うそつきはいつかしぬ | ナノ

 いつも、笑顔の中心が彼だった。
 誰とも分け隔てることなく接し、誰からも好かれて、例外なく私にも向けられる笑顔に喜びを感じた。
 手を差し伸べたあの時、彼の手の感触が私と同じものとは思えないと、そんなものは些細に感じてしまうほどに。



「ふー…」
「随分疲れてるな、スティーブン。眠そうなのはいつものことだけど」
「ほっとけ。さすがにこの前の戦いはきつかったなあ、誰かさんもいなかったし?」
「呼び出してくれりゃよかったのに。お礼じゃないけど、肩でも揉んでやろうか」
「…痛くするなよ?」
「評判いい俺のマッサージをタダで受けられるだけありがたいと思え」



 血界の眷属との戦いを終え、完全ではないが皆の傷も癒えてきたその頃。
 運がいいと言うべきか、ちょうどその時不在だった彼とスティーブンとの会話を耳にした。
 基本的に、司令塔の役割を担ってもらっているスティーブンが疲れやすいのはいつものことだ。
 もちろんできる限りは私たちでも仕事を分担しているし、スティーブンいわく他人任せにできない仕事があるのだという。
 そうは言っても、スティーブンに任せっきりにするわけにもいかない。特に前線で戦う者の負担を和らげることはできないとしても、補うことぐらいはしてあげたいと願っていた。
 それでもスティーブンは首を縦に振らない。そんな私の願いを汲み取るように、買って出たのが彼だった。
 その日のスティーブンは余程気負う仕事でも抱えていたのか、いつも以上に疲れが見て取れた。
 きっと、私の知らないところで私が関わるはずもない仕事をしているのだろう。
 察することも問い詰めることも簡単だった。だが、スティーブンはそれを求めていない。それだけで充分だったのだ。
 だからといって、無視することはできない。その時、君が動いた。




「じゃあ、俺がその仕事やるよ」
「…僕の話を聞いていなかったのか? これは僕にしかできないと―」
「できないかどうかは、俺が終わったあとに判断すれば?」

 その頃のスティーブンは、彼のことをあまりよく思っていない印象を受けた。
 私が彼を連れてきた時も、口ではしょうがないと言いつつ彼を見るその眼差しはひどく冷たい。
 ここに身を置くことは許しても、彼を完璧に信用はしていなかったのだ。
 私としてはスティーブンと彼がもっと打ち解けて欲しいと願ったが、人心の把握に疎いと言われてしまえば黙るしかない。
 返事も聞かずにスティーブンの書類を奪う彼に、「勝手にしろ」と溜め息を吐いてスティーブンがソファへと沈む。
 心配そうに見つめる私に向けられる彼の微笑みに根拠などないのに、ひどく安心感を覚えたのは今でも忘れられない。
 そしてスティーブンが深い眠りに入らないうちに、その書類をスティーブンの顔へと押し付けた。
 寝ぼけ眼でその書類に目を通したスティーブンの表情が物語っていたのだ。彼nの仕事は、完璧そのものだったと。



「なんだよ、そんなに熱烈に見つめなくてもクラウスにもしてやるって」
「いや…そうだな、お願いしよう。君とスティーブンとのことを考えていた」
「あー、スティーブンがツンツンしてた時の頃ね」
「気持ち悪い言い方をするなよ…んっ、」
「丸くなったもんだよなあ、俺にここまで許してくれるなんて」
「ほら、もういいだろ? 次はクラウスにしてやれ」


 照れ臭いのだろうか。髪を掻いて顔を逸らすスティーブンを見て、おかしそうに笑えるのはもはや彼しかいないだろう。
 不仲とも見えるスティーブンと、ここまで打ち解けることができるとは夢にも思わなかった。
 私だってそうだ。私は外見で誤解されやすいから、すぐには手を取ってもらえないと思った。
 この私が手を差し出したところで、怖がって身を引いてしまうかもしれない。
 でもそんな考えも杞憂に終わったのは、そんな私の手に微かな温もりが触れた時だった。
 私が手を動かすより先に、ぎゅっとその手が握られる。私より小さく、薄く、壊れてしまいそうなその手が。



「さーて、クラウスじゃここは狭いな。ベッドでいい?」
「本当にお願いしていいのだろうか」
「なーに、俺が嘘付くと思ったの?」
「いや、君のことを私は信じている。疑ったことは一度もない」
「…そりゃどーも。なーんかいちいち重いんだよなあ」

 そしてその手は私たちと共に血を流し、こうして束の間の平穏に私を癒してくれる。
 促されるまま仮眠室へと向かい、上着を脱いでベッドに俯せになる。
 よく他のメンバーにもマッサージはしているが、こうして全身をマッサージするのは私にしか許していないのだという。
 ベッドが軋む音が聞こえれば、優しい熱が服の上から伝わる。ゆっくりと解されていくような感覚に、緩やかな心地よさが身体を襲う。


「結構凝ってんなー。そんなにハードだったのか?」
「…あまり覚えていない」
「はっ、またマジギレして記憶ないんだー? お前だけは敵に回したくねえな」
「私が君の敵に回ることなど、ありえない」
「…ああ。そうだな」


 俯せになっていたためか彼の表情はわからなかったが、急に声色が変わった気がした。
 それに名前を呼んだところまでは覚えているが、優しい声で宥めるように名を呼ばれ、解けていくようなマッサージに私の意識は闇に溶けた。
 眠ってしまっていたと気付いたのは、窓を打ち付ける雨音に気付いた時で。
 辺りを見回しても彼はいない。すぐそばにあった上着を羽織り、部屋を出るとギルベルトだけがそこにいた。


「坊っちゃま、お目覚めになられましたか」
「ああ、すまない。…皆は?」
「実は、また事件が起きたようで」
「! なぜ私を、」
「気持ちよく眠っているから寝かせてやってくれ、と仰せつかっております」

 血界の眷属でもないから、自分たちだけで充分だ。休憩しろと言ってもパソコンとにらめっこしているのだから、と。
 もっとも彼らしい気遣いだな、と思った。彼のマッサージと眠ったおかげか、身体は軽い。
 スティーブンたちも彼の言い分に納得したのだろう。誰ひとりいないとは、そういうことだ。
 だが、私は彼含めて皆のことを大切に思っている。なにかあったらと考えるだけで、情けなく胸がざわつくほどに。
 ギルベルトに留守を任せ、ここを後にした。大切な仲間の無事を、この目で確かめるために。



「ぐ…あ、ッ」
「あっれー? まだ喋れる元気あったんだ。ちょっとサービスしすぎたか」
「はっ…!」
「なんだ、腐っても人間風情なんだねえ。やっぱり」


 だから今、駆け付けた先で何が起こってるのか理解ができなかった。
 どうしてスティーブンが床に転がっている? どうして彼がその身体を足で踏み付けている?
 それ以外の皆が血まみれで、少しも動かない? レオナルドは一番軽傷に見えるが、どうして拘束された状態で目隠しをされている?
 彼以外に敵の気配はない。彼、以外に。彼、は、

「俺をさっさと殺しておけばよかったのになあ、スティーブン。家族ごっこは楽しかったか?」
「ッアァ!」
「やられたとこ、ここだろ? …くっ、ほんと笑える」


 それは、私の知る彼ではなかった。まだ完全に癒えていないスティーブンの傷口を抉るように、踵を動かす彼なんて。
 でも、私の視覚は彼を伝える。頭が混乱してきた。彼は彼であって、彼ではない?
 彼の視界からは、私の姿は見えない。なぜなら、私の目に映っているのは彼の背中と虐げられるスティーブンの姿だからだ。
 悲鳴を上げたスティーブンの目が見開かれるように、こちらを見る。確かに、私と、目が合ったのだ。
 息も絶え絶えといった様子なのに、その口をはくはくと動かして私になにかを言った。
 小さすぎる声だったが、喧騒が止んだこの場所なら充分だった。逃げろ、と。そう言ったのは。
 そしてその沈黙を破る笑い声は、私ではないスティーブン以外の誰かしか有り得ない。




「お前、頭いいくせにバカなこと言ってんなよ」
「そこに…いるんですか…? クラウスさん…!」
「ああ、レオはバカだからいいんだけどなあ。ちょっと黙っててもらおうか、っと」
「ぐあ、っ…!」
「まさか、大事な仲間を置いて逃げたりしねえよな? クーラウス」


 そこではじめて喋ったレオナルドの腹部に彼の蹴りが入り込むと、悲鳴を上げてレオナルドは倒れた。
 それに慌てて駆け寄ろうとして、足は止まる。
 私に向けて笑いかけたその表情が、とてつもない冷たさを帯びている。
 気圧される、とでも言うのだろうか。一度対峙したことのあるその記憶を呼び起こし、早く奏でる心音が間違いないと告げている。
 目の前にいる私の知る限り彼と思われるこの男は―正真正銘、血界の眷属なのだと。



「いやあ、お前らと一緒に吸血鬼を殺すのは傑作だったよ」
「…仲間、なのか?」
「厳密にはちょっと違うな。俺は仲間意識持ってないし、ひとりが気楽なんでね」
「君は血界の眷属なのかと聞いているのだ!」
「んなもん、見りゃわかんだろ? クラウス・V・ラインヘルツ」

 ゆらりと彼を纏う羽のような赤い光に、ぐっと唇を噛む。それが、それだけが真実を物語っていた。
 ぐっと拳を握る。構えることができない。
 なぜ。どうして。私は君の敵にならないと、約束したばかりなのに。
 やることはわかっている。それなのに、どうすればいいのかわからない。
 そんな情けない私の身体を見て、大声を上げて笑った彼はすうっと真顔に戻った。



「…いつからだ」
「そんなもん、最初からだよ。お前と会ったその時にはもう」
「………」
「だから俺は忠告したんだよ、後悔しないか、ってな」

 そうだ。あの時差し伸べた私の手を、彼は確かに取ってくれた。
 だが、一言だけ。ただ一言だけ、私に告げたのだ。彼の口から吐かれた、その言葉を。
 私はそれを信じた。疑う余地など、ないと思った。己の信念を持って、彼を受け入れようと心に決めた。その結果が、これだというのか。


「おかしいと思わなかったのか? 弱そうな俺が、どうしてあんなに戦えていたのか」
「…それも、手加減していたのか」
「察しがよくて助かるよ。手加減して戦うの、意外と難しくてさ」
「っ君は!」
「まあ、仲間意識持たないとは言えその場にいたらばれちゃうからね」

 まさか本当に倒してくれるとは思わなかったんだけどな、やっぱり俺が惚れただけのことはあるね。
 そう続ける彼の言葉は胸が疼くほど喜びを感じてもおかしくないはずなのに、この胸は強い痛みしか訴えてくれない。
 こんなにも触れたいと思った彼を拒みたい。近い彼が、手を伸ばしても届きそうにないほど遠い。


「さーて、世間話はここまでだ。クラウス」
「…ああ、」
「やっとやる気になってくれて嬉しいよ。お前とずっと、こうしたかった」



 すっと目を細める彼を待ち構えるため、構える。まだ動く気配はない。じわり、握り拳に汗が滲んだ。
 まだだ。まだ、まだ。まだ彼に触れてはいけない。まだ彼に、この拳をぶつけることを許されたくはない。
 運命などと決められた言葉で、私と彼のこれまでを縛られたくはない。
 だが、現実はそう甘いものではないとわかっている。瞬時に懐に入り込んだ彼が、私を大きく後退させた。
 これでも彼は本気の半分も出していないのだろう。ゆっくり近付く彼の足音が、カウントダウンのように響く。


「もっと本気でやれよ。使命を忘れたのか?」
「…っ、」
「じゃあ、あの中の誰かの首を飛ばしてやろうか」
「! …ブレングリード流血闘術、」
「…そうだ、それでいい」
「―推して参る」

 そして、今度こそ彼に立ち向かうのは私のほうだった。彼は逃げる様子もない。きっと、私をいとも簡単に受け止めるのだろう。
 相手にとって不足なし、どころか、手加減などすればこちらが痛い目を見るのはわかっている。
 これが、彼の選んだ道だというならば。可能性として、選択肢も与えられないまま生きてきたとしても。
 彼が血界の眷属で、私がラインヘルツ家であることは、変えられようのない事実だ。
 迷うことなく、彼の身体に拳を打ち込む。一発で綺麗に入るとは思っていない。それだけの相手だ。
 次の攻撃に入ろうとした私の動きを止めたのは、動かない彼だった。




「…っはは、さすが、クラウス、だ…な」
「なぜ、」
「クラウス、なっさけねえ顔、だなあ」
「なぜ、避けなかった…?」

 私の拳はしっかり入り込んで、彼の身体を貫き大きな穴を開けていた。
 彼ならこれぐらいの攻撃、楽に避けられたはずだ。それなのに、私の拳は彼の肉を貫いて真っ赤に染まっている。
 私にもたれかかるようにして、彼がふっと微笑む。その拍子に口から血が吐かれ、私の服を汚した。


「おれ、は、おまえに、ころされたかった」
「ふざけたことを、」
「…本当だ。好きに、なっちまったんだ」
「…!」
「おれのさいごは、おまえが、いい」

 苦しそうな呼吸の最中、途切れ途切れに紡がれる言葉。赤く光るその瞳の隙間から、熱い水が彼自身の頬を濡らす。
 喋るだけで精一杯といった様子だ。なにも知らない私だったならば、もう喋るなと。傷が開くと、すぐにでも言えたはずなのに。
 それができないのは、彼が私の敵であり、私が今の彼を作ってしまった張本人だからだ。
 彼に、好きだと言われた。彼を目に映すだけで昂るこの気持ちを、彼によって気付かされた。
 私も同じ気持ちだ。君のことを愛している。そう口に出したところで、私と君の世界が救えるはずもない。
 だから、ただゆっくりと頷いた。彼は笑った。はじめて見る、子供のようなあどけない笑顔だった。
 もう時間は残されていない。彼を貫いたまま、支えるように君に近付く。



「…憎み給え」
「…ふ、」
「…許し、給え」
「…う、ん」
「あきらめ、たま、え」

 もう何度と行ってきたその言葉すら、口に出すことすらおぼつかない。
 最期の力を振り絞るように、君が手を伸ばす。温もりを失いかけているその手が、ひたりと、私の頬に触れる。
 その上から己の手を重ね、君の瞳をじっと見つめた。
 こんな瞬間でも、瞬きをせずに君を刻みたい。忘れたくない。気持ちとは裏腹に、最期の別れを告げる言葉を紡ぐために口を開く。
 その刹那、君が唱えた言葉を、私はなにがあっても、これから一生忘れないと誓う。




「人界を護るために行う、我が蛮行を」
「…あ、」
「君を、密封、する」
「…が…と、う」

 唇に触れるなにかを、確認する術は持たなかった。
 私の手によって、君だったものが、小さい十字架に閉じ込められる。落ちてきたそれを握り締め、胸に押さえ込んだ。
 わかっている。わざわざ確認せずとも、何度も目に刻み付けた君の細部まで。
 こんな愚かな私に、勿体ないほどの言葉を囁いて、それを示してくれたことも。
 目から熱い水が出るのは、はじめてのことだった。君さえ知らない。それでいい。
 私がこれを流すのは、最初で最期、君だけのためであって欲しいから。



「…私も、君に劣らず嘘つきだ。君は知らない、だろうが」

 密封された君だったものに話しかけても、当然返事が聞こえることはない。
 ああ、早くスティーブンたちを助けなくてはならない。ギルベルトに連絡をして、それから。
 でも、少しだけこの時を許して欲しい。私しか知らない、私と君の時間を。
 この十字架は、私の罪と共に、その時まで生き続ける。



「…私もいつか、君のもとへ行くだろう。だから、その時まで」

 君を私だけのものとすることを、どうか許して欲しい。
 こぼれた浅ましい涙が、その十字架を鈍く光らせた。





fin.

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