濁った欲は歪まない | ナノ

 無邪気に俺に笑いかけるその笑顔に、自分の中の何かが濁っていくのを感じたのはいつからだろうか。


「はじめちゃんはじめちゃん!」
「岩ちゃん! あれっ」

 両側から表れた幼馴染みふたりに、顔をしかめたのは俺だった。



「出たな妖怪女たらし!」
「誤解生む発言やめてよ!?」
「うるさい俺のはじめちゃんを奪いやがって! 鬼! 悪魔! 人でなし! イケメン!」
「うん、最後のはむしろ嬉しいんだけどいいのかな?」
「及川なんか嫌いだ…」


 幼馴染みふたりと言っても、最初から3人でいたわけではない。互いの親が仲良く生まれた時から一緒にいるのがこいつ、そして小学校からの付き合いが及川だ。
 及川はバレー繋がりで、こいつはバレーをやっていない。及川と同じくバレーを始めた俺は付き合いが長く、どちらかというと及川のほうが一緒にいる時間は多いかもしれなかった。



「そんなこと言わずに仲良くしようよ〜」
「お、おれのはじめちゃんを奪っておいてよくもぬけぬけと…!」
「ふふ…悔しかったら、俺ごと奪ってごらん?」
「ひ、卑怯者!」
「で、俺はいつまでお前らのコントを見てればいいんだ」



 こいつはバレー部には入っていない。まったくバレー部と関わりがないわけじゃないが、何故か及川を敵対視しているので滅多にバレー部の前に姿を表すことはない。
 及川を嫌いだと言うくせにこうやって普通に喋るもんだから、仲が良いと言えば良いのである。言えばこいつが機嫌を損ねるので、俺の口からは絶対に言わないけど。


「で、及川はともかくお前はどうしたんだよ」
「えっ、俺はともかくって酷くない?」
「は、はじめちゃん…俺より先に及川の名前を…っ、」
「及川はほっとけ。で、こんな時間にどうした」



 普通の生徒が出るよりも明らかに早いこの時間は、主に運動部の連中が朝練に向かう時間帯だ。
 俺だって及川と待ち合わせをしているわけではないが、お互いに家を知っているし通学上どうしても会わざるを得ない。及川なんかのために、わざわざ遠回りをするのは癪だし。
 でも、運動部どころか部活にすら入っていないこいつがこの時間帯に通学するのは殆どないことなのだ。

「だって今日、はじめちゃんの誕生日だから!」
「そこは誕生日おめでとう、が先じゃないの?」
「うるさい! 俺より先にはじめちゃんの誕生日は祝わせないからな!」


 俺の誕生日を祝ってくれるなら、本人を置いてけぼりにして騒ぐのを止めようとは思わんのか。慣れたことだからいいけど、騒ぐふたりを見ながら溜め息を吐く。
 溜め息吐いたら幸せ逃げるよ! とウインクする及川がうざくて思わず足が出た俺は悪くない。



「いったい! 岩ちゃん誕生日なんだから今日ぐらい蹴らなくてもいいじゃん!」
「誕生日なら誕生日なりの気遣いを見せろ」
「は、」
「あ?」
「はじめちゃん、はじめてじゃないの?」


 おそるおそるといった風に紡ぎ出された言葉に、及川と目を合わせて首を傾げる。
 えっ、何今のダジャレ? と言う及川にちょっと黙ってろと目線で訴えれば、はーいと声は出さずに口だけ動かした及川は後ろに下がった。

「どういう意味だ」
「はじめちゃん、及川蹴ったことあるの?」
「いつもうるさいからな。今のもたまたまだ」
「たまたまで普通仲間の背中蹴らないでよー」
「黙ってろって言ったろ」




 違和感に気付いたのは、それがどうした、と向き直ってからのことだった。今まで俺を見ていたその表情は俯いて見えず、握られた拳は何故か小刻みに震えている。
 さすがに尋常じゃない様子に、おい、と声を掛けようとしたその時だった。



「は、じめちゃん、はじめて及川にあげちゃったの」
「…は?」
「えっ、いや、俺と岩ちゃんはそんな関係じゃないよ!? 確かに心は通じ合ってるけど」
「話ややこしくすんな! おい、」


 まるで浮気を問い詰められた旦那のように、及川を黙らせつつこいつに話し掛ける。もはや誤解と呼ぶにもぶっ飛びすぎている言い分だが、こいつがこんな奴なのは一番俺が知っている。
 肩を掴んで顔を上げようとすれば、その手を払われた。生まれて初めてのことに、思わず目を見開く。
 見えた視界の先で、俺を睨むこいつの表情が眩しかった。




「…は、はじめちゃんの浮気者ー!」
「ぶっ、」
「…あらら」

 顔に飛んできた何かと共に、響き渡る叫び声。命中した鼻を押さえつつそれを拾い上げれば、ラッピングされたような袋のそれはどうやら誕生日プレゼントらしい。包装紙の仕様で、中身は見えない。
 顔を上げた頃にはあいつの姿はもうなくて、及川の笑い声にまた顔をしかめる。


「いやー、相変わらず面白いよねー!」
「お前、わざと突っかかったろ。お前が関わると碌なことねえんだよ」
「えー、理由って本当にそれだけ?」
「どういう意味―」
「岩ちゃん、俺の前でぐらい優しい幼馴染みでいなくてもいいんだよ?」

 にっこりと。それは胡散臭いぐらいに。女子に騒がれて作る笑顔とは違う、敵を目の前にし捉えて離さない―そんな瞳で笑う及川に、舌打ちをひとつ零す。
 俺が及川のことをわかっているように、及川は及川で俺のことをわかっているらしい。なんとなく腹立たしい。


「みんなにはうまく言っといてあげるから行ってきたら? 今頃拗ねてひとりで泣いてるかもよ〜」
「誰のせいだと思ってんだ」
「じゃあ俺が行ってもいいわけ?」
「は、冗談。相手がお前でも渡さねーよ」

 ひゅう、と口笛をひとつ吹いた及川を無視して歩き出す。頑張ってねー、という及川の声に振り返らずに手を上げた。
 さて、拗ねたあいつを早く迎えに行かなくちゃな。自分の誕生日だってのに、何やってんだか。でも、悪くないと思うのはお前だけなんだぜ。お前はきっと、知らないだろうけどな。

「ったく、手の掛かる奴」

 不本意な形で俺の手に渡ったプレゼントを握り締めて、歩く速度を速めた。




「…やっぱりここにいたか」
「…いないもん」
「そうかよ。じゃあ誰が返事したんだろうな」
「はじめちゃん、」
「ん?」
「ごめん、なさい」
「悪いと思ってるんなら、ちゃんと目を見て謝るんだな」


 落ち込んだら来る場所は高いところと決まっていて、あっさり見つかったお前に屈んで顔を覗き込む。男子のわりに大きな瞳は、うっすら涙の膜が張ったことによってビー玉みたいにきらきら揺れている。
 怒ってねえよ、と囁いて柔らかいその髪を数回撫でてやれば落ち着いたのか、ただ首を縦に振った。

「さすがに顔にぶつけられるとは思ってなかったけどな」
「うっ、ご、ごめん…」
「お前ノーコンだしな。これ、貰ってもいいのか?」
「…いるの?」
「俺がいついらないって言った」



 今はお前と話したいから後でゆっくり見るわ、ありがとな。
 そう言えば、機嫌が直ったのかへらりと笑う。さて、これで第一段階はクリアといったところか。


「及川より先に俺の誕生日祝うんじゃなかったのか?」
「! お、お誕生日おめでとう、はじめちゃんっ」
「おー、ありがとな。浮気者の俺を祝ってくれて」
「や、やっぱり怒ってるじゃん…」
「怒ってねえよ。じゃなきゃわざわざ来るか」


 そっかあ、と笑うお前にふっと笑みを洩らす。こいつの笑顔に、胸を焦がすような何かを覚えたのはいつからだったか。
 触れたこの髪も、笑顔も、華奢なこの身体も。誰かのものだなんて考えてはいけないのに、いつからか俺だけのものになればいいと。こいつが“好き”だと俺に笑いかけるたびに、はいはい、と返すたびに慣れた胸の痛みも。




「はじめちゃん、どうしたの?」
「…いや? 何でもねえよ」
「そう? そっか…ならいいや」

 俺から目を離して無邪気に笑うこいつを、そっと盗み見る。
 そうだ、まだ知らなくていい。俺がこいつに向けた感情は、濁りを増してく一方で。浄化なんて今更無理だ。だったら、俺はこの色濃くなる感情は捨てない。まだ知らない先のいつかに、こいつと混ざり合える確証なんてない。たとえそうでも。



「…渡さねーよ」
「ん? なんか言った?」
「…いいや、気のせいだろ」

 いつかお前にぶちまけるその日まで、笑顔の裏で育つこの欲は誰にも摘ませない。





fin.

Happy birthday to Hajime !
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