜を取り出し、水洗いしながら下準備を進めて思った。このキッチン、広くて使いやすいけどそれほど生活感がない。あまり自分で料理はしないのかも。




「お、うまそー」
「もうちょっとですね。煮えたらできあがりです」
「へー。こっちのスープみたいなもんは?」
「味噌汁と言って、これも日本じゃポピュラーで…」
「恋人に作りたい定番?」
「それはもういいですからっ」


 キッチンのカウンター越し、ライアンさんにからかわれながら鍋の中を見つめる。
 料理ができたことを伝えると、ライアンさんがお皿を持ってきてくれた。それに盛り付けると、すかさず持って行かれて俺は結局ひとつも運ぶことはかなわなかった。

「いただきまーす」
「お口に合うといいんですけど」
「ん、うまい。俺、好きだわ」
「よかったです」
「言っとくけど、料理だけじゃねーからな?」
「…はい?」
「す、き、な、の」



 またにやにやと笑ったライアンさんにそんなことを言われ、慌てて俺も手を合わせて料理を口に運ぶ。
 うん、我ながらうまくできたと思う。ライアンさんのお口に合うか不安だったけど、ちょっと多めに作っといてよかった。
 ライアンさんはおかわりまでしてくれて、作った料理はすべてなくなった。無駄にならなくてよかった、と皿を下げるために立ち上がる。


「あー、いいって。皿洗いぐらい俺がやる」
「でも、」
「いいから、先に風呂入ってこいって。沸かしといたから」
「後でいいですよ」
「…あー、そんなこと言っちゃってー、もしかして一緒に入りたいとか?」
「っ行ってきます!」




 ごゆっくりー、と楽しそうに手を振るライアンさんを軽く睨んでみたものの、効果はあったのだろうか。いや、たぶんない。
 準備してきた着替えとシャンプーたちを手に向かえば、広すぎるバスルームはガラス張りになっていて夜景が目に飛び込んでくる。
 綺麗だけど落ち着かない…! これだけ高いんだからまず人目に触れないのはわかっていても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 きょろきょろと見回してから初めてカーテンの存在があるのに気付き、一気にそれを下ろしてから脱衣所でそろりと服を脱ぐのだった。




「いいからベッドで寝ろって」
「嫌です。ライアンさんがベッドで寝ないなら俺は寝ません」
「俺はいいのー」
「それこそ俺はいいですよ。ライアンさんのほうがお疲れじゃないですか」


 そんな俺に続いて風呂に入ったライアンさんと、俺が持ってきた菓子折りをふたりで食べながら話していた頃。
 そろそろ寝るか、というライアンさんの提案により冒頭に戻る。
 ライアンさんの家にベッドはひとつしかないらしく、大きいライアンさんとは違って俺はソファでも充分足を伸ばして寝られそうだ。…自分で言ってて悲しくなるけど。



「あのなあ…」
「俺はもう譲りませんからね…!」
「…そんなこと言ってると、一緒に寝ちゃうぞー」
「…い、いですよ。ライアンさんが、ベッドで寝てくれるなら」
「…は、」

 俺がまた、恥ずかしがるとでも思ったのだろうか。驚いた顔をしたライアンさんは珍しい。
 きっと俺の顔は赤くなっているだろうけど、それでも。


「…は、冗談だろ」
「本気です、けど」
「意味わかってんの? わかってねえだろ? なあ」
「お、れは、」
「…ちょっと出てくる」

 買い忘れ思い出した、と。
 車の鍵を持ったライアンさんが、するりと俺の前を横切った。怒ったようなライアンさんの表情が、頭から離れない。
 …そんなに俺と、寝るのは嫌だったのかな。いきなり押し掛けるような真似して、やっぱり迷惑だったのかもしれない。
 広い部屋に取り残された虚無感は大きくて、カーテンを軽く開けば綺麗な夜景が広がっていた。ベランダに出てカーテンを閉めれば、夜独特の寒気が身体を襲う。


「…もう、だめかなあ」

 ライアンさんは、愛想を尽かして出て行ってしまったのかもしれない。次にライアンさんが帰ってきた時は、別れを告げられるのかもしれない。
 ライアンさんみたいな素敵な人と、俺みたいな一般人の男。どう見ても、俺よりライアンさんにお似合いの人はいるに違いない。
 …綺麗な女の人と、並んで歩くのかな。似合うだろうな。嫌だなあ。



「このまま、溶けてしまえたらいいのに」

 ぺたりと床に腰をおろし、そのまま膝を抱える。急激にお尻が冷える感覚が襲ってきたけど、どうでもいい。
 ライアンさんは、朝になるまで帰ってくるだろうか。すぐに荷物を纏めたほうがいいかもしれない。
 そうは思っても身体は動かず、ゆっくりと目を閉じて暗闇に委ねた。



「……!」
「…?」
「おい! いるのか!?」
「…っ、あ、」

 バタバタと騒がしくなった物音に顔を上げると、帰ってきたらしいライアンさんの声がした。
 慌てて顔を上げると、勢いよく開かれたカーテンの向こうにライアンさんが立っていた。怖い顔をしたままのライアンさんに怯みそうになって、ぐっと唇を噛む。
 俺と目が合うと、ライアンさんは手を伸ばした。
 叩かれる。衝動的にそんなことを思った俺に降ってきたのは、予想外の言葉だった。


「…っの、バカ!」
「え…」
「こんな時間に薄着で外なんか出て、風邪でも引いたらどうすんだよ! 死ぬつもりか!?」
「あの、」
「帰ってきたらお前はいねーし!」




 叩かれると思った頭に痛さは降ってこなくて、代わりに怒鳴り声が鳴り響く。こんな風に言ってくるライアンさんは珍しいというか初めてのことで、つい呆気にとられる。
 切羽詰まったようなライアンさんがその表情を歪めたかと思うと、ライアンさんの匂いがふわりと香った。

「…お前が、いなくなったかと思った」
「えっ…?」
「頼むから、俺の前から消えないでくれ」
「ライアンさ―」
「どんなことでも、するから…」


 抱き締められたのだとわかった時には、耳元で切なそうに言葉を紡ぐライアンさんの声が優しく響いていた。
 何が起こっているのか、わからない。ライアンさんと話をするために離れようとしても、余計力が強くなるだけで思わず声が出る。
 痛いぐらいに抱き締められて、身体だけじゃなく心までもが痛んだ気がした。



「話を、させてください」
「…いやだ」
「どこにも、いきませ、から、」
「…うそじゃ」
「ほんと、です。やくそく」

 ライアンさんに強く抱き締められたせいか、苦しさから途切れ途切れに言葉を紡ぐことしかできなかったけど伝わったらしい。
 すっと離してくれたライアンさんの瞳は、不安そうに揺れているように見えた。もしかしたら、都合のいい俺の想像かもしれないけど。


「すみませんでした」
「は…?」
「一緒に寝てもいいなんて、軽々しく言っちゃって。…気分、悪くさせちゃいましたよね」
「違うっての。それは、」
「一緒には寝ません。でも、ベッドには寝てください。嫌なら俺はどこか他に行きます」
「…聞けって」



 ライアンさんにぐっと肩を掴まれ、目線を合わされる。真剣なライアンさんの表情が怖くて、視線を床に落とした。
 はあ、と深く溜め息を吐いたライアンさんにびくりと肩が跳ねる。




「そんな顔させるつもりなかった…ってのは、言い訳になるな」
「俺が、勝手に」
「違うっつーの。で、一応言っとくけど」
「…?」
「俺がお前のこと嫌いになるとか、ねーから」


 ライアンさんの笑顔はよく見るけど、困ったように笑うライアンさんは初めてだった。
 ほんとは言いたくなかったんだけどな、と切り出したライアンさんは俺の手をゆっくり引いてソファに座らせてくれた。



「一緒に寝るっつーのは、少なくともそういう危険があんだよ」
「そういう、こと?」
「えっちなこと」
「っ!?」
「そうやって、かわいく恥ずかしがってくれたらよかったんだけどな」

 かわいくないです、と言い返す気力はもはや残っていなかった。は、はっきり言うもんだから動揺してしまった…。
 でも最初みたいに怒っている様子はなくて、内心ほっとする。そんな俺の心境を察してくれたのか、ライアンさんはゆっくりと話し始めた。


「ぶっちゃけるとお前としたいって思ったことなんか何回もあるし」
「ら、ライアンさん?」
「そうやって俺の名前を呼んでくれるお前想像して抜いたことなんか数え切れねーし」
「なっ、何を…」
「…でも、お前のことは傷付けたくねーんだよ」



 爆弾発言の連続にびっくりしていると、その声は落ち着いたものに変わった。今日で一番、優しい声だったかもしれない。切なさを秘めたようなその声色に、思わず隣に座るライアンさんの顔を見る。
 膝に乗せた自分の手にライアンさんの手が重なって、引っ込める前にその手をしっかり握られた。


「初めてなんだよ。…嫌われたくねーって、思ったのは」
「えっと…?」
「だから、一緒に寝たら我慢できる自信がなかったんだよ」
「は…」
「あー、格好悪いから言いたくなかったのによ!」



 ちくしょう、と髪をがしがし掻いたライアンさんを見て瞬きを繰り返す俺を許して欲しい。
 ち、ちょっと待って。つまり、それって―

「俺のために…?」
「っていうより、自分のためだけどな。俺のせいでお前が傷付くとか、」
「よかった…」
「ん?」
「怒っちゃったのかと、思って」
「はあ?」
「もう、お別れしなきゃいけないのかなって」


 ライアンさんには俺よりふさわしい人がいるだろうし、なんで俺なんかと付き合ってくれたのか未だにわからなかった。
 正直な話、ライアンさんは興味本位で付き合ってくれているものだと思っていたので、いつ捨てられてもいい覚悟はしていた。失礼だけど。
 でも、それぐらいありえないことだったのだ。



「俺が遊びで付き合ってるとか思ってたわけ?」
「そ、そこまでは」
「ちょっとは思ってたんだな」
「す、すみません…」
「…ま、それに関しては何も言わなかった俺も悪いしよ」

 お前相手に察しろって言うのも無理な話だし。
 気の抜けたような笑顔を見せてそう言ったライアンさんは、俺の髪をくしゃくしゃに撫でた。
 ライアンさんはこう言ってくれてるけど、それでも。いつか飽きられてしまう日が、来るかもしれない。いくら俺が恋愛未経験だからって、俺のせいでライアンさんが我慢しなければならないような想いはさせたくない。
 そのために、やることは見えていた。


「大丈夫、ですよ」
「…ん?」
「ライアンさんとなら、そういうこと、しても」
「は、」
「ライアンさんと、はなれるのは、さみしい、です」



 ライアンさんの表情なんて見えてない。振り絞って震えた声は、今の俺の精一杯。
 …怖くないかと言われれば、嘘になる。でも、俺だってライアンさんが好きだし、ライアンさんが。俺も、幸せになれるなら。
 自分の身体を捧げる…なんて大袈裟なものじゃないけど。女じゃあるまいし。痛くも痒くも、ないのだ。


「…ありがとな。でも、しねーよ」
「…っ、」
「あー、んな泣きそうな顔すんなって。今はまだ、な」
「…?」
「だから今日は、一緒に寝よう」



 俺が意味を理解するのに時間がかかったのか、それよりもライアンさんの行動が早かったのか。ふわりと浮いた身体に慌てて声を上げれば、ライアンさんにしっかりと抱えられていた。
 暴れんなよー、と言ったライアンさんはそのままずんずん進む。
 電気が点けっぱなしだとか、まだ歯磨きしてないとか、言っても止まってくれそうにない。何より大きなライアンさんに抱えられることによって、それなりの高さに身体の自由が利かないこの状況が怖かった。




「ん、お疲れさん」
「わわっ…」
「はい、お前壁際なー。落ちたら困るし」
「そ、そんなに寝相悪くありません」
「そ? 俺、寝相悪いんだわ」
「…はい?」
「だから、くっついても文句言うなよ」

 案の定というか、降ろされたのはキングサイズのベッドで。深く身体が沈むこの感覚は今まで泊まったホテルでさえもなかったもので、とても高くて上等なものなんだろう。
 おそらく寝室であるここを満足に見ることもかなわず、ライアンさんが入ってくる。
 そのまま掛け布団を少しばかり乱暴に掛けられ、俺の視界は暗くなった。


「あの、ライアンさ、っ!?」
「言ったろ。寝相悪いって」
「ま、まだ、ねてな、っあ」
「大丈夫。…顔は、見えてねーだろ?」
「あ…」
「寝相の悪い俺を助けるとでも思って、協力してくれよ」



 ぴったりと密着する身体に、お腹に腕が回される感覚。それはしっかり俺のお腹の前で繋がれていて、触ってみてもびくともしない。それどころか、一瞬解放してくれたライアンさんが俺の手に重ねてきて。そのまま指を絡められて、きゅっと軽く握られる。
 優しいその触れ方は、離そうと思えば今の俺でもできるのに。離したらライアンさんまで遠くに行ってしまいそうな気がして、耳元で聞こえるライアンさんの声に必死で耐える。




「そんじゃ、電気消すぞー」
「えっ、ま、待っ」
「なーに? 怖い?」
「…っ大丈夫です」
「ん。おやすみ」
「…おやすみなさい」

 機械音のようなものが響いたあとにゆっくりと暗くなった照明は、リモコンか何かなのだろうか。
 すぐ近くにライアンさんがいて壊れそうなほどドキドキしていたのに、目を閉じれば俺の意識はすぐ闇に落ちていった。





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