出張!ボーダーレンタル!? | ナノ

「くっそが」

 こんな悪態を吐いたのは、レジの店員のやる気がなかったとか、そういうわけじゃない。
 いや、店員のやる気はいつも通りなかったけど。でもこっちの機嫌が悪いのはそこじゃない。
 さっき買い込んだ食べ物が入った袋が、右手でガサガサと音を立てて揺れている。
 買い込んだと言ってもお菓子ばっかりなので、たいした重さはない。ただ、傍目から見て一人で食べる量ではないことは明らかだ。
 じゃあ今日誰かと時間を共にする予定があるのかと言うと、それもノーだ。
 こんな時間から誰かと予定があるならこんなにお菓子を買い込むわけがない。それこそ誰かとごはんにでも行く。
 そもそも、携帯の電源を切っているのだ。誰かから誘いの電話がかかるわけもない。
 それは仕事が忙しいこっちの事情をわかってくれている知り合いなら尚更のこと。もし万が一誘われたとしても、今の状態で行こうとは思えなかった。

「いやもう本当に意味わかんない…くっそ…」

 歩き慣れた道で、ぶつぶつ独り言を言っている今の姿は不審者以外の何者でもなかったけど、この時間帯なら人も少ない。
 もしいたとしても、部活帰りであろう高校生ぐらいだ。
 今は誰もいないし許してくれ。もし見かけたとしてもいなかったことにするぞ。こっちのこともいなかったことにしてくれていいから。
 わざわざ言葉に出すまでもなく、今の俺は腹が立っていた。
 思い出すだけでも苛々が止まらないので、家へと帰る道を急ぐ。
 このまま家に帰って、やけ食いして、それで、それで。

「もう膝枕でもしてくれねえとやってらんねえよ…」

 意味不明なことを言っている自覚はあるが、気が狂ってこんなことを口走っているわけじゃない。
 いや、気は狂いそうだけど。狂ってんのか? そんなことはどうでもいい。
 実はここ最近、口コミでじわじわと人気を広げているサービスがある。
 それはよくあるレンタル彼氏とかいうものに近く、俺自身噂で聞いたことがある程度だ。
 レンタル彼氏ぐらいのサービスならごまんとあるが、それはちょっと違う。
 なんでもそれは紹介制で、そのレンタルサービスで提供する側―つまり、そのサービスで活動する人の中から紹介がないと、利用できないのだ。
 紹介制と聞けば相当値が張るイメージだが、最近始まったばかりのサービスらしく今ならかなりのお手頃らしい。
 …まあ、体よくそう言ってるだけかもしれないけど。
 そしてたまたまというか、その中の一人を知っている。もともと知り合いだったわけじゃなかったんだけど、まあその経緯はまたの機会にするとして。

「いや、疲れてるからこんなこと考えるんだ…早く帰ろう…」

 確かその子と話した時も、疲れた顔をしてると笑い飛ばされたものだ。
 外見というか頭髪がやけに印象に残る子だったけど、悪い気がしなかったのは俺が疲れていたのか、それともあの子の人柄か。
 別れ際もまたねと手を振って行ってしまったけれど、また、なんてきっとない。
 そう思いながらやっとのことで着いたマンションの階段を駆け上がった先で、俺は自分の目を疑った。

「…! あっ!」
「…えーっと、どちら…さまですか…?」

 俺の家の前で、高校生が立っていたのだ。
 …えっ、待って。しかもこの制服、ここら辺じゃ有名な進学校の制服じゃん。
 進学校の男子高校生が? なぜ? 俺の家の前で? 立ち尽くしている?
 えっ、全然記憶にないんだけど。えっ、待って。俺何かしちゃった? まるで記憶がないんだけど。
 さっきの怒りはどこへやら。冷や汗を流す俺の表情を見て察してくれたのか、目の前の男の子は否定するように、ぶんぶんと首を横に振った。

「ちっ、違うんです! えっと! あの、犬飼先輩の紹介で…!」
「…いぬかい、くん?」
「あっ、俺は違っ、犬飼先輩の後輩なんですけど、」
「えーっと…?」
「犬飼先輩から、話、聞いてませんか…?」

 何となく聞き覚えのある名前を自分の記憶から辿り、はっとする。
 犬飼、という名前だけふんわりと記憶があったのは、たまたま知り合いとなったその彼だったからだ。
 目の前に立つ彼は如何にも進学校の高校生ですとでも言うように、黒髪で礼儀正しく、一言で言うなら高校生らしい印象を受けた。
 困ったように見上げてくるその瞳には不安の色が浮かんで、俺は思わず上着の左ポケットから携帯を取り出して電源をつける。
 彼と連絡先を交換したトークアプリを真っ先に開けば、そこには新しいメッセージを告げる数字がいくつか入っている。
 まさかと思い連打してそれを開けば、目を疑うような文章が記されていた。

『お兄さん、お久し振りで〜す! 俺のことわかる?』
『今忙しいのかな? たぶん仕事だよね。仕事中にごめんね〜?』
『この前言ってたことなんだけど、とりあえずお兄さん登録しといたから!』
『まだ登録してる人自体少なくてさ〜、まあ始まったばっかだし、お兄さんお疲れだろうから〜…』
『本当は俺が行きたかったんだけど、都合が付かなかったので俺のかわいい後輩を派遣しました〜!』
『変なことしない限りは大丈夫だから、好きにお願いしてね☆』
『あ、忘れてた。お試しってことで、もちろん無料なので! 詳しいことはその子に聞いてね』

「先に言えよ…!」

 送られたトークの文章をすべて読みきってから、言葉に出さずにはいられなかった。
 いや、先に言ってるよ。先に言ってるんだけど、普通こういうの本人の許可取れてからするもんじゃないの!?
 かわいい後輩…って、やっぱり、この子のことだよな。ちらりと見れば、彼は困ったようにこちらを見上げた。

「あ、あの、もし迷惑なら、今日は帰りますが…」
「いや、迷惑ってわけじゃ…えっと、とりあえず上がる? うん、上がって。どうぞ」
「な、なんかすみません…」
「いやいや、お茶ぐらい出すよ。ちょっと待っててね」

 自分で鍵を開けて、その男の子を残して、とりあえず部屋へと猛ダッシュする。
 やっべえ、最近忙しかったから全然片付けてねえよ…!
 今から片付けてる時間はないし、とりあえず目に見えて散らかっているものだけを抱えて、ほぼすっからかんのクローゼットの中へと突っ込む。
 年下の男の子に見られてまずいものは、たぶん、ない。よし。
 また玄関へと猛ダッシュして脱ぎっぱなしの靴を揃えてから、俺は少し荒くなった呼吸を整えて扉を開けた。

「お待たせしてごめんね。どうぞ」
「お、おじゃまします…」
「どうぞどうぞ。散らかってるけど…」
「いえ、こちらこそ急にすみません」
「あー…いや、見てなかった俺も悪いから。適当に座っていいよ」

 ていうか、なんだこの状況。やばくない? 高校生の男の子家に上げちゃったけど、捕まったりしないかな。
 まだそんなに遅い時間じゃないけど、でもどれぐらい俺のこと待ってくれてたかわかんないし。
 ついでとばかりに買っておいたホットのお茶を手に取り、鞄からコーヒーを取り出す。すっかり冷めてしまったこのコーヒーは、俺が飲むものとして。
 お茶も湯呑みに注いだ方がいいのかと思ったけど、何か盛られてるんじゃないかって疑われても困るし…考えすぎかもしれないけど。

「ごめんね、お待たせ。あったかいうちにどうぞ」
「す、すみません…」
「…えーっと、それで、君は」
「あっ、辻と言います。この度は、ご迷惑をおかけしてしまったようで、申し訳―」
「あーっ、いい、いい! そういうのいいから! ねっ!? 飲んで!」

 床に正座した時点で礼儀正しい子だとは思ったけど、こうも畏まって言われるとこっちが悪いことをしているみたいで申し訳ない。
 毒を入れられているとは思ってないみたいで内心ほっとした。当たり前か。
 目の前の男の子改め辻くんが飲んでくれたのを確認して、俺もコーヒー缶の蓋を開けて口をつけた。
 辻くんのと違って冷たいけど、いつものことなので気にしない。もう残り少なかった中身をぐっと飲み干して缶を置くと、様子をうかがうような辻くんの視線が目に入る。

「えっと、門限とか、大丈夫…?」
「大丈夫です。ボーダーなので、多少は」
「…んっ? ボーダー? ボーダーって、あのボーダー?」
「…俺の記憶によれば、ボーダーはここに一つだけ、ですね」
「だ、だよね〜…」

 ボーダー。ここに住む人間なら、知らない者はまずいない。
 この街は数年前から、化物のような謎の生物からの侵略を受けて、多大な被害と犠牲を出した。
 俺の住んでる場所は直接被害はなかったけど、自分のことのように覚えている。
 それからというもの、ボーダーという組織によってこの街は守られている。
 遭遇した一般人が記憶をどうにかされるぐらい、一般人にはあまりボーダーのことを知らされないらしいが、何をやってるかぐらいは何となくわかる。
 こ、こんな育ちのいい男の子でもボーダーやってるんだ。ボーダーってすごい。
 気遣ってくれるような辻くんの言葉に胸が痛みそうになるけど、辻くんだって「こいつこんなことも知らねえのか」みたいなことを思ってるに違いない。辻くんの言葉遣いがそんなに悪くないのはわかってるけど。

「あれ? 犬飼くんって、学校の先輩?」
「はい。それと、犬飼先輩もボーダーです」
「えっ!?」
「それぐらいは、さすがに言ってると思ったんですが…」
「ぼ、ボーダーのことって、あんまり言っちゃいけないんだよね?」
「そうですね、守秘義務があるので。ですが、これぐらいは別に…」

 気まずそうな表情をさせてしまってごめんという気持ちしかない。
 言われてたかどうかもわからない。えっ、俺相当疲れてたんじゃない? 大丈夫?
 いや、よく考えればそうだよね。紹介制って聞いて怪しいっていうか、ただの噂だと思ってたけど。なるほどボーダー。納得。
 ていうかボーダー、こんなことやってていいの? 危ない人に当たっちゃったら大変じゃない?
 いや、そのための紹介制なんだろうけど、俺犬飼くんと一度ばったり会っただけなのに?
 大人ならまだしも、こんな若い男の子が来ると思わないじゃん。
 そう思ってちらりと辻くんを見れば、彼は察したように、ああ、と声を上げた。

「大丈夫です。ボーダーなので、ある程度は戦えます」
「そ、そっか…」
「…ですが、恥ずかしい話、じ、女性が、苦手で」
「…えっと、俺、男」
「そ、そうですよね。見たらわかりました」
「…ちなみに、犬飼くんは、なんて?」
「おとなしそうな人だから、まず慣れておいで、と」

 つまり、なんだ。話を整理すると、このレンタルサービスをすることで、少しでも女性への苦手意識を克服しようという目論見かな。
 辻くんの言い分によると、確かに犬飼くんは性別のことは言っていない。
 言ってないけど、俺が辻くんの立場なら絶対女性だって思うよねこれ。辻くん絶対思ってた顔だもん、これ。
 なんだろう、この意図しない詐欺みたいな。いや、俺は悪くないんだけど。
 ていうか、こんなんで大丈夫なのかボーダー。一般人の俺に心配される筋合いもないだろうけど。報告、連絡、相談とかさあ…!

「…えーっと、なんかごめんね?」
「い、いえ! むしろ、男性で安心したので…ありがとうございます」
「…染みるなあ」
「はい?」
「いや、相手が辻くんでよかったなって」

 なんだこの子、天使か。いや、勝手に殺すなって話なんだけど。殺すつもりもないけど。
 ここに来たことでまったく辻くんのためになってないのに、お礼が言えるなんて、しかも、微笑んでまで。
 はじめて見た時から思ったけど、容姿はかなり整っていると思うし、苦手意識を持たれる女性が可哀想に思えるほどかっこいい。
 最初は別の意味で怒りが吹き飛んだけど、今は確実に、辻くんに癒されたことで心が浄化されていくのを感じる。
 犬飼くんも系統は違うけどかっこよかったし、ボーダーってイケメンしかいないのか。こりゃレンタルサービス売れるに決まってるわ。俺が女なら絶対次も辻くん指名してるよ。
 そんなことを思いながらうんうん頷いていると、今度は辻くんが俺を呼ぶように声をかけた。

「あの、お疲れのようなので、希望があれば…」
「ああ、うん。ちょっと、仕事で色々あってね」
「俺でよければ、できる限りのことはさせていただきますけど…」
「いや、もう辻くんと話してるだけで充分…」
「…? どうかしましたか?」

 口に出した通り、こんな天使のような高校生が今時いてたまるかってぐらい、俺の心は満たされたはずだ。
 でも、ちょっとだけ悪い自分が顔を出す。
 変なことをしない限りは大丈夫だって言われたし、一般的にはその変なこととやらには入らない、はずだ。
 でも、人によっては不快感を示すものかもしれない。それが例え、この辻くんであっても。
 最悪通報されるかもしれない。でも、ダメで元々、言ってみるだけなら。

「い、嫌だったら全然断ってくれていいんだけど」
「は、はい」
「膝枕…とか…?」
「えっ」
「あーっ、やっぱダメだよね!? 今のなし! 気にしないで! 変なこと言ってごめんねっ!」

 はい、終わった。絶対引かれた。いくら辻くんでも、大して面識のないおっさんにこんなこと頼まれたら絶対気持ち悪いって思ってるよ!
 土下座する勢いで頭を下げると、辻くんの慌てるような声が聞こえた。
 それでもしばらく顔を上げないでいると、土下座に近い姿勢で謝る俺の手に、そっと辻くんの手が重ねられ、思わず顔を上げる。
 その先で待っていたのは、微笑みかけてくれている辻くんだった。

「男なので、固いと思いますけど。それでもよければ」
「仕事は選んでいいんだよ…?」
「大丈夫です。…あなたなら、嫌じゃない、ので」
「えっ…ま、マジで? いいの…?」
「はい。どうぞ」

 ぽんぽん、と導くように自らの膝を叩く辻くんに、これは夢でも見てるんじゃないのかと疑ってしまう。
 もともと正座していた辻くんだから、俺がその膝に頭を乗せるだけで、膝枕は成立する。
 でもこれ、詐欺なら絶対頭を乗せた瞬間に変態扱いされて大変なことになるやつでしょ?
 それぐらい、俺の目の前で信じられないことが起きている。
 えっ、俺の人生ってこんなにイージーモードだった? それなら仕事で俺の手柄を横取りした上司は何らかの災いを受けてもおかしくないんだけど?
 自分でも物騒なことを思いながら辻くんを見ると、深く縦に頷いた。あっ、これマジのやつだ。

「し、失礼してもいいでしょうか…」
「どうぞ。…痛くありませんか?」
「だっ、い、だいじょぶ、です」

 やべえ。マジで男子高校生に膝枕してもらっちゃってる。これ、この後始末されるやつかな?
 物騒な考えは止まらないが、まだ身体のどこかに襲撃を受ける感覚はない。
 確かに男の子でボーダーに入っているというだけあって、寝心地がいいとは言えない。
 ただ、少し遠くなった辻くんのやわらかい声が届いた瞬間に、なんとも言えない気持ちが俺を襲った。

「触っても、いいですか?」
「えっ、あっ、き、汚いかも…」
「ありがとうございます。全然大丈夫ですよ」
「こ、こちらこそ…」
「黙った方が、いいですか?」
「いっ、いや! どんどん話して…!」

 膝枕お願いしといて、どんどん話してってどういうことだよ。この混乱がすごいよ。察してくれよ。
 だって静かになると、なんかいけないことしてるみたいで気まずいから…!
 現に今すげー心臓バクバクしてるもん。こんなの知られたら、辻くんのお友達とかに殺されるんじゃないだろうか?
 すっと髪に触れたその手つきはくすぐったいほど優しすぎて、思わず肩が跳ねそうになるのを、ぐっと我慢する。
 それにもし辻くんの手がゴッドハンドだったら、俺が寝てしまう危険がある。
 まだ遅くない時間とはいえ、こっちから呼んどいて寝るとか失礼にも程がある。厳密には俺が呼んだわけじゃないんだけど、辻くんからしたら同じようなものだろう。
 ていうか、時間制限とか聞いてなかった。先に聞いてないとやばくない? 俺の帰り、待っててくれたみたいだし。
 そう思って口にしようとした言葉は、辻くんによって掻き消されてしまった。

「よくがんばりました。今だけは、甘えてくださいね」
「…っ、」

 頭を撫でられる感覚と、優しい言葉に、思わず息が詰まった。
 この年齢になって、誰かから褒められることなんて、長い間、なかった。
 友達と愚痴を言い合ったりはするけど、それは、そうでもしないとやっていられないからだ。言ってしまえば、傷の舐め合いのようなもので。
 俺自身、この年齢になって、誰かを褒めることすら、どこか恥ずかしいと感じていた。
 だから、こんな純粋な年下の男の子に甘やかされて、それが愚かだったと知る。目頭が熱い。
 ぎゅっと胸の前で握り拳を作って、潤む目からそれがこぼれてしまわないように、力を込めた。

「…もうちょっと、このままでも、いいかな」
「はい。もちろんです」
「ありがとね」

 きっと俺、明日からまた頑張れるよ。残業でも、また理不尽な思いをしても。
 でも、またこんな風に、辻くんみたいな子に慰めてもらえるなら、俺はいくら出しても辻くんを選んでしまうだろうから。その時は、よろしくね。
 ああ、辻くんって甘いもの好きかな。買ってきたものの中に、一つでも食べられるものがあるといいな。
 溶けてしまいたいほどの気持ちいいまどろみに、俺はそんなことを思った。

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