幸福もなにもないじゃない卑怯 | ナノ

「今度、君を抱かせて欲しい」
「…えっと、ハグですか?」

 真面目な表情を崩さないままのクラウスさんに、そう返した俺の言動は今思えば不真面目極まりなかったと思うのだ。


「…えっ、それでOKしたんですか!?」
「うーんと、成り行きで?」

 ここは秘密結社ライブラ。…ではなく、俺が通い慣れた喫茶店である。
 異質とも言えるこの街で、俺が心から落ち着ける数少ない場所で、普段はひとりで来ることが多い。
 そんな中で、後輩のレオナルドを連れて来るのは俺にとっても珍しいことだった。もちろんこれにも理由がある。


「それにしても、こんなところあったんですね。いきなり一緒にご飯だなんて、びっくりしましたけど」
「うん、いいところだろ。うーん、俺はホットサンドで」
「ここ、クラウスさんとも来たんですか? 何がおすすめです?」
「いや、来たことないよ。だって心休まらないじゃん。あ、おすすめはねえ、これ」
「本当に付き合ってるんですよね…?」



 奢るから、という誘い文句でレオナルドを連れ出したのは俺からだった。
 別に奢ってもらわなくても…と遠慮気味に構えるレオナルドに、ザップの欲望の忠実さを例に挙げれば即答で返事がもらえたのは、ザップがお手本として申し分ない証拠だ。悪い意味で。
 愛着のある手書きのメニューをレオナルドのほうに向け、たわいない会話を交えつつメニューの中から、この店自慢のオリジナルバーガーを指差す。
 俺には量が多すぎて無理だけれど、新鮮なレタスにトマト、ビーフパテ、カリカリのベーコン、半熟加減が絶妙な卵、そして特製のオーロラソース。
 他のチェーン店などに比べれば、このバーガーひとつでセットの価格に匹敵するが、それだけの価値はある。特にこのビーフパテを知ってしまったら、しばらくは他で食べられないほどに。
 俺の説明だけでごくっと唾を飲んだレオナルドに笑って、勝手に注文する。レオナルドの表情を見る限り、それは間違いではなかったらしい。よかった。




「俺はひとりの時間を大切にしたいの」
「…はあ。なら、どうして僕を…?」
「ちょっとお願いがあってね」
「…そういうことだと思いましたよ」
「まあ、そんな顔しないで。ちょっと話を聞いてくれるだけでいいんだ」

 それだけでこのバーガーが食べられるんだ、安いものだろう? 胃に余裕が残ってればポテトも付けていいよ。
 そう言って笑えば、レオナルドはすっかり虜になったのか溜め息を吐いた。
 これはお礼として、また連れて来る必要があるかもしれないな。でも、とりあえず今日のところは。
 先に運ばれてきたコーヒーを一口啜って、レオナルドに向き直った。


「どうやらクラウスさんに今度抱かれることになってるらしいんだけど」
「あの、そういう込み入った話は当人同士のほうが」
「抱かれてもいい日を詳細に聞かれた俺の気持ち、わかる?」
「すみません、続けてください」




 失礼を承知で言うと、レオナルドの目は開いてんだか閉じてんだかわからない目をしている。
 ちゃんと開いてんのかな? と思ったこともあるけど、半目で寝るよりはましだと思う。
 そのレオナルドが、だ。はっきり俺を哀れんでいるとわかる眼差しを、俺に向けている。
 察しの良い後輩は嫌いだよ、と言いたいところだが今回に限っては大助かりというわけだ。
 つまりこれは愚痴のようなもので、それを聞き入れてくれるだけでいいんだよ。
 俺だって、クラウスさんが嫌いなわけじゃない。好きじゃなきゃわざわざ男と付き合ったりしない。
 それでも、今度俺を抱きたいから都合のいい日を教えてくれ、なんて直球ストレート通り越した爆弾発言は俺にも予想外だったのだ。
 そういうのっていい雰囲気になった時とかに、お互い何も言わずにするもんなんじゃないの!?



「クラウスさんのことだから、気を遣っただけなんじゃないですか?」
「いや、わかるよ…わかってんだけどさあ…」
「まあ、クラウスさんですし。先輩、経験は?」
「ないよ。あの人がはじめてだ」
「ああ、じゃあ尚更…」

 レオナルドが続きを喋ろうとしたところで、「お待たせしました〜」という店員さんの間延びした声がすぐ近くで響いた。気付かないほど話に夢中になっていたらしい。
 ありがとうとお礼を言い、ホットサンドを手にする。半分に切られた断面から覗くのは、ハムとチーズだ。
 このホットサンドはフルーツサンドとセットになっていて、数種類のフルーツとクリームの組み合わせを選べるシステムなのだが、俺はいつもストロベリーとホイップクリームばかりだ。
 肝心のホットサンドはこれだけ見れば軽食そうに見えるのだが、俺にとっては充分である。
 目の前のレオは意外と大きくはないバーガーに拍子抜けしたようだったが、食べるように促すとその意味を理解したのだろう。



「結構ずっしりきますね。おいしいです」
「でしょ? 俺にはちょっと重くてね」
「…先輩、ちゃんと食べてます? 俺が言うのもなんですけど」
「人並みには食べてるよ。ポテトは?」
「あ、お願いします。先輩も、クラウスさんとのことに備えて食べたほうがいいんじゃないですか?」
「…結構言うようになったよねえ」


 口と手をべったべたに汚すレオナルドにウェットティッシュを差し出して、近くを通り掛かった店員さんに追加のポテトを注文する。…俺もポテトを追加したのは、意地じゃなくて単純にバーガーにかぶりつくレオナルドを見ていたら腹が減ったということにしていただきたい。
 レオナルドはしばらく食べるのに忙しそうなので、先程のレオナルドとの会話を思い出してみることとする。
 確かに、クラウスさんはよかれと思って言ってくれたのだろう。その気持ちは嬉しい。
 けど、「君にはかなりつらい負担をかけてしまうだろうから、その…」ともじもじしながら聞いてくるクラウスさんを見て、あれっどっちが男役だっけ? と思った俺は悪くないはずだ。
 やらないという選択肢はない…ですよねー。俺だって男だ、その気持ちはわかる。
 まあまさかクラウスさんに突っ込もうとは恐れ多くて考えもしなかったし、たとえそうだとしてもクラウスさんのものを見てしまえば落ち込んでそれどころじゃない可能性は多いに有り得る。
 あれだけ大きなクラウスさんだ。あれはもっと、規格外に違いない。
 ちょっとどころじゃなく怖いのは、戻れないという意味でか、それとも。




「…んっ、それで、いつやるか決まったんですか?」
「うーん、なんとなくは? もういいの、それ」
「あ、大丈夫です。おいしくて半分ぐらい一気に食べちゃいました」
「俺のこともそれぐらいさっさと食べてくれたらな」
「…それ、先輩の身体にはよくないと思いますけど」

 そりゃそうだ。あんな規格外のもの、バーガーみたいにさっさと食べて終わり、で済めば俺はこんなに怖じ気付いたりしない。
 でも、恥ずかしいことはさっさと終わらせて欲しい。なんか、こう、下準備とか。
 でもそれをしっかりしなければ、とてもじゃないけどクラウスさんを受け入れることは不可能に近い。ていうか死ぬ。俺が。
 両方解決…とまではいかなくとも、それに近い解決策を考えるなら、やっぱり俺がその下準備とやらをしておくしかないのか…
 いやいや無理、調べてみたけどかなりエグかった。ひとりじゃ絶対無理。かと言って下準備を手伝ってくれないかと頼めるような人もいない。
 ザップあたりなら金払えば手伝ってくれそ…ねえな! 俺が頼まれても普通に引く!


「まあ、なるようになるんじゃないですか?」
「他人事だと思って…」
「他人事ですからねー、相談する相手が間違ってますよ」
「…たとえば?」
「ザップさん、経験だけは豊富ですよね。性格はともかくとして」
「いや、あいつの性格を考えると変なテクニック教えられて終わりそう」
「ああ…」


 頷いたレオナルドもそうだけど、俺たちは決して悪くない。ザップがそういう人間なだけなのだ。
 仲間としては頼りになるしいいところもある。普段の生活態度がクズなのに目を瞑れば、と付け加えておくならばの話。
 まずはじめてって言ったらそこで笑われて、まるで役に立たないテクニックを教えられるか、ただの下ネタか…うん、ないな。
 それならごはん奢ってでもレオナルドにただ話を聞いてもらったほうが全然いい。俺の考えは間違っていなかった。
 まともさで言えばギルベルトさんがいちばんかもしれないけど、クラウスさんに筒抜けだったら恥ずかしいどころの騒ぎじゃない。
 ツェッドにこんな話をするわけにはいかないし、ああ、もう認めよう。詰んだね。
 我慢できなかった溜め息をあからさまに吐いた俺に、レオナルドが声を上げた。



「スティーブンさんはどうですか? 経験もありそうですし」
「いや、あの人はダメ」
「どうしてですか?」
「あの人、徹夜が続くと機嫌悪くなるんだよ…」
「でも、先輩の相談にぐらい、」
「まったく笑えない話を教えてあげようか」


 レオナルドの言葉を遮って、遠くを見つめながらその時のことを思い出す。
 それはまったく平和な日だった。なんの事件もなく、ギルベルトさんの紅茶を飲みながら健やかなひとときを過ごしていた。
 ただ、ザップだけが変な声を出してはソファでだらしなく寝ていた。二日酔いだったのだ。
 ザップにしては珍しくないことだし、俺自身もまたかと思って見ていた。
 スティーブンさんだけが、なにかに追われるように虚ろな目で仕事に励んでいた。なにか手伝えることはないか、と口出しもできないほどに。
 結果的に言えば、ザップがスティーブンさんに紅茶をぶちまけたのだ。高いティーカップは、その紅茶と共に投げ出され、水ならぬ紅茶も滴るいい男となったスティーブンさんがしっかり受け止めてくれたおかげで大事には至らなかった。ティーカップのほうは。
 二日酔いも冷めたであろう真っ青な表情で立ち尽くすザップに、ただ静かに歩いて近付くスティーブンさんを見て俺は漠然と思った。
 ああ、本当に優れた殺し屋ってこうして普通に近付いて普通に殺るんだろうな、と。
 そして、ザップの前で笑顔を見せてこう言ったのだ。



「ありがとう、目を覚ましてくれて」

 …その後、ザップがすごい勢いで土下座したことは言うまでもない。
 ただ、あの時スティーブンさんが技を使ったわけでもないのに、室内の温度が急激に下がったような感覚に陥ったことは忘れられない。



「なんでお前のくだらない相談に俺の時間をわざわざ割いてまで聞いてやらなくちゃいけないんだ?」
「えっ」
「…なんて言われたら、俺はそれこそ挫けるよ」
「今、すごい似てましたよ」
「ありがとう、嬉しくないけど」


 結局何が言いたいかというと、無闇にスティーブンさんを怒らせるようなことは避けるべきである、ということだ。
 徹夜明けでなかったならまだ俺も考えたかもしれないけど、表情を見る限りあれは3日目に突入していた。
 ザップに向けて薄く開かれた瞳と微笑むその表情は、ホラーゲームで襲いかかってくるゾンビなんかよりよっぽど怖かった。
 触らぬ神に祟りなし。死にたくなけりゃ不用意に近付くな。徹夜明け、もしくは真っ最中のスティーブンさんはそのサインなのだから。




「じゃあ、もう腹括るしかないでしょ。愛があれば大丈夫ですよ」
「えらい投げ槍だね?」
「だって、僕じゃどうしようもないですし。それに、」
「なに?」
「あの人、本気で嫌がることはしないと思いますから」

 そう言って食事を再開したレオナルドを見つめながら、それはその通りだ、と誰に同意を求められたわけでもないのに頷く。
 貴族の出だし、紳士で、優しくて、外見で誤解されやすいけど間違いなく優良物件だ。俺には勿体なさすぎるほど。
 でも、一度闘うクラウスさんを見たら自信を持てなくなってしまうのも事実で。
 あんなに温厚な人が、闘いだと豹変したように力を奮うのだ。そのスイッチがどこなのか、俺にはわからない。
 だけど、もし。その時に、スイッチを踏んでしまったら?


「…そうだと、いいんだけどなあ」

 俺もそれだけ言ってから、すっかり冷めてしまったホットサンドに手を伸ばした。




「クラウスさん、」
「…ああ。もう終わったかね」
「あ、はい。なにか手伝えることは」
「いや、いい。終わるまで自由にして待っててくれ」
「…は、い」

 レオナルドとの食事から数日後。いつもは自分の仕事が終われば直帰するんだけど、今日はそういうわけにもいかなかった。
「今日は私と共に」と囁かれたその言葉に、緊張するなと言うほうが無理な話だろう。
 ギルベルトさんからいただいた紅茶を飲みながら、ちらりと室内を見渡す。
 レオナルドはバイトがあると早々に帰ったし、ザップは自分の仕事が終わればさっさと帰るのがいつもだ。
 せっかくだからツェッドに構ってもらいにでも行こうかなあ、と考えてもなかなか動けないのは今日が怖いからなのか。
 そんなことを考え込んでいたからなのか、目の前に迫っていたその人に気付けなかった。



「あら、今日は帰らないの?」
「あっ、K・K。うん、ちょっとね」
「もしかして〜、クラっちとデート?」
「あー…そんなところ。特別どこか出掛けたりはしないんだけど、」
「それでも立派なデートじゃなーい! いいわね〜」
「…K・Kは、まだ時間大丈夫なの?」
「ちょっとぐらいなら大丈夫よん。そ、れ、よ、りっ」




 俺が残っているのが珍しかったから。俺に声を掛けたのは、確かにそれがきっかけだったと思う。
 だけどK・Kの瞳は、ただそれだけじゃ帰らないという意思が見えているようで俺はばれないように息を吐いた。
 基本的に、俺はプライベート―それもこと恋愛に関しては、積極的に話すほうではない。わざわざ話すまでのこともなければ、やることもやってないし。まあ今日これからやるんですけど、なんて言えるはずもない言葉は乾いた笑いで消えた。
 女性というのは、恋愛話が大好きだ。それは結婚しているK・Kも変わらないらしい。
 K・Kの期待するような眼差しに見ない振りをして、生返事で答えていく。
 そんな俺を見てK・Kの瞳から期待の色が薄れていくのが見えたが、突然にやりと笑ったかと思えば、俺の隣へと移動した。


「K・K?」
「もしかして、今日…クラっちとやったりするの?」
「っ!?」
「あらあ、やっぱり! 大丈夫よ、クラっちには聞こえてないから」
「…そりゃ、どうも」
「その反応見る限り、図星ってところかしら〜?」

 K・Kに耳打ちされた衝撃的な言葉によって、俺の顔は熱を増していた。
 ああ、こんな時に平然とした表情でうまくごまかせれば「かわいい〜!」なんて、K・Kに指で頬を突かれることもなかったのだろうな。
 今更そんなことを思っても後の祭りだけど、クラウスさんに聞こえてないのであれば、もうどうだっていいや。


「なーんか様子がおかしいと思ってたのよね。緊張してる?」
「…そりゃ、するよ。はじめてだし」
「まあねえ、相手がクラっちだし」
「…正直、やばいと思ってるんだけど」
「まあ、相手にとって不足なし、って感じよね。グレネードランチャーみたいな?」



 ごめんK・K、その例えは俺にはいまいちわからないよ。
 でも言いたいことはなんとなく伝わったし、その気持ちが同じなのも俺にはわかる。クラウスさんのクラウスさんがやばいだろうということは、考えるまでもない結果だと。
 今思えば、K・Kに相談するのがいちばん得策だったのかもしれない…いくら既婚者でも、女性だからって考えになかった…!
 まさかクラウスさんと同じこの空間で、そのことについて相談できるわけでもないし。
 溜め息がもう一度出そうになった時、背中に軽い衝撃を受ける。K・Kが、俺の背中を叩いたのだ。まるで鼓舞するように。

「クラっちが相手だし、大丈夫でしょ。傷付けることだけはしないはずよ」
「…うん。ありがとう、K・K」
「やーね、水くさい! 本当に嫌になったら、泣きなさい。泣き落としよ」
「それ、女の涙だけなんじゃ…」
「好きな人の涙に、男も女も関係ないわよ」


 そう言ってウインクすると、K・Kは大きく手を振って帰っていった。
 K・Kのことだから、俺がいつもと違うことに気付いて心配してくれたのかもしれない。
 ありがとう。そんな想いを込めて、俺もそっと手を振り返してみる。
 …さて。そうは言っても、状況は好転するどころかちっとも変わらないわけで。
 組んでいた足を崩したところで、視線を戻すとクラウスさんはもう仕事が終わったのか、上着を羽織るところだった。



「話はもういいのかね?」
「あ、はい。K・Kもすぐ帰るみたいでした」
「それでは、帰るとしよう。待たせてすまない」

 そう言ってクラウスさんがギルベルトさんをちらりと見ると、微笑んだギルベルトさんがクラウスさんに何かを渡した。
 クラウスさんの大きな右手にしっかり握らされたそれを見ると、鍵のようなものだった。おそらく車の鍵だろう。
 それだけで、今日はクラウスさんが運転するのだとわかった。
 クラウスさんが運転する車に乗るのははじめてじゃないけど、いつもはギルベルトさんが運転するのだから、身構えないほうが難しいという話で。
 ギルベルトさんの顔をまともに見れないまま、せめてもと軽く頭を下げてクラウスさんの後を追った。




「…肩は痛くないかね? 腰は、」
「あっ、大丈夫です。もう降りても?」
「ああ、待ってくれたまえ。私が開けよう」
「しっ、シートベルトは自分で!」

 クラウスさんの安全すぎると言っても過言ではない、眠ってさえしまいそうな心地良い運転を終えたのは数分後のことだった。
 …まあ、クラウスさんのお宅に来るのは何もはじめてのことではないんだけど、今日は明確な用事があるので緊張するかしないかで言えば、もちろん前者だ。
 しかもクラウスさんと来たら、乗る時もそうだけど降りようとした今だって助手席のほうの扉を開けてくれて、そっと手を差し出すものだから。
 家柄的にそういう教育を受けてきたのかもしれないけれど、「男相手にそこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」なんて言い出せる雰囲気ではなかった。言ったら言ったで、また恥ずかしい言葉を囁かれようものならそれこそたまったものではない。
 シートベルトまでしてくれようとしたので、それはさすがに自分でやったけど。
 よかれと思ってやってくれているんだろうけれど、俺、この人の好意に甘えちゃうとたぶん何もできなくなっちゃう…!



「あれ? 今日は誰もいらっしゃらないんですか?」
「ああ、予め人払いを頼んでおいた」
「…あっ、そっすか」
「…私だけでは不都合だろうか」
「あっ、いえ、そんな全然! ただ珍しいなあって思っただけで!」


 いつもはメイドさんたちがいるのに、不思議に思ってうっかり口に出た自分にこのバカと語りかけながら、思わず口元を手で覆った。
 ギルベルトさんがいない時点で気遣ってくれているのはわかっていたけど、ここまで人払いをされると、その、本当にするつもりなんだなって実感が込み上げてきて何とも言えない気持ちになる。
 クラウスさんはそんな俺を見て不思議そうに首を傾げていたけれど、俺に不都合があるわけではないとわかってくれたらしく微笑んでいた。
 クラウスさんの手によって開けられた重厚な扉は、またクラウスさんの手によって閉じられた。
 きっと俺一人では開けることのできないその立派な扉が閉まる音は、まるでもう逃げられないぞ、と俺に囁くように。



「紅茶でいいかね? ギルベルトほど上手ではないが…」
「あっ、お構いなく」
「そ、そうかね。お腹が空いているということは、」
「…も、ない、です」
「う、うむ。もしお腹が空いたなら、気軽に言ってくれたまえ。私の手料理で良ければ、作ろう」
「あっ、ありがとうございます」




 何度か来たこの豪邸で、通されたのははじめての部屋だった。ゲストルームでもなく、リビングでもない。ベッドがある様子からして、ここはクラウスさんのベッドルームなのだろう。その証拠に、俺が知る限り今までで一番大きいベッドが存在感を放っている。
 ベッドルームといっても、立派なテーブルにソファもある。そのソファに座っている俺と、紅茶を淹れようとしたクラウスさんの間には妙な距離感があった。
 紅茶を断ったのは、まずかったかもしれない。でも、もしそれを出されてしまったら緊張を紛らわそうとどんどん飲んでしまって、トイレに行きたくなるに決まってる。
 そしてクラウスさんの声が少し上擦っていることから、クラウスさんも緊張しているのだとわかった。それが余計に気まずい。
 俺にとっては大きすぎるベッドを目立たないようには見ているものの、バレバレだ。汗が飛ぶようなクラウスさんの様子を見て、こんなにすごい人でも緊張するんだと逆に俺の緊張が解れてしまった。それどころか面白い。
 急に笑い出した俺を見て心配そうに声を掛けるクラウスさんに、もう限界だとばかりに俺は盛大に噴き出した。



「だ、大丈夫かね?」
「すっ、すみません…クラウスさんでも緊張されること、あるんだなって、ふっ」
「私だって緊張ぐらいする。…だが、」
「?」
「私のみっともない様子で、君が笑ってくれたというのなら、よかった」


 ふっと笑って、そんなことを言うものだから。
 ああ、何をくだらないことで悩んでいたんだ、俺は。そんな気持ちにさえさせてくれる、このクラウス・V・ラインヘルツという男性は。
 恐怖が完全に消えたわけじゃない。はじめてクラウスさんの前で自己紹介をした時とはまた違う、浮遊感のようなそれ。
 それでも、この人になら、何をされてもいいと。それがたとえ傷付けられるような行為だったとしても、あなたなら、あなただけがいいと。
 それをストレートに言葉で伝える術を、俺は知らない。だから、


「き、」
「ん、」
「…! っ、」
「…ん、ンッ」



 立ち上がって、抱き付くようにクラウスさんの首元に手を伸ばす。頭まで伸ばすことができなかった俺の手は、ネクタイを掴むので精一杯だった。
 行儀が悪いとは思ったけれど、そんなことに構っていられる余裕なんてない。そもそも、この身長差で俺から何か仕掛けようと思うとこれが限界なのだ。
 抵抗する様子も見せなかったクラウスさんの唇に、ぶつけるようにキスをした。最初はびっくりした表情を見せたクラウスさんも、やんわりと俺からのキスに応えてくれる。それどころか、開いた隙間を縫って大きな舌がぬるりと入り込んでくるのがわかった。
 俺から仕掛けたはずなのに、うまく立っていられない。呼吸が苦しくなって、ぐっとネクタイを掴む手に力を込めれば、ゆっくりと唇が放された。
 自由になった瞬間に、胸いっぱいに空気を吸い込む。ふわりと身体が浮いて、驚いたのは俺のほうだった。


「う、わっ」
「すまない。驚いたかね?」
「い、いや、大丈夫で…」
「そうか。…触れても?」
「…それ、聞きます?」
「…そうだったな。すまない」

 口ではそう言うクラウスさんは、ちっとも悪そうに思う表情をしていなくて。でも、それはきっと俺も同じなのだろう。
 軽く押すように倒されたベッドは、優しく俺を受け止めてくれた。クラウスさんが覆い被さって、さすがにベッドが軋む音がした。
 倒された衝撃で少し捲れた服の隙間から、クラウスさんの手が入り込む。それはとても大きな手をしているのに、手付きは優しすぎて、くすぐったいぐらいだった。思わず笑い声が漏れる。
 でもそれがある一点に辿り着いた瞬間、劇的に変化するのは最早避けられないことだった。



「…んっ、あ」
「ああ…君のは小さいのだな。とてもかわいらしい」
「そっ! …れ、男として微妙なんですけど」
「? 褒めている」
「…なら、いいですけど」

 こんなこと言われて許せるの、あなたぐらいなんですからね。
 心の中で留めておくつもりが、ついうっかり独り言として口に出してしまったと気付いたのは、クラウスさんが露出した俺のものを握ってきたからだった。
 急な刺激に、ひっと声が出る。そんな俺に構うことなく、クラウスさんは動きを止めない。
 下着ごとズボンを中途半端に脱がされたまま、耳を塞ぎたくなるような音を立てて俺のものを扱かれる。クラウスさんのきれいな手を俺が汚してるんだと思うと、興奮で唾を飲んでしまった。
 与えられる刺激はいっそう強くなり、声も上擦る。自分が自分じゃなくなるようで、ぐっと唇を噛んで襲い来る衝撃を待ち受けた。


「っ、は、はっ」
「少し冷たい。我慢してくれたまえ」
「っひ、」
「…私の指は、太くて痛いかもしれない。無理ならすぐに言いたまえ」


 小瓶に入った、とろりとした液体を纏ったクラウスさんの指が、そこに押し当てられる。緊張でびくりと震える俺を宥めるように、塗り込んで。ぬぐ、と音を立てて入ってくるのがわかった。
 声を押さえるために覆った手でも、荒くなった息が隙間から漏れる。痛いというより、苦しい。それなのに、目は逸らせない。
 爪先だけだった指が奥に入るたび、身体が魚のように跳ねてしまう。その衝撃でまた奥に指が入り、もう手で口元を覆うことすらできなくなっていた。
 入っていただけの指が、中でぐりっと動く。曲げられた、のか。もうそれを見る気力するない。中を掻き回されるたび、俺のものがまた熱を持ち始めた。
 それを目敏く見つけたクラウスさんが、逆の手で触れてくる。




「っ、ああ、くらっ、さ!」
「もう3本も入った。わかるかね?」
「わかんな、あ、っあ…」
「そうだな。こんな君は、私しか知らなくて言い。君自身も、だ」

 ずるりと抜けるような音に、喪失感。ああ、抜かれたんだ。そう思ったのも束の間、とんでもないものが目に入って俺は目を見開いた。
 クラウスさんだ。クラウスさんの、それもとても元気になったものにゴムが装着されている。
 このサイズのゴムあったんだ、なんて現実逃避でこの現状がどうにかなるほど現実は甘くない。
 それをまた宛がわれて、汗がつうっと伝った。


「…痛かったら言ってくれ。そうでないと、私は後悔してしまう。これから先、ずっと」
「…だいじょぶ、ですって。だから、はや、く」
「ああ。ゆっくり行くぞ」
「ん、ぐう…っ!」

 クラウスさんの言葉通り、それは決して無理を強いるわけでも、急を要するわけでもなく、ゆっくりと入ってきた。
 それでも、もちろん指なんかとは比べ物にならないほど苦しくて、圧迫感に吐きそうになる。
 苦しい、痛い、内蔵出そう、苦しい。今ならまだ止めてと言えば間に合うかもしれないけれど、そんな考えはクラウスさんを見れば一気に吹き飛んだ。
 だって、クラウスさんのほうが俺を気遣ってよっぽど苦しそうな表情をしているのだから。
 …ああ、なんだ。セックスって、こっち側にばかり負担を強いられるものだと思っていたのに、そうじゃないんだな。それは、この人だからこそなのかもしれないけれど。




「…っ全部、入った、ぞ。大丈夫かね?」
「っ、あ…はは、クラウス、さん」
「なんだね?」
「しあわ、せ、ですか?」
「…ああ、そうだな。これ以上の幸福感は味わったことがない」


 うっとりした表情でそう言った後、「君は?」なんて聞いてくるものだから。
 幸福もなにもないじゃないですか、この卑怯者にして最高のヒーロー。
 そんな言葉を出す力は残ってない変わりに、ふっと微笑んで見せた。
 だから、ねえ。気づいてくださいよ。最高にして最強である、僕のスーパーダーリン。





fin.

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