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「よし、忘れ物はない…はず」

 あれから買い物を済ませて家を出た俺は、待ち合わせ場所に立っていた。
 まだ少し早いけど、泊めてもらう身で遅れるわけにはいかないもんね。…少しと言ったものの、コーヒー一杯をゆっくり飲む時間はありそうだけど。でも、飲んでる間にライアンさんが来たら困るしなあ。
 着きました、と連絡でもしようものなら急かすことになってしまうかもしれないし。いいや、ここで待とう。
 一泊分の荷物を詰めたボストンバッグを抱え直して、腕時計を見やったその時だった。


「お嬢さん、暇なら俺とお茶しなーい?」
「えっ、あ、ライアンさん!」
「ん。まだ時間まで余裕だけど早かったじゃん」
「す、すみません…」
「出たよー、すーぐ謝る。謝ることねーって毎回言ってんだろ?」
「すみま…っ、」
「まーた謝った」
「ぐっ…」
「ま、無理に直せとは言わねーけどよ」


 そっちよりありがとうのほうが嬉しいんだけど?
 にやりと笑ったライアンさんにそう言われて、はい、と自然に笑みがこぼれた。
 いきなり後ろからライアンさんの声がしてびっくりしたけど、ナンパみたいに声を掛けてくるライアンさんの悪戯心には笑ってしまう。
 大きな手で優しく頭を撫でられて、くすぐったいような、恥ずかしいような…。

「これ荷物?」
「あっ、自分で」
「これぐらいやらせろって。男の面目丸潰れにするつもりー?」
「お、れも男ですけど…」
「ああ、そうだった。…でも」

 俺の可愛い子猫ちゃんだろ?
 耳元に口を寄せたライアンさんにいつもより低い声で囁かれて、思わず耳を塞ぐ。
 熱くなった顔はきっと耳まで赤くなっていて、ライアンさんは意地悪そうに口元を歪めて笑うと、何もできないままの俺をいいことに荷物を奪った。


「そっちも?」
「あっ、そうだ。お世話になるのでお菓子を…」
「わざわざよかったのに。んじゃ、帰ってから一緒に食うか」
「これぐらいは自分で持ちますから」
「えー、だって俺にくれたんでしょ? もう俺のもんだからあーげない」
「じ、じゃあ荷物…!」
「俺が運んだほうが早いって」



 い、言い返す言葉が出ない…!
 ライアンさんから力ずくで荷物を奪える力なんて持っている術もないけど、諦めきれない俺は手を伸ばしてみる。案の定というか、軽く上げられ俺の手は掠りもしなかった。
 小さい子供にやるように、菓子折りの入った袋をぷらぷらさせるライアンさんは楽しそうで、俺は溜め息を吐いてお願いしますと吐き出すしかないのだった。

「はい、どうぞー」
「あっ、ありがとうございます」
「なんか食いたいやつある? 飯まだだろ」
「よかったら、お作りしましょうか? ご迷惑じゃなければ」
「迷惑なわけねーじゃん。いいのか?」
「俺なんかので良ければ…日本料理になりますけど」
「じゃあ頼むわ。買い物は?」
「あっ、じゃあそこの信号右で―」



 近くまで歩けば、停めてあったゴールドに輝く車が視界に飛び込んでくる。圧倒的な存在感を放つその車はライアンさんのものだけど、何回見ても慣れない。リモコンで鍵を開けると、助手席のドアをわざわざ開けてエスコートしてくれるライアンさんは、さすがとでも言うべきか。
 少しでもお礼になればいいと思って、勇気を出して言い出してみてよかった。
 暮らしはこっちが長いのだけど、もともとは日本出身だ。と言っても、小さな頃にはもうこっちに来てたので、さすがに慣れて言葉に不自由はないけど。


「ん、着いた」
「ありがとうございます。それじゃ買い物してくるので、」
「俺も降りる」
「えっ、大丈夫なんですか?」
「コレあるし平気だろ」

 俺が道案内したスーパーに車を停めたライアンさんがこんなことを言い出したものだから、俺は降りかけた足を思わず止めた。
 ライアンさんは上げていたサングラスを落として掛けたけど、大型スーパーではないといってもやっぱり見つかったら騒ぎになるんじゃ…。
 渋る俺を見て、ライアンさんが口を開いた。



「よく考えてみろよ。車の中でひとり待ってるほうがつまんねーだろ」
「すぐ済ませますから!」
「大体、俺の家にあるもんとないもんわかんの?」
「…あっ、」
「な? 必要だろ、俺」
「ライアンさんが今ここで言ってくれれば、」
「ごっめーん。今思い出せねーわ」

 決まりだな、と俺の返事を聞く前にライアンさんが車を降りる。慌てて降りようとすると、いつの間にか助手席側に回っていたライアンさんがドアを開けてくれた。
 どーぞ、と手を差し出されては握らないわけにもいかないのでそれに甘えると、優しい力で引っ張られる。
 …ライアンさんが紳士的でかっこいいのはわかるんだけど…こう、男の俺にされても恥ずかしいだけなんですけど…!
 お礼を言ってから、ライアンさんの隣に並んでスーパーに入った。


「コレはいらねーの?」
「カート使うほどでもないので、大丈夫ですよ」
「そっ。じゃ、コレな」
「あっ、持ち…」
「まーだこの期に及んでそれ言うかね?」
「うぐっ、」
「この俺が荷物持ちなんてレアなんだぜ? 素直に甘えろって」



 俺はお前と違って手ぶらだし? なんて言われたらもう諦めるしかなくて。
 ライアンさんの家に行くのも、泊まるのも、買い物も、手料理を振る舞うのも初めてだ。
 聞いたところ苦手な食べ物がないのも、さすがというべきか。

「で、何作ってくれんの?」
「そうですね、肉じゃがとか…」
「へー、初めて聞いた。有名なのか?」
「そうですね。お母さんの味とも言って、恋人ができたら作ってあげたい料理とし…て…」
「…へぇ?」


 自分の口走った意味に気付けば、ライアンさんがにやにやと笑いながらこっちを見ていた。途端に恥ずかしさが込み上げてくるも、あの、とかこれは、とか出てくるのは意味のない言葉ばかりで。
 肩を軽く叩かれて思わず顔を上げると、笑みを浮かべたままのライアンさんが近付いていて思わず固まる。
 そんな俺をいいことに、ライアンさんは俺にしか聞こえない程度の声でささやく。


「…俺に作りたいって、思ってくれたんだ?」
「っ、は、早く買い物済ませましょう!」
「くくっ…いいぜ? 今日の俺は荷物持ちだからな」



 赤くなった顔を隠すように我先にと進んで材料をカゴの中に放り込むけど、きっとライアンさんにはとっくにばれている。
 ライアンさんに家にある材料や調味料を聞きながら回った結果、殆どの材料を買う羽目になった。
 なるべく余らせないようにしないとなあ、なんて考えながら歩いているのがいけなかったのか―向こうから走ってくる子供に反応するのが遅れて、よろけてしまう。


「おっと」
「わっ、あ、ありがとうございます」
「危ねーな。怪我ねえ?」
「は、はい。あの、手、を」
「んー? またぶつかったら危ねーだろ」
「も、もうぶつかりません!」
「そりゃ残念」

 咄嗟の判断でライアンさんに助けられた…はいいものの、その手はしっかりと俺の腰に触れたままで。つまり、そのぶん身体も密着している。
 元気に走って行った子供に怪我がないようなのは何よりだけど、いつまでもこの態勢は、ちょっと心臓に悪い。
 すぐに離してくれるところが、他の人とは違うのだろう。いや、他の人がどうかなんて知らないけど。




「しっ、支払いぐらい自分でしますって! させてください!」
「いいって、大した額じゃねーんだし。あ、カードで」
「大した額じゃないならいいじゃないですか! すみません、現金で払います」
「おーい、おにーさん困ってんじゃねーか」
「す、すみませ…あっ、ちょ、ちょっと!」
「隙あり、っとー」


 結局レジに進むも、俺の財布を奪ったライアンさんがひょいとそれを高く上げる。そのままレジのお兄さんにこれまた金色に輝くカードを渡して、お兄さんが笑顔で俺を見た。
 これ以上お兄さんを困らせてはいけないのと、ライアンさんからすぐに財布を取り返せる自信がないこと。
 レシートお願いします、と言うのが俺は精一杯なのだった。





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